第305話 皇帝陛下とエドモンズ三世
イレーネが事前に準備しておいたポットからコーヒーをカップに淹れ、全員に配り終えて着席すると、ヴィルヘルムが行幸に対するお礼と時候の挨拶をした。いよいよ皇帝との懇談が始まる。
「其方がユウキか」
「は、はい! ユウキ・タカシナと申します」
「先般のミハイルとの戦いぶり見事であった。女の身であるながらあの強さ、感心したぞ」
「恐れ多いお言葉でございます」
「して、あの強さ、どうやって身に着けた」
皇帝が目を細め、問い質す様に聞いて来て、ユウキはビクッと身を固くする。あの目は何か知っているような気がして不安になる。
「幼き頃から、剣術と武術を師の指導の下、鍛錬を積んでまいりました。その成果かと…」
「ふむ…。その師とはどの様な者であったのだ? 高名な騎士か、高位の冒険者か?」
「すみません。お教えする訳にはいきません。師との約束なので…。ただ、2名ともロディニアの戦乱で亡くなりました…」
幼い頃に助さん格さんと一緒に楽しく鍛錬して来た事が思い出され、ユウキの胸の奥がチクリとする。2人ともユウキを生かすため、そして幸せを願いながら戦いに身を投じ、消滅した。目を瞑ると瞼の裏に最後に見せた顔が思い出される。
「………。そうか、悪い事を聞いたな。許せよ」
「いえ…」
ユウキが沈んだ顔をしたのを見て、今度はマーガレットが優しく尋ねてきた。
「陛下、そんな高圧的に聞いたらユウキさん怖がってしまいますよ。ねえ、ユウキさん。ユウキさんはロディニアからヴェルト三国を回って帝国に来たのよね。どう、色々な国を回った感想は? 良かったら聞かせてくれない?」
「そんなに高圧的だったろうか…」と呟いて顎を撫でるフリードリヒが何だか可笑しくて、ヴィルヘルムやイレーネがくすっと笑う。それを見てユウキも少しだけ緊張がほぐれる思いがした。
ユウキは、スクルドからイザヴェル、ビフレストと旅をして、出会った人々と一緒に体験した出来事を話し出した。大陸最強戦士決定戦の事、エヴァリーナと巨大タコやグレイトグリズリーを退治した事、イザヴェルでの王位継承をめぐる事件に巻き込まれた事、ビフレストのダンジョン探索など様々な体験をし、さらに、各地の美しい風景に感動するとともに、優しい人々との交流を通じて心が癒される思いをしてきた事などを話した。
ユウキの話に皇帝もマーガレットも、興味深そうに聞き入り、時に笑い、所々に質問を入れてきたりして、打ち解けた雰囲気になり、ユウキも調子に乗って、うっかりタメで話してしまい、それに気づいてあわあわしてしまって、更に笑われたりしたのであった。
「わたし、この大陸の国や人々が大好きです。ロディニアもいい国でしたけど、ヴェルト三国や帝国の雰囲気の方が自分に合うって言うか、大好きなんです。上手く言えないんですけど、人や亜人、獣人の差別がほとんどなくて皆生き生きしているし、わたしのこの髪を見て変に思う人もいない。もちろん、こっちにも嫌な奴はいるし、犯罪もあります。でも、それを補って余りあるほど、ヴィルヘルム様ご一家やマーガレット様、セラフィーナ様、ラピス様、出会った方々のほとんどが優しい人が多くて、わたしを大切にしてくれる。それがとても嬉しいんです」
「ヴィルヘルム様から私の旅の目的を聞いていると思いますけど、わたし、この地なら自分の居場所、自分の幸せを見つけることが出来るかもしれない」
「スミマセン、1人でぺらぺらと喋ってしまって…。あう、恥ずかしい」
「そうか…。うむ、よい話を聞かせて貰った。最後に一つだけ聞いても良いか?」
「はい。何でしょうか」
「ユウキは自分の幸せを探す旅は、ある者との約束だと言ったな? その者は誰なのか教えてもらえないだろうか」
「それは…。わたしの姉です…。わたしが9歳、姉が14歳の時の事です。2人で森を彷徨っていた時にコブリンに襲われ、姉はわたしを庇って亡くなりました。その姉が最後に言ったんです「生きて。そして、自分の分まで幸せになって…」と。わたしは、姉との約束を守るために旅をしているんです。ただ、ロディニアではそれが叶わなかった…」
全員がしん…となってしまった。フリードリヒはえへんと咳払いをすると、悪戯っぽい笑いを浮かべると、話題を変えて、ユウキに問いかけて来た。
「そう言えば、我が愚息のミュラーがユウキを嫁にしたいと常々公言しているが、どこで知り合い、実際どうなのだ? ん?」
「ふえ…、へ…? あの、その、あわわわ!」
急な話題転換にユウキは混乱してしまう。
「落ち着け」
「はいっ! あのですね。ミュラー…様とはラミディアに来る船の中で知り合い、いきなりおっぱい揉んで顔を埋めて来ました! もう最悪でした! アイツ、能天気なお気楽バカだし、凄くエッチでドスケベで、巨乳好きって公言するし、わたしのおっぱいばかりガン見するし、と、とにかくですね! わたし、アイツは何とも思ってませんから! ホントですから!」
「ユウキさん、落ち着いて」
マーガレットが声をかける。
「はー、はー、はー」
ユウキは動揺して乾いた喉を潤そうと、目の前の冷えたコーヒーをがぶ飲みするが、慌てて飲んだので、気管に入って咽て盛大に吹き出してしまい、テーブルに突っ伏してビクンビクンと悶絶する。
「ブハアァッ! ゴホッ! ゲホッ! ゲホゲホ…、く、苦し…」
「だ、大丈夫か! ユウキ君」
ヴァルターが背中をさすり、イレーネが慌てて立ってきてテーブルに飛び散ったコーヒーを拭き取る。ユウキは恥ずかしくて顔を上げられない。それでも、そぉ~っと顔を上げてみると、フリードリヒとマーガレットが大笑いしていて、恥ずかしさで死にたくなった。
「わはははは、ユウキがミュラーの事を気にしているようで安心したぞ。余としてはミュラーがあれほど女子に夢中になっているのは初めて見たのでな。ユウキとはどんな娘か見て見たかったのだ。想像以上に美人で面白い娘だったので安堵したぞ。ははは。ミュラーと会ったら少しは話相手をしてやってくれ」
「はいぃ~。みっともない所をお見せしてスミマセン…」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ところでユウキよ。余がお前に会いに来た目的はもうひとつあるのだ」
「もうひとつの目的…、ですか?」
「うむ。ヴィルヘルムから聞いたのだが、お前、ワイトキングを眷属にしているそうだな。是非会ってみたいのだが、紹介してくれぬか」
「ユウキさん、私も会ってみたいの。お願い!」
「えっと、ほ、本気ですか? わたしとしては絶対にお勧めしないんですけど。アレはとんでもない奴なんで。マトモじゃないし…。特に、マーガレット様は絶対に後悔しますよ」
『よくもまあ、そう悪し様に言ってくれるのう』
(だってホントの事じゃない)
「そう言われると、益々興味が出るわね」
「ユウキ、これは帝国皇帝としてのお願いだ。会わせてくれぬか?」
「そこまでおっしゃるのなら…。でも、最初に謝っておきます。絶対に無礼を働くと思うので」
ヴィルヘルムは静かに腕組みし、イレーネはびくびくしている。ヴァルターは母親の側に行って落ち着かせようとしている。ユウキは黒真珠のイヤリングにそっと触れ、魔力を通す。すると部屋の隅に黒い霧の渦が巻き起こり、やがてそれがひとつになって漆黒の球体になった。フリードリヒやマーガレットが固唾を飲んで見守っていると、頭に王冠を被り、豪華な王者の青で染められたチュニックを着、艶やかな模様が刺繍された緋色のマントを着け、大きな碧玉で装飾された王杖を持った、全身骸骨のアンデッドがズイっと現れ出た。
『フハハハハハ! フハハハハハ! ワーッハハハハハ! 呼ばれて飛び出て只今参上!』
『我が名はエドモンズ三世! アベル・イシューカ・エドモンズ三世! 遥か300年前、イザヴェル王国の王だった男よ。今は最凶のアンデッド、思春期少女と巨乳っ娘がとぉーっても大好きな死霊王ワイトキングなるぞ! ウワーッハハハハ!』
「もういいって! いつまでバカみたいに高笑いしてるのよ」
『うおう!』
高笑いするエドモンズ三世の後頭部にチョップを入れたユウキ。衝撃でクックロビン音頭のようなポーズになるエドモンズ三世。
『相変わらず乱暴じゃのう。そこの男、ヴァルターと言ったか? そいつと肌を重ねたからといって調子に乗りおって。このドスケベエロ女』
「ちょ、ちょっと! 誤解を招くこと言わないで。ヴァルター様とはプールで手を繋いだだけだよ。そんなエッチな事なんてしてないモン。ホントだからね!」
突然話を振られたヴァルターも必死で何もしていないと弁明する。ヴァルターを見るイレーネの目が冷たい。
『ほおぉ~。そのプールには儂を置いていったからなぁ~。どうだかなあ~』
「もうっ! プールでただ遊んだだけです。わたしはまだ処女なんだからね! あっ…」
全員がユウキをニヤニヤしてじーっと見る。カーっと顔が熱くなったユウキは頭に来て、ドレス姿という事も忘れ、エドモンズ三世に強烈な回し蹴りを放った。背骨に強烈な打撃を受けたエドモンズ三世は部屋の隅まで吹き飛ばされ、壁にぶち当たって倒れ、呻き声を上げる。そこに鬼の形相をしたユウキが駆け寄って、ゲシゲシとヒールで踏みつける。
「もう! アンタはいつもそうやってわたしをバカにして恥をかかせて。しかも皇帝陛下の前で。もう怒った、もう許さない。死ね! 死んじゃえ!」
『ヤメ…、やめろって! 砕ける、骨が砕けるって! ビシッといった。ビシッと音がしたぞ。儂が悪かった、謝るから許してって! もう、いやぁあああん!』
「陛下…、なんかこう、想像してたのと違いますね」
「うむ。確かワイトキングとは死霊の中でも最強最悪な魔物で、とても尊大な性格と聞いていたが…」
「どう見ても、漫才師ですわね。しかも、どつき夫婦漫才」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「はあ、はあ、お騒がせしてスミマセン。こいつがわたしの眷属、なんちゃってワイトキングのエロモンズ三世です」
『エドモンズ三世じゃ! 暴力娘が全く…、大事な恥骨にひびが入ったではないか。さて、お主が帝国皇帝か。ふふふ…声も出まい。我が姿の恐ろしさになぁ!』
「いや、全く…」
『えっ、ホント? 怖くないの? 儂、アンデッドじゃよ。ワイトキングじゃよ』
「むしろ親近感を覚えるのだが」
『そんな…。そうじゃ、皇帝の隣にいる女! ん…女じゃよな。なにそのムッキムキな筋肉。ぷぷーっ、おっぱいも筋肉で出来ているっぽいぃ~。イレーネのぽよぽよおっぱいを見習ったらどうじゃ。プークスクス』
「あっ、バ、バカ…」
ゆらりと立ち上がるマーガレット。ユウキの顔から血の気が引き、全身に鳥肌が立つ。
「うふふ、初めましてエドモンズ様。私はマーガレット。皇帝陛下の側妃です。お教えしましょうか、元は帝国地下闘技場無敗のチャンピオン「金色の死神」と異名を賜っておりましたんですのよ」
『ユウキ、ユウキちゃん。儂を、儂を早くイヤリングに戻して! お願い!』
「無理」
マーガレットはエドモンズ三世をむんずと捕まえ、そのまま担ぎ上げると得意技のバックブリーカーを決める。背骨が半円状に曲がり、ミシッミシッと骨が壊れる音が響く。
『ギャアアアア! 骨が折れる砕ける! 助けて、儂が悪かった! 助けてちょんまげ』
そして「メキメキ、バキン!」と物凄い音がした。
『たわらば!!』
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『はあはあ、酷い目に遭った…。どうして儂の周りには凶暴な女しかおらぬのじゃ? 少しはイレーネのお淑やかさを見習うがよい。イレーネよ、お淑やか教室を開いて、こ奴らに女らしさというものを叩き込んでくれ』
「まあ、うふふ。お淑やかですって。そんなに女らしいかしら」
イレーネは嬉しそうだ。アンデッドに褒められて嬉しがる母親をヴァルターは微妙な視線で見る。
「そろそろいいかな。エドモンズ殿、こちらに来て座って下さい。陛下が貴方と話をしたいのだそうです」
終始落ち着いていたヴィルヘルムが着座を促し、エドモンズ三世が指定された場所に座った。その隣にユウキも座る。そしてフリードリヒに向かって申し訳なさそうに謝罪した。
「大変申し訳ありません、陛下。こいつが現れるとどんなマジメな雰囲気も一瞬で粉々に粉砕されてしまうんです。たった今のように。本当にスミマセン…」
「いや、中々に楽しませてもらった。しかし、魔物の概念を覆してしまう程の人間臭さ。楽しいお方よの。余は気に入ったぞ」
「本当よ。アンデッドとは本来、生者に対し恐怖と死を与える存在。なのにエドモンズ様は、何というか…、コメディアン? ユウキさんとの掛け合いは最高よ」
『フフフ…。そう褒めるでない、照れるではないか…』
「全然褒めてないよ」
ユウキがツッコミを入れるが、この男はまったく気にしていない。
「エドモンズ殿、ひとつだけ質問させてもらいたい」
『なんじゃな? ユウキのスリーサイズなら94、58、85じゃぞ』
「ほう、中々だな。あ、そうではなくてだな、貴殿は何故ユウキに付き従っているのだ。そして、彼女の事をどう思っているのだ? ヴィルヘルムから少しは聞いてはいるが、貴殿本人の口から聞きたい」
ユウキがエドモンズ三世を横目で見る。当の本人は頬骨を人差し指でポリポリと掻くと、急に表情を引き締め、イレーネに向かって、ユウキとヴァルターを連れて席を外す様に言って来た。
『イレーネ、済まぬが儂はこの3人と話がある。ユウキとヴァルターを連れて席を外してくれぬか。ユウキ、イレーネたちとお茶でもしておれ。なに、大丈夫だ心配するな』
イレーネは「わかりました。別室におります」と言って、2人を部屋から連れ出した。ユウキはエドモンズ三世を心配そうに見ていたが、黙って従い部屋を出て行った。
『さて、ユウキの事だが…』
エドモンズ三世は一呼吸おいて、フリードリヒ、マーガレット、ヴィルヘルムを順繰りに見ていく。
『お主たちが想像している通りじゃ』
『儂もユウキの心を覗いただけで、どのような経緯でそうなったのか、何故そうなったのかは、詳しくは分らん。ただ、ユウキはロディニアで辛く悲しい思いをし、居場所や愛する人々全てを失い、悲しみだけを背負ってこの大陸に来た。自分の居場所、自分の幸せ、そして自分の生きる意味を見つけるためにな…』
「……………」
全員、黙ってエドモンズ三世の話に聞き入る。
『ユウキはロディニアで自分が行った罪は忘れていない。大量殺戮者である事は心の棘となって彼女自身を縛り付けている』
『だが、この大陸に来て様々な風土に触れ、多くの人々と交流し、エヴァリーナやラピスのような心から信頼し合える友も出来て、心の傷が少しずつじゃが癒されつつある。お陰でこの大陸の旅を本当に楽しむ事が出来ているんじゃよ』
『儂はユウキと戦って負け、消滅させられてもおかしくなかったが、彼女は儂を生かしてくれた。本当に心の優しい子じゃ。あれほど純粋で相手を思いやる心を持つ娘はそうはいない。断言してもいい』
『儂はイザヴェルの国王として国民が幸せに暮らす姿を見て、王としての幸せを掴んだ。私生活は散々だったがの。ワハハハハ! しかし、ユウキがロディニアで得たささやかな幸せは続かなかった。余りにも辛い現実が待っていただけだった。その悲しみに満ちた心の奥底に触れた儂は、ユウキが幸せを見つける手助けをしたいと思ったのじゃ』
『アンデッドの儂がそう思うなんて、おかしいと思うじゃろうがな…。ユウキには生涯の居場所となる良い伴侶を見つけ、子宝に恵まれ、幸せな人生を送ってもらいたい。儂はそのためには何でもすると決めた。邪魔をする奴はこの儂が許さん。徹底的に排除する』
『お主ら、ユウキを…、あの娘をそっと見守ってくれなんだか。先ほども言ったが、ユウキは心の傷が癒えかかっている。やっと自分の思い通りに生きる事が出来るのじゃ。だから、これ以上ユウキを政争や戦いの道具等に巻き込まんで欲しいのじゃ。自由に生きさせてほしい。この通りじゃ!』
エドモンズ三世は自身の想いを一気に吐き出すと、立ち上がってテーブルに手を着いて頭を下げた。その光景にフリードリヒもマーガレットも驚いた。最強のアンデッドと言われ、生者の魂を奪い死に導くと言われる魔物であるワイトキングが1人の女の子のために頭を下げている…。
ややあって、フリードリヒがエドモンズ三世の頭を上げさせ、その眼窩の奥に輝く光を見て言った。
「貴殿の気持ちは良く分かった。余もユウキには自由に生きてもらいたいと思っている。確か、ロディニア王国の公式発表では暗黒の魔女は死んだのだったな。ヴィルヘルム」
「その通りで御座います」
「うむ。では余やヴィルヘルムの知るユウキ・タカシナは魔女とは関係のない全くの別人よ。別人なら何をしようが自由だ。好きに生きればよい。ただ、余はユウキが気に入った。ユウキを友とし、余の力の及ぶ限りは支援していこうと思う。それと、できれば是非ともミュラーの嫁になってほしいものだなあ。わははは」
「私も陛下と同じ思いです、エドモンズ殿。ユウキさんは我が娘、ラピスの大切な友人。私もユウキさんを好ましいと思っています。彼女の幸せを見つける旅路に是非ともご協力させていただきたいと存じます」
『感謝するぞ。ユウキを見守ってくれるなら、儂も其方たちの味方じゃ』
エドモンズ三世は、心底ほっとして再度全員に頭を下げるのであった。




