第303話 ユウキ、エリスに泣きつく
ヴィルヘルムとマーガレットは、宮殿内のある部屋の前まで来ると、扉の脇に立っていた親衛師団の護衛兵に合図をした。護衛兵は2人に礼をしてから扉を開けた。
「誰も中には入れないように」
「ハッ!」
2人が中に入ると直ぐに扉が閉められる。最初の空間は前室のようで、目の前には美しい手彫りの文様が入った木で出来た厚い両開きの扉があった。ヴィルヘルムが扉を開いて中に入る。
中には美しい木目の大きな会議テーブルがあり、その向こうに年の頃は50代位の痩身の男性が1人着座ししていた。その鋭い目付きから放たれる眼光は鋭く、威厳に満ちている。
「フリードリヒ皇帝陛下。ヴィルヘルム、お呼びにより参上仕りました」
「マーガレット、同じく参上いたしました」
フリードリヒ皇帝の右斜め前にヴィルヘルムが座った。マーガレットが全員分の紅茶を運んで来きて、皇帝から順にカップに注ぎ、最後に自分の分を用意すると皇帝の左斜め前に座る。
「2人を呼んだのは外でもない。ミハイルの件だ。大体の概要は聞いているが、もう少し詳しく経過を話してはくれないか」
「では、私からお話致します」
マーガレットは、ユウキがミハイルから自分に仕え、妻になるようにと持ち掛けられ、それを断ったがため、何としてでも手に入れようと考えたミハイルが、決闘に無理矢理持ち込んだことを説明した。
「ミハイル殿は、ミュラー殿との継承権争いを決定的な物にするために、ユウキさんを利用しようとしたのだと思います。女性を政治の道具に使うのは仕方ない事と思いますが、ミハイル殿のやり方は、褒められたものではありませんね。ユウキさんの怒りを買っただけでしたわ」
「何故、ミハイルはユウキの事を知ったのだ?」
「陛下も聞き及んでおられると思いますけど、ミュラー殿はユウキさんを好いていて、妻にしたいと常々公言されております。そして数日前にラピスがユウキさんを連れて私の所でお茶をした際に、偶然ミハイル殿とすれ違い、二言三言会話をされたと伺っておりました。その時に見初めたのではないでしょうか。何せ、ユウキさんはあのようにとてもお美しい方ですからね」
「まあ、ミュラー殿への当てつけもあったのでしょうけど」
マーガレットの説明に皇帝は「フム…」と頷く。
「ヴィルヘルムから話を聞いた時には、第2皇子とあろう者が決闘とは何事かと思ったが、ユウキ個人への強い執着が背景としてあったという事だな。それで、慎重に慎重を重ねて物事を運ぶ性格のミハイルが、己に似合わない一発勝負をかけて来たという訳か…」
「それに、ヴィルヘルムが決闘を認めるように進言したのも、このような結果になることが分かっていたからだな。お前、継承争いにこれを利用しただろう。お前はミュラーを高く買っているからな」
黙って頭を下げたヴィルヘルムは顔を上げると皇帝に向き直り、
「ミハイル様の処遇はどうされると御考えですか」
と訊ねた。皇帝は暫し考えた末、次のようにするとした。
「正式な決闘の場で、あのような醜態を見せたのだ。その上、奴は最初から手に入らないなら殺そうと殺し屋まで雇っていたのだろう? この罪は重く、皇位継承者としてあるまじき行為。皇族と言えども見過ごすわけにはいかぬ。また、他の貴族にも示しがつかん。よって、皇位継承権を剥奪の上、当面の間地下牢の独房にて謹慎させることにする」
「世俗と離し、反省を促す余地を与えるという事ですか。わかりました。そのように取り計らいます」
「うむ、それからマーガレット。いくら何でもミハイルを殴ったのはやり過ぎだ」
「すみません陛下。でも、シャーロット様がユウキさんをいきなり平手打ちしたのが許せなかったのです。それに、ユウキさんが手を出す訳にはいかないでしょう」
「まあ陛下、そこがマーガレット様の良い所でもありますので、私からもお許しを。しかし、皇妃様にも困ったものです。皇妃様はミハイル様を溺愛するあまり、周りが良く見えていない。それゆえミュラー様もセラフィーナ様も不満を募らせているのです。皇妃様とミハイル様が見ようとしない「世間」というものを見て回りたいという想いがその表れなのだと思われます」
フリードリヒは何も言わず黙って頷いた。そのような事は言われなくても分かっているとの意思表示でもあった。
「それにしても、空間を斬り裂いて飛んできた漆黒の槍もさることながら、ミハイルを一瞬で退け、殲滅のハインリヒをも倒した実力は只者とも思えぬ。あのユウキという娘は一体何者なのだ?」
「ハインリヒだけではありません。ビフレスト国のダンジョン事故で召喚されたアークデーモンと1対1で戦い、倒しております。ビフレストの正式な報告書に記載されている事実です」
「なに!? アークデーモンを倒しただと…。あの娘が…、ユウキがか?」
「ウソでしょう。流石の私もアークデーモンと1対1は厳しいわよ」
フリードリヒは茫然としてしまう。この世にアークデーモンと渡り合える人間がいるのか、数十万の兵を擁する帝国軍にだってそんな人材はいない。言葉も出せないフリードリヒとマーガレットを見つめるヴィルヘルムは更に続ける。
「……陛下は、ロディニア王国の魔物戦争の件はご存じでしょう」
「あ、ああ。国防部から上がって来た報告書を読んだ程度だが…」
「では、戦争の最終段階で突然現れ、王都ロディニアを破壊し、大勢の国民を虐殺した「暗黒の魔女」の事は?」
「うむ、強大な破壊魔法の使い手であり、大量の白骨騎士や暗黒騎士を呼び出す召喚魔法まで使ったと。ただ、最終的には王国騎士団に討ち取られ、死亡したと言う事だが…。ま、まさか…、暗黒の魔女は生きていて、それが彼女だというのか!」
「恐らく…。私の推測ですが」
「信じられん。それが何故、この国に…。まさか、今度はこの国を…」
(デルピュネーやマンティコアといった強大な魔物だけじゃない、あの殲滅のハインリヒを倒す程の実力…。なるほど、暗黒の魔女なら納得できるわ)
信じられないといった顔をし、何かを考え込むフリードリヒとマーガレットに対し、ヴィルヘルムはさらに続ける。
「陛下が今、何をお考えなのか分かります。しかし、そのご懸念は無用です」
「なぜ、そう言い切れる」
「ユウキさんは、彼女を愛してくれた人々、彼女を生かすために犠牲になった人々との約束を果たすため、自分の居場所、自分の幸せを探すために、当てのない旅を続けているからです。そして、彼女はこのラミディア大陸の地を、国を人々を好ましく思っている。だからこそ、彼女はこの地で出会った友人たちを大切に思い、また、目的を果たすために自分の信念を曲げる訳にはいかないのだと思っております」
「それは本人から聞いたのか?」
「いいえ、違います」
「では、何故そう言える? 何か確証があるのだろうな」
「彼女の眷属から聞いたのです」
「眷属?」
「そうです。エドモンズ三世と名乗るアンデッド「ワイトキング」です」
ヴィルヘルムの口から発せられた魔物の名に、フリードリヒとマーガレットは驚いた。通常、魔術師などが使役する使い魔は小型の動物や魔物に限られる。それが死霊の王と呼ばれるワイトキングだとは想像外の話だ。何せ、ワイトキングは見る者の恐怖心を増大させて精神を操り、生者を殺して同じワイトにする、高い知識と魔力を有する恐るべき魔物である。それが人の眷属として付き従っているとは信じられないのも当たり前であった。
「彼は、エドモンズ三世殿は私と会った際、こう申しておりました」
「自分はユウキさんと戦って負けた。消滅させられてもおかしくなかったが、ユウキさんは自分に眷属になれと言ってくれたと。その時に彼は彼女の心の内を見たのだそうです。彼女の歩んで来た過酷な運命と心の奥の想いを。その時、彼はユウキさんの想いを叶えたいと思ったと。ユウキさんには悲しい思いをさせたくない。幸せになってほしい。ユウキさんを助けていきたいと思ったと語っておりました」
(アンデッドに、しかもワイトキングにそう思わせるなんて…。ユウキさん、貴女はどのような体験をしてきたというの…)
マーガレットはヴィルヘルムが話したワイトキングの言葉とユウキの心をおもん慮ると切ない気持ちになった。
「陛下、私はユウキさんを好ましいと思っております。彼女は娘エヴァリーナの大切な友人であり、エヴァリーナもまたユウキさんを大切に思っている。私は2人の関係をいつまでも守りたい。彼女の過去は所詮北の大陸での出来事、もう過ぎた事です。彼女はここラミディアの地で自分のために自由に生きてもらいたい。私はそう願っています。そのためには、私はユウキさんを全力で支援いたしたいと存じます」
「そうね。私も宰相閣下と同じ思いですわ。あの高慢ちきで我儘だったラピスが、ユウキさんと出会って大きく変わった。彼女は人を大きく、良い方向に変えていく素晴らしい女性と思います。彼女がロディニアでどのような辛い体験をし、魔女となってしまったのか分からないけれど、ここでの彼女は凄く楽しそう。この世界で1人の女性として素敵な伴侶を得て、生を全うしてもらいたいわ」
「陛下、だからこそ彼女を我々の政争に巻き込むべきではありません。ミハイル殿を排除したのもそれが理由のひとつです。私たちは影から彼女を見守るべきです」
「わかった。お前たちがそこまで言うのなら、ユウキ・タカシナの行動については当面、そのままでよい。自由にさせてやれ。それと、ここでの話は他言無用。一切誰にも話してはならぬ。ユウキの正体が知れれば利用しようとする輩が出て来るやもしれぬ。それだけは避けたい。3人だけの秘密にするのだ。よいな」
ヴィルヘルムとマーガレットは静かに頷いた。
「それと、ヴィルヘルム」
「何でございましょう」
「余はエドモンズ三世とやらに会うてみたい。手配をせよ」
「わあ、私も会ってみたいわ!」
「ぎ、御意…(大丈夫だろうか…)」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
宮殿の通用門までセラフィーナとラピスに見送られ、市街に出て来たユウキは、朝から続いた一連の出来事に肉体的にも精神的にもすっかり疲労していた。空を見ればもう夕方に差し掛かっていて、日が傾きかけている。そういえば、朝食以降、何も食べていないことに気付いた。しかし、食欲が全く湧いてこない。
「もうくたくた…。とにかく休みたい」
市街に続く街路をとぼとぼと歩いていると、ベンチが数台置いてあるだけの、人気のない小さな公園を見つけた。ユウキはふらふらと公園の中に入り、ベンチに腰掛けた。しばらく小さな花壇に咲いている花を眺めていたが、気持ちはどんどん沈んで行くばかり。
「どうして、どうしてこんな事に巻き込まれなきゃならないの? ロディニアの時と同じ。わたしの知らないところで、わたしを勝手に利用しようとして。傷つくのはいつもわたしだけ、もうあんな思いをするのはイヤなのに…」
「それに…、自分を守るためとはいえ、人まで殺めてしまった…。もう人は殺したくないって思っていたのに。ハインリヒって言ったっけ、申し訳ない事をしてしまった…」
(ホント疲れたな…。とても眠くなってきちゃった…)
疲労からうつらうつらしてしまったユウキは、ベンチに腰掛けたまま、いつの間にか眠ってしまった。
(ユウキ…)
「ん…、んん…」
(ユウキ、ユウキ…、目を覚ましなさい)
自分を呼ぶ柔らかい女性の声で目を覚まし、ゆっくりと瞼を開く。そこは、いつか見た場所と同じ真っ白な空間で、目の前にはとても美しい女性がサフラン色の布を体に巻き付けた姿で立ち、柔らかい笑顔を湛えてユウキを見ていた。
「エリス様!」
「ユウキ。久しぶりですね」
エリスの姿を見たユウキは、何故だか心の中に貯め込んだ辛い思いが溢れ出てきて、感情のコントロールが効かなくなり、ボロボロと涙を流すと、エリスに駆け寄って思い切り抱き着いた。
「うわぁあああああん!! エリスさま、エリスさまぁあああ…」
「ユウキ…」
エリスはユウキを軽く抱きしめ、優しく髪を撫でる。そして、ユウキが落ち着くまでずっとそうしてあげるのであった。
「落ち着きましたか」
「ヒック、は、はいぃ…。すびませんでした。グス…もう大丈夫れす…」
「可哀そうに…。大変な目に遭ってしまいましたね」
「すみません、取り乱しちゃって…。決闘もそうなんですけど、自分が知らないうちに利用されているんだと考えたら、ロディニアでの魔女裁判を思い出してしまって、怖くなってしまったんです」
「大丈夫ですよ。この大陸では貴女の味方がたくさんいます。今回のようなことがあっても、ユウキを助けてくれる人々がいます。貴女は大切な人たちに迷惑を掛けたくないと思っていますね。でも、それは大間違いですよ」
「でも…、わたしのせいで危険に巻き込む事は…」
「でももへっぴり虫もありません! ユウキが友人たちを大切にするように、彼らもまたユウキを大切にしたいのです。ですから、困った時はもっともっと彼らを頼るがいいのです。さすれば自ずと道が開け、心の負担も軽くなります。貴女は以前、バルコムに「苦しい時はもっと人を頼っていいんだよね」と言っていたではありませんか。忘れてしまったのですか?」
「もちろん、私にも頼ってくれていいのですよ。決闘の様子はハラハラしながら見ていました。ミハイルとやらの卑怯な振る舞いに居ても立ってもいられず、ユウキのピンチに参戦しようとしたら、クレニスに羽交い絞めで止められてしまいました。神の威光と怒りを見せつけるチャンスだったのですけど…」
「至高神が何してるんですか!? それはクレニス様が正しいですよ。でも、ありがとうございます。お話を聞いて心が軽くなりました。また、明日から頑張れそうです」
「うふふ、いつもの笑顔が戻りましたね。ユウキは笑った顔が一番です」
「えへへ…」
「そうそう、ユウキに会わせたい神がいるのです」
「会わせたい神様ですか。どなたですか?」
「やっ! こんにちは」
エリスの背後から現れたのは、サラサラの銀髪に銀糸で紡がれたドレスを着た女性。年の頃はユウキと同じくらい。肌は白く透き通り、宝石のように青く美しい瞳、整った鼻に小さく可愛らしい唇。とんでもない美少女だ。
「な、なに!? この凄い美人さんは…。ま、負けた…」
「大丈夫、大丈夫。胸の大きさは私とユウキの圧勝ですから!」
「エリス様…。ですね、このおっぱいはわたしの自慢なんです…って、それでしか勝負できないって、何だかな~」
ニコニコと笑みを浮かべる美少女を見て、ユウキは「あれ?」と思う。どこかで見たような気がする。
「まだ気づかない?」
「えっと…、確かにどこかで見たような気がするんですけど…」
「私は美と愛の女神フレイヤ。神の列に加わってまだ3千年程の新参者よ」
「フレイヤ? フレイヤ…、えっ、フレイヤ!?」
「気が付いた?」
「う、うん…。地下神殿で眠っていた干物…じゃなくて、ミイラの子の名前がフレイヤだった。そう言えば確かにどことなく面影がある」
「干物って、何気に酷いね。まあ、その通りなんだけどさ」
「ふふふ、フレイヤは古代魔法文明時代に生きていた子なのですけど、類まれなる魔力の持ち主だった事から、当時の人々によって来るべき時代の導き手として眠りにつかされたのです。しかし、ユウキが見た通り長い刻の間に装置が故障し、目覚めることなく死んでしまった。フレイヤを不憫に思った私は、彼女の魂を神の世界に引き上げ、神の列に加える事にしたのです」
「そうだったんですか。よかったねフレイヤ様」
「フレイヤでいいよ。私、ユウキに会いたかったの。地下神殿で私を見つけた時、私のために祈ってくれたでしょう。そのお礼を言いたくて…」
「でも、あの時ユウキが言ってた「なんまんだぶ、なんまんだぶ」てどういう意味?」
「えっ! あはは、気にしないで」
「まあいいけど。ユウキ、近くに来て」
言われた通り、ユウキがフレイヤに近付くと、フレイヤは手のひらから光を放ち、ユウキを包み込んだ。温かい光の中で体の隅々が活性化される感じがする。
「な…なに、体が、細胞が震える…。わ、わ…。体が温かくなる~ぅ」
パアアーッとユウキを包んでいた光が弾けた。中から出て来たのは輝くほどの肌、キラキラ輝く背中の中ほどまで伸びた黒い髪、しゃきんとした姿勢で立つと、胸元から腰回りに掛けての曲線は均整がとれて美しい。
「うっふっふ~、私からのお礼。ユウキの美少女度を3割増しにしたわ。おまけに愛の女神の加護も与えたので、エリス様の加護で受けていた男運の悪さも少しは改善されると思うわよ」
「やっぱり…。私に寄って来る男は碌でもない奴ばかりで、男運が悪いなーと思っていたけど、エリス様のせいだったんだ…」
「ち、違いますよユウキ。私は男運が悪いのではありません。いい男に縁がないだけです」
「同じですよ。もう…。プッ、ぶふふ、あははっ」
視線を逸らして、頬をポリポリ掻くエリスを見ていたら、妙に人間臭くて思わず吹き出してしまうユウキであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
公園のベンチに座ったまま眠り込んでいたユウキが目を覚ました頃には、日もすっかり傾き空が茜色に染まっていた。オレンジ色に照らされた雲を見上げたユウキの心は、すっかり晴れ上がり、いつもの元気を取り戻していた。
「エリス様、フレイヤ様、見守ってくれていてありがとう。わたし、頑張ります!」
空に向かってエリスやフレイヤにお礼を言ったユウキは、胸の真理のペンデレートに手を触れて話しかけた
「アース君。フレイヤ様、天上界で元気にしていたよ」
答えはなかったが、何だか嬉しそうな波動が感じられた。ぐっと背伸びをしたユウキは、足取りも軽く帰途に着くのであった。




