第302話 決闘(殲滅のハインリヒ)
合図と同時にユウキは地面を蹴って飛び出した。素早い動きに虚を突かれたミハイルは一瞬どう対処するか混乱した。その隙を衝いて魔晶石の剣を薙ぎ払い、手から弾き飛ばした。その勢いで背後に回ると膝を蹴り飛ばす。
「ぐあっ!」
関節に受けたダメージによる痛みで呻ぎ声を上げ、地面に手を着いて四つん這いの姿勢になったミハイルが何が何だか分からないといった表情で顔を上げたその先にピタリと剣を添えたユウキが立っていた。
合図から僅か1分にも満たない時間での決着に会場はシーンと静まり返る。ミハイルは目を見開き、冷ややかな目で自分を見下ろすユウキを見てがたがたと震え、股間を濡らしていた。
「し、勝者! ユウ…」
マックスがユウキの勝利を宣言しようと手を上げようとした瞬間、真っ赤な旋風が飛び込んできてマックスを蹴り飛ばし、ユウキに剣を振り下ろして来た! 咄嗟に迎え撃った魔法剣と相手の剣がぶつかり「ガキイィイン!」と金属がぶつかる音と火花が飛び散る。
「マックスさん!!」
ユウキが叫ぶ。マックスは壁際まで飛ばされて気を失っている様だ。いつの間にかミハイルが立ち上がってニヤニヤ笑いでユウキを見て来た。赤い鎧の戦士は目にも止まらない速さで剣を振るってくる。ユウキは何とか剣筋を合わせて弾くのが精一杯。
「ど…どういう事…!」
「アハハハ! これは保険だ。万が一私が負けた時のな。ユウキ、私のモノになれ! そうすれば命だけは助けてやる」
「誰がアンタなんかの物になるもんですか!」
「では死ね! 私は自分のオモチャが他人に取られるのが大嫌いなんだ! 私のモノにならぬのならこの世から消えてもらう!」
「このクズ野郎…。お前は真正のクズだ。わたしの一番嫌いなタイプだよ!!」
「フン、何とでも言うがいい。この男は元Sクラス冒険者で世界最強の戦士「殲滅のハインリヒ」だ。さて、あと何秒持つかな…。アーハハハハ!」
ハインリヒが漆黒の刀身を持つ剣を振るって来た。ユウキは魔法剣を横に薙いで迎撃する。魔力を持った剣同士が激しくぶつかり、火花を散らす。
「オレの剣をここまで受けたのは、お前が初めてだ…。その力に敬意を表し、教えてやろう。この剣は「ソウルイーター」相手の魂まで喰らい尽くす魔剣だ。さあ女よ、この剣に魂まで喰われて死ね!」
「そうは行くか!」
「あのバカ者が…。神聖な決闘を穢しおって…」
「陛下、御身が危険になるやもしれません。ここはお下がりください」
「……いや、いい」
「は…」
「お母様! ミハイルのクソ野郎が反則かましやがりましたわ!!」
「不味いですね…。ユウキさん押されています」
「あの男は殺人鬼よ。人を殺す事だけに生き甲斐を感じる男…。私たちに出来る事は無事を祈って応援することだけ。精一杯声を出して応援しましょう! ミハイルは…後でぶん殴る!!」
『ユウキィーー、頑張れぇえーー!』
セラフィーナやラピスのユウキを応援する声が耳に入るが、当のユウキにはそれに答える余裕が全くない。ハインリヒの剣術は独特で決まった型はなく、変幻自在に攻撃してくる。とにかく剣を当てて迎え撃つのに精いっぱいだ。徐々に体力も奪われ、傷を負う回数も増えて来た。傷を負うごとに精神力も削られて行く気がする。治癒魔法を使って傷を治してはいるが、このままでは長くは持たない。
(くっ…、肉体より精神的疲労が半端ない。これが魔剣の力…。それに何て戦いにくい相手なの。剣の打ち合いでは負ける。それにヤツの剣の方がわたしの魔法剣より性能は上。なら対抗できる武器はあれしかない。マヤさん、力を貸して…)
袈裟懸けに斬り下ろしてきたソウルイーターを全身の力を込めて弾き返した。思わぬ力の攻撃にハインリヒが驚いた顔をして後ろに下がった。その隙にユウキも大きく後ろに下がり、一呼吸置くとハインリヒと距離を取って魔法剣をマジックポーチに収容した。
「ゲイボルグ! 私の下に!」
ユウキの呼びかけに呼応し、空間を斬り裂いて漆黒の刀身を持つ巨大な槍が飛んできた。頭上で槍を掴み、一回転させてピタリとハインリヒに向けて構える。突然現れた槍に観覧席では、大きなどよめきが起こった。
「ハインリヒ、ここからが勝負だ。この槍は「魔槍ゲイボルグ」鍛冶神クレニスが鍛えた神々の槍。ゲイボルグの力、受けてみるがいい! パワースラッシュ!!」
ハインリヒに向かって大きく踏み込んだユウキが、体を捻って回転力を乗せた強烈な薙ぎ払いを放った。高速で迫るゲイボルグをソウルイーターで迎撃するが、ゲイボルグのパワーに体ごと弾かれてしまった。
「うおっ!」
「とぉりゃああ!」
バランスを崩されたところに、再び魔槍の斬撃が迫る。剣での迎撃は間に合わないと踏んだハインリヒはバックステップで躱しにかかったが、ユウキはそれを読んでさらに1歩踏み込んで斬りつけた。ゲイボルグは体までは届かなかったものの、真っ赤な金属鎧の胸の部分を斬り裂いた。
「ぐううっ! き、貴様…、よくもオレの鎧に傷を…。よくもよくもよくもォオオオ!」
「殺してやる…、殺してやるぞ…」
ハインリヒは傷つけられたという怒りの炎で目を輝かせると、ユウキとの距離を取って剣を構えた。
(ハインリヒが初めて構えを…)
ユウキも刺突の姿勢をとる。両者はピクリとも動かず構えの姿勢で対峙する。2人の間に流れる緊張した空気に観覧席も静まり返る。ユウキとハインリヒがじり…じり…と間を詰める。あと1歩で間合いに入る距離まで来た。
「どうしたハインリヒ! 早くユウキを殺せ! 殺すんだ!!」
動かない2人に痺れを切らしたミハイルが喚く。しかし、2人はピクリとも動かない。
ユウキの頬を汗が伝い、顎先に雫を作る。汗の雫がポトリと地面に落ちた。その瞬間、ユウキとハインリヒはお互いの間合いに踏み込み、必殺技を放った!
「高速剣!」
「烈風槍!」
超高速で放たれる無数の剣の斬撃と槍の突きが交錯する。観覧席にいるセラフィーナとラピスには剣と槍の軌道が見えず、金属のぶつかり合う音と飛び散る火花が見えるだけだ。
「す…、凄い…」
セラフィーナはそう言うのがやっと。それほどまでに両者の戦いは凄まじい。
ゲイボルグの突きを重い斬撃で弾き飛ばしたハインリヒは、そのままユウキの頭上目掛けてソウルイーターを袈裟懸けに振り下ろして来た。剣への迎撃は間に合わないと瞬時に読んだユウキはハインリヒに向かって踏み込み、ゲイボルグの石突を地面に突き立て、棒高跳びの要領で大きくジャンプし、ハインリヒの頭上で一回転して背後に着地し、振り向きざまゲイボルグを横に薙いだ。
「バキイィイイン!!」
大きな金属音を立ててユウキの放ったパワースラッシュを辛うじて防いだハインリヒ。
ゲイボルグを押し返すとユウキを距離を取り、額に手を当てて大きな笑い声を上げた。
「ククク…ハハハ…。ハハハ…、アーッハハハハ!」
「面白れェ、面白れェぞ、お前。オレの高速剣で死ななかったのはお前が初めてだ!」
「そりゃどうも…。わたしも今の攻撃が防がれるとは思わなかったよ」
「クックック…。並のヤツだったら決まってたろうぜ。だが、いい加減飽きたぜ。次でお前の首を刎ねて終わりにするわ。悪く思うな」
「どうしてもわたしを殺すと…?」
「ああ、既に金を受け取っているからな…。それに、常に相手を秒で殺して来た「殲滅のハインリヒ」がここまでコケにされたんだ。テメェを殺さにゃオレの気が済まん!」
「それにオレは人を殺すのが好きなんだ。三度の飯よりな。女だろうがガキだろうが関係ねェ。ククク…、ハーハハハ!」
(仕方ない…か)
ハインリヒは剣を両手に持ち頭上高く掲げた。ソウルイーターに魔力が集まり、禍々しいオーラを纏うとともに紫紺色に鈍く輝く。
「ソウルイーターに魂まで喰らい尽くされて死ね! ソウルクラッシュ!!」
超高速で振り下ろされたソウルイーターから放たれた魔力の刃は確かにユウキを捉えた。刃はそのまま背後の壁まで飛んでぶち当たり、「ズガガァアーン!」と激しい音を立てて破壊した。勝利を確信したハインリヒは、顔に冷たい笑みを浮かべた…が、腹の奥から熱い物が込み上げてきて、思わず手で口を塞いだ。
「ゲフッ…、ガフッゲフッ…」
口から吐き出される夥しい血がボタボタと床に落ちる。ハインリヒが驚愕した目で下を見ると漆黒の槍が背中から自分の体を貫いているのが見えた。ゆっくりと振り返ると、後方で屈んだ姿勢でゲイボルグを突き出しているユウキと目が合った。
ユウキは悲しそうな表情をしてゲイボルグを抜く。
「な…なんだよ…、テメェ、オレより強えェってのかよ…。ざけんな」
がっくりと膝を着いてうつ伏せに倒れ、事切れたハインリヒ。ユウキは立ち上がるとゲイボルグを振って血を飛ばす。そして小さく呟くのだった。
「ごめんね…。わたしは生きなければならないの。大切な人との約束を守るために…」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「い、今何が起こったんですか?」
「分かんない。何でユウキがハインリヒの後ろにいるの? 動きが全然見えなかった…」
セラフィーナやラピスだけではなく、観覧席の誰もが一瞬の出来事に理解が追い付かなかった。帝国皇帝もヴィルヘルムもローベルト大将も唖然として倒れているハインリヒを見ているしかできなかった。しかし、歴戦の戦士であるマーガレットだけは、ユウキの動きが見えていた。
(ハインリヒが剣を振り下ろすと同時に、ユウキさんの足元が光ったのが見えた。そしたらもう、ハインリヒの後ろにユウキさんがいた。まさか瞬間移動した? そんな事有り得ない…。でも、そうとしか思えない…)
「お母様、ユウキの所に行きましょう」
「え、ええ、そうね…」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『ユウキ、良くやったな。見事じゃ』
「う、うん…。紙一重だったけどね」
『ユウキ、ミハイルが逃げようとしている』
「えっ!? あ、ホントだ! 逃がさないよ、身体拘束!」
ミハイルはハインリヒが倒されたのを見て恐慌状態となり、とにかくこの場を離れなければと駆け出していた。しかし、気づいたユウキから身体拘束の魔法をかけられると足がもつれて、地面にゴロゴロと転がって倒れた。
「ぎゃあっ」
「どこに行こうというの」
体を起こしたミハイルは目の前にゲイボルグを手にしたユウキが立っているのを見て恐怖にひきつり、失禁をしてしまう。
「ひい…。た、助け…」
「そんなに怯えなくても…。もう関わらないって約束さえ守ってくれればいいから。ほら、立ちなさいよ」
ミハイルの手を取って立ち上がらせる。そこにローベルト大将が近づいて来てユウキの手を取った。
「マックスが気を失ったのでな。本官が代わりに宣言しよう。この決闘はユウキ・タカシナの勝利と認定する」
「ユウキさん! お怪我はありませんか。ああ、無事でよかった」
「ミハイルのクソ野郎の卑怯者! 最低のチンカス野郎よ。あなたは!」
セラフィーナがユウキに抱き着き安堵の息を吐いた。ラピスはミハイルの顔先にビシッと指を突きつけて口汚く罵り、ミハイルは何も言わず俯いている。
「ラピス、もう止めなよ。お姫様がチンカスって言っちゃだめだよ」
「だって…、本当に頭に来たんですもの。一歩間違えばユウキ、死んでたのよ」
ユウキの側にマーガレットもやって来た。また、他の皇子皇女たちと1人の豪華なドレスを着た女性が護衛兵を引き連れて近づいて来る。その背後では親衛師団の隊員がハインリヒの死体を片付けていた。
「母上様…」
セラフィーナが近づいて来た女性に頭を下げる。マーガレットが皇妃シャーロットであることを小声で教えてくれた。
シャーロットは厳しい顔でユウキに近付くと、いきなりパシーンと頬に平手打ちをし、ミハイルを抱き締めた。突然の出来事に周りにいた全員が固まってしまう。
「え…」
ユウキは打たれた頬を抑えて、シャーロットを見る。
「この無礼者! 我が子ミハイルの申し出を断っただけでなく、このような目に遭わせるとは…、たかが平民の娘のごとき、ミハイルに声をかけられただけでも僥倖であり、感謝せねばならぬの言うのに。その罪不敬に値します!」
「そんな、酷い…」
ユウキはちょっと涙目になる。
「母上様、悪いのはユウキさんじゃありません。ミハイル兄様です!」
セラフィーナが非はミハイルにあると声を出すが、シャーロットは聞く耳持たない。
「まだ言うか! セラフィーナ、お前もお前です! 何故ミハイルを助けない!」
シャーロットが再び手を振り上げた。ユウキとセラフィーナはギュッと目を瞑り、歯を食いしばったが、いつまでたっても叩かれる気配がない。そっと目を開けてみると、マーガレットがシャーロットの手を抑え、ギロリと睨みつけている。シャーロットの顔は真っ青だ。
「お止めなさい。これは皇帝陛下が正式に裁可した決闘ですよ。その勝負に勝ったのはユウキさんです。さらに決闘のルールを破ったのはミハイル殿です。その罪は非常に重い。陛下の御裁断を得なければなりません」
「もともとはミハイル殿が彼女の気持ちも考えず、無理難題を押し付けようとした事が発端です。非はミハイル殿にあるのですよ」
(マーガレット様…。庇ってくれて、ありがとうございます)
ユウキは心の中でお礼を言う。
「くっ、側妃ごときが、妾に意見するとは。何という不敬…」
「よろしいですかな。親衛師団としてミハイル殿には色々聞きたい事がございますので、御同行いただきます。また、日を改めて陛下が直々にお話を伺いたいそうです。それまでは御身を親衛師団がお預かりすることになります」
ローベルト大将の説明にがっくりと肩を落とし項垂れるミハイル。今までミハイルを支持していた皇子皇女も何だか顔色が悪い。セラフィーナとラピスはそんな兄弟姉妹たちを「ざまあ」といった顔で見ている。2人とも悪い顔してるなあと思いつつ、ミハイルについては自業自得とはいえ、何となく可哀そうに思うユウキであった。
「ああ、ちょっと待って」
マーガレットがミハイルを呼び止めた。振り向いたミハイルの顔に強烈な右ストレートが炸裂した!
「ぎゃひいっ!」
悲鳴を上げて吹き飛ぶミハイルを、仁王立ちで見下ろす金色の死神マーガレット。その恐ろしさにユウキだけでなくシャーロット皇妃や皇子皇女たち、その場にいた親衛師団の兵も震え上がる。当のミハイルは目の周りに青タンを作ってピクリとも動かない。
「私と娘の大切な友人に卑怯な振舞いをした罰と、貴方の母親がビンタしてくれたお返しよ。目障りだわ、親衛師団、さっさとこのクズを運び出して!」
「こ…怖い…。ハインリヒよりずっと怖い…」
震え上がるユウキの側で、ラピスがボソッと言った。
「恐怖の大王がついに降臨したわ…。まんま大魔神怒るだね」
「だれが、大魔神ですってぇ~」
「そりゃあ、マーガレットの筋肉お化け…よ…。おっ、お母様ぁあああ、ぎゃああああ!」
(出た! 必殺のストマッククロー! マーガレット様の笑顔が怖い…)
マーガレットのストマッククローで死にそうになっているラピスを震えながら見ていたユウキにヴィルヘルムが近づいて、肩をポンと叩いて来た。
「はい? あ、ヴィルヘルム様」
「ユウキ君、大変な目に遭ったね。もう帰っていいよ。家でゆっくり休んでくれたまえ」
「はい、そうさせていただきます」
「うむ。マーガレット殿。陛下が私と貴殿に話があるそうだ」
「あら、何かしら」
決闘騒ぎですっかり疲れたユウキはセラフィーナに送られて宮殿を後にするのであった。ちなみにラピスは全身を痙攣させたまま気を失って医務室に運ばれた。




