第301話 決闘(ミハイルの罠)
「これは…、一体どういう状況なのですか」
現れたのは帝国宰相ヴィルヘルムと皇帝側妃マーガレット。もう1人豪華な鎧と大ぶりな剣を帯剣し、見事な白髭を蓄えた年配の騎士。
「ヴィルヘルム様」
「お母様」
ユウキはヴィルヘルムを見て安堵し、腰から力が抜けそうになった。ミハイルは突然現れた人物たちを見て目を見開き、わなわなと震えている。
「ミハイル様、この状況についてお話しいただけますか」
「お前たち、下がれ! 下がらんか!!」
ヴィルヘルムが厳しい声でミハイルに問い、年配の騎士が部屋中に響き渡る大声でユウキたちを囲んでいた騎士を下がらせる。騎士が下がった事でユウキはセラフィーナとラピスの手を取ってヴィルヘルムの元まで移動した。セラフィーナは年配の騎士に近付くと、騎士は右腕を胸の辺りに掲げて敬礼する。
「よく来てくれました。ローベルト」
「ははっ! 我が配下がセラフィーナ様とラピス様、また、そのご友人に粗相を働き、面目次第もございません」
「ううん、来てくれて嬉しいです」
「ラピス、彼は誰なの?」
「うん、帝国親衛師団長のローベルト・ヴァイス大将よ。皇帝陛下の警備責任者でもあるの。セラフィーナと仲がいいのよ」
「へええ、凄い人物なんだね」
その間にもヴィルヘルムとマーガレットがミハイルの前に進み、一体何事か問い質している。ミハイルは「フン」と鼻を鳴らすと、ユウキの実力と美しさに惹かれ、自分に仕えるとともに妻になるよう話をしていたと説明した。
「私は次期皇帝に最も近い男。彼女にとっても悪い話ではあるまい」
「しかし、ミハイル様。一般女性をわざわざ呼びつけ仕官と結婚を強要するとは、皇帝の座を狙うお方とは思えない振舞いですな」
「それで、ユウキさんはどのようにお返事をしたのかしら。率直に話してもらうと嬉しいわね」
マーガレットはユウキに向かって、ミハイルたちに分からないようにパチッとウィンクして聞いてきた。
その茶目っ気に気付いたユウキは、コホンと咳払いをして、ミハイルの話を聞いて人を自分の栄達のために使い捨てる道具のようにしか考えない人間と感じられたこと、その彼に仕える事は自分に信念に反することや人として生理的に合わないため、妻となるのも絶対嫌であり、その事を丁重に説明してお断りしたことを説明した。
ユウキの話を聞いて、ヴィルヘルムとマーガレットは笑いを我慢し、ローベルトは憮然としている。見るとミハイルは怒りで顔が真っ赤になっている。ユウキは真剣な顔をしてミハイルに向かうと、
「ミハイル様。貴方はミュラー様がわたしを好いていて、お嫁さんにしたいという話を知っていたのでしょう。だから、ミュラー様の心を折り、継承権争いを優位に運ぶため、わたしをモノにしたいと考えたのでしょうが、そんな事をしてもわたしの心を貴方に向けさせることは出来ませんよ。むしろ、ミュラー様の怒りを買うだけだと思います」
「皇位継承の話はわたしには難しすぎて分りません。でも、貴族をまとめ上げるだけの力を持った貴方であれば、正々堂々と継承権争いをしたら良いのではないですか? こんな姑息な手を使っては、自身の品位を落としますし、皇帝陛下も国民も納得しないと思います」
そう言い、次いでヴィルヘルムとマーガレットに向かって深々と頭を下げて、お礼を述べた。
「スミマセン。助かりました。ご足労までおかけしてしまって、ありがとうございます」
部屋を出ようと扉に向かうユウキたちの背中を見つめているミハイル。その顔は赤くなったり青くなったりし、屈辱に歪み、普段の美青年の面影はない。
「ユウキ・タカシナ!!」
名前を呼ばれ、無意識に振り向いたユウキの顔に「ぱすん」と何かが当たった。思わず当たった物を手に取った。
「わっぷ…。ナニコレ、手袋…?」
見るとそれは白い手袋だった。手袋を見たユウキ以外の者たちはその意味を悟った。
「ユウキ・タカシナ! 私はお前に決闘を申し込む! お前が勝てば私は一切手を引く。今後関わることはしない。しかし、私が勝ったらお前は一生私に仕えるのだ。女として私に全てを捧げるのだ!」
「え~。そんな決闘受けませんよ。わたしにメリット何もないじゃありませんか」
「ユウキ君…。この申し出は拒否できない。これは貴族の決闘における正式な申し込みなのだ。手袋を手にしてしまった以上、相手に対して受けたとの意思表示がされたことになる…」
「ゲッ…。そんなバカなぁ」
「ハハハハ! お前は手袋を手に取った。ヴィルヘルム伯やマーガレット妃、ローベルト大将が証人だ。さあ、決闘の場に向かおうではないか。アハハハ」
予想外の出来事にユウキが困惑していると、セラフィーナとラピスがズイと前に出て来た。その顔は怒りでぷーっと膨れている。ユウキはちょっと可愛いと思ってしまった。
「ちょーっと待ちなさい! こんなのおかしいです!」
「いい加減にしなさいよ! ミハイルのくそ野郎!」
「貴様ら…、兄に向かって何という言い種だ。いくら妹でも許さんぞ!」
「それはこっちの台詞です! ユウキさんはハッキリ申し出を断ったじゃありませんか。男なら素直に受け入れるのが筋っていうものでしょう。何故、そこまで固執するのです。決闘なんて馬鹿げています。お止めください!」
「そうよ! 何故こんな卑怯な手を使おうとするの!? 男なら正々堂々と世間に認められて帝位に着いてみなさいよ。ユウキを巻き込まないで!」
「……貴様らに何が分かる」
「分からないわね。でもひとつだけ。ミハイル殿、貴方、もしかしてミュラー殿に対して劣等感をお持ちなのではないかしら」
今まで黙って見ていたマーガレットが、ユウキとミハイルの間に立つ。
「……………」
「ミュラー殿は国民からは「うつけ者」だの「ぼんくら皇子」だの呼ばれているけど、私はそうは思わないわね。万人のために何を成すべきか考えて行動をしていると思っている。冒険者としての実力も高いし、私は好きなタイプだわ」
「ミハイル殿は学問も最優秀の成績を収められ、帝王学も非の打ちどころがいないと学者先生が太鼓判を押されている。セラフィーナやラピス以外の兄弟姉妹に信頼され、多くの有力貴族の支持も得ている。でも、貴方は人としての何かが足りない。私はそう思うわ。自分自身でもそう感じているのではなくて?」
「だから、自分にないモノを持つミュラー殿が恐ろしいと思うのよね。それで、ミュラー殿がゾッコンになっているユウキさんを手に入れ、相手を精神的に追い落とそうとしたんでしょう」
(へええ、ミュラーって意外と評価高いんだ。ヴィルヘルム様も頷いているし、そう言えばヴァルター様も、ミュラーの行動には何か考えがあるって言ってたっけ…。わたしはただの巨乳好きなエロ男にしか見えなかったけどな)
ユウキはミハイルと目が合った。その目には憎悪の炎が宿っている。それは誰に向けられているものなのか、ミュラーか、この場の全員か、それとも自分になのか…。ユウキはロディニアの処刑台で大勢の人々から向けられた視線を思い出し、背筋が凍りつく思いがした。
「それの何が悪い…。政争の具として調略を巡らすことは世の常であり戦いなのだ。そのような戦いに勝った者こそ勝者足り得る。私はミュラーを倒すために何としてもユウキを手に入れたい。決闘を受けろユウキ! 私の手から逃れるにはそれしかないぞ!」
ユウキはしばし瞑目して考え、決闘を受ける事を決めた。ここで逃げてもミハイルは権力を使って手を伸ばして来るだろう。自分の幸せを求める旅を続け、、亡き姉や自分を大切にしてくれた人たちの想いを叶えるためにも、ここで悪縁は断ち切っておかねばならない。
「わかりました。決闘を受けます」
「ユウキ、無茶しないで」
「ありがとうセラフィ、ラピス。でも大丈夫。わたしは勝つよ。勝ってこんな面倒事からはおさらばする。ヴィルヘルム様、マーガレット様。立ち合いをお願いします」
「よし…。ローベルト大将、決闘の段取りをせよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「とんでもない事になったわね」
ユウキは決闘の準備が整うまで、宮殿3階の来賓応接室にマーガレットやセラフィーナ、ラピスと一緒に待機していた。ヴィルヘルムは皇帝陛下に報告に行くと行ったまま戻ってこない。
「まあ…、仕方ないですね。ところでミハイル様の剣術の腕前はどうなんです?」
「そう、ですね…。小さい頃から親衛師団の兵士と訓練していますので、並の兵士では歯が立ちませんね。かなり強いです。私やラピスでは勝負になりませんし、同年代の貴族の子弟の中でもズバ抜けています」
「そうなんだ…」
「でも、ユウキさんは勝ちますよ。私たちが苦戦したデルピュネーやマンティコアを一蹴しましたもんね。あの時は凄まじかったです」
セラフィーナとラピスはユウキの勝利を疑わない。マーガレットはニヤッと笑ってユウキを見る。
「それは凄いわね。いつかユウキさんとガチンコ勝負してみたいわね」
「絶対にイヤです。勝てる気がしません」
「即答ね、残念。熱い戦いが出来ると思ったのに」
「わたしは「平穏無事に生きる」がモットーなんです。ホントはこんなバカげた勝負事なんかイヤなんですよう」
「まあ、バカげているというのは賛同するわね。ある意味、男に道具として狙われるのは、美人さんの宿命であると思うしねぇ…」
「超絶美少女の宿命ですか。ちょっと照れますね。えへへ」
「ユウキ、喜んでない?」
少し緊張がほぐれたユウキが、セラフィーナたちと雑談していると、1人の兵士が準備が整ったと伝えに来た。ユウキは頷いて立ち上がり、マーガレットたちと一緒に兵士に着いて行った。
宮殿本館1階に降り、裏の通用口からいったん外に出て、少し歩いた場所にある四角い建物の中に入った。
「ここは…」
「親衛師団の訓練場ね。闘技場様式が特徴で、訓練だけでなく、師団の競技大会などにも使われるのよ。観客も1000人位は入るわ。私もたまにここでの訓練に参加するのよ。闘技場で戦うと血が滾るのよねー」
「そ、そうっすか…」
ニコニコと笑顔で会場を説明してくれるマーガレットに、やや引き気味に返事をするユウキだった。
「マーガレット様、セラフィーナ様、ラピス様はこちらから観覧席に御移動願います。ユウキ殿は着いて来て下さい」
「ユウキさん頑張ってね」
「ユウキ、あんなヤツ、コテンパンにしちゃってね」
ユウキは観覧席に移動する3人に「頑張る」と言って、先導する兵士の後に着いて行った。廊下を進んだ先の扉を兵士が開け、中に入るように促す。扉の先に進むと円形の広い闘技場となっていて、中央に1人の鎧を装備した武将が立っていた。先導してくれた兵士が、中央まで進むように言い、ユウキは頷くと中央まで進んだ。
(そう言えばわたし、花柄のワンピにスカート姿。めっちゃ場違いな感じだよ)
ユウキが自分の服装を眺めた後、観覧席を見てギョッとした。席は大勢の兵士や宮殿職員で埋まっていて、中央の特別席らしい場所にマーガレットたちだけでなく、他の皇子皇女が揃って座っていた。呆然と観覧席を見ていると、鎧を着た武将が声をかけて来た。
「君がミハイル様と決闘するというユウキという娘か」
「え…、そうですけど」
「…そうか。私は親衛師団第1大隊長マックス・シュルツだ。本日の審判の大役を仰せつかった。ここに立ったからには男も女もない。全ての力を捧げて戦うのだ」
「はい…」
(きっと無理難題を押し付けられたのだろうな。不憫な…)
マックスがユウキを憐れんだ目で見て来る。
ユウキが待っていると、観覧席から大歓声が上がった。向かい側の扉が開いて、豪華な意匠があしらわれたハーフプレートを装備し、ロングソードを帯剣したミハイルが入って来た。後ろには1人の戦士を従えている。ユウキはその戦士を見て緊張した。年は20代中盤だろうか、身長が高く腰まで伸びた赤毛と整った顔立ち。何よりも目を引くのは全身真っ赤な鎧を着こみ、持ち手に禍々しい刀装具を飾り付けた剣を持っている。
「お、お母様。ミハイルと一緒に入って来たアイツは…、まさか」
「間違いない「殲滅のハインリヒ」。元Sクラス冒険者で世界最強の殺し屋と呼ばれる男よ。ミハイルのヤツ…、あんな男を配下にしていたなんて…」
「マーガレット、これは少々マズくないですか」
(なにアイツ…。恐ろしい程の冷たい殺気を感じる…)
『ユウキよ。ヤツは危険じゃ、気を付けるがよい』
(ん…、わかってる)
「逃げずに来たな、その勇気は褒めてやる」
「それはどうも…。決闘を受けると言ったからには逃げはしないよ」
中央で睨み合うユウキとミハイルにマックスが声をかけた。
「2人とも、皇帝陛下の御成りだ。敬礼を」
その言葉にユウキは驚く。見ると豪華な衣装の上にマントを羽織り、美しい宝石で彩られた宝冠を被った痩身の男性がヴィルヘルムに案内されて、中央に設えられた玉座に座った。周囲の皇族は全員立ち上がり深く腰を折って敬礼をする。ユウキはその神々しいまでの存在感に圧倒され、慌てて礼を捧げた。
皇帝は鷹揚に頷くと、ヴィルヘルムが大声でこの決闘の正当性を説いた。
「ここに、帝国第2皇子ミハイル・フクス・カルディアとユウキ・タカシナの決闘を執り行う。この決闘は皇帝陛下も裁可した正式のものである。お互い勇気をもって正々堂々と戦うことを望む」
「では決闘を始める。付き添い者は壁際まで離れろ。武器は飛び道具以外なら自分の使いやすい物を使ってよい。ただし、相手に対しては寸止めとし、傷つけたら負けとなる。最初は背中合わせに立ち、そこから10歩進んで向き合い、私の合図で決闘開始だ。よいか?」
マックスの説明にユウキとミハイルは同時に頷く。
ミハイルは帯剣していたロングソードをスラリと抜き放ち、ユウキに切っ先を向けた。
「これは魔晶石を鍛えた剣だ。並の鉄剣など一撃でへし折る威力がある。お前に勝ち目はないぞ。恥をかく前に負けを認めた方がいいぞ。ハハハハ!」
ユウキは無言でミハイルを一瞥する。マックスはユウキが武器を持っていない事に気付いた。
「君、武器がないなら親衛師団から貸し出すが…」
「いえ、大丈夫です」
腰のベルトに取り付けていたマジックポーチを開いて、1本の剣を取り出す。シュンと音を立てて出て来た白銀に輝く剣を握った。突然現れた剣にミハイルとマックスは驚いている。
「わたしにも魔法剣がある。ミハイル、そうそう貴方の思い通りにはならないよ!」
ぎりぎりと歯を食いしばって悔しがるミハイル。マックスの合図でお互い背を向けて10歩進み、向かい合って剣を構える。観覧席にいる全員が音も話し声も立てずに固唾を飲んで見守る中、審判を務めるマックスの手が振り下ろされた!
その合図と同時にユウキは飛び出す。しかし、ミハイルに集中するあまり、お供の男から注意をそらしてしまった。このことがユウキの危機を招くことに、今は気付く事はなかった。




