第295話 エヴァリーナ、思案する
「…はあ~~あ」
「凄いため息ですね、エヴァリーナ様。まあ、気持ちは分らんでもないですが」
「人事みたいに言わないで下さい」
「はあ…」
ウルとの国境から2つ手前の町、ハナハータの宿の食堂でテーブルに頬杖をついて窓を眺めるのは愁いを帯びた表情の美少女エヴァリーナ。窓の外は雨模様。石畳の道路に雨粒が当たってピシャピシャと跳ねている。
「…はあ~~あ」
再びため息をつくエヴァリーナを見て、対面に座るソフィも困ってしまう。
(仕方ないよね、帝都を出てから災難続き。メイドバーから解放されても、ゴブリン退治や盗賊団との遭遇戦とか、道中必ずトラブルに見舞われ、何の目的で旅をしているのか分んなくなってきてるもんね…)
「でも、目の前のケーキ、しっかり食べてるんだよね。しかも2人前。エヴァリーナ様、実は結構余裕あったりして。だけど、その栄養が胸に行かないんだよね~」
「聞こえてますわよ。心の声を言葉にしないでくださいな」
ぼんやりと窓の外を眺めていると、宿の入り口が開いてミュラーとリューリィ、ハインツが入って来た。ずかずかとエヴァリーナたちが座っているテーブルの椅子を引いて腰掛ける。
「どうでしたの?」
「ダメだな。この雨で街道を跨ぐ川が増水して、当分は通行止めだとよ」
「地元の人に聞くと、東の山に厚い雲がかかっているので、雨も当分止まないそうです」
街道の様子を見に行ったミュラーとリューリィが状況を説明する。どうやら、あと数日は足止めされるようだ。
「仕方ないですわね…」
「クックック…。我が内に秘めたる暗黒の力。その恐怖に天すら滂沱の涙を流す…。フフフ…」
虫の居所の悪いエヴァリーナはハリセンを取り出すと、パッシーンとハインツの後頭部をひっぱたいた。
「酷いよ! エヴァ姉ちゃん! どっから出したんだよ、そのハリセン!」
「うるさい! 乙女の秘密じゃ! このバカンツ、中二病は卒業しなさい!」
「何やってるんですか。相変わらず仲いいですね」
「あ、フランさんにティラ。冒険者ギルドでは何か情報が得られましたか?」
ハリセンでハインツをべしべし折檻しているエヴァリーナの側にフランとティラがやって来た。
「はい。最近ウルの国境警備が強化されたようで、出入国が難しくなっているようです。仔細は不明ですが、獣人亜人以外はかなり念入りに調べられるようですね。国境手前のジョゼ村に行けば、もう少し状況が分かるかもですが…」
「そうですか。でも、この雨じゃあ直ぐには無理ですね…」
「焦ってもしゃーねえよ。酒でも飲んで待とうぜ」
「そうですよ。止まない雨はありません。待つしかないですよ」
「そうですわね。2人の言う通りです。焦っても仕方ないですものね」
ミュラーとリューリィの言葉で少し落ち着いたエヴァリーナは、女給さんに飲み物を頼むと、この退屈な時間を楽しむことにした。
宿の食堂にまったりとした時間が流れる。エヴァリーナは持参した本を開き、ミュラーとリューリィは酒を飲みながらカードゲームをしている。ソフィとティラは女子トークに花を咲かせ、フランはショートソードの手入れをし、ハインツは決めポーズの練習に余念がない。それぞれが自由な時間を満喫するのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ハナハータの宿に到着して3日目、やっと雨は上がって晴れ間が覗いたが、川の増水は続いていて危険な状態のため、足止めを喰らったままだ。ウルを目の前にして動きが取れないことに、エヴァリーナは焦りを隠せない。
「ウルまでもうすぐだと言うのに、いつまでこうしていればよいのでしょうか…」
「焦っても仕方ないですよ。町の人が言うには、明日か明後日には水も引いて、橋が通れるようになると言ってました」
「まあ、もう少しの辛抱ってとこですわね」
エヴァリーナがリューリィと話をしていると、情報収集のため冒険者ギルドに出かけていたフランとソフィ、ティラが戻って来た。テーブルの椅子を引いて腰掛け、女給さんに温かい飲み物を頼むと、エヴァリーナに向き直る。
「エヴァリーナ様、ギルドで面白い話が聞けましたよ」
「面白い話?」
「ウルの内情についてです。ギルドにウルから来た獣人のパーティがいたんで、国内情勢の話を聞いてみたんです。ウルに向かう行商の護衛と嘘ついて」
「まあ…。それで、どんな話が聞けましたの?」
「はい、どうも王宮内の派閥争いが激化しているという噂です。ひとつは武断派。軍事力を強化し、ウルの将来のためには武力を持って事に当たる考えのグループで、長男のハルワタート王子を筆頭に、若手貴族のほとんどと軍部が中心となっているようです。もうひとつは穏健派。帝国を始めとして各国と協調路線を取り、平和と安定を是とする考えのグループです。こちらはラサラス王女とシェルタン国務大臣が中心らしいですね」
「ちなみに、国王は表面上中立を保っているようですが、本音は穏健派寄りらしく、ハルワタート王子はかなり不満らしいとの話です」
「ずいぶんと有益な情報が手に入りましたわね。ウルで接触すべき相手が分かっただけでもかなりの成果ですわ」
「それとですね…」
「まだ何か?」
「はい、ハルワタート王子が軍を動員してウル北西のタンムーズ山脈方面に向かったとの話です。山岳軍事訓練というのがその理由らしいですが…」
「何か別の目的がありそうですね…。ただ、それを推察するには情報が少なすぎます。やはり国内に入る必要がありますわね」
「ただ問題もあって」
「問題ですか?」
「国境検問所の入国審査が大分厳格化されているらしくて、特に帝国からは相当の理由がないと入国できないみたいなんですよ。観光目的じゃ絶対だめで、商売目的の入国も事前に申請して発行される手形がないと追い返されちゃうらしいです」
「まあ…。では、非公式の外交使節団と言ったらダメかしら」
「ダメでしょうね。武断派に目を付けられたら、その時点で終わりです」
「困りましたわね…。何かいい方法はないかしら」
「ひとつだけ、あるぜ」
出掛けていたミュラーが1人の女の子を連れて宿に戻って来た。清楚なワンピースを着ており、大きなけも耳とふさふさの尻尾を持った中々の美少女で、背中の中ほどまである亜麻色の長い髪を三つ編みにしている。また、手には大きなバッグを持っている。
「ミュラー、どこに行っていたんですの。それにその子は誰ですか?」
「もしかして、ユウキちゃんに相手にされないから若い子を騙して連れて来たとか。ミジメ…プークスクスクス」
「最低…。この男、ナンパしてきやがりましたです」
ソフィとティラが思いっきりバカにした目でミュラーを見る。帝国の第1皇子に対して容赦ない。
「ちげぇよ! 話聞け! この子はな、ウルの豪商の娘さんで、帝国への留学生だそうだ。夏休みを利用して帰省する途中なんだそうだが、この町で財布をスられてな、困っていたんで声をかけたんだよ」
「人の弱みに付け込む男…」
「だから違うっつーの!」
「まあまあ、ミュラーを虐めるのはその位にしてあげなさいな。貴女も災難でしたわね。憲兵隊へは被害届を出したのですか?」
「はい…。でも財布が見つかるのは難しいだろうと…」
女の子が体に似合わない、小さく可愛い声で答える。ウルまではまだ距離があり、一文無しでは旅は難しいだろう。女の子はすっかり落ち込んでいて、見ていて気の毒になる。
「貴女、お名前は?」
「タニア・ボレアリスと言います。帝都のリベルタ女学院の2年生です」
「ミュラーさん。それでいい方法って何ですか?」
リューリィが不安そうにしているタニアを見ながらミュラーに訊ねる。
「お、おお。オレたちの課題は如何にしてウルに入国するかだ」
「そうですわね」
「丁度タニアはウルに帰省しようとしている。しかも豪商の娘ときた。オレたちは彼女に雇われた護衛の冒険者として同行し、入国するのさ。協力の見返りとして、旅費はオレたち持ちにしてやればいい」
「なるほど」
「ミュラーさんにしては悪くないアイデアです」
「何か悪い物食べた? いつものミュラーじゃない…」
エヴァリーナとリューリィが関したように頷き、フランが心配そうにミュラーの顔をる。
「食ってねえって! ともかく、お互い悪い話じゃねえ。後はタニアの気持ち次第だが、どうする?」
「出来れば、わたしからもお願いしたいです…。家に着いたら護衛の料金を支払いますから、わたしをゼノビアまで連れて行ってくれませんか。ずうずうしいとは思いますけど、わたし、頼れる人がいないんです。お願いします!」
タニアは一行に向かって深々とお辞儀をして、ウルの首都ゼノビアまで連れて行ってくれるよう懇願してきた。エヴァリーナはそんなタニアを見て思案する。
(豪商の娘か…。だとしたら貴族や政府の要人とも繋がりがあるはず。ウルでの活動に利があるかもしれない。ここで恩を売って損はないですわね…)
エヴァリーナは不安そうな顔をしているタニアに向かって笑いかけ、安心させるとこちらからもお願いしたいと話した。
「こちらからもお願いしますわ。私たちどうしてもウルに行きたいのです。貴女と一緒なら大変助かります。協力していただくのですから護衛料はいりませんわ。旅費もこの男が面倒を見ます。こう見えても大層金持ちですから大丈夫ですよ」
「な…、おい! 勝手に決めんなよ。こういうのは共通経費からだろ、ふつー!」
「ユウキさんの使用済みパンツ…」
「ハッ! お任せください。全てエヴァ様の御心のままに…」
「ん、よろしい」
「こいつら最低…」
ティラの呟きに全員が同意し、2人を白い目で見るが、どちらもその冷たい視線に気づいていない。タニアもどう発言したらよいか思いつかず、曖昧な笑顔を浮かべて目の前の喜劇を見ているだけだ。
平伏するミュラーの頭をハリセンでパッシーンと叩き、ウルへの道が開けたと喜ぶエヴァリーナ様は意気揚々と宣言する。
「さあ皆さん、明日には川の水も引くでしょう。ウルに向けて出発しますわよー!」
『おー』
お供たちはやる気は全く感じられない鬨の声を上げるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ウル国は、大陸の西方に位置してまして、北と東は帝国、南は魔族の国家ラファール、西は高さ3000m以上の高峰が連なるタンムーズ山脈に接しています。自然豊かで美しい土地柄ですが、国土の大部分は森林で耕作地が少ないため、山脈から採掘される鉄鉱石や魔鉱石、希少な宝石のほか、豊富な木材と木工製品を輸出して食料を輸入しているんです。何せ人口が多くて国内需給では賄えないんです。また、他国に仕事を求めて出て行く獣人も多くて、人口流出が多くなっているそうです」
国境へ向かう道すがら、タニアがウルの国内事情について、色々教えてくれた。流石豪商の娘だけあって、中々の博識で今後の活動に参考になる部分も多い。ふと、エヴァリーナは思い立って、自分たちの本来の目的の部分に探りを入れてみた。
「そう言えば、最近ウルの中…というか、ウルの政治関係で何か変化があった…、なんて事を聞いた事はありませんか?」
「いいえ、特には…。私、初等学校の頃から帝国に留学していましたので。父なら何か知っているかもしれませんが」
「そうですか。変な事を聞いてすみませんでした(一度、タニアさんのお父様にお会いして、話を聞いてみましょう。ここでしつこく聞くと疑念を持たれてしまうかも知れませんものね)」
「タニアさんのご実家はどのような商売をされているのですか?」
リューリィがさりげなく話題を変える。ソフィたちは心の中で(ナイス!)と頷く。
「私の家は鉄鉱石や魔鉱石、木工製品の卸と食料品や日用品・衣料品の輸入販売をしています。ゼノビアにスーパーマーケットも経営しているんですよ」
「へえ、手広く商売をなさっているんですね」
「ねえ、タニアさん。魔鉱石って何ですか?」
フランが珍しく質問して来た。
「魔鉱石って言うのは、様々な魔力を帯びた希少鉱石で、これで作られた武器防具、工芸品は丈夫で美しい上に、使用した鉱石が持つ魔力を行使できるんですよ」
「魔鉱石の武器って凄そう。欲しいな…」
「うーん、魔鉱石は鉄鉱石の採掘の際に極稀に少量採れるだけなので、とても希少なんですよね。なので、物凄く高価なんですよ。魔鉱石の短剣1本で金貨何十枚もするんです」
「残念…」
タニアは元来人懐こく話好きな性格のようで、エヴァリーナたちとすっかり打ち解けた。メンバーに女の子が多い事も影響したのかも知れない。ハインツはワイワイと話をして歩く女の子たちの後ろを黙って歩いていたが、突然タニアに声をかけた。
「タニアさん」
「はい?」
「タニアさんは、その…あの…、あのですね…」
「ん?」
可愛らしく小首を傾げるタニア。そして、いつもと違うハインツの雰囲気に、タニアを除く全員が訝し気な視線を送る。当のハインツは何となくモジモジしていて、やや顔を赤らめている。全員の視線が自分に向いたのに気づいたハインツは「はっ」としながらも、意を決したようにタニアに向かって言った。
「タ…タニアさんには好きな男性とか、お付き合いされている方とか、いらっしゃるのでしょうか」
「えっ!」
ざわ…ざわざわ…ざわ…。思ってもみない突然の発言に、エヴァリーナたちは度肝を抜かれ言葉を失う。ハインツは真剣な眼差しでタニアを見つめ、当のタニアはびっくりして固まっている。周囲は鳥の鳴き声ひとつせず静まり返っている。
「あ、あの…私、え、えっと、それって…」
「私…殿方とお付き合いした事なんて、ありません。え、えっと、はい」
「な、何が起こったの? あわわ!」
「誰、この男。薬でもやったの?」
「中二病患者が思春期少年に大変身?」
エヴァリーナとソフィ、ティラは突如発生した青春劇場に戸惑いを隠せない。ミュラーとリューリィは遠くからニヤニヤと眺めている。
「タニアさん。僕、貴女に一目惚れしてしまいました。帝国のスカして尊大に振舞う貴族の女どもにはない清純さ。純真可憐なそのお姿。正に天使の様だ。僕は貴女を見た瞬間に胸の鼓動が抑えられず、目が離せなくなった。僕は貴女の事が好きになった」
「ええええ~~! そ、そんな突然に言われても…。あの、ハインツ様は伯爵家の御嫡男ですよね。私は平民で身分が違い過ぎます。それに私は亜人です。人族じゃない私はハインツ様には釣り合わないですし、仮に私が良くても周囲に反対されるに決まってます」
「それがどうした!!!」
「へっ…」
「それがどうしたと言ったのだ! 好き合う者同士に障害なぞ無い! これこそ世界最強の、無敵の言葉です! タニアさん、僕はウルで任務があります。それが終われば帝国に戻る…。その時に返事を聞かせて欲しい」
「ハインツ様…(し、心臓がドキドキして…。何この気持ち。まさか私も…)」
「タニアさん、僕は無事に任務を終えて貴女を迎えに行きます。僕は死にまっしぇん! あなたが好きだから!!」
「はい…。その時は、必ずお返事します。私の気持ちを…。でも、私の気持ちは既に決まっています!」
「タニアさん…」
「ハインツ様…」
見つめ合う2人。ハインツとタニアの目にはお互い以外何も映らない。桃色の空気が辺りを支配する。
「一体何が、どうなったんですの…」
「中二病が恋に目覚め、まともになった。と言う事では? あの桃色空間、無性に腹立つ」
「ハインツごときに先越された。屈辱…」
恋人同士の誕生に、悔しそうな表情のソフィとティラ。その背中をポンポンと軽くたたく者がいた。2人が振り向くとニマ~っと笑うフラン。
「あたしもヴァルター様とラブラブなの。ヴァルター様、あたしにとっても優しいの。この間もね…、ヤダ、これ以上言えない! えへへっ!」
ソフィとティラは瞳に絶望色を浮かべ、地面に膝を着くとがっくりと項垂れ、次いでヒシッと抱き合って涙を流す。
「くっ、悔し~。フランちゃんは味方だと思ってたのにぃいい~。この隠れリア充め~」
「むふふふ~」
「わははは! ハインツのヤツ中々やるな。確かにタニアちゃんは美人で胸もユウキちゃん並にデカい。ハインツが惚れるのも分かるわ。しかーし、やっぱユウキちゃんが一番だよなー。早く会いてえなあ」
「会っても相手にされないと思いますよ」
「うるせえリューリィ。オレの一途でピュアな心を知ればユウキちゃんだって俺に惚れるさ。間違いない!」
「どこが一途でピュアなんですか…エロい妄想全開の癖に。全く、この男は…」
自信満々なミュラーの言動に呆れ果てるリューリィであった。




