番外編5 ある冒険者の想い④
レッツ爆漁号はエルヴァ島のエリス港に到着した。途中暴風に遭遇したものの、奇跡的に無事に乗り越え、アレックスとアリステアは無事エリス市に足を踏み入れた。
「何とか生きて、エリスまで来たな…」
「揺れない大地がこんなに有り難いなんて、思ってもみなかったです…」
アレックスは残りの謝金である銀貨15枚をパルックに渡し、ペラミスに礼を言うと目的の孤児院に向かうことにした…が、アリステアのお腹が悲鳴を上げたのを聞き、まずは食事をしようと屋台街に向かった。
(そういえば、朝飯まだだったな…。経費の残金は銀貨30枚か…。結構使ったな)
一瞬不安そうな顔をしたアレックスを見たアリステアが、自分の財布を取り出し、中身を確認して、がっくりと項垂れるも、
「あの、自分の分はちゃんと払いますから…」
と言ってきたので、ポンと頭に手を置き「心配するな」と言った。アリステアは頭に置かれたゴツゴツした大きな手に自分の手を重ね、上目遣いでアレックスを見る。すると、何故か頬が赤くなるのを感じ、慌てて屋台街の方を向くのであった。
屋台で肉の串焼きと雑穀の粥、果物のジュースを買って大通りに隣接した公園のベンチに並んで坐り、買ってきたものを食べ始めた。エリス市はエルヴァ島の中心都市で人口約10万人規模と大きく、風光明媚な観光地であるほか、最高神エリス降臨の地とされているため、巡礼に訪れる人も多い。
「賑やかな街ですね~。明るくて活気があって」
「そうだな…」
「目的の孤児院はどこなんですか?」
「メモによると、この公園広場を北に進み、住宅街を抜けた先の丘の上とある。結構歩くようだな…。出発するか」
町はずれに向かって市道を歩いていくと、徐々に道幅が狭くなり、道の敷石も古びて荒れて来た。立ち並ぶ家々も小さく粗末になってきた。気が付くと家々の間から人相の悪い男がアリステアをじっと見ているのに気づいた。
「…ここは治安が悪そうだ。早く抜けてしまおう」
「は、はい…」
住宅街を抜けると、緩い上り坂が続くようになった。30分ほど歩くと丘の頂上に到着した。そこは広場になっていて、奥に粗末な宿舎が併設されている小さな教会が立っている。敷地内には小さな畑があって、2人の子供が草むしりをしている。また、教会の背後は崖になっていて、崖の向こうには広大な海が広がっていた。
アレックスとアリステアは、小さな畑で草むしりをしていた少年と少女に声をかけた。
「…ここはシスターレナが経営している孤児院か?」
「そうだけど、オッサン誰だよ」
少年が怪しい者を見るような目で、警戒しながら何者か聞いてきた。女の子は少年の背中にそっと隠れる。
「え、えーとね、わたしたちこの教会に届け物を頼まれて来たの。決して怪しいものではないの。このおじさんも顔は怖いけどいい人なのよ」
「顔が怖いは余計だ…。坊主、悪いがシスターに合わせてくれないか」
「誰から何の届け物だよ。言わねえとシスターには会わせねえぞ」
「そ、そうよそうよ。ここはあたしたちが守るんだから」
「別に、この孤児院をどうにかしようとは思ってねぇがな…。依頼主は「ユウキ」ってやつだ。荷物はシスターに直接渡す。そら、言ったぞ、シスターを呼んできてくれ」
「ユウキ姉ちゃんだって!?」
「レ、レン!」
「あ、ああ! ミュラ、シスターを呼んできて!」
「うん!」
ミュラと呼ばれた女の子がバタバタと教会の中に入って行った。シスターを待つ間、アリステアが疑問に思った事を聞いてみた。
「ねえ、君、ユウキさんって名前を聞いた瞬間、目の色を替えたけど、その方、この教会に所縁のある人なの?」
「……。ユウキ姉ちゃんはこの孤児院とおれたちを救ってくれた恩人なんだ」
「恩人?」
「そうさ! ユウキ姉ちゃんは孤児院の恩人で、おれたちの英雄なんだ!」
(英雄…。また聞いたな。イザヴェルを救った英雄ユウキ…。そして、ここでも…。ユウキとは一体何者なんだ…)
「あの…、あなたたちですか? 私に用事があるというのは…」
アレックスが考え事をしていると、教会の入口から年の頃は40代位の優し気な雰囲気の女性が現れ、声をかけてきた。
「アンタがシスターレナか?」
「そうですが…。あなたは?」
「オレはビフレスト国アルムダート市で冒険者を…、いや、冒険者は引退したんだった…。アレックスだ」
「…わたしはアリステアです。アレックスさんのお手伝いをしています」
「それで、何か届け物があると伺いましたが…」
「ああ、ユウキという人物がアルムダート冒険者ギルドに、荷物をここに届けるよう依頼をしてな。ギルド長にその依頼を押し付けられたオレが運んで来たって訳だ」
「アレックスさん、言い方…」
アリステアがアレックスの脇腹を突いて注意をする。
「そうですか。遠い所からご苦労様です。ここでは何なので、中にどうぞ。狭苦しい所ですが…」
教会は建てられてから大分年数が経っているようで、かなり古びており、あちこち修繕の跡があるが、壊れたままの部分も多い。アレックスが壁や廊下の傷んでいる部分を何ともなしに見ていると、レナが恥ずかしそうに、
「ふふ、私じゃ難しい修繕は出来なくて…」
と言って、アレックスの目の前にある壁の傷をサッと手で隠すのであった。
食堂に案内されたアレックスたちはテーブルの椅子に腰かけると、早速依頼の荷物をテーブルに置いた。
「荷物は金貨30枚だ。ユウキとやらから、この孤児院に寄付だそうだ。何でもダンジョンでの魔物討伐の成功報酬らしい。それから、シスターへの手紙も預かっている。これだ…」
レナは手紙を受け取り、読み始めた。7~8歳位の少女が「どうぞ」と言ってお茶を出してくれたので、礼を言って飲む。見るとレナが目頭を押さえて泣いていた。
「お、おい…」
「すみません。お恥ずかしい所をお見せしてしまいまして…。手紙の内容が余りにも温かくて…。ユウキさんの優しさに嬉しくなってしまって…」
「あのー、もし良かったら、この孤児院とユウキという人の関係を教えてもらえませんか?」
「…わかりました。レン、みんないらっしゃい」
呼ばれたレンがレナの隣に座る。食堂の入り口に集まっていた他の孤児たちもレナの後ろに並んだ。3歳位の小さな子から10歳くらいまで、総勢17人を数えた。
「この子はレンと言います。この孤児院で最年長の12歳。この子とユウキさんの出会いがきっかけでした。まずは、この孤児院のことをお話します」
「実は、ここにいる子供たちのほとんどが、親に捨てられるか、海の仕事で親を亡くしていましてね。私の両親は、昔からそのような子供を集めて育てて来たんです。私も、親の意思を引き継いで孤児院を経営して来たんですが…。ある時、1人の子が重い病気にかかりましてね。薬を買うために借金をしたんです。でも、利息が高くて、中々返せなくて、立ち退きを求められてまして…。何とかそれだけは避けようと、子供たちの居場所を守ろうと内職していたんですけど、子供たちの生活費まで手が回らなくなってしまって…」
「そうした孤児院の窮状を見かねたレンは、お腹を空かせた子供たちを助けようと、街で盗みをしてたみたいで、ある日偶然この島に来ていたユウキさんの小銭を盗もうとして、捕まってしまって…」
レナはレンに案内されて孤児院に来たユウキが、孤児院の借金を全部肩代わりしただけでなく、金貨10枚と言う大金を寄付してくれたこと。お金を出してたくさんの食材を買って子供たちにお腹いっぱいご飯を食べさせてくれたこと。何より、レンに盗みは止め、孤児院のリーダーなのだから、人として正しい道を歩むようにと諭してくれた事などを話した。
「ユウキさんは、エリス様が遣わした天使なのだと私は思っています。あの方は私たちを絶望の淵から救済して下さった。もし、レンとユウキさんが出会わなかったら、私たちは路頭に迷い、間違いなく野垂れ死んでいたでしょう。ユウキさんはこの孤児院を救った英雄なのです。そして、こうしてこの孤児院を忘れないでくれている…。神よ、エリス様、貴女の遣わした天使に感謝いたします…」
「イイハナシダナー(ウルウル…)」
アリステアは感動して泣いている。しかし、アレックスは感動より驚きで一杯だった。
(きっかけは何にせよ、何の所縁もない孤児院の借金を肩代わりした上、大金を寄付できるものなのか!? 確かにそうしなければシスターや子供たちは死んでいただろう。だが、そんな事はどこにでもある話だ…。それなのに、ユウキとやらは孤児院を見捨てなかった。いや、見捨てなかっただけじゃない。子供たちに明日を与えたんだ…。何の見返りも期待できないというのに…)
(ユウキ…、何ていうヤツだ…。仮にオレがその場面にいたら、同じ事ができたか? 無償の愛を与える事ができたか? いや絶対にできなかっただろう…。はは、だからオレは英雄なんかになれなかったんだ…)
(英雄か…。実力次第でなれるもんだと思ってた。強い魔物を倒せばなれるもんだと…。実際は違ったんだな。この年になって…、今になって分かるとは…。所詮オレは何も出来ねえ役立たずか…。情けねえ…)
「アレックスさん?」
難しそうな、それでいて泣きそうな顔をして黙り込んだアレックスを心配してアリステアが声をかける。
「…ん、ああ、いや何でもない…。少し考え事をしてしまった…」
「大丈夫ですか?」
「ああ…。とにかく依頼は終わりだ。帰ろう」
「お待ちください」
孤児院を発とうとした2人にレナが声をかけた。
「もう、夕方近いです。よろしかったらお泊りになりませんか? 部屋はありますし、実は今日、ミュラのお誕生日なんですよ。大勢で一緒に祝ってあげたいんです」
「いや…、オレたちは部外者…」
「ハイ! 喜んで!」
「お、おい、アリステア…」
「いいじゃないですかー! せっかくのお誘いですし、わたしたちも準備手伝いましょうよ。ね?」
「いや…」
「いいですよね。アレックスさん!」
「ああ…、そうするか…」
「やったー! シスター、わたしお菓子作るの得意なんですよー! ミュラちゃんのために腕を振るちゃいますぅー」
アリステアの勢いに押され、仕方なく同意した困惑顔のアレックスにレンが近づいて来てボソッと言った。
「オッサン、いい年して尻に敷かれてんのか?」
「違う…。お前、生意気だぞ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
男のキャンプ料理しかできないアレックスは早々に台所を追い出され、仕方なく孤児院の薪置き場で薪割をしていた。汗をかいた上半身を井戸水で濡らしたタオルで拭きながら、一息ついていると、女の子がお茶を持ってきた。
「どうぞ…」
「…ありがとう」
「………………」
「………………」
お茶を受け取ったはいいが、会話が途切れ、2人の間に沈黙が続く。女の子は何か言いたそうにして時折上目遣いでアレックスを見るが、それを言い出せないでいるようだ。仕方なくアレックスの方から声をかけてみる事にした。
「オレはアレックス。君は? 歳はいくつだ?」
「…アトリア。8歳…です」
「アトリア…か。いい名だ。南の夜空に輝く大きな星の名だ」
「そうなんだ…。わたし、この名前、好き。お父さんが付けてくれたから…」
「…いつから、ここにいるんだ?」
「ひと月前から…。お母さんはわたしを生んですぐ死んで、お父さんと2人で暮らしてたの。でも、お父さん、ふた月前に1人で漁に出たっきり帰って来ないの…。大好きなお父さん…、帰ってこない…の。グスッ…」
俯いて小さな声でぼそぼそと父親が帰って来ないと話すアトリア。寂しくて悲しいだろうに、泣きそうになるのをグッと我慢している姿は、とても痛々しく不憫だった。アレックスは思わずアトリアの脇の下に手を入れて抱き上げて優しく頭を撫でて語りかける。
「悲しい時は思いっきり泣いていいんだ」
その言葉を聞いた瞬間、心の中にあった悲しみを溜めたダムが一気に決壊したアトリアは、アレックスの胸にしがみ付き、大声を上げて泣き出した。
「うわーん! うぁああああん! お父さん、お父さーん! どうして、どうしてアトリアの所に帰ってきてくれないのー! アトリア寂しいよー! 帰って来て、帰って来てよーっ! うわぁあああああん!」
泣き続けるアトリアを抱いたまま、孤児院の裏に行き、目の前に広がるヴェルト海峡を見せる。
「見ろ、アトリア」
「…………………」
「アトリアのお父さんは、大好きなアトリアのため、海に仕事に行って死んだ。1人残したアトリアの事を思うと、さぞ無念だったろう。でもな、アトリア。アトリアがいつまでもめそめそしていると、お父さん天国に行けないぞ」
「そんなのヤダ…」
「アトリアは今いっぱい泣いた。それがお父さんへの供養になった。だから次は、お父さんを安心させてやろう。海に向かって大きな声で叫べ。自分は大丈夫。お父さんの分まで生きるってな」
「お父さーーーん! アトリアもう泣かないよー! わたし頑張るねー! だから安心して天国で見ててねー!!」
腕の中から海に向かって大きな声で叫んだアトリアを、アレックスはもう一度しっかりと抱き締めた。アトリアは胸の中に顔を埋めて小さくこう言った。
「お父さんと同じ匂いがする…」
2人の様子を薪置き場の陰から覗いていたアリステアは、グッと涙を拭くと笑顔を作って、「お誕生会の準備ができたよー」と声をかけた。その声にアレックスはアトリアを抱っこしたまま、孤児院に戻るのだった。孤児院に入る前、アレックスはアリステアに声をかけた。
「少しの間、ここに厄介になろうと思う…」
アリステアはニコッと笑うと自分もそう思っていたと言ってくれた。