番外編5 ある冒険者の想い③
「わあ! ここがスクルド共和国の首都、トゥルーズですか。賑やかな街ですねぇ」
「…そうだな」
「今日は、ここに1泊するんですよね」
「ああ…」
「あっ! あの屋台なんだろう。えーと、トゥルーズ名物「たこ焼き」って書いてますね。どんな食べ物なんだろう。わあ、ここまでいい匂いが漂ってくる。匂いだけで美味しそう~。ねね、食べてみませんか!?」
「いや、別に…」
「買ってきますね!」
「……………」
ダッシュで屋台に走っていったアリステアを見て、ふっと苦笑いが出た。そう言えば一緒に旅をして数日しか経ってないが、今のように自然に笑いが出るようになった事が増えた。
(アリステア…。あの明るさ、前向きさに癒されることが多い。自分は役立たず…か。違うな、彼女は役立たずではない…。彼女の明るさは人を笑顔にする。だが、オレは…)
「はい! 買ってきましたよ! こっちがアレックスさんの分です」
「あ、ああ。ありがとう」
アリステアの声に考え事から意識を戻したアレックスは、通りに設置されているベンチに腰かけて「たこ焼き」を受け取って食べてみた。甘みのあるソースが塗られたアツアツの生地に、不思議な食感の具。初めての味だったがとても美味しい。
「はふはふはふ…。ん~、美味しいっ! このソースも生地もいい味出してますね! それに中のプニプニしたもの。なんだろう? 屋台の女の子は「プルプ」って言ってましたけど、プルプってなんですか?」
「プルプ…。喰えたんだな。プルプってのは海の中に棲む生き物で、体は赤く足が8本で骨がなくてにゅるにゅるした生き物だ…」
「…?? 想像つかないですね…。でも、美味しいからいいです!」
「そうだな」
たこ焼きを堪能した2人は、特にすることもなくベンチに坐りながら、道行く人々を眺めていた。アリステアは「ん~~っ!」と背伸びをすると、立ち上がってアレックスの手を取ると、
「せっかくですし、観光でもしませんか」
と言って駆け出した。
「お、おい…」
「あはは。ほら早く!」
アレックスはアリステアの突飛な行動に困惑しながらも、自然と笑いが浮かんでくるのを感じ、自分の心境の変化に戸惑うのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
スクルドの玄関口であるマッサリア港に到着した2人は、エルヴァ島に渡るため、港の乗船券販売所に来ていた。
「なに…、船代が1人銀貨30枚だと?」
「そうだ。エルヴァ島経由の外航船は明後日出発予定の大型貨客船サザンクロス号しかなくてな。大部屋でもそのくらいはする。サザンクロス号以降の客船はリーズリットへの直行便ばかりで、エルヴァ島へ行く船は貨物船だけだ。客船は当分ないぞ」
「アリステア、今いくら持っている?」
「銀貨2枚…」
「話にならんな。オレは30枚あるが流石に2人分はないな…」
「はは、仕方ないですね…。せっかく仲良くなれたと思ったのにアレックスさんとはここでお別れです。依頼、頑張ってくださいね…。じゃあ、サヨナラ…」
寂しそうな顔をして立ち去ろうとするアリステア。俯き、小さい背中を丸めた姿が不憫に思ったアレックスは思わず追いかけると手を取った。
「きゃっ!」
突然手を取られたことでビックリしたアリステアは小さく悲鳴を上げる。しかし、アレックス自身も何故こんな事をしてしまったのか驚いていた。
「アレックスさん?」
「あ、その…、なんだ。諦めるのはまだ早い。何か手がないか、もう少し考えてみないか」
アリステアは小さく頷くと、乗船券販売所を出て歩き出したアレックスの背中を追うのであった。
マッサリア港の波止場を並んで歩く2人。しかし、いい案が浮かぶ訳でもなく、自然と無言になる。難しい顔をして考え込んでいるアレックスを見て不安になったアリステアは、自分のことは気にしないで依頼を遂行するよう口を開きかけた時、急にアレックスが大声を出した。
「そうか、その手があったか!」
「ひゃあ! ビックリしたぁ~」
ビックリ顔のアリステアに向かって凄みのある笑顔を向けるアレックス。2人で一緒にエルヴァ島に渡る妙案が浮かんだと話して聞かせる。
「見ろ、アリステア。船がたくさん並んでるじゃねえか。エルヴァ島に渡るのに必ず客船でなければならないなんて決まりはない」
「え、えっと、どういうことです?」
「エルヴァ島までオレたちを運んでくれるヤツを探すんだよ。そうだな…、漁船持ちの漁師でも当たってみるか…。交渉次第じゃオレたちの手持ちで何とかなるかもしれん」
「アレックスさん…。はい!」
「そうと決まれば、漁港の方に行って見るか…」
方針が決まったところで漁港に移動しようとしたアレックスの耳に「グゥウウ~」と腹の底から鳴り響く大きな音が聞こえた。音のした方を見ると、お腹を押さえて真っ赤な顔をしたアリステア。
「その前に腹ごしらえだな…」
「うう…、は、恥ずかし~」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
波止場近くのレストランで安いランチセットを頼み、窓から見える船を眺めながらどうやってエルヴァ島まで運んでくれる漁師を探すか考えていた。
(乗船券販売所で聞いた話だとエルヴァ島まで3日はかかるらしい…。それに、大陸との間の海峡も潮の流れが早いって言ってたな。となると、それなりの規模の船じゃねぇとな…。アリステアにはああ言ったが、意外と手間取るかもしれんな…)
これからの事を考えていたアレックスが、ふと意識を戻すと、いつも煩いアリステアが静かなのに気づいた。見ると食事は既に終えていて、じっとアレックスの手つかずのランチを見ている。
「足りねぇのか…?」
「へっ、あ、いや…全然…。足りちゃってます…」
アレックスは自分のランチをアリステアに差し出すと、食べていいぞと仕草で意思表示する。
「え…、でもそれじゃアレックスさんの分が…」
「気にするな。オレは腹が空いて無いんでな…。残すともったいないだろう」
「でも…」
「食わねえと連れてかねぇぞ」
「はいっ! ありがたくいただきますっ!」
がつがつとアレックスのランチを食べ始めたアリステアを見ていると、妻と出て行った娘のことを思い出した。
(小さい体なのに良く入るもんだ…。そういえば、アイツも食いしん坊だった。よくオレの皿から料理をくすねて女房に怒られていたな…。生きてりゃアリステアと同じくらいの年になっているか…。顔は…もう朧気にしか思い出せん…)
「うう…、食いしん坊だと思ってますね…」
「…いや、思ってないぞ」
「ウソです。思ってます」
「年齢的にアリステアは育ち盛りだろうが…。食うのは当たり前だ。それに…」
「それに?」
「いっぱい食わねえと胸も大きくなんねぇぞ…」
「!!」
「ひ、酷い…。人が気にしている事を…うわーん! アレックスさんの分、全部食べちゃうからぁ!!」
「食うか、泣くかどっちかにしろよ…」
食事を終え、すっかり鼻を曲げたアリステアを連れてマッサリア港から少し離れた漁港にやってきた。昼過ぎということもあり、水揚げやセリが終わった魚市場も漁港もひっそりとしていて人気がない。それでも少し歩き回ると、漁網の修理や船の手入れをしている漁師がちらほらといる。アレックスは漁網の修理をしている若い漁師に近づいて話しかけた。
「ちょっといいか」
「…なんだ、オッサン」
「エルヴァ島に行きたいんだが、船を出してくれる人を探している」
「客船に乗りゃいいじゃねえか」
「客船は高くてな…。2人分までの持ち合わせがないんだ」
「あんたら冒険者か?」
「ああ…。依頼でどうしても島に行かなきゃなんねえんだ」
「そうなんです。お願いです、誰か紹介してくれませんか?」
「運び賃として銀貨20枚出す」
「30枚は貰わんと」
「25枚。これ以上は無理だ」
「ま、いいだろう。明日の朝ここに来な。俺はパルックだ」
「アレックスだ。この子はアリステア。明日の朝だな、よろしく頼む」
思いがけず早くに島まで運んでくれる漁師が見つかったので、すっかり安堵してしまったアレックスとアリステア。しかし、それですっかり油断してしまい、船を確認するのを失念していた。そして、翌日の朝、猛烈に後悔する羽目になる。
安宿に泊まった2人は翌朝早く漁港にやってきた。漁港ではパルックが待っていて2人を船まで案内したが、その船を見て驚いた。長さ15m幅3mと大きさは充分であったが、どう見ても船齢50年は経っていそうな老朽船で、船体を構成している木はすっかり変色していて、少し力を入れて触っただけで崩れてしまいそうな感じがする。アリステアはあまりのおんぼろ船に引きつった顔をしている。
「おい、大丈夫なのか。この船…」
「大丈夫とは何じゃ! このレッツ爆漁号は、ワシの親父の代からここの荒海で漁をしてきた船じゃ! ちゃんとアンタらをエルヴァ島まで届けてやるわい」
「レッツ爆漁号…。おじいさんの漁にかける気持ちが全面に押し出された感じがして、かっこいい船名ですね!」
「そうじゃろそうじゃろ。お嬢ちゃんはわかっているのう」
「そうなのか? ところであんたは?」
「ワシはこの船の船長でペラミスじゃ。漁師一筋50年、この海の全てを知り尽くした海の漢! マッサリアのキング・オブ・フィッシャーマンとはワシのことじゃあ!!」
「よ! じいちゃん世界一!」
ゴゴゴ…と炎のオーラを背負って気勢を上げるペラミスの脇で、パチパチと拍手するパルック。流石のアリステアも引き気味だ。
「…まあ、よろしく頼む」
アレックスはパルックに前金として銀貨10枚を渡すと、船に乗るように合図してきた。岸壁からレッツ爆漁号に乗り移ると、板張りの甲板が「ギィ~」と嫌な軋み音を立てる。見るとアリステアも何となく不安そうな顔をしてる。しかし、この船に乗る以外に選択肢がない2人は、船が無事保ってくれる事と、海を知り尽くした漢、ペラミスの腕を信じ、運を天に任せるのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ぎゃあああー。死ぬ死ぬ、しぬー!!」
マッサリアの漁港を出発して2日目、レッツ爆漁号は暴風吹きすさぶ嵐の中で、木の葉のように揉まれていた。急速に発達した低気圧は容赦なく海を滾らせ、上空から滝のように大粒の雨を叩きつける。ブリッジ下の狭い船員室内の簡易寝台の上でアレックスとアリステアは上下左右全方向の揺れに翻弄されていた。
「ひゃあああ~、体が、体が浮いちゃう。怖いぃいいい!」
「アリステア、耳元で叫ぶな…。鼓膜が破れそうだ…」
「そんなこと言ってもぉー、無理です無理ですぅ! きゃあ!」
波に持ち上げられた船体が波の底に落ちた衝撃で、アリステアが床に叩きつけられそうになる。アレックスは素早くアリステアの腕を掴み、体を引き寄せて抱きしめる。
「~~~っつ!」
「…大丈夫か?」
こくこくと頷くアリステア。その顔は茹でプルプのように真っ赤っ赤だ。そこに焦り顔のパルックが顔を出して、緊急事態を告げてきた。
「大変だ! 揺れの衝撃でじいちゃんがギックリ腰になっちまった。俺は帆の操作から手が離せん、オッサンが舵を握ってくれ!」
「なに? オレは操船なんてやったことないぞ」
「指示は俺が出す! このままじゃ船が保たねえ。エルフの嬢ちゃんは浸水した部分の水を掻き出してくれ! これ以上浸水すると船が沈む」
その時、船がギシギシ…、バキベキ…と嫌な音を立てた。その音を聞いた2人は死の恐怖を感じ、生きるため、急いで持ち場に就くのであった。
数時間後…。
穏やかな波間を漂うレッツ爆漁号。船齢50年以上の老朽船は、奇跡的に猛烈な低気圧の嵐を乗り切った。生きるため嵐と格闘したアレックスとアリステアは、漁具が散乱する甲板上に仰向けになって、星々が輝く夜空を眺めている。
「生きているって、素晴らしい…」
「そうだな…」
(不思議なもんだ…。生きる目的も気力も何もかも無くし、惰性で依頼を受けただけなのに今は違う…。何故かアリステアと2人で依頼を完遂する気になっている…)
(アリステア…オレと同じ境遇の娘…。生きる目的を見失った少女。彼女には生きる目的を見つけて幸せになってほしい…。オレはそのための手伝いをしたい。だが、彼女が幸せになってオレから離れたら、オレは何を糧に生きていけば…)
夜空の星と疲れて寝息を立て始めたアリステアを見ながら、アレックスは答えの出ない問いをずっと考え続けた…。