第262話 エヴァリーナと愉快な仲間たち
帝都を出発して3日、ノルトライン市に到着した一行。獣人国家ウルへ至る中間地点までまだ1週間以上かかる。行程は道半ばどころか始まったばかり。しかし、エヴァリーナは既に精神的疲労がピークに達していた。
ノルトライン市の酒場で…。
「わーっはははは! ハインツ、気に入ったぞお前! 良く分かっているじゃねえか。女はおっぱいがあってこそナンボよ。巨乳最高! おっぱいこそ男の憧れ! 乳無し女なぞ価値がない! 例えれば塩の入っていない塩スープみたいなもんだ」
「正に然り。我が左目に宿りし「破壊の暗黒天使」が囁きかける…。男心を優しく抱擁する巨乳こそ至高かつ至上の存在…。ここで同志に邂逅するとは、正に暗黒天使の導き! ミュラー様、貴方に出会えて良かった! 感涙!」
ハインツは両手を上げて天井を見上げ涙を滝のように流す。その横でミュラーは左手の拳を握り締めて高々と掲げ、右手に持ったジョッキで酒を豪快に呷る。その様子をエヴァリーナは光を失った目で見ている。
「エヴァリーナ様、死んだ魚のような目をしてます」
「リューリィ…。貴方も顔色が悪いですわよ」
「まあ、あれを見れば…」
視線の先には肩を組んで酒を呷り、フランたち貧乳組の前で巨乳、巨乳と大声で連呼しながら高笑いしているミューラーとハインツの姿がある。
「く…、毒をもって毒を制するはずが、掛け合わさって猛毒になってしまった…」
「最悪の選択でしたね…」
リューリィが貧乳女子チームを見る。3人はテーブルを囲んで暗黒のオーラを発しながら酒をちびりちびりと飲んでいる。
「巨乳…。なんという妬ましい響き…」
ティラがぼそりと呟く。その目は既に死んでいる。
「フランさん。貴女のバストサイズは?」
「75。AA…」
「お見事です。ソフィは?」
「78のA。5年前から変わってない…」
「完璧です。さすが私の友」
「そういうティラは?」
「79。もちろんA」
「極秘情報によるとユウキちゃん17歳の主張激しいお胸は94のFだそう。しかも、噂だと14歳時点で86もあったとの話です」
「わたしとティラは20歳。はは…。すっかすかだよこの胸は。すっかすか」
「あたし、15歳なのに胸もお尻もペッタンコ。何もかも足りてない…」
3人はそっと胸に手を当ててどよ~んと俯く。その後ろでミュラーとハインツが巨乳コールを繰り返し、フランたちを見てさげすんだ目を向ける。フラン、ソフィ、ティラはイライラ度が天井上がりに上がり続け、目を合わせて頷き合うとグイッとジョッキを呷って酒を胃袋に流し込む。そして3人そろってすっくと立ち上がると、思いっきりミュラーとハインツを殴り飛ばした!
「ぐっはあ!」
「ひでぶ!」
ドンガラガッシャーンと、2人は盛大に吹き飛ばされ、他のテーブルにいたお客を巻き込んで転がった。ミュラーはゆらりと立ち上がると、にやりと笑う。
「おもしれェ…。ぶっ飛ばしてやる! 覚悟しろ、貧乳シスターズ! ハインツ、続け!」
「我の内なる魂に潜む闇の力を今ここに開放する! フフフ…、この力はもう俺には止められない…。戦いの荒野で死するのみ!」
「うるさい! 貴様らに貧乳女子の素晴らしさを教え込んでやる!」
「冥府魔道に生きる女ティラ。推参!」
「フランは怒った。貧乳シスターズの恐ろしさ、思い知れ!」
ミュラーとハインツはソフィたちと宿の酒場で大乱闘を始めた。周囲のテーブルが料理ごと倒され、客の怒号と悲鳴が上がる。慌てて酒場の主人と従業員が出てきて、乱闘を止めようとするが、酒の勢いも相まって乱闘は激しさを増す。
「ちょっと! ミュラー、ハインツお止めなさい!」
「ソフィさんもティラさんも、はしたないですよ!」
「お客さん! 止めて下さい!」
エヴァリーナやリューリィ、店の従業員が止めるが、酔っ払いたちは益々暴れまくる。そこに、巻き込まれた客が怒りの形相で集まって来ると「てめえら! 何しやがる!」と叫び、いきなりミュラーを殴り飛ばして乱闘に加わった。
カエルのように吹き飛んだミュラーを見て大笑いするソフィに女性客が盆バンバンを加える。それを見て助けに入ろうとしたティラの顔にパスタの載った皿が押し付けられ、顔がパスタまみれになり、フランとハインツがクロスカウンターを打ち合う。店内テーブルは全てひっくり返り、備品の壊れる音が響き渡って阿鼻叫喚の地獄の様相を呈している。
「ひええ~、私の店が、店が~。おい、憲兵隊だ。憲兵隊を呼んで来い!」
酒場の主人が憲兵隊を呼んで来るよう言いつけ、従業員は外に飛び出して行った。
「………悪夢だ」
目の前の惨状にエヴァリーナとリューリィは絶望感を漂わせる。そして2人の頭の中では「ここに居てはいけない」と心の声が囁いている。
「エヴァリーナ様、後はよろしく!」
「待て! 1人で逃げようとするなんてずるいですわ!」
逃げようとしたリューリィの首根っこを捕まえたエヴァリーナ。逃げようと暴れるリューリィを羽交い絞めしていると、通報を受けた憲兵隊員が店の入り口から大勢雪崩れ込んで来た。
「全員動くな! 帝国内務省憲兵隊だ! 全員騒乱罪で連行する。抵抗する者は公務執行妨害で逮捕するぞ!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「で、貴女の連れが貧乳をバカにされた事をきっかけに乱闘が始まったと。そう言うことですか」
「はい…」
「帝国宰相御令嬢のエヴァリーナ様ともあろうものが、連れを押さえることも出来なかったのですか? 乱闘のきっかけも実にくだらない…」
「全くもってその通り。面目次第もございません」
エヴァリーナは憲兵隊ノルトライン管轄署の1室で取り調べを受けていた。鉄格子のはまった小さな窓ひとつの部屋で、警部の身分証を持つ人物から尋問を受けている。記録担当の係官は小刻みに肩を震わせて笑いをこらえており、エヴァリーナは恥ずかしさで死にそうだった。
「あの、私たちは…」
「エヴァリーナ様とリューリィ様はもうお帰り頂いて結構です。ただ、居酒屋の店主から被害届も出ておりますし、賠償もあるでしょう。明日朝1番で店に来て欲しいと伝言を受けています」
「はい…」
「他の方々は留置場に1晩泊って頂くことになりますね。皆さん完全に酩酊状態なので。それとこの件は帝都の本部と宰相府には連絡させていただきます」
「ご迷惑をおかけしました。大変申し訳ありません…」
エヴァリーナとリューリィはそれぞれ別に事情聴取を受けていたが、解放されて入り口で合流すると憲兵隊の管轄署を辞する。そして、2人並んでトボトボと宿に向かって歩き始めた。エヴァリーナは情けなさと恥ずかしさ、自分の不甲斐なさで胸が押し潰されそうになり、自然と涙が出て来る。
「うっ…、うっ…」
「エヴァリーナ様…」
「帝都を出たばかりだというのにこの体たらく…。情けない…。私を信じて送り出してくれたお父様やお兄様の面目を潰して恥をかかせてしまった…。ぐす…うう…」
(あ~あ、早くもヴァルター様の心配が当たってしまった…。あの連中、エヴァリーナ様を泣かせて…全く…)
「こんな時、ユウキさんがいてくれたら…」
(いや、ユウキさんがいたらもっと酷い事になっていたと思いますよ。エヴァリーナ様)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌朝、留置場から出て来たミュラーたち一行。全員二日酔いで青い顔をしてふらふらしている。迎えに来たエヴァリーナは全員の頭をハリセンで1発ずつ叩いて、大きな声で怒鳴りつけた。
「この大バカ者! 私たちの任務を忘れて飲み過ぎ食べ過ぎ大乱闘って。何を考えているんですか! バカバカバカ! さあ、今からあの店に行って謝罪しますよ!」
「わ、わかった…。デカい声を出すな。キンキン声が頭に響く…」
「破壊の暗黒天使(ダークエンジェル)もごめんなさい」
「エヴァリーナ様、すみませんでした…」
「気持ち悪い…。吐きそう…」
「はいはい。フランさん、あそこの木陰に行きましょうね」
フランはリューリィに連れられて、駐屯地敷地に生えている木の根元に思いっきりキラキラしたものを吐き出した。リューリィは優しく背中をさする。
「ゲロゲロゲー」
「あーあ…、酸っぱ臭いなあ。女の子が朝ゲロってのも何だかなー」
エヴァリーナとリューリィは一行を引き連れて、大乱闘の現場となった酒場へやって来た。中は昨夜の惨状がそのまま残っていて、従業員が後片付けをしている。
「いやー、盛大にやってくれましたねー」
一行に店主が近づいて来る。口元は笑っているが目は笑っていない。
「あの、昨夜は大変すみませんでした…」
『すみませんでしたー!』
全員で頭を下げて謝罪する。店主は軽く手を上げて、頭を上げさせると、にやりと笑い、損害賠償の話をしてきた。
「さて、貴方たちには相応の責任を取ってもらいましょうかね」
その言葉にエヴァリーナはゾクリと背筋が寒くなり、嫌な予感がするのであった。