第190話 嵐と嘔吐のセレナーデ
リーズリットを出港して3日目、今までの穏やかな海とは打って変わって、発達した低気圧によって暴風雨となり、船は大しけの中で激しく上下左右にピッチングとローリングを繰り返していた。甲板では命綱を付けた船員が、帆を畳んだマストが折れて倒れないよう、ロープで固定する作業を必死に行っている。
ユウキもまた、船室で激しい揺れに翻弄されて船体が軋む「ミシッ、ミシッ」という音を聞きながら、ベッドにぐったりと倒れ込んでいた。しかも、揺れで体が飛ばされないよう、ベッドの枠を力いっぱい握っているので、直接揺れのダメージが体にきて、三半規管の中がぐるぐると揺れ、自律神経を刺激する。
「うぐ…ふ、船酔いがこんなにキツイなんて…。頭がグワーッと上がって、下にスーって下がって…、い、胃が…う、うぷ…」
「ダメ…吐きそう…。ダメ…美少女は嘔吐なんかしちゃいけないの…。ダ…、う、おぇええええ…」
ユウキは嘔吐用に船員が運んできたバケツに、思いっきり胃の内容物をぶちまけた。吐しゃ物が鼻に逆流して痛い。水筒の水で口を漱ぐと少しスッキリしたが、それも束の間で、再び嘔吐地獄に陥いった。
「はあ、はあ、もう吐くものがない…。ん…うっ、こ、今度は下から出そう、しかも大きい方…。び、美少女だって人間よ、出るものはでるんだからぁ~!」
ユウキは謎の叫びを上げると、ふらふらと部屋を出て、最下層にあるトイレを目指す。途中、解放されている大部屋の脇を通ると、大勢の乗客が横たわり、のたうち回っている姿が目に入った。その中にミュラーも見えたが、ミュラーはバケツに顔を突っ込んでピクリとも動かない。
「死屍累々だ…。うう、こ、黄門さまが決壊しそう…。トイレに、トイレに行かなきゃ…」
ユウキはやっとのことで、最下層のトイレに辿り着いた。しかし、そこにも船酔いした乗客が殺到し、便器に顔を近づけて嘔吐している。
「げ…、なんなの、ここは地獄なの…」
ユウキが驚きで呆然とした時、船がグワーッと上に持ち上がり、一瞬止まって、今度は下にズーンと下がった。ユウキは何とか手すりにつかまって耐えたが、トイレの前で嘔吐待ちをしていた乗客たちは、廊下の隅にゴロゴロと転がっていった。しかし、このお陰でトイレが空いた。
「や、やった。ラッキー! 神はわたしを見放さなかった。うん? まだ1人いるわね…」
ユウキは、まだ便器にしがみ付いている1人の襟首を掴んで、強引に引き剥がした。
「リュ、リューリィ…。ゴメン、リューリィ。美少女は漏らしちゃいけないの!」
リューリィを廊下に投げ捨てたユウキはトイレに入った。しかし、船が上下に揺れて体が安定せず、出るものも出ない。しかし、何とか踏ん張って、大を出すことに成功した。
「ふう…間に合った。一時はどうなるか…と…、うえええ! お尻を拭く古布がない!」
「ヤダ…、どうしよう。そうだ、リューリィ、リューリィそこにいる? いたら返事して!」
「う、ううん…オエッ。ユ、ユウキさん…?」
「リューリィ! よかった…。助けて! お尻を拭く古布がないの。その辺りに棚があるはず。その中を見て、古布があったら渡してちょうだい!」
「は、はい…。うっ、うぷ…」
リューリィは、込み上げる吐気や胃酸と戦いながら、周囲を見回すと「収容棚」と書かれている場所を見つけた。揺れる体を何とか動かし、棚を開くと古布がたくさん納めてあった。
「ユ、ユウキさん。あ、ありましたよ…。オエップ…」
「は、早く取って渡してちょうだい。お尻が乾いちゃう…」
リューリィは古布を鷲掴みにすると、ユウキに渡そうとするが、渡せる隙間が見当たらない。
「ユウキさん、戸を少し開けてくれませんか。布を入れる隙間がないんです」
「う、うん…。仕方ないわね…」
ユウキがスカートとパンティーを下げたまま、よろよろと立ち上がって、トイレの戸をほんの少し開けて手を出した。リューリィは布の束をユウキの手に握らせた瞬間、船が大きくローリングし、トイレの戸が「バーン」と全開になって、その勢いでユウキは下半身を丸出しにしながら、リューリィに覆いかぶさって床に倒れた。
「きゃああああっ! リューリィ、見ないで、見ないでぇーー! やだやだやだぁーー!」
「うわああああ! ユウキさん、早く離れて!」
「でも、今離れたらリューリィに大事なとこ見られちゃうよ! 恥ずかしいよ!」
「見ないから、目を瞑っているから! 早く!」
「う、うん。絶対目を開けないでね、絶対見ちゃだめだよ。やだー、もおー!」
ユウキは急いで立ち上がり、トイレに戻ってお尻を拭いて事なきを得たが、恥ずかしさと気持ち悪さがMAXで顔が赤くなったり青くなったりして、トイレから出ることが出来ないでいた。
そうこうしていると、船の動揺が段々酷くなり、吐き気が込み上げて来る。何とかそれに耐えていると、トイレの戸がドンドンと激しく叩かれた。
「ユウキさーん。早く、早く出て下さい! 吐き気が、嘔吐が、キラキラが出そうです! う、うげ…、うぷ…」
ユウキが「ゴメン…」と言いながらトイレから出ると、ダッシュでトイレに入ったリューリィは「く、臭いーーー!」と叫んで、「おえええっ、ゲロゲロゲロ…」と嘔吐し始めた。
「く、臭いって…、仕方ないじゃないのよー。リューリィのバカー、わああん!」
リューリィの心無い一言で大泣きし、失意のどん底に落ちたユウキが、嘔吐で体力を使い果たしたリューリィと支え合って、ふらふらと大部屋に戻って来た。ミュラーはバケツに顔を突っ込んで動かない状態のままだ。
その様子を見たユウキは無性に腹が立って、ミュラーの腹に思いっきり蹴りを入れた。「ゲヴォオ…」とカエルが潰されたような声を立てて、ミュラーがもんどり打って転がる。
「ミュラー、いつまでそうしているのよ。恋人のリューリィの面倒を見なさいよ! なんでわたしが辛い思いしなければならないのよ! 立て、立つんだミュラー!」
ユウキの理不尽な怒りがミュラーに炸裂した。ちなみに、ミュラーには何の罪もない。
「うう、ユウキちゃんか…。いきなりケリとはキツイぜ…」
ミュラーがふらふらと力ない様子で立ち上がる。その時、再び船が大きく揺れた。
「きゃああっ!」「うおっ!」
悲鳴を上げてユウキが床に倒れた。その上にミュラーが覆いかぶさって、ユウキの胸をを鷲掴みにし、顔を埋めてきた。これはミュラーが悪い。
「きゃあああああ! 何すんのよ! このスケベ、ヘンタイ、エロ野郎!」
ユウキが顔を真っ赤にして、ミュラーを巴投げで引き剥がし、床に叩きつけた。そして、胸を両手で隠しながら、ゲシゲシと何発もケリを入れ、走って自室に戻って行った。
「ミュラーさん…、大丈夫、ですか…」
「リューリィ、何だ、あの天国のような感触は…。ユウキちゃんのおっぱい…、至高の逸品だ。さすが俺の嫁…。でも、ユウキちゃんの体、ちょっとゲロ臭かった…。ぐふっ…」
ミュラーの意識はそこで途絶えた。
自室に戻ったユウキは、ベッドに突っ伏したまま動かない。
「もおーヤダ! ミュラーのヤツ、わたしのおっぱい鷲掴みにしてぇ…、絶対に許さない」
「嫌いよ、あんなヤツ…。大っ嫌い!」
「……南の大陸でもこんなエッチなハプニングに巻き込まれるのかな…。それだけは絶対に嫌だな。わたしは真っ当に生きて、幸せを掴むんだ…」
「はあ、今日は本当に大変な1日だったな…。もう疲れたよパトラッシュ…」
いつの間にか夜になり、低気圧は去って風雨も波も弱くなり、船の揺れも大分収まっていた。丸窓から暗い夜空を見ていたユウキは、いつしか、深い眠りに落ちて行った。
2021年最後は嘔吐とシモの話でした。
本当に酷い船酔いは、ユウキの様に上下にきます(実体験)