第157話 奇跡の治癒魔法
「お父様!」
フィーアが部屋に入ると、ベッドに寝かされたアレスの他に数人の侯爵家騎士とフィーアの母マーガレットがいた。騎士はフィーアの姿を見ると、剣を捧げて礼の姿勢を取る。フィーアは騎士に礼を返すが、激しく戦ってきたのか、全員ボロボロの姿をしている。
「お父様! お父様しっかりして! お父様、目を開けてください!」
アレスは頭や体にだけでなく、手足にも大きな傷を負っており、包帯の上にも血が滲んでいる。意識も失っていてフィーアの呼びかけにも答えない。
「お、お母様…」
「フィーア、王都で政変が起こって、財務局も私たちの家も襲われたの。騎士の方々がお父様と私を守って戦ってくれたんだけど、お父様が私を庇って斬られてしまって…」
「なんとか、ここまで辿り着いたのですけど、お医者様が言うには傷があまりにも深くて、もう助からないって…。う、ううっ」
「そ、そんな、う、嘘ですわよね…。そうよね…。そうだと言ってお母様ぁ!」
「お嬢様、申し訳ありません。我々の力が及ばないばかりに…」
「う、えぅ…、ぐすっ、み、皆さんよくやってくれました…。お父様も、お母様もよく連れてきてくれました…。あ、ありが…う、ううっ」
フィーアが、床に膝を着いて泣き崩れる。
部屋の入口から中の様子を見ていたユウキは、中に入ってフィーアを優しく抱きかかえると、涙でぐしゃぐしゃになった顔を拭いてあげながら話しかけた。
「フィーア、ボクに任せてくれない? もしかしたら助けられるかも知れない」
「ほ、本当に…?」
「うん、確実に…とは約束できないけど。どうかな?」
「お願いします! ユウキさんお願い。お父様を助けて、助けてください!」
「わかった。やってみる。じゃあお願いがあるんだけど、熱湯に浸けたタライを1つと、強いお酒をあるだけ持ってきて。できれば火が着くくらい強い蒸留酒をお願い。あと、清潔な布もたくさんあった方がいい」
「え、ええ。マリナ、今ユウキさんが言ったものを急いで持ってきてください」
「はい!」
しばらく待つと、メイドたちがユウキの注文したものを持ってきた。
「熱湯に浸けたタライ、蒸留酒…(ペロッ)、うえっ強い。こ、これなら大丈夫かな。あとは清潔な布っと。じゃあフィーア、ここはボクとマヤさんに任せて、みんな部屋から出て行って」
「は、はい。でも、タライとかお酒とか何に使うんですの?」
「それは後で説明するよ。早く出て行って」
ユウキは、フィーアたちを全員部屋の外に出すと、鍵をかけて誰も入って来れないようにした。そしてマジックポーチから布切り鋏を出してマヤに渡し、アレスの包帯を切って傷を露出するよう指示した。その間に、ナイフを使って熱湯の中からタライを取り出し、蒸留酒を半分程度入れて手を浸ける。
『ユウキ様、アレス様の包帯を切り終わりました。あの…、一体何をなさっているのですか?』
「ありがとう、マヤさん。マヤさんも同じように、ここに手を浸けて洗って」
『はい。あの…、これに何の意味が…?』
「あとで教えるよ。終わったら、蒸留酒でアレス様の傷を洗って、そこの布でキレイにしてくれる? あとはボクが治癒魔法を掛けていくから。最初は体からやるよ」
ユウキはマヤが傷口を洗っている間、アレスの心臓と呼吸を確認する。
「うん。弱々しいけど心臓は動いているし、呼吸もしている。これなら間に合うかも…」
『ユウキ様、体の部分は洗い終わりました』
「じゃあ、次は頭をお願い。頭が終わったら手足ね。布はその都度変えてね」
ユウキは、今一度、蒸留酒で手を消毒すると、アレスの傷に手を触れて、魔力を両方の手のひらに集中させる。治癒の力を持った魔力が掌に集まり、淡く緑色に光ると、少しづつアレスの傷ついた部分が修復され、塞がって行った。
廊下に出されたフィーアたちは、事の成り行きを見守っている。一体、部屋の中では何が行われているのだろうかと一様に不安になる中、カロリーナとララ、フィーアだけが、ユウキが行おうとしていることに期待を込めて待っている。
「お嬢様…。あの娘1人に任せて良いのですか?」と騎士の1人が聞いてくる。
「ええ、大丈夫です。私たちは彼女を信じて待ちましょう。それより、あなたたちボロボロですわよ。下がってよいので、入浴して食事と休憩をとってください」
「は、有難いお言葉ですが、我々も侯爵様が心配なので、ここに居させて下さい」
フィーアは騎士たちに感謝の言葉を送った後、再び部屋の扉に目を向けて、アレスが助かるよう祈りを捧げるのであった。
「ハアハア…、体と頭の治療が終わった。傷は深いけど、欠損している部位は無いからよかった…。これなら、ボクの魔法で治るよ。あっ!」
『ユウキ様危ない!』
ふらついて倒れそうになったユウキをマヤが慌てて支える。
『ユウキ様、一旦お休みになられては? 大分魔力を消耗しています。このままでは、ユウキ様が倒れてしまいます』
「マヤさんありがとう。でも、もう少しだから…。アレス様は数少ないボクの味方。何としても助けたいんだ。それに、フィーアの泣き顔は見たくない」
「あとは手足の傷だけ、もうひと頑張り行くよ」
ユウキは再びアレスの傷を治すため、治癒魔法を発動させるのであった。
ユウキがアレスの治療を始めてから数時間が過ぎ、見守る人々の間にも疲労の表情が浮かんでいる。さらに待つと、やっと扉が開いてマヤに抱きかかえられ、青ざめてぐったりしている様子のユウキが出て来た。
「ユウキさん! お父様…、お父様は、どうなのですか?」
『アレス様の怪我は治りました。呼吸も安定しています』
『ユウキ様は大変お疲れですので、お部屋で休ませたいのです。後片づけはお任せしても良いですか』
マヤがそう言ってユウキを連れて部屋に向かうと、カロリーナとララも着いて行った。残されたフィーアたちが、慌ててアレスの元に駆け寄ると、身体中にあった傷が綺麗になくなり、血色も良くなったアレスが眠っている。
「お、お父様…」
「う、ううう、うあぁあああっ!」
フィーアとマーガレットは、眠るアレスに抱き着いて、安堵から大声で泣き出し、ユーリカやヒルデも、思わずもらい泣きをするのだった。しかし、侯爵家の騎士やメイドたちは、今見ている光景が信じられず、呆然とするしかなかった。
(この部屋の中で一体何があったのだ? 瀕死の重傷を負った侯爵様が完全に回復なさっている。奇跡としか言いようがない。あの少女は何者なのだ。神なのか悪魔なのか、いずれにしても人間業じゃない…。そう言えば、確か彼女は魔女の噂があった娘だ…)
侯爵家騎士やメイドたちは、周りに散らばる酒瓶や血の付いた大量の布、そして、アレスに抱き着いて泣いている2人を見ながら恐れを感じるのであった。
ベッドに寝かされたユウキはスウスウ眠っている。マヤとカロリーナ、ララはベッド脇に腰かけてユウキの寝顔を見ていた。
「ユウキ、また無理して頑張っちゃったんだね…」
「バカだね…。治癒魔法の事、秘密にしなければいけないって自分が言ってたのに」
『はい、フィーア様の泣き顔は見たくないとおっしゃって…』
「ホントにバカだ。自分の立場、自分で苦しくして…」
「でも、ユウキらしい。私はそんなユウキが大好きだな」
「うん、私も」
『私も大好きです! そうだ、今のうちに新作の下着に着替えさせちゃおうかな』
「それは、やめてあげなよ…」
3人は顔を見合わせて「ふふふっ」と笑う。
「そう言えばマヤさん。ユウキが準備させた熱湯に浸したタライとお酒って何に使ったの。キレイな布は分かるんだけど」
『実は私にも良く分からないんです。お酒で手や傷を洗ったり、水でもいいと思うんですけど、何の意味があるのでしょうね』
「異世界の知識ってやつだね。たぶんそうだ」