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第110話 リンゴの思い出

 武術大会直前の休日、ユウキは女の子の日ですこぶる体調が悪く、ベッドの中で寝込んでいた。


「ユウキ~、今日の訓練は~。騎士団に行かないの~?」


 カロリーナがユウキの部屋に来て訊ねてくるが、動くことができず、布団の中から返事をするので精一杯。


「うう、今日はダメ…。しばらく軽かったのに、今回は重いの。動きたくない。ユーリカにお願いして…」

「あと、騎士団にはルイーズも連れて行ってあげて」

「うん、わかったよ。お大事にね」


 布団の中で痛みに耐えていると、朝食を食べに来ないユウキを心配してマヤがやってきた。ユウキの様子を見ると、一旦台所に戻り、お椀を持って再び部屋にやってきた。


『ユウキ様、これをどうぞ。気分がスッキリすると思いますよ』といって、机の上にお椀を置いて出て行った。


「これは、リンゴをすりおろしたものだ」


 ユウキがお椀を取って、スプーンで一口、すりおろしリンゴを口に入れる。冷たいリンゴは甘酸っぱく、口の中を爽やかにしてくれ、お腹の痛みも和らいだような気がした。


「美味しい…」

「何だろう。すりおろしたリンゴ、懐かしい感じがする。どうしてかな?」


 ユウキはリンゴを口に入れながら、色々と思い出そうとするが、


「ううん、思い出せない。まあいいや、リンゴのお陰でスッキリした。少し眠ろう」


 ユウキは思い出すのを諦め、ゆっくりと瞼を閉じ、眠りについた……。



 ユウキは今、真っ暗な場所に立っている。周りを見回しても何も見えない。不安になって友人の名を呼ぼうとしても声がでない。しばし悩んだ挙句、勇気を出して歩き出すことにした。


 真っ暗な中を歩くが、行けども行けども何も見えてこない。どの方角に向かっているかもわからない。胸の前で両手を握りしめ、不安な気持ちを押し殺して前に進む。


 どのくらい進んだだろうか。ふと見ると、遠くに小さな光が輝いていることに気が付いた。ユウキは光に向かって走る。光は黒い壁の隙間から漏れ出ているようだ。光の下にたどり着いたユウキが見ると、何となく扉の形をしているように感じた。ユウキは隙間に手をかけてゆっくりと開いていった…。


 ユウキが扉を開けると光の洪水が溢れてきた。眩しさで思わず目を閉じる。段々明るさに慣れてきて、目を開くとそこは6畳位の広さの部屋で、机とベッド、本棚が並んでいる。机の上には黒いランドセル。よく見ると、ベッドには男の子が寝ている。男の子は体調が悪いのか、赤い顔をして息が荒く、苦しそうだ。


(あの男の子…、ボクだ。そしてこの部屋、見覚えがある。ここはボクの部屋だ)


 ユウキが固まって男の子を見つめていると、どこからか女の子の声がした。


「優季、優季ったら、大丈夫? 風邪ひいちゃうなんてついてないわね」


(お、お姉ちゃん、望お姉ちゃんだ! お姉ちゃん! ボクだよユウキだよ。ここ、ここにいるよお姉ちゃん。こっち見て!)


 ユウキは一生懸命、望に呼びかけるが声は届かない。


「うん、熱はまだ高いわね。でも、間もなくお薬も効いてくると思うし、もう少しの辛抱よ。心配しないで、お姉ちゃんがずっとそばにいてあげる」

「ありがとうお姉ちゃん…。でも、風邪がうつっちゃうかも知れないよ」

「大丈夫よ~、お姉ちゃん体だけは丈夫だから。優季の方が心配よ」


 望が優季の額のタオルを交換しながら、安心させようと笑いかける。


「そうだ! 優季、昨日から何も食べてないでしょ。少し待ってて」

 望はそう言うと、パタパタと部屋を出て行った。


 ユウキは、呆然とこの光景を見ている。


(ボクは夢を見ているの? 夢だとしてもこんなにハッキリ見えるものなの? それに、この光景は覚えがあるような気がする。いつだったっけ…)


 ユウキが寝ている優季をじっと見ていると、パタパタと足音がして望が戻ってきた。


「優季お待たせ、リンゴすってきたよ。これなら食べられるでしょ。はい、アーンして」

「どう? 美味しい?」

「うん、冷たくて美味しいよお姉ちゃん。もっと食べたい」

「えへへ、優季は甘えんぼさんだね。はい、アーン」


(すり…おろした…リンゴ…)


(そうだ…、思い出した。この世界に来る少し前、ボクは酷い風邪をひいたんだ。そしてお姉ちゃんがリンゴを食べさせてくれた。ううん、その前も、もっと前もボクが病気になるたびに、お姉ちゃんはリンゴをすりおろして食べさせてくれてた)


(どうして、どうして忘れていたんだろう…。あんなに大好きだったお姉ちゃん。そういえば、最近思い出すことも少なくなっていた。どうして…、忘れちゃいけないはずなのに)


 ユウキの両目から大粒の涙が零れ落ちる。ユウキはその場に座り込み、両手で顔を覆って泣き始めた。


 望は優季に笑いかけながら、リンゴを食べさせている。ユウキは、望に気づいてもらおうと声を出そうとするが、声を出すことはできない。姿も見えないようだ。それが悲しくて、忘れていたという罪悪感も重なって、涙が止まらない。


(うわあああん! お、お姉ちゃん、お姉ちゃん、気づいて。ボクに気づいてよぉ。ボクにも、ボクにもその笑顔見せてちょうだいよぉ…。うわああん)


 ユウキは望に向かって必死に手を伸ばすが、届かない。それが悲しさを一層増幅し、ユウキの心を押し潰しそうになる。


(そう…だ、今のボクはユウキであって優季じゃない。お姉ちゃんの弟ではなく、女の子になったユウキだ。しかも、この体はお姉ちゃんから譲り受けたもの…)


(あそこにいるお姉ちゃんは14歳、今のボクは間もなく16歳になる。もうお姉ちゃんより年上になってしまった。こんなボクを見たらどう思うかな)


(気持ち悪いって思うよね。そもそも、優季って気づかない…。だって、ユウキは優季じゃない。でも、ボクのお姉ちゃんは望だけ。思い出は忘れちゃいけないんだ)


(だけど、この世界で暮らすうちに、日本のこと忘れてきているのも事実なんだ。もう、お父さんやお母さんの顔もおぼろげにしか思い出せない…)


 ユウキは望との思い出も含め、元の世界を忘れかけているという事実に胸が苦しくなる。そしてもう一度部屋の中を見る。そこには、もう望と優季の姿はなく、机もベッドも本棚も消えて、がらんどうな部屋だけが残されていた。


 ユウキは、何もない部屋を見て一層悲しくなり、また、わあわあと泣き出すのであった。



「…キ。…ウキ」遠くから自分の名を呼ぶ声がする。

「ユウキ! どうしたの」

 ユウキが自分を呼ぶ声で目を覚ますと、ララが心配そうに自分を見つめていた。


「どうしたの? 様子を見に来たら枕に顔を埋めてずっと泣いているじゃない。呼びかけても全然泣き止まないし。心配したよ」

「あ~あ、酷い顔。せっかくの美人が台無し」


「ララ~ァ」


 ユウキはララの胸に顔を埋め、泣きながら夢の中の話をした。そして、転移前の大切な思い出を忘れてきていることも…。


 ララは、ユウキを抱き締めながら、優しく語りかける。


「ユウキ、忘れてもいいんじゃないかな。ユウキはもうイシュトアールの人間よ。過去に縛られていては先に進めないわ。この世界の新しい出会いと体験を思い出にしていきましょう。いずれユウキに好きな人が出来て、結婚して幸せな家庭を築くかも知れない。未来にも素敵な思い出となることが待っていると思うよ」


「ララ~、うん、うん、ありがとぉ~。うえええん」

 ララはユウキが泣き止むまで、ずっと頭をなでてあげるのであった。

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