第8話 昼間のへおちゃん
今度の週末くらいから、へおちゃんに着ぐるみ役をしてもらいたいと、康介は町長に頼まれたという。
「へおちゃんも、それでいいって言ってるから」
康介はそう話す。
実際には、テレパシーだか何だかで、頭のなかに直接話しかけてくるらしいけど。それはきちんとした言語でなくて、イメージみたいなものも多いようだ。
しかも、言葉やイメージを送れるのは、一人の人限定とのことで、へおちゃんは康介としかやり取りできないのだ。
「だめとか言わないの? 本当に何でもやってもらって大丈夫なものなの?」
柚香が疑問を口にすると、康介は答えた。
「だめだったら、脳にノーってイメージが送られてくるはずだから、きっと平気なんだと思う」
脳にノーって、何か駄洒落っぽい。
そう思いつつ、柚香は突っ込んでいいのか分からなくて、やめておいた。
昼間、柚香はへおちゃんと一緒に給湯室で過ごしている。
康介が役場に出かけたのち、柚香はリュックサックから畳の上に絵本を取り出した。
途端に、宇宙人の子の垂れた耳がぴんと立ち上がる。
「へおっ、へおへお」
宇宙人のへおちゃんは、喜んでいるような声を出した。
「はいはい、そこに座って。読んであげるからね」
柚香は、ローテーブルの上に絵本を置いて、座布団を二つ並べた。へおちゃんと横に並んで座る。
柚香は絵本を広げて、読み始める。へおちゃんは大きな瞳でじっと絵本を見つめ、柚香の言葉を聞いている。
人間の子どもに絵本の読み聞かせをしているのと、全く変わりがない。
へおちゃんは宇宙人だけど、甥と姪の絵本を借りて持ってきたら、とても喜んでくれたのだ。
日本語というか地球の言葉を、どの程度知っているのかは不明だ。けれど、様子からすると、だいたいのことは理解できているように感じている。
読み聞かせが終わると、へおちゃんはおもちゃで遊ぶ。地球のおもちゃがどの程度分かっているかは不明だけれど。柚香の真似をして電車のおもちゃを動かしたり、積み木を高く積んだり、並べたりしている。
「へおちゃんは、男の子だと思う」
康介がそう話したので、姪っこのドールハウスなどは借りてこなかった。
さしあたって、今あるもので楽しく遊べるようなら、それに越したことはないと柚香は考えた。
柚香の姉の桃香は、六年前に結婚して四角川市に住んでいる。柚香より二つ年上だが、今では四歳の男の子と三歳の女の子の母親になっている。
年子の子どもの世話は本当に大変そうだ。夫が出張で留守のとき、桃香は子ども二人を実家に連れてくる。
ここ数年は柚香の父も母も、やってくる孫の世話に夢中だった。いつの間にか柚香も小さな甥と姪の面倒を見るようになっていた。
へおちゃんのお世話をすること自体は、思ったほど難しくなかった。何しろ、姉の子どもたちよりまるで手がかからず、素直なのだ。
甥っこ姪っこときたら、うるさくてわがままで、あちこち動き回って本当に疲れる。
へおちゃんは喋れないのに、そんな子どもより余程聞き分けがよく、こちらに協力的だ。
遠すぎてどこだか分からない星から来て、仮の名前で呼ばせてもらっている宇宙人に、地球人としては劣等感を持ちそうな気分だ。
昼食は、近所のパン屋で買った物を二人で食べることにした。
へおちゃんは何でも食べられると聞いたが、実際その通りだった。柚香は自分の好みのパンをいくつか選び、毎日の楽しみにした。
以前の職場では忙しすぎて、昼食さえもとれないことがあった。今とは天と地ほどの差がある。
へおちゃんと会話はできなくても、二人でご飯を食べるのはとても楽しい時間だった。
そのあと、へおちゃんは少しお昼寝をする。畳の上に布団を敷いてやると素直に入る。
時々転がりつつも、くうくうと寝息を立てながら、へおちゃんは眠る。
宇宙人は地球人のように夢を見るのかな。
柚香としては疑問なところだ。けれど、心地よさそうに寝入っているのを眺めていると、こっちまでふわふわとした気分になって、あまり考えごとには向かなくなるのだった。
幾日かすると、そんな過ごしかたにも慣れてくる。
柚香は暇な時間にできるように、編み物の道具を持っていくことにした。
数日後、へおちゃんのお昼寝のあとに時間ができたので、柚香はリュックサックから毛糸とかぎ針を取り出した。
「へおっ」
へおちゃんはすぐに、柚香の持ってきたものに興味を持った。
「これはおもちゃじゃないの。ごめんね。柚香のだよ」
柚香は説明しておく。
「こうやって、糸をこの針で編んでいくの。そうすると、生地になっていくんだよ。最初は鎖編みね。こう、糸を長く鎖のように編んでいくの」
「へおおっ、へおおおおっ!」
へおちゃんの反応は、今まで見たこともないほど大きかった。大きな目をきらきらと輝かせて、何か訴える。
「え、もしかしてこれ、気に入った?」
柚香は、鎖編みの毛糸をへおちゃんの目の前に持ってくる。
「へおへおっ、へおへおっ、へおへおおおっ!」
「何を言ってるか分からないんだけど、何か言ってるよね。どうしよう」
へおちゃんの編み物への反応に、柚香はかなり戸惑う。
そういえば「何かあったら、連絡くれよ」と康介は言ってたっけ。
柚香はスマホを取り出してみるが、もう四時近い。五時になると康介がやってくるので、それまで待つことにした。
「康介が来たら、テレパシーで説明してよ」
柚香がそうお願いしてみると、へおちゃんはおもちゃ箱へ向かって歩いていき、すぐに何か持ってきた。
つるつるとした金属製の小箱だ。
もしかして、康介が言っていた折り畳み式のボードかな。
柚香が思ったとおり、へおちゃんは立方体の箱を開いていった。
小さな手は五本の指が人間と同じようにあったが、手の甲にはふわふわした毛が生えている。その両手がちょこまかと動くのがまたかわいらしい。
やがて小箱は、五十センチ四方の薄い平らなボードになった。銀色の枠に白い画面がある。
「これ、メッセージボードよね。どうやって使うの?」
柚香は、キーボードにあたるものがないかと見回すが、どうやら何もなさそうだ。
へおちゃんが手をかざすと、突然画面が青白く光った。
「宇宙からのメッセージ!?」
柚香は身構えた。だが、そこには何も映っていない。
康介は何か話していたかな。
思い返してみても、やり方は何も聞いていなかったと思う。ただメッセージが来ていただけだったはず。それも、幼稚園児向けっぽい日本語が。
今回は真っ白なままだ。
へおちゃんはボードを置いたまま、なぜか毛糸を持ってきた。
「へおっ、へおへお」
「毛糸を使うの?」
「へお」
「もしかして、鎖編みがいるの?」
「へお」
どうやら合っているみたいだ。
かぎ針を持ってきて、柚香は鎖編みを始める。少し編んだところで、へおちゃんが急に両手を出した。
「これほしいの?」
柚香はそこで編み終わりにして、へおちゃんに渡す。へおちゃんはそれを受け取ると、ボードに向かう。
ボードの上に、柚香の鎖編みが乗る。
硬いつるつるした板の上に柔らかい毛糸の紐が乗っているのを見ると、何だか合わない。
直ちに掃き掃除をしたい気分になる。
「それ、何か意味があるのかな」
柚香が呟くと、へおちゃんは手を出した。もっと必要らしい。
鎖編みを更に作り出すと、しばらくして、またへおちゃんは両手をこちらへ向けた。渡すとへおちゃんは、更にボードの上に置いた。
そんなことを繰り返しているうちに、康介が交替にやってきた。