第57話 年明けまで *
その週末は天候に恵まれ、へお城の公園でも小さなイベントがあった。
そこで、徹太が着ぐるみを着て、今までと同じようにへお城のへおちゃん役をやってくれた。
「あら、着ぐるみ、変わったのね」
「本物みたいだったのは、どうしたの?」
などと馴染みの観光客から言われたりしたが。
さすがにへおちゃんと全く同じに着ぐるみを作ることはできなかった。それでも、何とか受け入れてもらったとのことだ。
閉館後に、徹太はお城のスタッフの人たちと一緒に受付まで戻り、くつろいで着ぐるみの頭をとろうとした。すると。
「へおちゃんは、秘密のゆるキャラなんですよっ。だめでしょ!」
松谷さんに勢いよく頭を押さえつけられてしまったそうだ。
ついでに、町役場のホームページには、こう書いてある。
『へおちゃんの本物そっくり着ぐるみは、十二月十二日をもって終了いたしました』
理由は、へお町の財政難とか何とか下の方に書いてあるらしいが、まあ、それで苦情は来ていないらしい。
翌週から、柚香のパン屋のアルバイトも始まった。
初めての仕事で戸惑うことも多い。それでも、おいしいパンの工程が分かるのは楽しかった。店主さんの人柄もよければ、職場の仲間にも恵まれて、のびのびと仕事ができている。
それに、柚香にはへおちゃんのお世話をして、いろいろ経験したこの三か月がある。
七年以上にわたる会社員時代には、これをやったと言えるものはほとんどなかった。それなのに、ほんの短い期間でできたことがいくつもあるような気がしている。それが自信になって、新たなことに立ち向かう力になっていた。
それから、もう一つ。
康介とは、二人でよく会うようになった。
町役場とパン屋が近いので、つい役場付近で待ち合わせて、町長と鶴田さんに目撃されてしまったことは、まずかったけれど。
「ど、どうしよう。よりによって、町長と鶴田さんに……きっと怪しまれたよね」
「俺もそう思う。参ったな」
柚香も康介も、二人が去ったあとに慌てふためいたが、遅すぎる。
「あともう一人……」
「えっ?」
康介の言葉に、柚香は訊き返した。
「前に、猪瀬さんに何となくからかわれたの、覚えてる?」
「猪瀬さん……?」
電車祭りでへおちゃんがへお電に乗って行ってしまったとき、車を出してくれた人だ。その猪瀬さんがからかうって、そんなことあったかな。
柚香には何も思い浮かばない。
「熱いなって言われたの、覚えていない?」
「そういえば、車のなか暑いって言われたから、窓開けたんだったような」
「それ、本当? 本気で暑いから窓開けたのか?」
「え、違うの?」
「違うよ。気づかなかった?」
柚香は分かった途端、自分の鈍感さに衝撃を受けた。
要するに、柚香と康介のやり取りを聞いていた猪瀬さんは、お二人熱いね、という意味で言ったのだ。
「実は昨日、役場で猪瀬さんにたまたま会ったから、あのときの車のお礼を言ったら、またからかわれたんだぞ。バイトの女の子と仲良さそうだったよねって」
「え、そんなことがあったの?」
「うん。猪瀬さん、時々仕事で役場に来るみたいなんだよ」
「そうなんだ……」
猪瀬さんには、電車祭りのときから康介と仲が良いと思われていたことになるんだなあ。
柚香は一瞬だけ感じ入る。
「特に町長は、まずいよなあ……」
康介の呟きには、神妙に頷くしかない。
相変わらず迂闊な二人だが、幼馴染から恋人同士への道をゆっくり歩いているようなところだ。
そうした環境の変化が、柚香にはみんなプラスになっていた。
柚香は、三人分のお弁当を作ることはなくなったが、何となく母と一緒に料理をすることは続いていた。
柚香の母は、夕食に柚香の作った一品の味見をする。
「うん、やっぱり桃香より柚香の作った方がおいしいわ」
「えっ?」
姉より上手なんて言われるとは思わなかった。
「桃香は本当に要領がよくて何でもできて、でも、どこか慎重さがないのよ。味つけも、柚香がレシピの通りやっているのとは比べ物にならないくらい適当だったのよ」
「そうなんだ」
まるで歯が立たないと思って、柚香は姉と一緒に手伝いはしなかった。だから、初めて聞く話だ。
柚香の母はにっこり笑う。
「柚香は、桃香に引け目を感じることは何もないのよ。二人とも幸せになれるってお母さんは思っているから」
「ど、どうしたの、急に」
母の言葉に、柚香はどもってしまった。
「この数か月で、柚香は急にきれいになったわね」
「ななな何言ってるの」
更に気が動転してしまう。
「ちゃんと彼氏とお付き合いしなさいね」
「何よ、もう」
柚香はその場を離れたくなって、お皿を運ぶ。
動揺していたせいか、そのままつんのめりそうになり、何とか踏みとどまる。
柚香が今、誰かしら男性と付き合っているのは、母には隠し切れていない。あの朝帰りの日に何があったのかは、うやむやになってしまったが。
相手が母もよく知っている康介だと分かったときには、どんな顔をするだろうか。
柚香は想像してみて、こっそり笑った。
クリスマスには、二人でイルミネーションを観るために都心へ出かけた。
プレゼントを交換することにしていたが、レストランで話をしてから一週間しか経っていない。
柚香は、マフラーを編んでプレゼントした。
康介は、へおちゃんグッズの詰め合わせをプレゼントしてくれた。役場にある限定グッズも入っていて、柚香には嬉しい贈り物だった。
夜遅くに四角川駅に戻ってきた二人は、駅前でへお電を見かけて、驚いた。
「えっ、電飾?」
「そういえば、役場で確か二十日から『クリスマスへお電運行』って聞いていたな。それじゃないかな」
へお電の前面には、サンタクロースの格好をしたへおちゃんの描かれたヘッドマークがついている。車体には、クリスマスのリースや星などの装飾があちこちに取りつけられていた。
そして、車両全体に赤や緑、黄色や青の電飾が光り輝いている。
都心のイルミネーションからすればささやかだが、それなりにクリスマス仕様だった。
「へお電も、いろいろ工夫して頑張ってるんだね」
柚香は少しばかり感心した。
夜空の下で煌めきながら、へお電はへお城方面へ向かって、走っていった。
年末には、映画を観に行くことになった。
「ちょうど、面白そうな映画を見つけたんだ。柚香も観たいと思うよ」
「えーっ、どんなのだろう」
柚香は康介と並んで歩きながら、映画館までやってきた。
入口付近には、いくつかの上映中の映画のポスターが貼られている。
「ほら、これ気になるだろ?」
康介が指差したものを目にすると、柚香は吹き出した。
「確かに観たいかも」
すると、後ろから声がした。
「あれ、もしかして羽鳥さんと竹原さん?」
振り返ると、徹太だった。
「ええっ、もしかしてお二人で映画ですかぁ」
町長からすでに聞きつけてしまったのか。
わざとらしい声に柚香はむっとして、口を開きかける。と、いきなり康介に肩を抱き寄せられた。
康介は、柚香の肩を抱いたままで言い切る。
「デートで悪いかよ」
「なっ……」
徹太は口を開いたままで詰まってしまった。
柚香は頬を赤らめつつも、実のところはちょっと嬉しい。
なお、こんなことをしてあとから思い返し、悶絶するほど恥ずかしいのは、当の本人たちである。
柚香は、鉄のように固まってしまった徹太を手助けしようとする。
「ね、徹太も映画、観に来ているの?」
「うん、子ども会の行事でね」
学校も冬休みに入っているのだろう。
少子化のせいか、近ごろの子ども会行事は、みんなで映画を観るということもあるらしい。柚香や康介の世代では考えられない話だ。
「着ぐるみ大変そうだけど、元気?」
「うん。それにしても、噂の二人に会うとはねぇ」
徹太は勢いよく盛り返してきた。
「じいちゃんが、僕は愛のキューピッドなんだって言ってたよ」
「えっ、愛の……」
柚香は気分がすぐれなくなった。
「キューピッド……」
隣で康介も顔色が悪い。
確かに、自分たちが付き合うきっかけは、町長のおかげもないわけではない。でも。
町長の天使姿を思い浮かべて、二人とも急速に気分が悪くなった。
口元を押さえる二人に、徹太は手を振る。
「じゃあね」
徹太は映画館の奥へ、友人たちと一緒に消えていく。
「こら、大人をからかうんじゃないのっ」
柚香は、羽の生えた町長の姿を脳裏から消し去って声を上げた。
柚香と康介のすぐそばに映画のポスターがある。これから二人が観るつもりの映画だ。
『エイリアン襲来! 二×××年、都庁上空を謎のユーフォー軍団が襲う! 人類は恐るべき異星人の攻撃から逃れられるか!?』
どうして、映画を作る人類は、こんなに凶悪な異星人を思い浮かべられるのだろうか。異星人がかわいいお友だちだと知っている側にとっては、滑稽としか思えない。
康介は柚香の手をとる。二人は映画館のなかへ入っていく。
柚香も康介も、あまりに激しい現実との落差に、ついそのB級映画を観てしまうのだった。
年が改まると、二人は一緒に初詣でに出かけた。
手を合わせる康介の隣で、柚香は願う。
ずっと康介と一緒にいられますように。へおちゃんにも、また会えますように。
柚香は、へおちゃんのことを時折思い返すのだった。





