第56話 柚香と康介
気を取り直して、柚香は尋ねる。
「へおちゃんが焼きそばパンが好きって話したときに、わたしがメロンパンを好きなのを知ったんじゃなかったの?」
「それもあるけど、幼稚園の写真のほうがインパクトがあったよ」
「……」
幼馴染に好かれると、こういうデメリットがあったんだな。
柚香は愕然とする。
「さっきのへおちゃんから聞いたって話、メロンパン買ってくる二日前だったと思う」
「えっ」
へおちゃんから聞いた話が何か分かって、柚香は驚く。もちろんへおちゃんが康介に、柚香は康介が好きだと伝えたことだ。
「それって結構前じゃない?」
電車祭りの話を聞いたくらいか。十一月の初旬だったと思う。
「そうだよ。隠しておくの、大変だったんだからな」
康介の言葉に、柚香は内心ぎくりとする。
そのころって、絶対に康介に自分の気持ちはばれないって考えていたはず。
「本当は柚香に好きだってこと言いたかったけど、そのときはへおちゃんのことも話さないといけないかと思って迷ったんだ。それに、へおちゃんにも俺の気持ちは当然ばれていたんだよ。柚香には絶対に言うな、男同士の約束だぞって言った手前、俺もなかなか話せなくなって」
「はあ」
異星人同士の約束ではなく、男同士の約束なのか。何だか不思議な気がする。
「へおちゃんが柚香に伝える手段はなかったと思うけどね。そのあとも俺、たくさん迷惑かけたから、帰る前の日にへおちゃんにもう一度確認はしたんだよ。そうしたら、へおちゃん答えてくれたんだ」
康介は間を置かずに言う。
「柚香は、康介もへおちゃんも大好きなんだって。へおちゃん、すごく楽しそうに伝えてくれた。へおちゃんって本当にいい奴だと思ったよ」
柚香は一瞬呆然とするが、ふいに笑いが込み上げてきた。
「へおちゃん、かわいすぎ!」
その言葉に、康介も一緒になって笑う。
宇宙人のへおちゃんが、柚香と康介のそれぞれの思いを知っていたのも、何だかおかしかった。
「それにしても、町長からへおちゃんのお世話をする人を探せって急に言われて、柚香に会うとは思わなかったなあ」
「それは、わたしだって同じだよ」
町役場の食堂で、二人で話をしたのが久しぶりの再会だった。あの残暑の日が随分遠くに思える。
あれから本当にいろいろあった。
まさか今、同じように向かい合い、こんなふうに話をしているとは。
近くのテーブルでは、四人の女性グループが談笑していた。その向こうには、若い恋人同士と思しき男女が静かに話をしている。くつろいでいる老夫婦の姿もある。
自分と康介はどう見えるんだろう。幼馴染とは少し違って映っているかもしれない。
「最初に柚香がへおちゃんと一緒に公園で、一生懸命やっている様子を目にしたとき、俺も頑張ろうって思えたんだ」
康介のひたむきな視線と出会い、柚香はどきりとする。
「今日こそちゃんと言おうと思ってた。いろんなことがあったけど、いつも柚香には助けられていたよ。ご飯作ってくれたし、たまにおかしな突っ込みをして笑わせてくれるし。柚香のこと、好きになった。風邪引いたときも文句ひとつ言わずに付き添ってくれて、本当にありがたかったよ」
「そ、そんな。わたし、当然のことをしたまでだよ。助けてもらっていたのは、私の方だよ」
まっすぐに言われて、柚香はどこか落ち着かなくなる。
「康介は、忙しくても手伝いに来てくれたし、わたしがドジなことしても文句言わないし、へおちゃんのことを考えていろいろやってくれたし、本当にいつも親切だったから」
話していくうちに、柚香は急に自信がなくなる。
過去にこんなことはなかったのだ。
「わたしがそんなに好かれることはないと思うんだけど。今までそんなふうに思ってくれる人、誰もいなかったし。わたし、桜井さんみたいにきれいじゃないし、しっかりしてないし」
柚香はつい口にしてしまった。桜井さんは余計だったかもと、話してしまってから気がついた。
「桜井さんは確かに話も上手で、みんなに好かれていたな。でも、桜井さんといてもご飯を食べたり話をしても、心は動かなかった。むしろ、やっぱり柚香じゃなきゃだめなんだと思ったよ」
「……」
柚香の胸に何か迫るものが感じられる。
「柚香とは一緒にいるだけで元気がもらえたんだ。毎日楽しかった。俺にとっては、柚香は特別なんだよ」
康介の言葉が、心にじわじわと染み通ってくる。
子どものころから姉と比べて、自分には特別な人などできないと思っていた。まして、誰かの特別な存在になんて、なれるわけがないと思っていた。
「……う、嬉しい」
特別な人の、特別な存在に。自分は今、なっている。
柚香は、胸から熱いものが込み上げてくるのを感じた。
「わっ、なっ泣くなよ。へおちゃんより目がうるうるしてるぞ」
康介がひどくうろたえる。
「……何、それ。へおちゃんよりって」
泣きそうなのに笑いたくなって、柚香は結局、笑顔になった。
柚香の様子を見守ってから、康介は告げる。
「最初のうちは、柚香はきっと自分のこと、単なる幼馴染としか思ってないだろうから、好きだと言えないって考えていたんだ。それなのに、へおちゃんが柚香の気持ちを伝えてくれて、すごく嬉しかったんだよ」
「わたしも、康介が幼馴染としか思ってくれないって考えてた。わたしの本当の気持ちが康介に伝わってしまったら、へおちゃんのお世話までうまくいかなくなっちゃうかもって考えて、怖かったの。でも、違ってて……よかった。私は康介のこと、特別だと思っていたから。だから、特別に思ってくれて、とても幸せな気分だよ」
柚香は、自分の気持ちをやっと全部伝えられたような気がした。
「へおちゃんが教えてくれたけど、柚香から直接言葉を聞きたかった」
「うん……」
だったら、さっきの勇気も、無駄ではなかったということか。
気恥ずかしくなって、二人は互いにコーヒーに手を伸ばした。
温まったカップから、香ばしい匂いが漂ってくる。
康介が一口飲んで、息をつく。
「話ができてよかった。ほっとしたよ。緊張して約束の二十分くらい前に着いたら、柚香がすでに来ているし」
柚香はこぼしそうになる。
「き、来ていたの……?」
「うん。柚香はいつもと服まで違うから、こっちは余計に緊張したよ」
「わたしだって、何だか改まって話があるって言われて、どきどきしたよ」
柚香はコーヒーを口に含む。品のいい味がやさしく感じた。
「そういえば、言いそうになったこともあったな。風邪引いたときに」
康介は思い出したように話す。
「頭がぼおっとしていたこともあって、その、柚香に好きだってこと、言いそうになったんだよ」
それは、もしかしてあのときの。
柚香には思い当たる節がある。
「言いかけて気がついて、くしゃみしたふりして止めたんだ」
「それ、すごく気になっていたの、何を言うつもりだったのかなって。具合悪いときのことをあまり追及してもいけないかと思って、そのままにしてたけど」
柚香は謎が解けて、ほっとするより笑ってしまった。
「だけど、それで一度は後悔したんだよ」
康介は真面目な表情を見せる。
「青い光の宇宙船を見つけたとき、柚香が徹太と一緒に拐われたかもって心配になったら、どうしようもなくて。こんなことになるんだったら、告白しておくんだったと真剣に思ったよ」
康介は付け加える。
「あ、柚香に連絡したときは、キャトルミューティレーションって答えたけど、あれは本気じゃないから」
「そ、そうなんだ」
柚香は、徹太が拐われたと思ったとき、咄嗟にそれを考えたことが気まずい。
けれど、自分だって康介とへおちゃんが男たちに捕らえられそうに見えたとき、告白しないままなんて嫌だと本気で思ったのだ。
「何だかいろいろあったよね。すごく充実したアルバイトだった」
柚香がしみじみと呟くと、康介は頷いた。
「みんなへおちゃんのおかげだな。楽しかったな」
「うん。へおちゃんと会えて、本当によかった」
柚香の心にへおちゃんとの思い出、さらにお別れが浮かんできた。
「へおちゃんがいなくなって、本当に寂しいな。でも、あのとき康介がわたしのことだ、だき……」
わたし、何言いかけてるの。抱きしめてくれた、なんて言えるわけないじゃないっ。
柚香は全身が熱く火照ってきて、思わず俯く。
よくよく考えてみると、あのときはどうしようもなくて、自分も康介の背に手を回して、ぎゅっと抱きしめてしまったような。
どうしよう。思い出したら余計に何も言えない。恥ずかしすぎる。
ちらりと康介の方を見ると、康介も真っ赤になって俯いていた。
わたしと康介って、レベルが一緒だったんだ。
何のレベルかは深く考えず、柚香は改めて言い直す。
「へおちゃんがいなくなって寂しかったけど、康介が一緒にいてくれたから、元気になれたよ。あのときはありがとう」
「うん。俺も柚香と一緒だったから、元気になれたんだ。ありがとう」
二人は何とか話せるように戻る。
コース料理は、すべてなくなった。
「今日、話ができて楽しかった。今度は写真持ってくるね」
柚香は自然と言葉が出てきた。二人ともうっかり写真のことを忘れていたのだ。
すると、康介が告げた。
「その、俺と付き合ってくれる? いつも必ず家まで送るから」
照れながら言うので、柚香も照れてしまう。
心の小舟がまたふわりと宙に浮かび上がる。
「家までって、すごくハードル低いじゃない」
つい突っ込みを入れてしまった。柚香の家の三軒先が康介の家なのだ。
「じゃあ、必要ない?」
いたずらっぽく言い出す康介に、柚香はゆっくりと告げる。
「ううん、毎回送ってもらう」
康介はにこりと笑った。
「それなら、今からそうするよ」
二人は見つめあった。
柚香の心の小舟はどこまでも自由に飛んでいく。





