第53話 へおちゃんの帰還
「へおへおへおおっ!」
へおちゃんは二人の異星人に向かって走る。そして、手を伸ばしてきたほうへ、ぽんと飛びついた。
へおちゃんの母親と思われる。その異星人はへおちゃんをしっかり抱き上げ、頬ずりする。何かテレパシーで伝えあっているようだ。
お父さんと思われる異星人がへおちゃんの背中を撫でている。親子三人、大喜びの様子だった。
「へおおっ、へおおっ」
へおちゃんは大きな声を上げてはしゃいでいる。
柚香も康介も、そのそばで佇む。
へおちゃんが両親と再会する様子に、じいんとした感動を覚えていた。やはり、へおちゃんたちも、地球人と同じように親と子のふれあいがあるのだろう。
お父さんの異星人が、柚香と康介の前へ進み出た。へおちゃんと同じもふもふの大人の異星人だが、瞳の奥にはどこか計り知れない知性が感じられる。
「地球の日本語でお話させていただきます。このたびは、わたしたちの息子を預かってくださって、どうもありがとうございました」
とてもきれいな日本語だった。へおちゃんが「へお」しか言わないのに、大人になればどんな言語も自由自在のようだ。
「いえ、こちらこそ、とても楽しい時間を過ごすことができました」
康介が話した。
言語とともにこちらの習慣にも合わせてくれているのだろう。全く違和感なく、話ができる。
「本当にありがとうございました。息子も楽しかったと言っています」
へおちゃんを抱っこしたまま、お母さんの異星人が話した。嬉しそうに瞳を輝かせている姿に、柚香は声をかける。
「よかったです。わたしたち、本当にへおちゃんと楽しく過ごして……あっ、へおちゃんって呼んでいたんです。よ、よかったんでしょうか」
柚香は唐突に気づいて、今更のようにおろおろする。
本当の名前は発音できず、コミュニケーション手段は音声だけではなく映像を伴うものだと聞いている。『へおちゃん』と呼んでよかったのかどうか全くもって分からない。
「へお町という名前なんですってね、ここは」
へおちゃんのお母さんは笑ってくれる。
「息子がいろいろと映像を送ってくれましたから。お城って建物でたくさんの地球人に会えたみたいで、楽しかったと言っています。どこへ行っても歓迎してくださったようで、本当にありがたいです」
柚香はその言葉に、口をぽかんと開けたまま何も言えない。
「……映像、送っていたんですね」
康介も気づいていなかったようで、呆然として呟いた。
考えてみれば、高度な文明を持つ種族、そのくらいは簡単にできるのかも。
宇宙船から分離したカプセルを丸ごと見えなくする技術があるのだから、多分小型カメラを見えないようにして撮影することもできるのだろう。
「あの、実はこの地域のキャラクターとして……何というか、使わせていただいてしまって……それで地球人がいっぱい来たんです。その、すみません」
柚香は何と話したらいいものか、分からないながらに謝った。
「謝ることなんてありませんよ。この子には本当に楽しい旅行になったようですから」
「はあ、そう言っていただけると、助かります」
柚香と康介は、異星人にぺこぺこ頭を下げた。
「いや、本当にこちらこそ、急なことで三か月も預かっていただいて、大変助かりました」
こちらも、地球人にぺこぺこ頭を下げる。
何だか、異星人同士でのコミュニケーションという感じがしないのだが。地球の方に合わせてもらうと、こんなものなのかもしれない。
「へおっ、へおっ」
へおちゃんが、お母さんの腕のなかで何か話す。お母さんはへおちゃんを下ろした。
「へおへおへおっ」
へおちゃんは、柚香と康介からもらったお土産の袋を見せる。
「まあ、おいしいものをもらったのね。人形も?」
へおちゃんのお母さんは、お土産を一つ一つ取り出す。柚香の編みぐるみを見つけると、大きな手のひらに乗せてゆっくりと眺めた。
「とても素敵。ありがとうございます」
「いえ、たいしたものじゃなくて。でも、もらってくれたら嬉しいです」
柚香は照れてしまう。何しろ、宇宙人に編み物を褒められるなんて、滅多にあることではない。
「食べ物は、あとで家族でいただきますね」
その言葉を聞いて、へおちゃんは「へおへお」と嬉しそうに話した。
「あの、こちらからも何か差し上げられたらいいのですが、実は文明に干渉する危険性があるので、今は何も贈り物ができないんです」
申し訳なさそうに、へおちゃんのお父さんが話した。
「そんなこと、気になさらないでください。へおちゃんにはご当地キャラクターとして本当に活躍してもらったので、それで充分ですよ」
「そうですよ。たくさん思い出もできましたし。こちらも写真で振り返れますから」
柚香と康介が話すと、へおちゃんの両親はにっこり笑った。
「ありがとうございます。それでは、名残惜しいのですが。この子がお土産を食べたいみたいなので」
その言葉に、柚香も康介も少し笑ってしまった。
「へおっ、へおへお」
へおちゃんは、柚香と康介のすぐ前までやってきた。
「よかったね、へおちゃん」
「よかったな、会えて」
柚香と康介が言葉をかける。
「へおへおっ」
「そうだな、楽しかったな。ありがとう」
しんみりと康介が言い、へおちゃんの頭を撫でた。
柚香は、急にお別れのときが来たことを感じた。
何か言い残してないかと思いを巡らせてみるが、何も出てこない。切ない気持ちが溢れ出すのをせき止めるだけで、精一杯だ。
何も言わずに少しだけかがんで、柚香はへおちゃんをぎゅっと抱く。ふわふわと柔らかいへおちゃんの感触が心地よい。とても温かい。
惜しみつつも離れると、へおちゃんのぬくもりは、冷たい風のなかに溶け込むように消えていく。
柚香はへおちゃんの手を握った。いつもつないでいた小さな手を。
「またいつか地球に来てね」
「へおっ」
柚香には、へおちゃんの返事が「きっと行くよ」と聞こえた。
「それでは、そろそろ。本当にありがとうごさいました」
へおちゃんの両親が丁寧にお辞儀をする。柚香と康介もそれに倣う。
柚香はへおちゃんに何か言いたいけれど、うまく言葉が見つからない。それでも、最後に残る思いは、やはり感謝だと思う。
「へおちゃん、ありがとうね」
笑って、さようならを言う。そう決めたのだ。
柚香は何とか笑顔を作る。へおちゃんの潤んだ瞳に、きっと自分の笑った顔が映っているはず。
胸が締めつけられるような思いを振り切って、柚香は手を振る。
「ばいばい、へおちゃん」
「またな、へおちゃん」
康介も手を振ると、へおちゃんも振り返した。
「へおへおっ」
へおちゃんは母親に抱っこしてもらい、また小さく手を振る。
柚香と康介も手を振り返して見送る。
やがて宇宙船のなかへ、へおちゃんと両親は入っていった。
もう一度、へおちゃんが抱っこされたまま手を振り、両親は頭を下げる。小さくなった異星人たちの前に、宇宙船の扉が静かに閉まった。
銀色の宇宙船は赤い光を放って、音もなく空へ浮かび上がる。そうして、あっという間に星の彼方へと旅立った。
エネルギーがいっぱいになった宇宙船は、追っ手をかわして順調に進むだろう。
しんとした夜空が戻ってきた。今までのことが夢であったかのような、変わりのない満月の晩だ。
「よかったな、無事に帰れて」
「うん……」
柚香は康介の言葉に頷いた。
「行っちゃったな……」
康介は呟いた。柚香は返事をしようとしたが、うまくできない。胸に熱いものが込みあげてきて、何も話すことはできない。
「柚香……?」
康介の呼びかけに、柚香は初めて自分が泣いていることに気がついた。
康介は柚香に近づくと、手でそっと柚香の涙を拭った。
「寂しくて……」
言いかけた途端、柚香は急に胸がいっぱいになって、涙が溢れてきた。
へおちゃんは空の向こうに行ってしまった。あのぬくもりはもう戻ってこない。
けれど、同じ気持ちを共有できる人が目の前にいる。
今だけは、甘えさせて。
柚香は、康介の胸に飛び込んだ。そのつもりだったのに、いつの間にか康介に抱き寄せられていた。
柚香の背を抱いている康介の両腕に力がこもるのが分かった。
いつもよりずっと近くで、康介の囁く声がした。
「俺も、寂しいよ……」
星々が静かに瞬いている。月が二人を照らし出す。
へおちゃんの宇宙船が消えた寒空の下、柚香と康介はいつまでも寄り添い合っていた。





