第51話 拐われる
四人で片づけをして、へおちゃんにお土産をきちんと持たせる。
康介はしんみりとした口調で、へおちゃんに声をかける。
「こんな片田舎の町でごめんな。へおちゃんはパパとママと一緒に、観光旅行に来ていたんだよね。ここじゃ全然地球観光にならなかったよな。いつかピラミッドとかさ、有名なところにおいでよ」
「へおおっ」
へおちゃんの返事に、康介が驚いたような表情を見せた。
「え、地球……中心……」
「何、康介?」
柚香が尋ねると、康介は告げた。
「へおちゃんには、へお城が地球の中心だって。片田舎も何もないって」
柚香は穏やかな気分で、微笑んだ。
「宇宙から見たら、どこでも地球の上は地球の中心かも。でも、そう言ってもらえると嬉しいね」
「へおへお」
へおちゃんが楽しそうに声を上げた。
そのとき、扉を叩く音が聞こえた。
やってきたのは鶴田さんだった。
「こんにちは。みなさん準備はできましたか。羽鳥さんとあの、宇宙人さん、どうぞ車に乗ってください」
遠慮がちに話す鶴田さんに、康介は頭を下げる。
「今日は本当にお世話なります」
「へおお」
へおちゃんが鶴田さんのところにやってきた。ふわふわした毛の右手をそっと前に出す。
「鶴田さん、へおちゃんが握手だそうです」
康介が促すと、鶴田さんは「えっ」と一瞬ためらい、へおちゃんに視線を向ける。
「へおへおっ」
うるうるっとした澄み切った瞳で、へおちゃんが鶴田さんを見つめる。
へおちゃんの姿に、鶴田さんも心が解けたようだ。途端に笑顔になった。
「本当にかわいい宇宙人さんですね。どうぞよろしく」
鶴田さんとへおちゃんはしっかり握手をした。
西口の駐車場までみんなで歩き、鶴田さんの車にへおちゃんと康介が乗ることになる。
へおちゃんは、目立たないように焦げ茶色のコートを着てフードを被っているので、今は着ぐるみにも宇宙人にも見えず、妙に太った子どものようだ。
「へおおっ」
「そうだな。へお城ともお別れだな」
「へおっ」
「うん。写真見て思い出しなよ」
康介とへおちゃんは感慨にふけりつつも、車に乗り込む。
康介は窓を開けて、柚香を見つめた。
「それじゃ、森林公園で。徹太をよろしくな」
「うん。気をつけて」
もっと何か言うことがある気がしたが、これしか言葉が出てこない。
「柚香も気をつけて」
車は、へお城を遠去かっていった。
柚香と徹太は給湯室へ戻り、町長からの連絡を待つ。
最初は町長の車の方が先の予定だったが、会議が長引いたとのことで、鶴田さんの方が先になったのだ。
康介とへおちゃん組、柚香と徹太組とで、それぞれ時間と場所を変えて森林公園に向かうことにしていた。
徹太は着ぐるみに着替える。夕方になって気温も下がってきたので、水色のジャージを着たその上にへおちゃんの着ぐるみを着ることになった。
柚香のスマホが鳴る。
「町長、着いたのかな」
ところが、康介からだった。
「康介、どうしたの?」
「柚香、曇ってきた。月が。月が隠れたら追っ手が来るかもしれない。気をつけて」
連絡を終えて、慌てて外を確認する。
昼間とは違い、暗くなった空にたくさんの雲が棚引いている。
柚香は不意に寒気を感じた。
「まずい。徹太、本当に活躍してもらわなくちゃならないかも。どうしよう。町長の車が来たら、とにかく現地へ行かなくちゃ。康介とへおちゃんも本当に心配だよ」
自分でも何を言っているのか分からなくなりそうだ。柚香は急に緊張してきた。
スマホが鳴った。今度こそ町長からだった。
「竹原君?」
「はい、町長。今どちらですか」
「あと数分で東口に着きそうだよ。危うく道を間違えそうになったんだけどね、たまたま看板があって何とか」
柚香は町長の話を遮る。
「町長、雲が出たんです」
「蜘蛛? 給湯室に巣があったのか」
この深刻なときに、何ということを。
「違います。そっちじゃなくて、空の雲です。月が見えなくなったら追っ手が来るかもしれないんです。とにかく徹太君と一緒に東門に行きますから、待っててくださいね」
柚香は通話を切ると、着ぐるみの徹太と外へ出た。
風が強い。雲がどんどん流れていく。
寒いなと柚香は両手で腕をこすって気がついた。やっぱり慌てていたのだろう。コートを着てくるのを忘れている。
「ごめん、徹太。コート忘れたから、先に東門へ向かっていて。すぐ行くから」
柚香は徹太に言い置いて、踵を返す。徹太の声が後ろから追ってきた。
「ゆっくり歩いているから、慌てて転ばないでよ」
「わ、分かった」
小学生に転ばないように心配されている。大人としてはちょっと情けない。
柚香は何とか気を落ち着かせ、コートを手にして再び外へ出る。
風が吹く。月が。
柚香は気づいた。月に半分雲がかかっている。
見る見るうちに、月が隠れてしまった。
大変だ。
柚香はコートを着ると、走った。着ぐるみが見えてくる。
暗くてはっきりしないが、着ぐるみを着た徹太は、イチョウの木に寄りかかって待っているようだ。
「徹太」
呼びかけたが、まだ聞こえる距離ではない。さらに走ろうとしたとき、突然空に青白い光が現れた。
青い光を放つ楕円形の物体が急速に近づいてくる。
追っ手の宇宙船に違いない。
「徹太!」
叫ぶが、声は届かない。
音もなく接近した銀色の円盤から、イチョウの木々に青い光が降りそそぐ。
巨大な宇宙船から発する光は、着ぐるみを包み込む。ふわりと宙に浮く。次の瞬間、するすると宇宙船のなかに吸い込まれる。
「……!」
柚香の叫びは声にならない。
まさか、まさか徹太が宇宙船に吸い込まれてしまうとは。
宇宙船は上空へと瞬時に移動し、あっさりと見えなくなった。出来事のすべてが常識では考えられないスピードだ。あまりにも素早くて、何一つ行動できない。
「徹太が……」
徹太が異星人の宇宙船に拐われて、行ってしまった。
キャトルミュ何とかという言葉がなかっただろうか。
手足が震える。
確か放牧している牛だか羊だかがユーフォーに連れ去られて、変な風になって戻ってくるとかじゃなかっただろうか。徹太が牛と同じことになってしまったら。
考えると、怖くてどうしようもなくなる。
柚香は、背中に氷が突き刺さったような冷たさを感じる。頭の芯が痛み、体中ががたがたと震え出した。
一体どうしたらいいの。こんなことになるなんて。
地球人なら、着ぐるみ作戦はうまくいった。けれど、今度の相手はれっきとした異星人だ。地球とは異なる高度な文明を持つ相手。
拐われた徹太を一体どうすればいいの?
「徹太……」
放心状態で、柚香は呟いた。
そのとき、がさがさと落ち葉を踏み分ける音がした。
「あれっ、着ぐるみがない」
素っ頓狂な声に振り返ると、ジャージを着た徹太の姿があった。
「え、徹太……?」
目の前の徹太が信じられず、柚香は声が続かない。
「公園のトイレに行ってたんだ。ごめんなさい」
「……」
「着ぐるみ、トイレ行くのに邪魔で脱いじゃったんだけど、誰かに取られちゃったのかな。どうしよう、竹原さん?」
柚香はその言葉に、やっと徹太が幽霊じゃないと分かった。
「徹太あああああっ」
安堵のあまり、柚香は徹太に抱きつくのだった。
そこへ柚香のスマホが鳴った。康介からだ。
「柚香! 宇宙船来なかった? そっちは無事か? 徹太は大丈夫か?」
余程心配してくれたのだろう。いきなり質問攻めだ。
「とりあえず、無事だから」
返事をしながら、やっと自分も落ち着きを取り戻す。
「わたしも徹太も大丈夫なんだけど、一つだけ困ったことが」
「何? 何かあったのか?」
「宇宙船、来たのよ」
「やっぱり。そっちに行ったと思ったんだ。何もなかったのか?」
「実は、着ぐるみが拐われちゃったのよ」
「へおちゃんの着ぐるみだけ? 何で?」
この質問に上手に答えられるだけの余裕は、柚香にはまだなかった。
「それはあとで説明する。それにしても、新品だっていうのにどうしよう。町長に謝らないと」
「その件は、二人で改めて謝りに行こう。それより町長は?」
「あと数分で着くと思う。また連絡するね」
柚香が通話を終わらせようとすると、康介がほっと一息ついて、話した。
「よかった。実は最悪の事態を考えちゃってさ」
「最悪って?」
柚香の質問に、康介は急に口ごもり、ためらいつつも答える。
「ほら、キャトルミューティレーションとかって、聞いたことある? 牛がユーフォーに拐われて、何かおかしくなって見つかる奴。そっちに宇宙船が現れたから、もしかして二人とも誘拐されて牛みたいになっちゃったらって思ったら、気が気でなかったんだよね」
「嫌だ。変な想像しないでよ」
自分だってしたくせに、柚香は康介に文句をつけた。
ついでにキャトルミューティレーションとは、アメリカで牛や豚などの家畜の死体が異常な状態で発見された現象のことだ。
ユーフォーに連れ去られることとは、直接関係はない。
柚香も康介もちょっと間違えている。宇宙船に拐われるというなら、アブダクションである。





