第46話 お願い、逃げて
柚香はどうしていいか分からない。
康介が町長から聞いた話は、思いがけないものだった。
へおちゃんを捕まえようとする人間がいる。それも、すぐここに来るかもしれないのだ。
康介は、パン喰い競争で使った角材を手にした。まさか、こんなものが武器になろうとは。
「俺がへおちゃんと逃げるから、柚香は公園をすぐに出るか、それともジョギングしているふりとかして、追っ手から怪しまれないようにするんだ」
「そ、そんな」
柚香は急に喉が乾いたようで、うまく言葉が出てこない。
「早くしよう。すぐにでも追っ手が来るかもしれない」
「うん……」
何とか返事をするが、康介とへおちゃんが追われるのに、自分だけが逃げるのは心が苦しい。
「やっぱり、わたしも。わたしも一緒に行くよ。みんなで逃げようよ」
追われるのは怖い。でも、二人だけにしたくない。
「柚香は一緒に行かない方がいい」
「でも……」
分かっている。けれど、そう簡単に受け入れることはできない。
柚香は唇を噛んで俯く。康介は静かに告げた。
「女の子を危険な目に遭わせるわけにはいかないよ」
思わず顔を上げた柚香と康介の視線がぶつかる。
柚香ははっと気づく。こんなときに心が揺れ動いてどうする。
心の小舟をがしっと掴む。
「分かった。だけど、本当に気をつけて」
柚香はやっとの思いで続ける。
「絶対に、絶対に捕まらないで」
康介が小さく頷く。
「大丈夫、絶対に逃げるよ」
「へお……」
小さく声を出したへおちゃんの瞳には、不安の色が映っている。柚香はへおちゃんのそばに寄り添う。
「ごめんね、へおちゃん。康介と一緒に逃げて。きっとまたすぐに会えるよ」
柚香は、へおちゃんのふわふわの背中に手を回して、ぎゅっと抱きしめた。
「へおへお」
柚香の気持ちが分かったのか、へおちゃんはやがて柚香から離れて、康介と手をつなぐ。
「行くぞ」
三人は給湯室を出る。
柚香と康介は互いに頷く。何も言うことができなかった。
康介とへおちゃんは西門へ、柚香は東門へと向かう。
柚香は祈る。
お願い、二人とも必ず逃げて!
柚香はしばらく走ったが、息が切れてきて立ち止まった。
東門はもう少し先だ。しかし、康介とへおちゃんが無事逃げられたかどうかが気になって、公園からなかなか出られない。
日はすっかり落ち、辺りは急速に暗くなってきた。
前方で車のライトが光った。一台の黒い車がこちらに向かって、急発進してきた。
柚香は慌ててよけたが、車はスピードを落とさず、砂利道まで乗り上げてから突然止まる。
なかから男が二人出てきたので、柚香は嫌な予感がして、急いで木の陰に身を隠した。
「あれがへお城らしいぞ」
「はあ? 公民館じゃないのか」
「いや、普通のお城よりずっと小さくてぼろいって話だから、多分あれだ」
サングラスの男と大柄な男が、へお城のことを話している。柚香はまさかとは思いつつ、聞き耳を立てる。
「本当に宇宙人が住んでいるのか?」
「へお町役場で匿っているって話だ。ここで合っているぞ」
柚香の心臓が急激に鳴り出す。間違いない。あの二人がへおちゃんを捕まえに来た追っ手だ。
町長の言うとおり、本当にここへやってきたのだ。
柚香は唾を飲み込む。
やがて、男二人はお城のなかへ入っていった。給湯室に行くのだろう。
柚香は気になって、そのまま暗がりから窺う。
男たちは部屋のなかを探っているようだ。
康介もへおちゃんも、今はもう公園から出ているだろう。二人が逃げたあとで本当によかった。
ほっと一息つく。
それにしても、自分はどうすればいいのかな……?
柚香は急に思い至った。
もしかしたら、男たちがすぐに戻ってくるかもしれない。そのときに鉢合わせしそうで、身動きが取れないではないか。
さっさとわたしも逃げたほうがよかったのかも。どうしよう。
だいぶ暗くなったので、そんな簡単に自分は見つからないはずだ。
でも、逆に万が一姿を見られてしまった場合、この公園に何の用があるのか疑問に思われそうだ。
さっき康介はジョギングでも、と言った。けれど、この暗さと寒さのなか、片田舎の公園を走っているのは、もはや不自然にしか見えない。
宇宙人の仲間かと疑われたりしたら、わたしも捕まっちゃうかも。「ワレワレハ、ウチュウジンダ」とかふざけたことを言っても、本気にされちゃうかもしれない状況なのでは。
そんなことを考えると、柚香はますますここから出られない。
へお城からばたばたと足音が聞こえてきた。先程の二人が出てきたようだ。
「いないな。鍵もかかっていないし、遠くへは行っていないだろう」
「その辺にいるんじゃないのか。弁当を買いに行っているだけとか」
「宇宙人、弁当食べるのかな」
大柄な男の言葉に柚香はぎくっとした。へおちゃんなら、コンビニ弁当でも自分の手作り料理でも何でも食べるのだけど。
「食べるんじゃないか。匿っているったって、もう三か月くらい前からだろう? 噂じゃ、満月の日に空から落ちてきたらしいからな」
サングラスの男が答えた。
「本当かねぇ。俺は今でも宇宙人なんて信じていないんだが」
「そんなこと言って、もし本当だったらどうするんだ。脅してでも捕らえないとな」
男二人は話しながら、お城から外へと歩き始める。
柚香は男たちの姿を認めると、木の陰にさらに縮こまるようにして隠れる。
もしも見つかったらと思うと怖くてたまらない。大きな木に触れた手が震える。
男たちが早く去ってくれればいいのに。
「あっ、お前っ」
突然、サングラスの男の叫ぶ声が聞こえた。
何だろう。
柚香は陰からそっと覗いてみて、激しく気が動転する。
へおちゃんだ。康介もいる。
へおちゃんと康介が、なぜかこちらに向かってきている……!
見間違えではなかった。へおちゃんと康介がどんどん近づいてくる。
どうして? どうして、二人がここに来るの? 逃げたんじゃなかったの?
柚香は悲鳴を上げたいのを必死でこらえる。
男二人は、康介とへおちゃんの前に立った。
「そいつは宇宙人だろう? 痛い目に遭いたくなかったら、さっさと渡しな」
屈強そうな大柄の男が、威圧するような声を出した。
康介が脅かされている。どうしてこんなことに。
お願い。へおちゃんと一緒に早く逃げて。
柚香は懸命に祈る。
「宇宙人?」
康介が答えた。
「分かってるんだぞ、こっちは。お城の推進室とか何とかにずっと匿っていたんだってな。抵抗すると、お兄さんもひどい目に遭うぜ。その宇宙人だって、こっちは別に殺したっていいんだ。解剖するのが目的なんでね」
康介とへおちゃんが危ない。殺したっていいなんて、信じられない。そんなの絶対に嫌!
「どうして宇宙人だと思うんですか」
意外なほど、康介の声は落ち着いていた。だが、男二人に対し、いくら何でもへおちゃんを守って康介が敵うわけがない。特に大柄な男の方は強そうで、怖いとしか思えなかった。
康介は、パン喰い競争の木材も手にしていないようだ。
変なこと言ってないで、早く逃げて!
願いつつも、無理そうな状況だ。大柄な男が康介の後ろに回り込み、康介とへおちゃんには逃げ道すらも残されていない。
このままでは、へおちゃんも康介も殺されてしまうかもしれない。
柚香は闇に呑みこまれるような恐ろしさを感じる。
絶対に嫌だ、と思う。
へおちゃんを必ず無事に宇宙へ帰したい。
ここまで頑張って着ぐるみ役も手伝ってきた。三か月の日常すべてをここで終わりになんかしたくない。かわいいへおちゃんに何かあるなんて、絶対に嫌だ。
康介に何も言わずにいるなんて嫌だ。ついさっき康介に女の子、と言われた。年齢からしたら自分は全然女の子と呼べないんだろうけど、それでも心がひどく乱されてしまった。
幼馴染だけどそれだけじゃなくて、一人の女の子として康介が好きだってことを、やっぱり知ってほしい。告白しないままなんて、絶対に嫌だ。
このまま康介とへおちゃんが捕らえられたりしたら、絶対にだめだ。
柚香がこう考えたのは、ほんの一瞬の間のことだった。
前にいたサングラスの男が、突然へおちゃんに掴みかかった。
「いいから、そいつをよこせ」
次の瞬間、何かが吹っ飛んだ。
へおちゃんが。
へおちゃんの頭が飛んで、地面に転がったのだ。
へおちゃん!
あまりのことに、柚香は声が出ない。
へおちゃんが殺された……?
嫌だ、そんなの。信じたくない。
え、でも頭があんなふうに飛ぶって、変じゃない?
柚香はようやく気がついた。
へおちゃんは、おもむろにしゃがみ込んで、落ちた頭を両手で抱える。立ち上がって、大きな声を放った。
「着ぐるみに決まってんじゃん、ばーか!」





