第44話 初雪とメッセージ
ご苦労にも、康介は慌ただしく三人分のへお茶を用意してくれる。
「あっ、へおちゃんのお茶に茶柱が立ってる。よかったね」
机の上の湯飲みを覗いて、柚香が話す。
「へおへおっ」
茶柱が何か話してあるので、へおちゃんは喜ぶ。
宇宙人でも地球人でも、茶柱が立ったら縁起がいいのは一緒なのだろうか。よく分からないのだが。
「いただきます」
柚香は湯飲みを手に取る。少し口に含んだだけで、緑茶の香りが湯気から漂い、まろやかな苦みが感じられた。
手足が冷え切っていたので、熱いお茶を飲むと芯から温まる。ほっとすると、文句が出てきた。
「本当に心配したんだからね。へおちゃんだって、びっくりしたでしょ」
「へおへお」
少し冷ましたお茶を飲んで、へおちゃんが口裏を合わせてくれた。
何だか異星人でも、へおちゃんはすっかり茶飲み友だちになれそうだ。
二人の前で、康介は自分の湯飲みを置くと、姿勢を正した。
「竹原柚香様。本当の名前は分からないけど、へおちゃん様。このたびはご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げて、康介は謝った。しかし、柚香にしてみれば泊ってしまったという事実は重いのだ。
康介も今回のことは、結構気にしている。ここはひとつ、罪を償ってもらおうかな。
柚香はちょっとばかり、意地悪な考えが浮かんでしまった。
柚香は口元まで拳を持ってきて「おっほん」と咳ばらいをしてみせる。
「へおっ?」
へおちゃんは何が始まるのかと期待して、目をきらきらさせる。
「羽鳥康介」
うわ、何なんだ、この背徳感。好きな人をフルネームで呼び捨てって、何だか変すぎる。
柚香は自分で始めてしまったことなのに、ぎくぎくする。
「はっ、はい」
雰囲気を察したのか、康介が緊張した返事をする。
「そなた、へおちゃんと柚香に非常に心配をかけた罪は重いぞ。よって、明日より三日間、メロンパンと焼きそばパンをおごる刑に処す」
「へおーっ、へおへおっ」
へおちゃんが走り回って、はしゃいでいる。
それを目にすると、柚香は妙に固くなってしまったのが解けた。
「かしこまりました」
康介の返事に、柚香は余裕が出る。
「よろしい。ところで」
柚香は、今朝お城に来た時点で言おうと思っていたことを、やっと話す。
「今、外はうっすら雪が積もっているよ。体調いいなら、ちょっと散歩に出てみない? へおちゃん、雪は初めてだよね」
お城から出ると、外は冷たく冴え、辺り一面が真っ白に輝いていた。
「へおおおおおっ」
へおちゃんの歓喜の声が響き渡った。
今朝早く、この冬初めての雪が降った。
柚香がお城に着くころにはすでに止んでいたが、遠くの山々はすっかり雪化粧している。
お城の黒い瓦屋根は真っ白に変わっていた。いつもは薄汚れた小さなへお城も、雪のおかげで真新しく見えて、不思議な気分になる。
公園の木々や枯れ草にも雪が降り積もり、眩しい光景が広がっている。
柚香と康介は、へおちゃんと一緒に雪を集めて、大きな雪だるまを作った。
そのあと、へおちゃんは真似をして小さな雪を丸めて遊ぶ。
夢中になっている様子を、柚香と康介は見守る。
「へおちゃんが雪を見られてよかった」
柚香が実感を込めて言うと、康介が深く頷いた。
「そうだな。見ないまま帰ることになったかもしれないよな。もう来週にはいないんだもんな」
「うん、そうだね……」
うまく言葉を続けられず、柚香は沈黙する。そう、来週の金曜日がへおちゃんの帰る日なのだ。
「三か月なんて長いだろうと思っていたのに、あっという間だな。何だか今になると寂しい気分だよ」
「うん、寂しくなるよね」
「でも、へおちゃんにとっては、両親に会える待ち遠しい日がやってくるんだよな。あまり寂しがっちゃいけないかもな」
康介はやっぱりへおちゃんのことを親身になって考えているなあと、柚香は感心する。
「そうだね。へおちゃんには、なるべく寂しいと言わずに、よかったねって気持ちを伝えたいね」
「うん」
「本当にいろんなことがあったけど、短かかったよね」
柚香は息をふうっと吐いた。白い吐息が見える。
「思い返すと、大変なこともあったよな。へおちゃん拾ってきたの、俺だから、そのせいで柚香にはいろいろ迷惑もかけて申し訳ないよ」
「えっ、そんなことないよ」
柚香は否定した。康介はまだ気にしている。そう思ったから、続けて言葉を口にした。
「むしろ康介には、へおちゃんを拾ってきてくれて、ありがとうって言いたい」
次の瞬間、康介と目が合う。
柚香はどきりとする。康介ときたら、顔立ちが整っているから余計にいけない。
辺りは冷え込んでいるのに、胸の奥だけがじんわりと熱い。
康介が何か言いたげに口を開く。その途端、へおちゃんの声がした。
「へおへおへおっ」
へおちゃんが二人を呼んでいる。
どうも雪だるまが説明不足だったらしい。へおちゃんは雪の玉を三つも四つも重ねたものをいくつも作っている。へお城の付近には、白い雪の変な塔がたくさんできてしまった。
午後には晴れて、見る見るうちに雪は消えた。気温も上昇したが、この季節になると公園に来る人も少ない。
へおちゃんが帰る前の最後の週末、三人はゆっくり過ごすことができた。
これまで、へおちゃんは毎日ボードを使って、両親にメッセージを送ってきた。
へおちゃんのメッセージは、アクリル毛糸数本の『会いたいよ』が基本で、時折「楽しい」「遊んだ」などを追加している。しかし、返ってくるメッセージは『会いに行くよ』からやや変化してきた。
ちきゅうのこよみ 12がつ12にち まんげつ よる7じ きたところでまってるよ
相変わらず幼稚園児が読めるレベルになっているが、意図的にそうしているんだと柚香も康介も感じている。
「なるべく地球の文明の邪魔をしないようにと考えているみたいだよ。地球の言葉も本当はいろいろ知っているけど、わざと子どもでも理解できる基準にした気がするな」
へおちゃんとのテレパシーを通じて、康介は推測したことをそう話した。
へおちゃんたちは長寿の分、幼児期も長い。きちんと話ができて高度なことが学べるようになるのに、長期にわたる歳月が必要らしい。そのため、幼児用のコミュニケーション手段として、ボードに長さの異なる紐や棒をのせて作成する言語がある。
へおちゃんたちの種族の一般的な言語は、とても複雑で文字や音の種類も多いらしい。地球人が言葉を話すのとはややレベルが違うようだ。
やはり高度な言語を有し、高度な知性を持つ異星人であるのだろう。
「でも、へおちゃんの両親だって、へおちゃんが無事に帰ってくることが一番なのは確かだよね。地球の親子とその辺は変わらないんじゃないかな」
柚香はそう話した。
月曜日の夕方、先日と同じメッセージのあとに、こう書かれていた。
ちきゅうのおともだち ありがとう たのしいりょこう ありがとう
「へおちゃんの両親、随分感謝してくれてるみたいだな」
「へおっ」
康介の言葉に、へおちゃんがその通り、というように声を上げる。
「あの、へおちゃん。ママやパパに会ったら、こっちもへおちゃんに会えて楽しかった、ありがとうって伝えてくれる?」
柚香が話すと、突然場がしんみりとした。
あ、しまった。つい。
お別れが近いことを意識しないようにしていたのに。
柚香は慌てて、笑顔を作る。
「きっとまた、会えるよね」
「いつでも地球に訪ねに来いよ」
康介もへおちゃんに伝える。
「へおおっ」
へおちゃんが元気よく返事をしてくれた。
へおちゃんの星ははるか遠くの銀河のなかにある。地球人からすれば、一生見ることのないような星の彼方。
けれども、へおちゃんたち異星人にとって地球は、きっと旅行でいつか来ることのできる場所に違いない。
「いろいろあったけど、楽しかったね」
へおちゃんの頭を撫でて柚香が話すと、へおちゃんはうるうるの瞳をこちらに向ける。
「へおへお」
楽しかったと言ってくれているようだった。
そのとき、康介のスマホが鳴った。
「あれ、何だろ? 珍しい。町長からだ」
「え、町長?」
まだまだやる気のなさそうな町長の問題が残っていたが、それはへおちゃんが帰還してからの課題だろう。
確かに町長から連絡してくるなんて、意外だ。
康介がそのまま出る。
町長の声が聞こえる。
「羽鳥君?」
「はい」
康介が返事をした途端、町長のひどく張りつめた声がした。
「羽鳥君、今すぐへおちゃんを連れて、逃げるんだ!」





