第41話 宇宙に姉妹都市
十一月末の日曜日は、北風の冷たい日だった。
イチョウ並木の黄色い葉が、風に吹かれてはらはらと落ちていく。
夕方になると観光客もほとんど見かけなくなり、柚香と康介はへおちゃんを伴って、そろそろ給湯室に帰ろうとしていた。
そんな矢先、亀野町長がひょっこり現れた。
「町長、ご無沙汰しています」
康介に続いて、柚香も挨拶する。
「へおへお」
へおちゃんも町長を覚えていて、挨拶っぽく声を出す。
「いやあ、ご苦労さん」
町長は右手を挙げてやってくると、続ける。
「もうすぐ終わりだと思ってね、ちょっと見に来た。着ぐるみも来週には何とか搬入しそうだよ。まあ、なかに誰が入るかが決まってなくて、その辺詰めないといけないんだけど、とにかくね、もうこれで僕の役目も終わりかなと思ってね」
「町長、お言葉ですが」
康介が町長の前に進み出る。
「本当にこのまま町長を辞めてしまうんですか。ここまで町が活気づいてきたのに」
「ああ、次の候補者が二人くらい決まっていてね、もう若いもんに任せてもいいかなと思って」
町長は、まだまだ弱気な発言を繰り返していた。
「辞めないわけにはいきませんか」
柚香も思わず問いかけた。
「いや、もう僕は引退かなと思ってるんだよ」
「本当にいいんですか」
康介は続ける。
「このへお町が世界で初めて宇宙に姉妹都市のある町になるかもしれないのに、そのときの町長になりたいとは思わないんですか」
「え、宇宙に姉妹都市?」
町長と柚香の声が重なった。
「そうですよ」
康介の発言は熱を帯びてきた。
「へおちゃんは、この町のあちこちでご当地キャラクターとして出ているんですよ。へおちゃんの両親は、再来週の金曜日に宇宙船で迎えに来ることになっていますが、今の状況、どう思いますかね? 下手をすると、地球人と宇宙人との星間問題になるところですよ」
「そ、そんな……」
町長がうろたえる。
「いや、大丈夫なんですよ。へおちゃんの両親は、僕と竹原さんにへおちゃんを預かってもらって助かっているようだし、感謝してくれているんです。たまに日本語を書いて送ってくれますが、だいたいのことは理解しているみたいですよ」
そう、確かに柚香もへおちゃんのボードでひらがなの返事を見ることがある。
たのしいりょこう たのしいこといっぱい たすかる だいじょうぶ ありがとう おともだち
こんな感じのメッセージなのだ。
「とにかく僕たちのことはお友だちだって、へおちゃんもへおちゃんの両親も言ってくれるんですよ。人間なんかよりずっと寿命が長くて、のんびりした宇宙人のようですし、友好的な種族なんだと思います」
「それならいいんだが……」
「ですから、へお町とへおちゃんの住んでいるところが姉妹都市になるかもしれないんです。そのときの町長は亀野徹兵だったと、みんなに記憶されたいとは思いませんか?」
どうやら康介は、町長のヒーロー願望を刺激しているようだ。
「そうですよ。亀野町長が今町長を辞めたら、その栄誉を受けられなくなってしまいますよ」
柚香も同調して町長に話す。
へおちゃんの住んでいる自治体ってどんなふうになっているのか、さっぱり知らないけれど。
そもそも宇宙と市町村なんて、あまりにもスケールが違い過ぎる話だ。
お隣の四角川市にさえ合併を断られるような魅力のない町なのに、へおちゃんの種族に気に入ってもらえるのだろうか。もしかして、「異星人採用実績あり」という自治体であることを企業風にPRしてみるとか。
「ああ、うるさいな、君たちは。考えておくよ」
町長は、面倒になってきたようだ。
「ぜひ検討してください」
「絶対考えてくださいね」
康介も柚香も、代わる代わる町長に頼むのだった。
町長とて、ここまでわざわざ話しに来るのは、多少の未練というか構ってほしいというか、そんな心が残っているからだろう。
ただ、町長が本当に辞めないことを考えてくれるかどうかは分からなかった。
二人は町長の後ろ姿を見送った。
「寒いな。早く戻ろう」
康介が鼻をすすった。
ちょっと風邪気味なのかなと柚香は気になった。
「へおちゃーん、お城に帰るよ」
柚香が声をかける。
「へおへおっ」
たくさんの枯葉が風に舞い、くるくる回るさまを、へおちゃんは楽しそうに追いかけていた。
翌週になって、康介がマスクをして現れた。
「ごめん、急に寒くなってきたせいか、先週から役場で風邪が流行ってて」
康介はぼそぼそとした声で謝って、ごほごほと咳をした。
「ええっ、大丈夫?」
「うん。柚香にうつさないように気をつけないと。へおちゃんは平気らしいんだけど」
相変わらず、異星人の免疫力は解明できないのだが。地球人が罹る風邪くらいは何でもないようだ。
「風邪薬は? 仕事忙しいみたいだけど、きちんと飲んでよく寝た方がいいよ」
「ああ、薬なら家にあると思うから、飲んでおくよ」
康介の曖昧な返事に、柚香はちょっと語調を強める。
「全くもう。早く治してよね。他に交代できそうなのって、町長くらいしかいないんだから」
町長にはあれ以来会っていない。本当に考え直してくれるといいのだけれど。
それより、康介がここで体調を崩したら、へおちゃんを世話する人が柚香しかいなくなってしまう。
「へおへおお」
へおちゃんも気にしている。
「へおちゃん、ありがとう。心配させてごめんな」
康介は、へおちゃんの頭を何度か撫でた。
「何かわたしでも手伝えることはない?」
何となく気がかりで、柚香は尋ねた。
「うん、大丈夫。もうすぐ納期の仕事があって、大変なのは今だけなんだ。それさえ済めばゆっくりできるから」
康介はそう返事をした。
木曜日、その納期の日で忙しかったらしく、康介は夕方遅くになって給湯室に現れた。
「ちょっと寒いんだけど、暖房の温度上げていい?」
康介は鞄を置き、コートを脱いだあとにお茶を一口含むなり、言い出した。
「いいよ」
柚香はご飯の用意を始めながら、答えた。
室内はそんなに寒くないはずなのになと、柚香は様子を窺う。
康介は暖房のリモコンを操作してから座布団に座り込む。今日もマスクをしている。ごほごほと咳込んでから、ふーっと息を吐いた。
心なしか、いつもより康介の影が薄いような気がする。
何かおかしいのかもと柚香が思った途端、康介は畳の上に倒れ込んだ。
「康介っ?」
「へおおっ?」
康介は、確かにこのところ多忙だった。電車祭りの疲れもあったのに、家でもよく休めていなかったようだ。
そこへきて風邪をもらい、悪化してしまったらしい。
康介を布団に寝かせてから、柚香はへおちゃんに話した。
「へおちゃん、ちょっと留守番頼んでいい? 車庫前に薬局があったから、そこまで風邪薬買いに行ってくるね」
「へお?」
へおちゃんは目をぱちぱちして、首を傾げる。今ひとつ、通じないようだ。
考えてみれば、へおちゃんは薬など一度も飲んだことがないのかもしれない。
今までこういう複雑な話のとき、康介がテレパシーでへおちゃんの理解を確かめていた。それが全くできない。
スケッチブックを持ってきて、絵を描いて説明するという手もある。しかし、残念なことに柚香の画力では、へおちゃんのぐしゃぐしゃ描きレベルと、伝達力はさほど変わらなさそうだった。
「えっと。柚香は出かけるけど、またすぐ戻ってくるから、それまで康介を見ててね」
「へおっ」
これはだいたい通じたようだ。
柚香は急ぎ足でへお電に乗り、車庫前の薬局で風邪薬とマスクを購入して、帰ってきた。
康介は相変わらず、ぐったり眠っている。
へおちゃんもよく分からないながら、康介の様子を心配している。
このまま帰るわけにはいかない。
柚香は一度外に出て、母に連絡することに決めた。





