第39話 イベントのあとで
「えっ」
待って、という思いがけない言葉に、柚香は康介の方を振り返った。
「ほら、見てよ、へおちゃんの表情」
康介の指差す向こうには、ガラス越しにへおちゃんの笑顔があった。「へおー、へおー」と楽しげな声を上げているので、確かだ。
てっきり泣いているものと思っていた柚香は、目を疑う。
「へおちゃん……楽しそう」
「だろ? このまま様子を見てみようよ」
「うん……」
信じられないと思いつつ、何が起こっているのか見極めたい。
へお電はガタゴトと音を立てて揺れながら、終点に向かって走り続ける。そのガラスの向こうで、へおちゃんが子どもたちと一緒に前面の窓を見つめながら立っている。
時折子どもたちが何か話しかけ、へおちゃんも声を出したりしている。テレパシーはなくても、子どもたちもへおゃんも、電車の旅をともに楽しんでいる様子だ。
二人は運転席の猪瀬さんに聞こえないように、小声で言葉を交わす。
「一応、宇宙人が地球人とコミュニケーションとってる感じだよな」
「そうだね。子ども同士で、言葉がなくても気持ちが通じているみたい」
二人にとっては、電車のなかは不思議な光景だ。
他の人たちからすれば、着ぐるみが子どもたちと一緒に乗っているだけにしか見えないのだろうけど。柚香と康介には、へおちゃんが自分たちなしで、地球人と友好を結んでいるように思えた。
以前一人になったときは、不安を感じていたへおちゃんが。
保護者冥利だと柚香は感じた。
親鳥が雛鳥の巣立ちを目にしたら、きっとこんな気分に違いない。
へおちゃん、成長したね。
感動のあまり、目がうるうるしてしまう柚香だった。
「どうします? 着ぐるみの子、大丈夫みたいですね」
猪瀬さんに話しかけられ、康介がお礼を述べる。
「ありがとうございます。このまま終点までお願いできますか」
「分かりました。終点の電停で待つようにしましょう」
へおちゃんが電車を降りたとき、柚香と康介はすでに電停で待っていた。
「へお?」
二人の姿を車外に見つけたへおちゃんは、丸い目をますます丸くして驚いていた。
「へおちゃん、お帰り」
康介がいたずらっぽく笑ってみせる。
「へお?」
「へおちゃん、一人で電車に乗っていたのよ。気づいてた?」
柚香もにっこり笑いかける。
「へおおっ」
「気づいてなかったみたいだよ」
康介が柚香に、へおちゃんのテレパシーを伝えた。
「でも、大丈夫だったんだね。電車のなかで楽しく過ごしていたんじゃない?」
柚香はへおちゃんに問いかける。
「へおお、へおお」
へおちゃんは嬉しそうに声を出した。
「お友だちいっぱいだったって」
康介がテレパシーを受け取って言う。
「すごいね、へおちゃん!」
柚香と康介は、へおちゃんを褒めちぎった。
電停で再会した三人は、へお電に乗って往復してからへお城に戻ることになった。
へお電の電車祭りは、へおちゃんが一人で電車に乗ってしまうというトラブルがあったものの、概ね成功のうちに終了した。
この日はスタンプラリーのおかげもあり、へお城に来た人もたくさんあった。
ついでに、『へお電車庫前』の電停の前にあったコンビニエンスストアとドラッグストアは、電車祭りのおかげで驚くような数の人が入ったという。夕方には、お店がすっからかんになるほどだったそうだ。
「こんなこと、創業以来初めてだ」
コンビニの店長さんがそう言って、感激していたとか。
へお町全体としても、このイベントで予想よりずっと収入があったらしい。
***
「町長、よかったですね」
数日後、役場で亀野町長の姿を見つけた康介は声をかけた。
「ああ、羽鳥君か。ご苦労さん」
町長は、疲れているのかだるそうな表情でうつむきがちだった。
「いやあ、僕が町長の最後のイベントが成功して、まあ、よかったかな」
「えっ、最後だなんて何をおっしゃるんですか」
康介は驚いた。せっかくイベントが成功したというのに、町長の気持ちは変わってなかったらしい。
「町長辞めるなんて、嘘ですよね?」
思わず康介は大きな声で尋ねるが、町長は力なく手を振った。
「いや、今回の任期満了で終わりにするつもりだよ」
「どうしてですか。電車祭りはうまくいったようですし、へおちゃんのことも」
もともとへおちゃんのことだって、町長が宇宙人であっても出演してもらえないかと尋ねたから始まったことだ。町長なくしては、何も起こらなかったはずだ。
「町長がいないとみんなが困りますよ」
康介は、熱心に言うしかない。
「そうかねぇ」
それでも、町長の瞳には力がない。
「どうしたんですか」
「いや、疲れててね」
「もしかして、健康診断で何か指摘されたんですか」
メタボ検診で引っかかったとしても、町長の体型なら無理はない。
「いや。そんなことはないんだけど、何だか僕、疲れて、いろいろ見るのが嫌になっちゃって」
「何かあったんですか」
確かに疲労が目に見えるので、何らかの原因があるとしか思えない。
「実はうちの末娘に、男の子が生まれて」
「え、お孫さんですか。おめでとうございます」
そんなことがあったとは、康介は知らなかった。
「いや、めでたいんだけど、苦労しているんだよ」
町長はまだ億劫な調子ながら、話を切り出した。
「娘はすぐ近くに住んでいるから、しょっちゅううちに泊まりにきてね。毎日妻は赤ん坊の世話以外何もやってくれなくなったし、夜は泣き声でよく眠れないしで大変なんだよ」
町長には長男、長女、少し離れて次女の三人の子どもがある。
それぞれ独立しているが、次女は車で五分くらいのところに嫁いでいるらしい。今は産休中だが、今後も仕事を続けるとのことで、自分の両親をかなり頼りにしているようだ。
「急に赤ちゃんの世話となると、いろいろ大変でしょうね」
康介も同情する。
「全くだ。今までよく来ていた孫まで機嫌を損ねるし、全然いいことがない」
町長はため息をつき、憂鬱そうな顔をした。
「そういえば、小四のお孫さんがいたんですよね」
康介が問いかけると、町長は寂しそうな笑いを浮かべた。
「うん、長男の子でね、いい子なんだよ。だけど、最近になって誕生日プレゼントにヒーローベルトをあげても本当に変身できるわけじゃないからって全然喜ばなくなったし、特撮物に夢中になっていたのに、あんなの本物じゃないからとか言い出して」
「それでこの間、夢がどうとか……」
おそらくその子のせいなんだろう。
町長からすれば、新しい孫の誕生は喜ばしいことであっても、自分の生活を脅かされては体も持たないのだろう。さらに、可愛がっている孫が機嫌を悪くしたり、今までと変わってきてしまったとあれば、精神的にも参ってくるのだろう。
「とにかく、朝からみんなの部署を見て、意見するのももう難しくてね。全部を確認してやること決めるのも疲れると面倒になってきてね。町長もおしまいだなと思うんだよ」
「あの、ちょっと待ってください」
康介は町長の言葉を聞いて、ありえないと思いつつも疑問を投げかける。
「町長、まさか町長は全部の部署を確認して意見するものだと思っていませんか?」
「そうに決まってるだろう、町長だぞ」
「決まってないですよ」
康介は思わぬ衝撃を受けつつも、冷静に説明する。
「あの、部署ごとに任せて大丈夫ですよ。町長が全部見回らなくても、とりあえずどの部署も報告に来ますから。わざわざ町長が行って、全部把握して意見を言わなくても、みんなやりますよ」
「何、それは本当かね?」
「……」
冗談のような町長の思い込みに、康介は言葉を失った。
あとから秘書の鶴田さんに会ったので迷わず話すと、さすがの鶴田さんも一瞬絶句した。
「……部署に口出しに行くのは、町長の癖かと思ってました。まさかそうしなくては町長じゃないと思っていたなんて。そうですね、わたくしからも町長にお話しします」
そう言ってくれた。





