第37話 へおちゃんと電車祭り
開場前なので、まだお客さんはいない。
ここでも、へおちゃんの着ぐるみには子どもが入っている、ということになっている。
体験コーナーの係りのおじさんが声をかけてくれた。
「へおちゃんのなかの子、今ならやってもいいよ。まだ着ぐるみ脱いでいてもいいと思うけど?」
着ぐるみがパンタグラフを上げ下げしているのは、何だかほほえましい。
しかし、宇宙人がパンタグラフを上げ下げするボタンを押して喜んでいるなんて、何だかおかしい。
柚香はそう思いつつも「へおちゃんのなかの子は秘密なので、お気遣いなく。それより、先に遊ばせてもらってすみません」と愛想笑いをしながら、あちこち体験をさせてもらうのだった。
「へおへお、へおへおっ!」
まだ始まらない電車祭り会場に、へおちゃんの楽しそうな声が響いた。
準備中のスタッフさんが大忙しなので、実に申し訳ないのだが。それでも、みんな温かく見守ってくれた。
やがて、会場の入り口付近はざわざわと大勢の人の声がするようになった。
柚香と康介は、遊んでいるへおちゃんを引っ張って、やっと連れ出した。
入口へ進み、来場者を待つ。
十時になると、次から次へと人が入ってきた。
親子連れ、中高生の友達同士、カメラを持った鉄道ファンらしき人。会場の地図と周辺の観光案内のパンフレットが入っている袋がそれぞれに渡される。もちろん、プレゼントのステッカーとスタンプラリーの台紙入りだ。
入場していく人々に、へおちゃんは手を振る。小さい子が早速やってきて、へおちゃんと握手をする。柚香や康介が写真を撮る手伝いをする。
場所も目的も人数もいつもとは違うものの、三人ともこれまで積み上げてきたものがある。上手に対応して喜んでもらえた。
入口付近に人が少なくなると、今度は『子ども駅長制服撮影会』のコーナーへ行く。
要するにキッズサイズの駅長の制服あって、子どもが着用して記念撮影をする場所だ。そこには当然子どもたちと、カメラやスマホを手にした親たちが集まっている。
柚香と康介は、へおちゃんとも撮影どうですかと、そこでも声をかけるのだった。
そのあと保育園の子どもたちが描いた電車の絵の展示コーナーを横切って、鉄道模型のある場所へと進んだ。
「へおおおっ!」
へおちゃんは、鉄道ジオラマに驚きの声を上げた。
山々の合間にへお城があって、そこからゆっくりと下って小さな家々がある。そのなかをくるりと一周する。そんなへお電の小さな模型が走っている。
なかなかよくできているなと、柚香でさえ感心した。
「もちろん本物じゃないからね」
念のため柚香がへおちゃんに話す。しかし、へおちゃんも康介もじっくりと見入っていて、よく聞こえていないようだ。へおちゃんの瞳が輝いて、尻尾を振っている。
「これ、いいなあ」
康介も、犬や猫に触れているときと同じような子どもっぽい瞳をしている。「すげぇな」とへおちゃんに話しかけている。
こういう物に夢中になるなんて、やっぱり康介も男の子だったんだなあと、柚香は心が和む。
「へおお」
へおちゃんの感嘆の声に、康介が答える。
「電気で動く小さなモデルみたいなものだよ」
夢中になりすぎているらしく、康介の説明はへおちゃんに通じているとは全然思えない。理屈抜きで異星人は楽しそうだから、いいのだろうけど。
「へおーっ」
「あっ、そこ手を触れないで」
「ああっ、すみません」
へおちゃんが模型の電車に、もふもふした手を出しそうになるのを、康介が慌てて止めて謝る。
「へおちゃんが怒られてる」
小学生の男の子たちがからかうのも、多分思わず手を出して注意された経験が自分たちにもあるからだろう。
「へおお、へおお」
へおちゃんは大きな瞳で、くるくる回る小さな電車をいつまでも見ていたいようだった。
「あっちに、もう少しでかいのがあるぞ」
康介がその場での撮影を一通り終えると、へおちゃんを誘った。
『ミニトレインに乗ろう』という看板が立っていて、子どもや小さな子を抱っこした大人たちが並んでいる。
ガタガタガタと地面が揺れるような音が響いてくる。遠くから何かが近づいてくるようだ。
並んでいる子どもたちの隙間から覗くと、大きな模型みたいな赤い電車がやってきた。その車両の上には、子どもたちが跨って乗っている。
確かにミニトレインという感じだ。
「へおおおお」
へおちゃんが耳をぴんとさせて、すっかり感じ入ったように声を出した。
つい先程まで専用の線路を組み立てていて、今やっと乗車が始まったところらしい。
「分かったよ。あとで頼んでみるよ」
康介がへおちゃんに話した。テレパシーで、あれに乗りたいとか何とか伝えてきたのだろう。
そこへ、乗り場の係りのおじさんがやってきた。
「へおちゃんも乗ってみない? 一番後ろを開けておくから、どう?」
「へおへおへおっ!」
へおちゃんの嬉しそうな返事は、その場にいた誰もが分かるくらいだった。
小さな赤い電車は、子どもや幼い子の親、最後にへおちゃんを乗せて、ガタガタとゆっくり走っていった。
もちろん仕事も忘れてはいないのだが、思った以上にへおちゃんが楽しく遊べるイベントになっていた。
お昼ご飯は小さなテントのなかで、ほんの数分の間で食べただけだ。
へおちゃんはテントが珍しいのと予約していた焼きそばが食べられるのとで、わくわくしているようだった。
しかしながら、もともと「へおちゃん着ぐるみ着替え用」として持ってきてもらったテントだ。柚香にとっては、狭い場所での康介と触れそうなほど接近した昼食となってしまい、一人で勝手にぎくしゃくしてしまった。
心の小舟に、ぱしゃぱしゃと水をかぶったような気がした。
その後もへおちゃんが握手をしたり、二人が写真を撮ったりしながら、会場を巡る。
特に、黄色く目立つへおちゃんラッピング車両は大人気だった。子どもも大人も大勢が周りに集まり、車両に描かれたへおちゃんの様子を眺めたり写真を撮ったりしていた。
二時近くになって、少しずつ来場者が帰り始めるところを三人は電停へと歩いていく。
へお電の線路を走っている車両も「電車祭り」と大きく書かれたオレンジ色のヘッドマークを付けており、いつもよりきれいに整えられていた。
「へおおへおお」
へおちゃんが本物のへお電に乗るのは、初めてだ。車両を見るのも、お城の入り口から覗いたことがある程度なので、これだけ近くで目にするのは初のことだろう。
尻尾をぱたぱた振って興奮している様子に、柚香も康介もほんわかした気分になる。とにかくここまで無事に仕事ができたことで、二人ともほっとしていた。
「へお城はこちらから行けますよ」
電車祭りから帰る人々に、スタッフはみなへお電の電停へ誘導する。
「へおちゃんもあとでお城に行きます。皆様もぜひいらしてください」
柚香も大きな声を出す。
「へお城も行ってみる?」
「へおちゃん来るって。スタンプラリーも全部やろうか」
子ども連れの鉄道ファンには、特に興味をもってもらえる。
「ちょっとへおちゃん、乗ってもらえます? 子どもたちが乗ってくれそうなので」
最初の電車は、お客さんが乗るのを見送ることになっている。けれども、へお電の運転士さんの提案で、へおちゃんと一緒に柚香と康介も電車に乗り込むことにする。
もちろん、これからへお城に行く車両だ。
この作戦はなかなかよかった。車内にへおちゃんを見つけた子どもたちがやってきたので、たくさんの人々がお城へと誘われる。
「電車祭りのご来場、ありがとうございました。ぜひへお城に行って、スタンプラリーもご参加くださいね」
挨拶をしてから、柚香と康介は電車を降りる。
やがてへお電は発車した。
すぐに次のお客さんがやってくる。
「へおちゃん、また電車に乗って……」
柚香は後ろにいると思っていたへおちゃんに話しかけた。
しかし。
へおちゃんの姿がない。





