第33話 電車祭りとパン屋さん
金曜日の朝、柚香はへお電に乗り、あちこちに電車祭りの広告が貼ってあるのを見つけた。
『へお電 電車祭り』と大きな黄緑色の文字が躍っている。そのすぐ下には『へおちゃんラッピング車両、初公開!』とある。
へお電の普通の車両は、特産品のへお茶に似せてお茶のような黄緑色を基調とし、黄色い帯のついたものだ。しかし今回、車両の一つをイベント開催に合わせ、帯の色を黄緑にして、明るい黄色を基調とした配色にへおちゃんの姿が描かれたフィルムをコーティングしているという。こうしたラッピングを施した車両はすでに準備できており、車庫の奥に隠してあるそうだ。
『へおちゃんも来るよ。みんな遊びに来てね!』
そう書かれたところには、へおちゃんの写真も掲載されている。
数日前にへお城にカメラマンが来て、お城の数か所で幾度もへおちゃんの写真を撮った。そのうちの一枚がここに採用されたらしい。
へおちゃんが目にしたら、瞳をきらきらさせて「へおへおーっ」と大喜びしそうだ。
今ではへお城は無論、町役場や公共施設、その他町の看板や資料に数多くのへおちゃんのイラストが描かれたり、写真が載るようになった。お土産店だけでなく、この辺りのコンビニ各店舗にもへおちゃんグッズが置かれるようになっている。
「ねぇ、宇宙船のへおちゃんの両親は、これ、どう思うのかな?」
柚香は何の気なしに、康介に訊いてみた。
「うーん、一応へおちゃんには説明したんだけど、両親には伝えているかよく分からないんだよね。ご当地キャラクターっていうのも知らないかも」
柚香も考え込む。
「宇宙人にご当地キャラクターとかゆるキャラとか説明するのも、難しいよね」
「まあ、へおちゃんが楽しそうにしているのが分かれば、両親はいいと思っているみたいだよ。地球人と比べて随分のんびり暮らしているようだし、寿命も長いんだし。お友だちだからね」
康介の返事は大雑把だった。
へおちゃんは相変わらずボードに鎖編みの毛糸を乗せて、毎日両親と交信をしている。
いつもの「会いたい」以外に「楽しい」「面白い」といった言葉を作って、送っていることもある。両親の返事は「よかったね」とかそんな感じらしく、へおちゃんを温かく見守っている様子だ。
柚香は『へお町役場前』の電停で降りた。
いつものへお城付近の電停ではない。
今日は特別に、町役場のそばにあるお店に寄ってから、給湯室に行くことになっていた。
「メロンパンフェア、金曜日までだよ。俺、役場の仕事も急ぎはないから、柚香は少し遅刻してきてもいいよ。ここへ来る前にお店見てきなよ」
康介がそう勧めてくれたのだ。柚香は遠慮なくパン屋さんに寄ることにした。
だいたいの道のりは康介から聞いていた。確かに役場から歩いてほんの数分のところにあった。
朝八時を過ぎたばかりの時刻では、まだ周りのお店はほとんど眠っているかのようだ。
パン屋の明かりだけは、目印のように温かく灯っていた。近づくと、パンのおいしそうな匂いが漂ってくる。お店の前に立てかけてある看板には『メロンパンフェア』と大きく書かれていた。
柚香はお店の扉を開けて、店内に入る。
「いらっしゃいませ」
店員さんの声がして、柚香はパンの香りに包まれる。
入口のすぐそばにはメロンパンがいくつも並んでいる。普通のメロンパンだけではなく、夕張メロンパン、いちごメロンパン、キャラメルメロンパンもある。クリーム入りとチョコチップ入りもある。
「うわあ、いっぱい。どうしよう」
柚香はうっかり声を出してしまった。
「メロンパンフェア、やっています。いかがですか」
中年の女性店員さんから品のよい笑顔を向けられ、柚香は話す。
「わたし、メロンパン大好きなんです。知人にこのお店のことを聞いたんですが、どれもおいしそうで迷っちゃいます」
「そうですか。ありがとうございます」
柔らかく微笑まれて、柚香はもっと喋ってみたくなる。
「えっと。それじゃ、今日までのはどれとどれですか。普段あるのはまた買いに来ますから」
店員さんと思ったが、話しかけてくれたのは店主さんだった。朝九時近くにアルバイトの店員さんが来るので、それまで店主さんがお店に出ているらしい。
柚香は他のお客さんが入ってくるまでの間、お店のことをいろいろ聞かせてもらった。
営業時間や休日。パンの種類や特徴。メロンパンフェアのような催し物のこと。
柚香には魅力いっぱいだった。
もう行きつけのお店になってしまいそう。
へお城にはいつもより少し遅れて着いたが、柚香は康介に話さずにはいられなかった。
「すごくいいお店だった。もう少し早めに出て、また寄ってからここに来るかも」
「よかったな。パンを買うためなら、早起きできそうだな」
「どうせ食べ物のためなら早起きできますよお、だ」
柚香はわざとむくれてみた。
本当は、康介に気遣ってくれたことのお礼を素直に言いたい。
だけど、うまく話せなくて自分の気持ちが知られてしまうのではという気がしてしまった。
今はへおちゃんと三人で仕事をこなしていくことが最優先だ。
へお電の電車祭りが、少しずつ近づいていく。
柚香はこのところ家に帰ると、アルバムをめくるのが習慣になっていた。
へおわかば幼稚園を訪れてから、ふと思いついたのだ。子どものころは康介と何度も同じ場所にいたことを。
柚香が見つけ出したのは、幼稚園から中学卒業までの写真だった。
小学校と中学校の卒業アルバムも出てきた。探せば幼稚園のもそのうち出てくるだろう。
卒業する年は、小中学校とも別のクラスだったのは残念だ。けれど、康介と同じクラスの年も四回あったので、写真が重なることも多い。
幼稚園の入園式の集合写真も見つかり、そのなかで小さい柚香と康介は一緒に並んでいた。
幼馴染を好きになると、こういうメリットがあったんだな。
柚香は今更ながら嬉しくなった。
平凡な顔立ちで特に優れたもののない自分は、あまり見る気がしなかった。だから、アルバムなどしまい込んでいた。
けれど、自分の写真の後ろの方に時たま康介の姿があることが分かって、すっかり楽しくなってしまった。
遠足の動物園で康介が兎を抱いている。へお城でスケッチをしている。運動会で集団のなかに紛れている。
中学生になると、だいぶ今と顔立ちが似てくる。康介のやや子どもの姿にじっと見入ってしまう。
ただ、どちらかというと内気な康介は、カメラの前ではほとんど口を引き結んだ真面目な顔をしていた。あるいは俯いたりして、カメラに視線を合わせないで写っている。
なかなか笑顔の写真は見つからない。
それでも、柚香はうっとりと浸る。
仕事をしたあとの、夕食のことが思い出される。
もちろんへおちゃんのお世話や着ぐるみ役のことでいっぱいなのに変わりはない。それでも、康介ととりとめのない話をするひとときが、とても楽しみだ。
声を聞くだけで、姿を見るだけで好きなことに気づかされる。何でもないことで好きだなんて、困ってしまう。隠しているのが時々辛くて、胸がきゅうっと疼くこともある。
昔の写真に面影を見つけ、その日一日のことを思い返すと自然と口元が緩む。
アルバムを抱きかかえて、柚香はベッドに寝転がる。
康介が好き。
はっとして起き上がる。
「新しいおかずを調べなくちゃ。編み物も進めなくちゃ」
浸っているわけにはいかない。
けれども、柚香はなかなか気持ちを切り替えることができない。
「十年遅いよ……」
ため息をついて、頭を振る。
今せいぜい十八歳ならいいのになと思う。もともと子どもっぽいと周りから言われるけれど。
二十八歳なのに、こんなに動揺している。
給湯室が地雷原とは思わないことにしているものの、それでも恋愛感情って扱いが難しいと思う。
まるで波間に浮かぶ小舟の上にいるかのよう。
ほんの小さな風にゆらりと傾いで安定しない。ちょっとした言葉や出来事に心が揺れ動いてしまう。
時にはふらりと大きく揺れて、バシャーンと波をかぶってしまう。ザブーンと波に飲み込まれそうになる。
ドボーンと落ちたらおしまいだ。気をつけなくては。





