第31話 おいしいお土産
十一月最初の三連休が終わり、火曜日の夕方はのんびりとしたひとときだった。
柚香は、三人分の夕食をいつも通り用意している。
自分で言うのもなんだけど、すっかり手際がよくなったと思う。
このごろは、正確にはお弁当ではなくなった。
黄色、水色、桃色の三色の大きなお皿を買い、それにすべて盛りつけるようにした。
柚香は、冷凍食品や家の前日の残り物、朝作ってきた物を給湯室の冷蔵庫に保管しておき、夕飯前に電子レンジで温めている。
ネットで新しいおかずを調べて作ったりもしているので、レパートリーも増えた。
大したものではないけど、それなりの品数の夕食になっている。
こうしたご飯作りは、意外とハードルが低いものだったなと実感している。
これまで料理することを避けてきたけれど、知ってみて案外簡単だと思うことって、他にもあるかもしれない。
人と比べれば不器用なのは分かっている。だけど、自分のペースでできれば、うまくやれることってもっとあるんじゃないかな。
どういうわけか、柚香はいろんなことに前向きになっていた。
仕事を辞めたことを、自分では負けだと感じていたのも遠い昔のように感じる。
つまらない挫折感も、今はどこか遠くへ飛んでいってしまったようだ。
へおちゃんのお世話や着ぐるみ役の補助もだいぶ慣れ、観光客にも上手にサービスできるようになってきた。
その一方で、桜井さんのことがあってから、柚香はどうしても康介を意識せずにはいられない。
へおちゃんのお世話や観光客への対応で忙しいときは、心の内から気持ちを追い出すことができる。
けれども、夕食のひとときに康介と話が弾んだりすると、胸がどきどきする。康介の笑顔やちょっとした親切に変に浮かれてしまったりする。
そして、ここで好きだという感情を何かで表してしまったら、と思うとひやりとする。
康介が高校時代から女の子との付き合いで悩んでいたとは、全く知らなかった。あのときはうまく話が済んだものの、そこに触れないように充分気をつけようと柚香は思っていた。
康介は積極的な女の子は苦手だと言うし。
もしも自分の思いを知られてしまったら、これまでうまくいっていた康介との関係が、ぎくしゃくするかもしれない。
それが一番怖い。
柚香は、なるべく最初のころのままでいようと心がけているつもりだ。
でも。
そう簡単に、自分の気持ちが康介に知られることはないだろうなとも感じる。
何と言っても、自分は康介の幼馴染なのだから。
幼少のころから知っているので、恋愛とか関係ないと思われていてもおかしくない。その代わり、気楽に話ができるのかも。
昔からの知り合いでなかったらもっと遠慮して、これだけ親しくなることもなかったはず。自分の気持ちが、こんなふうになることもなかっただろうなと思ったりもする。
実のところ、柚香はこれまで誰にも恋愛対象に見られたことがないと思っている。
就職した三年目くらいまでは、何度か合コンに誘われたりした。ちょうど二十歳を過ぎたばかりのころだ。
「わたしなんかが行っても」
柚香は毎回しり込みしつつも、頼まれるまま出席していた。
女性ばかりの職場で働いているため、普段から異性と話す機会はまるでなかった。だから、初対面の男性の前では委縮してしまいがちだし、地味で容姿も残念な自分が参加するのは、何となく申し訳なかった。
呼ばれるのは、ただ人数が足りなかったからかなと初めのうちは思っていた。
けれど、どうやら自分が単なる女性陣の引き立て役だということに気がついた。最初から合コンの人数には入っていないようなものだったのだ。
何だか寂しい気もするんだけどね……。
とにかく、今はへおちゃんのお世話をして、仕事をするのが一番重要なこと。へおちゃんが宇宙に帰るまで、康介と一緒にこのままうまくやっていくのが一番大事なことだ。
だから、こんな気持ちが知られたら困る。ばれないように頑張ろう。
柚香は自分に言い聞かせる。
へおちゃんも手伝ってくれて、夕食の準備は着々と進んだ。
そこへ柚香のスマホにメールが届いた。
最近よく来るタイプかなと思うが、まさしくその通りだった。
『赤ちゃん産まれたよー。今度は男の子。かわいいよー』
小さな赤ちゃんの写真付きメールだ。
『赤ちゃんおめでとう。すごくかわいいね。子育て大変だと思うけど、頑張ってね』
柚香は定型になってしまった文を、ほぼ自動的に送信する。
数年前は結婚ラッシュで、その次は出産ラッシュ。今度は二人目ラッシュが来るのかもしれない。
ため息をつくところだが、『柚香も早く相手を見つけなよ』とかいう返信が来なくなっただけ、ましかもしれない。今、友人のほとんどは子育てに忙しく、会うこともない。
余計なおせっかいもなくなっているが、最近はたった一人取り残されたような気持ちになってしまう。
「へおへおっ?」
へおちゃんが何かなと思ったのだろう、柚香のスマホを大きな瞳で覗き込む。
「赤ちゃんだよ。見てみる?」
「へおっ。へおへおーっ」
へおちゃんは楽しそうに、尻尾をぱたぱた振っている。赤ちゃんが気に入ったようだ。柚香はつい、他に来ていた分も含めて次々と見せる。
いつの間にか、友人から送られてきた赤ちゃんの写真が随分たまっていた。
何だか自分の周囲だけ、人口密度がやたらと高くなっているような気がしてくる。
そんな思いを振り切って、柚香は話す。
「こんなお猿さんみたいなのよりも、へおちゃんが赤ちゃんのときのほうが、ずっとかわいかったよね」
康介がいつも通り給湯室にやってきた。
「お疲れさま」
「へおへお」
「お疲れさま。特に変わりなかったよ」
柚香はおかずを電子レンジに入れる。すると、康介は鞄から何か白い袋を取り出した。
「あの、これ、ご飯のあとに」
「え?」
「お土産ってところかな」
「お土産?」
「うん、役場の近くのパン屋さんで」
「へおっ」
食べ物の話と分かったのか、へおちゃんが耳をぴんと立てて声を上げた。
柚香は康介から袋を受け取ると、へおちゃんと一緒に開いてみる。
なかには三つの紙袋が入っていて、香ばしい匂いが広がる。
一つ目の包みを開くと、黄色くて斜めに網目の線が入ったパンが覗いた。
「え、メロンパン?」
「うん、役場のそばのパン屋さんに、ちょうどメロンパンフェアって看板が出ていたんだよ」
「おいしそう」
「へおちゃんには、焼きそばパンがあるからな」
「へおへおへおーっ」
ものすごく喜んでいるへおちゃんを隣に眺めつつ、本当は自分のほうが嬉しく感じているかもなと柚香は思う。
「たまには食後のおやつもいいかなと思って。柚香、メロンパン、好きなんだろう?」
「うん。覚えていたの?」
「もちろん」
康介の答えに、柚香は一瞬息が止まりそうになる。
「へおおっ」
そのときへおちゃんが他の袋を催促した。
柚香は微笑んで、へおちゃんに紙袋を一つ渡した。その袋からは、濃いソースの匂いがしている。
「へおおおおっ!」
へおちゃんは焼きそばパンを見て、感嘆の声を上げる。
「ご飯が先。あとでの楽しみにしてなよ」
康介はくぎを刺した。
夕食後、三人は一旦元に戻した紙包みを開いた。おいしそうなパンの香りが辺りに漂う。
「役場の近くにパン屋さんがあるなんて知らなかった」
「俺もよく知らなくて、柚香がいつも昼ご飯にパンを買っているって聞いてから、思い出したんだよ」
「そうなんだ」
柚香は包みからパンを取り出して、少し手に取ってみた。
黄色い表面の部分はざらざらとしていて、なかのパン生地はふわふわとしている。口に含むと、途端にサクサク感のある甘い味が広がった。そのあとに、ふんわりした中身の上品な味が広がる。
「うん、おいしい」
柚香は思わず大きな声を出す。
康介も包みを開いて食べ始める。
「普段メロンパンなんて食べないけど、なかなかいいな。柚香のこと思い出してよかった」
わたしのことを役場でも思い出してくれるって、すごく嬉しいんだけど。
心がじわっと熱くなる。
康介のことがますます好きになりそうだ。
「俺も好きになりそう」
「えっ」
柚香の心臓が跳ね上がった。
「メロンパン、思ったより甘すぎないし、おいしいな」
「……うん」
さすがに好きなのはメロンパンの話よね。
どきどきしてしまって、わたしったらおかしなの。
柚香は自分の胸の鼓動を落ち着かせたいところだが、なかなか思うようには収まらないのだった。





