第3話 へお電に乗って
「ちょっと待って!」
柚香は思わず叫んだ。
「その『へおっ』ていうのは何? 宇宙人がカプセルで落っこちてきた、くらいだったらどこかの妄想で済ませそうだけど、へお町に落ちてきて『へおっ』では、やりすぎでしょ」
あまりな話に、柚香はまくし立ててしまう。
「そう思うだろ。それがそうじゃなかったんだよ。へおへお鳴くから、そのあと大変なことになったんだ」
「何なの、その続きかた……」
柚香の言葉は勢いがなくなり、ただ目をぱちくりとさせる。
康介の変な話はまだ続きそうだ。
「それがさ……あっ、今何時?」
はっとした様子で、康介は随分と現実的なことを言い出す。
柚香が自分のスマホを取り出して見せる。
「十時半になるけど」
「やばいっ」
康介は立ち上がった。
「どうしたの。何か急用でも?」
「町長が大変だ!」
「えっ、町長って亀野町長?」
「そうだよ。すぐに迎えに行かなくちゃ、気の毒だよ」
気の毒? さっきは批判的だったようなのに、どういうことなの。
柚香は全く話が見えてこない。
「話はあと。とりあえず、へお電に一緒に乗ろうよ」
「へお電? 何でわたしまで乗ることになるの?」
『へお電』とは、へお電気鉄道の路面電車の愛称だ。この近くに電停がある。
「大丈夫。俺が運賃立て替えておくから」
「そうじゃなくて、何でわたしがオンボロ電車に乗らなきゃいけないの?」
康介が慌てているのは分かったが、柚香には唐突なことだった。
「町長は今、へお城にいるんだ。へお電に乗って早く迎えに行かなきゃいけないんだよ。途中で話の続きをするから、ついてきてよ」
「えええっ。わたし、自転車でここまで来たのよ」
抗議の声も空しく、柚香は康介に連れられて、へお電の電停まで歩くことになった。
へお電は、四角川駅から一般道路を走り抜け、へお町に入り、へお城の近くまで続いている小さな鉄道だ。町役場からは、へお電の車庫までが十分、そのあと上り坂が続き、さらに十五分ほどでお城を囲む公園の東口に到着する。
へお城は、なだらかな丘の上に建てられているが、大抵の場合、この路面電車を利用して行くことになる。
へお電は、大きな赤字を抱えている。
実は何度も廃線の危機に直面していた。代替バスを走らせれば、お城まで行けるという案もある。けれど、そのバスを走らせるだけの価値がへお城にあるかどうかが問題となり、現状維持となっているのだ。
へお電の財源の一部は、へお町が負担している。この路面電車の負債も、へお町の大きな問題になっていた。
『町役場前』の電停で、柚香と康介は路面電車を待つ。
しばらくすると、ガタンガタンゴトゴトッと大きな音を響かせながら、電車が線路をやってきた。付近を走る車や自転車と比べると、スムーズじゃなさそうな走りっぷりだ。
長年の使用に耐えた『へお城入口』という行き先表示板が、電車の窓の上部から覗いていた。次々LED表示をしている近頃の路面電車とは、時代までもが異なりそうだ。
上部の中央に一つだけ灯るライトは、どこか俯き加減で前方を照らしている。車両は、お茶のような濃い黄緑色に黄色の帯がある配色で、ところどころ剥げかかっていた。近づいてみると、あちこち錆ついていたりする。
ギキキキキキッ、とやはりスマートでないブレーキがかかり、路面電車は止まった。
柚香と康介は、階段を上って車内に入った。
「あ、お疲れさまです」
運転士が康介に挨拶する。
「お疲れさまです」
康介も返す。なぜ康介とへお電の運転士が知り合いなのか、柚香は不思議に思う。
町役場の何かの関係かな。
そうは考えながらも、柚香はそのまま長椅子に腰掛けた。
見上げると、天井に灰色の羽根の扇風機が数個回っている。この暑さには何とも頼りない。
隣に座った康介は、続きを話し始めた。
***
「へおっ」
宇宙人は、再びそう声を立てると、康介のところへとことこ歩いてきた。歩きながら、宇宙人がこう言ったように聞こえた。
『お友だち、おうちへ連れていって』
お友だちというからには、なかなか友好的な宇宙人だと言える。しかも、動作や声の感じは幼い子どもとしか思えない。
「俺のうちへ来たいの?」
話しかけると。
「へおへおっ、へおへおっ」
そう声がするのだが、康介には『お願い。連れていってよ』と話しているように思われた。
頭のなかに、直接声やイメージが入ってくる感覚だ。どうやら、一種のテレパシーらしい。
いろいろ疑問に思うことはあったが、ちょっとしたはずみで家出してきた子どもが、とりあえず泊まるところを求めているような感じがしていた。
ふと、宇宙人の落ちてきた場所を見ると、カプセルのようなものはもちろん、何の痕跡も残っていなかった。
夢だったのかと疑うが、それでも宇宙人の子どもだけは本物だった。
どうも不可思議な技術があるようだ。
結局のところ、康介はそのまま宇宙人の子を連れて、家に帰ることに決めた。
自分の部屋に入れば、宇宙人の一人くらいはどうということはない。いや、どうということはあるかもしれないが。
康介は宇宙人と一緒に林を通りすぎたところで、人の話し声を聞いた。
「彼の気持ちをもっとこっちへ向けたいの。おまじないでもなんでもいいから、知らない?」
「うーん、何かあったかも」
「教えてよ。いいよなあ、うまくいっている人は」
「そんなでもないよ」
高校生くらいの二人の女の子が、どうやら恋バナを語り合っているところらしい。
康介は自分がいては邪魔だと思った。無視して、そのまま公園の出口へと進む。
「へおっ、へおっ」
時折、宇宙人の子は声を上げる。
「このまま俺の家まで歩くよ。大丈夫か?」
康介は話しかけながらも、小柄な宇宙人の歩調に合わせて歩いた。
公園を出ると、すぐそばに電停がある。線路沿いに道路があり、その先の水田の向こうには住宅がぽつぽつ見えていた。
夜風に稲の穂がかさかさと音を立てて揺れている。カエルの鳴き声が響き渡る。そのなかを、康介は宇宙人を連れて抜けていく。
無事に自分の部屋までたどり着いて、ほっとしたところで、頭のなかにまた声が響いた。
『お腹空いた』
「えっ、何食べるんだよ?」
『何でも大丈夫って、ママが言ってた』
「本当に?」
どの程度地球の物が食べられるのか分からない。とりあえず、自分の夕食を「今日は自分の部屋で食べたい」と母親に話して、何とか持ってくることができた。
宇宙人の子は、スプーンを渡すと「へおへおっ」と嬉しそうな声を上げて、あっさり食べた。
そのあとで、また頭のなかに声がした。
康介はその言葉に一瞬どきりとしたが、またもや『何でも大丈夫って、ママが言ってた』と送ってきた。
康介は、数年前に兄が独立して都心に越してから、両親との三人で暮らしている。
一か所しかないので、両親がいないことを確認してから、トイレに連れて行った。
……大丈夫だった。
わりと地球のことや地球人のことは知っているらしいし、地球の生物とよく似ているようだ。
宇宙人の子は、ほぼ茶色の毛が全身を覆っていて、猫のような三角の大きな耳が頭の上にある。もふもふしていて、うるうるとしたきれいなこげ茶色の瞳も、かわいらしい。
その晩は、布団に宇宙人を寝かせて、康介は畳の上に横になった。
窓からそよ風が入ってくるものの、熱気が立ち込めるような夜だ。掛け布団も必要ない。
意外とよく眠れた。
朝になると、町役場へ仕事に出掛けなければならない。起き上がってみれば、首や肩や背中がすっかり凝っている。
「ここに置いていても、大丈夫なのかな」
体をさすりながら疑問を口にしたが、宇宙人の子はまたしても『何でも大丈夫って、ママが言ってた』と言葉を送ってきた。
今日、康介の両親はそれぞれ仕事で、日中はいない。この子が見つかる可能性は低い。
康介は朝食のパンを余分に持ってきて、とりあえずお腹が空いたら食べるように話す。それから再三にわたって「この部屋からトイレ以外は出ないで待ってて」とお願いをしてから、出勤したのだった。
まさか昨日公園で、恋バナの女子高生にしっかり見られていたとは、このときまで考えてもみなかった。