第29話 宇宙人と好きな人と
数日後に、幼稚園の園長が再び町役場にやってきた。
「へおちゃんが来てくれて、子どもたちはみんな、とても嬉しかったんですよ」
園長先生はそう話して、康介に紙の束を渡した。
「これは?」
「園児たちみんなでへおちゃんを描いたんです。よかったら、ぜひお受け取りください」
幼稚園の子どもたちは、それぞれクレヨンなどを使って、運動会のへおちゃんを描いてくれたようだ。
「ありがとうごさいます。へおちゃんにあとで見せますね。きっと喜びますよ。町役場にぜひ飾らせていただきます」
康介は何だかすがすがしい気分だ。
「へおちゃんのなかの子にも、よろしくお伝えください」
園長先生に言われて、康介ははっとする。
へおちゃんがつい本物のように話してしまった。園児に合わせたと思ってもらえればセーフなのか。
「着ぐるみに入っていた子も、楽しかったようですよ。転んだときには他の子どもたちが優しくしてくれて、本当にありがたかったです。お招きくださって、ありがとうございました」
「いいえ、こちらこそ本当にありがとうございました。力いっぱい応援してくれて、へおちゃんの迫真の演技には本当に驚きましたけど。園児たちはへおちゃんがパンを食べたそうだったとか、本物みたいなことを言っていたんですよ」
「はあ」
どこか間の抜けた返事になってしまう。しかし、園長先生は胸に手を当てて曖昧に微笑んだ。
「正直なところ、転んだときに頭が取れちゃうんじゃないかとすごくどきどきしました」
「そうでしたか」
ちょっとばかり罪悪感を覚えつつ「気づかれずに済んで、よかったです」と、康介は小さくつけ加えたのだった。
***
「よかったね、幼稚園」
柚香は康介から話を聞いて、顔をほころばせた。
「へおへお」
へおちゃんは園児たちの絵を、尻尾を振りながら楽しそうに眺めている。
役場で飾る前に、康介が全部の絵を給湯室まで持ってきてくれたのだ。
一人一人、それぞれへおちゃんやへおちゃんの周りに運動会の様子を描いている。
なかには柚香と康介らしい人物まで絵にしている子もいる。へおちゃんがただの茶色の塊の子ももちろんいるが、みんながへおちゃんを思って描いてくれたことがよく分かる。
「幼稚園の子、やっぱりへおちゃんが好きだったんだね。行ってよかったね」
柚香は絵を味わいつつ、しみじみと話す。
「よし。それじゃ、そろそろ準備するか」
康介がいきなり立ち上がった。
「えっ、準備って?」
柚香は何も思い当たることがない。
「柚香も手伝ってよ」
「何?」
康介は、ドアのそばに置いてあったスーパーの袋を持ってくる。がさがさという音とともになかから出てきたのは、袋に入ったアンパン三つと凧糸だ。
それから、立てかけてあった長い木の角材を手にする。
「役場の資材置き場から木材を借りてきたんだ。これに、糸をつけたパンをぶら下げるんだ」
「ちょっと待って。まさかパン喰い競争、ここでやろうって言うんじゃ……」
「そう。よく分かったね」
にっこり笑う康介に、柚香は呆然とする。
「ええーっ」
「へおーっ、へおへおっ!」
抵抗を試みるが、へおちゃんの歓喜の声にかき消されてしまう。
へおちゃんは飛び上がって喜んでいる。
給湯室の一番奥の適当な場所に、康介が糸を吊るした角材を設置する。
もちろん、糸の下にはアンパン。
ドア付近をスタートして奥のパンを取って、またドアまで帰ってくるパン喰い競争だ。
「へおおおっ」
準備ができると、へおちゃんは瞳をきらきらと輝かせた。
その様子に柚香はとても癒される。
「用意できたぞ」
康介の瞳が優しく笑っている。
その様子が眩しいくらいに、好きだ。
けれど、冗談になってない。
柚香は思う。
二十八歳にもなって、宇宙人と好きな人と一緒に、パン喰い競争をするなんて。
「位置について、よーいドン!」
康介のかけ声とともに、柚香も康介もへおちゃんもドア付近から走り出す。
三人はほぼ同時に奥のパンを口に咥えようとする。が、意外と難しい。何度も空振りしている。
「手を使うなよ」
「ええっ」
康介の厳しい指示に、思わず柚香は不満の声を漏らす。
「へおっへおっ」
へおちゃんは懸命にパンを口で捕えようとしている。
宇宙人、地球の食べ物でこんなことやるものなのかな。
柚香は横目でへおちゃんの格闘ぶりを見ながら、そんな考えがよぎる。
とにかく何をしているのか真面目に考えないことにする。康介に背を向けていないと、口を開けてパンを狙っている自分が恥ずかしすぎる。焦ると余計に掴めない。
「へおおーっ!」
へおちゃんの雄たけびが聞こえた。
見事一番にアンパンを口に咥えたへおちゃんが、給湯室のドアのゴールへ向かって走っていった。
土曜日の午前中はよく晴れたが、午後になってから急に曇り出し、冷たい風が吹くようになった。
十一月に入り、そろそろ肌寒く感じる日も多くなっている。
柚香はへおちゃんと康介との三人で、いつものように観光客のところに行っては、写真を撮るのを手伝ったりしていた。
へおちゃんもすっかり慣れている。人々の間にちょこちょこと入り込み、「へおへお」と言いながら握手したりしている。
「へおちゃん、あったかいねぇ」
手を握った女の子の言葉は、実感がこもっていた。確かに、これからはへおちゃんのもふもふもぶりがますます人気を呼びそうだ。
へおちゃんの茶色いような金色のような毛並みが風にふわふわと吹かれているのを見つめながら、柚香は上機嫌だった。
「あの、職員さん」
呼び止められたのは、そんなときだった。小学生と思われる男の子が、柚香の近くに来ていた。
「あの子、帽子を落としちゃったみたいだよ」
「えっ」
池のそばでうろうろしている女の子がいる。こちらは、小学生になったくらいの子だろうか。
池のなかには、確かに白い帽子が浮かんでいる。風に吹かれて落としてしまったらしい。
「知らせてくれてありがとう」
柚香は男の子にお礼を言う。
柚香と康介は、帽子をよく確認する。水の流れに乗ってしまったのか、もう手の届かない位置にあった。
康介がすぐに踵を返す。
「俺が管理棟に話して、網か何か持ってくるよ」
「うん、頼むね」
走って行く康介に手を振ると、柚香は帽子を落としたらしい女の子に声をかける。
「帽子、取ってあげるから池に近寄らないでね。少し待っててね」
「うん」
女の子は帽子が気になりつつも、池から離れてくれた。
以前、この池でへおちゃんが落下した地点は浅瀬だったが、この辺りはかなり深い。
池のそばには、教えてくれた男の子をはじめ、子どもたちや親も数人いる。柚香はスタッフとして、帽子に近づかないように周りに注意を促した。
康介が走って戻ってきた。白いタオルとビニール袋と長い柄のついた網を持っている。
「柚香、これ持ってて」
柚香はタオルと袋を受け取る。康介は網を持って池へ近づく。
へおちゃんと並んで、柚香は康介の様子を見守ることにした。
「俺が取ってやるよ」
そのとき、後ろから聞き覚えのある声がした。





