第28話 へおちゃんと運動会
柚香は、康介と園長先生との話を聞いて笑ってしまう。
「完全に信じてもらえて、助かったね。それにしてもチャックないし、頭取れないよね」
「へおおっ?」
へおちゃんは目をぱちぱちとする。意味が分からなかったようだ。
「着ぐるみだと中身は人間なんだよ。着ぐるみには背中にチャックがついていて、頭も取れるようになっているんだ」
「へおっ?」
康介は、へおちゃんの落書き用に持ってきたスケッチブックと色鉛筆を取り出した。
時々康介がへおちゃんに、へお城、猫や犬などの動物、JR四角川線やへお電の電車などの絵を描いてあげているらしいが。
そこに着ぐるみの絵を描いて説明する。だいたい伝わったようだ。
へおちゃんはふわふわの背中をごしごしこすったり、あごの下に手を置いて持ち上げてみたりする。
その様子がおかしくて、柚香も康介もお腹を抱えて大笑いだった。
幼稚園からは、運動会の綱引きの後に休憩があるので、そこで園児たちの前に出てきてほしいという依頼があった。
そのあと二つの競技を見学してから、手を振って帰ればいいとのことだ。
「へおわかば幼稚園の子と、今度こそ会えるね」
柚香も今回は余裕だろうと思っていた。
当日は、秋晴れのよい天気だった。
幼稚園のバスが迎えに来てくれる。へおちゃんを連れて、柚香も康介も乗り込んだ。
園に近づくと、園庭から子どもたちの声援や運動会らしい軽快な音楽が聞こえてきて、賑やかだった。
『赤組さん頑張れ、白組さん頑張れ』
放送が響くなか、柚香と康介とへおちゃんはバスを降り、園庭の様子を窺う。
小さな子どもたちが集まって綱引きをしている。真っ赤な顔で引いているのを見ると、どこかほほえましい。
この幼稚園ではないが、柚香は康介と同じ園に通っていた。
園児たちは大人からすれば、改めて小さく幼く感じる。
そうか。こんな小さなころから、自分は康介と一緒だったんだな。
柚香はほんのひととき、そう思った。
勢いよくピストルの音が鳴って、綱引きの勝ち負けが決まった。
周りから拍手が湧き起こった。
幼稚園の若い女の先生が案内してくれる。
「このあと休憩になりますから、こちらから入ってください」
園児たちの騒がしい声をかいくぐって、へおちゃん一行は入場門付近へと向かう。
「へおちゃんがいるよ」
「へおちゃんだ」
近くにいた子どもたちから声が上がる。
『幼稚園のみなさん、へおちゃんが来てくれました。これから十五分間休憩に入ります。ぜひへおちゃんに会いに行ってくださいね』
放送が入ると、園児たちから歓声が起こり、一斉にみんながこちらにやってきた。
「へおちゃんだ」
「へおちゃん、へおちゃんが来た」
「へおちゃんも、運動会に出るの?」
「へおちゃんは、見に来たんだよ」
柚香が答える。
「へおへお」
へおちゃんも合わせたように返事をする。
園児たちがすっかりへおちゃんを取り囲み、柚香も康介も一歩も動けない。
まあ、この間会えなかった分、ここでいろいろサービスしなくては。
休憩時間が終わるまで、へおちゃんも柚香も康介も、幼稚園児の攻撃に一生懸命応えるのだった。
あとは二種目見学して、帰るだけだ。
再び園児たちが園庭に並んで、先生や保護者たちが用意を始める。
「へおっ、へおへおっ!」
最初に気づいたのは、へおちゃんだった。
大きな声を出すだけでなく、そちらへ行こうとするので、柚香も康介もすぐに分かった。
パンだ。
先生たちが長い木材の棒を運んでいる。棒から糸でつるされている袋入りのパンが揺れている。
「パン喰い競争だ。へおちゃん、待てっ」
今にも飛び出しそうなへおちゃんを、康介が慌てて引き止めた。
「見学だけだってば」
柚香もへおちゃんの手を引っ張って、見学場所から出ないようにする。
「へおっへおっ!」
へおちゃんは興奮気味だ。
「分かったよ。今回は幼稚園の子のためだからだめだけど、そのうち同じものを作ってやるから、今は見るだけにしろよな」
康介が呆れた声で告げる。
「そのうち作るって……」
柚香は少々引っかかったものの、へおちゃんがおとなしく席に座ってくれたので、そのまま一緒に見学する。
「へおーっ、へおーっ!」
園児たちが並んでピストルの音とともに走り出し、棒にぶら下がったパンの袋を口に咥える。そのあとは手で持ったり落としたりしながらも、走ってゴールしていく。
「へおーっ、へおーっ!」
異星人の声援はかなり本気っぽくて、なかなか盛り上がるのだった。
次の競技は、借り物競争だった。
「スタートしたらメモを拾って、そこに書いてあるものを探して、持っていってゴールするんだよ」
康介は、へおちゃんに分かるような分からないような説明をする。
「ゆっくり見ていなよ」
柚香がそうアドバイスする。
園児たちがみな集まり、最初の組の子がスタートラインに立つと、弾けるようなピストルの音が響いた。
走り出した子どもたちはメモ用紙をすぐに拾い、それぞれ散っていく。
紙に書いてある字を読めない子もいるため、放送が入る。
『眼鏡をかけている人』
そばにいたお兄さんが借り出される。
『おじいさん』
すぐに白髪の男性が借り出される。
『先生』
幼稚園の先生が一人、一緒に走る。
何だか特徴のある人が書いてあることが多い。
二番目の走者もそんな感じだった。
三番目ともなるとみんな慣れてきて、保護者の間から「自分も呼ばれることがあるかしら」なんて声も聞こえてくる。
『年長さんのお母さん』
一瞬誰が行くか揉めるけれど、すぐに一人の女性が出る。
『帽子をかぶった人』
これもすぐに見つかる。
『へおちゃん』
「えっ?」
「へおっ?」
まさかのへおちゃん借り出しだ。慌てて康介も立ち上がって後ろからついていくことにする。
この演出は思ってもみなかった。
「へおっ?」
へおちゃんも不思議な顔をしつつ、園児と手をつないで駆け出す。
「へおちゃん、早く早く」
手をつないだ子が急かす。へおちゃんは走る。
へおちゃんと手をつないだ園児たちはどんどんスピードを上げる。その組の一位になって、ゴールへ向かっていく。
ずるっ、と嫌な音がしたのは、ゴール寸前だった。
「へおおーん」
「へおちゃん!」
叫び声に康介は立ち止まる。スタート地点で柚香も固まる。
へおちゃんは見事に転んでしまった。
どうやら、へおわかば幼稚園の園児の前で、へおちゃんはすっ転ぶ運命にあるらしい。
へおちゃんは座り込んだまま、うるうるした瞳をみんなに向けた。
「へおちゃん、大丈夫?」
同じにスタートしていた園児たちが集まってくる。
へおちゃんの瞳にうるうるうるっと潤いが増してきた様子だ。
泣いちゃうかも。
柚香は焦った。今すぐへおちゃんのところへ行くべきかと迷う。
すると、一人の女の子がへおちゃんの擦りむいた足の近くへ、右手をかざした。
「痛い痛いの飛んでいけ。へおちゃんの痛いの、飛んでいけ」
「へお?」
へおちゃんは、今のが一体何なのか、戸惑っている様子だ。
「へおちゃん、痛いのがどこかへ行くおまじないだよ」
近づいて、康介がそう話しかける。
宇宙人におまじないが通じるのか分からないが、とにかくへおちゃんは、痛みから注意が削がれたらしい。
泣かないで立ち上がった。
「へおちゃん、強いぞ」
「へおちゃん、すごいなあ」
園児たちは口々に声をかけると、へおちゃんと手をつなぐ。
「がんばったね、へおちゃん」
次の園児の言葉に、へおちゃんは褒められたのが分かって、にっこり笑った。そのままみんなと一緒にゴールへ入っていく。
ぱちぱちと拍手の音まで聞こえてきた。
「ありがとうございました」
康介が頭を下げてから、ゴールへ向かう。
ゴールには、転んだことを忘れたようなへおちゃんがいた。
園児たちは本当に偉かった。
おかげでへおちゃん一行は、笑顔で幼稚園から帰ることができた。





