第27話 康介の話
まずいと思ったが、もう遅い。
子どものときからそうだった。柚香は時折ふと口を滑らせたり、行動してしまうことがある。
普段は自分が不器用なのも自覚していて、それなりに緊張して注意しているつもりだ。けれど、浮かれてしまっている今、知らないうちに何やらぽっと言ってしまったりする。
康介は、そんな柚香の焦りには気づいていないようだ。
「そんなことないよ。スポーツができる奴とか話の面白い奴とかのほうがもてるよ」
「そうかなあ」
康介の返事に適度に返したつもりだった。だが、康介は話を続ける。
「高校のとき、他のクラスの子から告白されて付き合ったのが初めてだったんだけど、何かと世話をしてくれるタイプの子で、それが重いと思っちゃったんだよね。つい連絡しなかったりしたら、すごく責められたりしてさ」
「……」
「俺もどうしたらいいか分からなくて。高校卒業するころには別れていたんだけど、大学のときも就職してからも時々彼女から連絡が来るし、家まで訪ねてくることもあって……それが疲れて。積極的な女の子は何だか難しいって思ってしまうんだ」
全く知らなかった康介の話に、柚香は一瞬言葉をなくす。
「……そうなんだ」
柚香は重々しく返事をする。
康介ははっとした表情になった。
「あっ、変な話でごめん。もう過去のことだから」
「ううん。わたしこそ、嫌なこと思い出させちゃってごめん」
気づまりしてしまったので、話題を変えようと柚香は尋ねてみる。
「ね、康介って高校のときは部活何やっていたの? 美術部?」
「うん。兄貴と同じ高校だったから、野球部に入ると思われていたけどね」
「お兄さん、野球上手だったんだよね」
康介には六つ年上のお兄さんがいる。確か結婚して、今は都心に近いところに住んでいると聞いている。
「そうなんだよな。兄貴は野球部でレギュラーだったのに、俺はそういうセンスは全くなくて。やっぱり兄弟でも合う合わないってあるんだなと気がついたよ」
「へぇ、そうなんだ」
柚香は気分が上昇する。
「わたしも、お姉ちゃんとは違うタイプなのよ」
柚香は、姉とは違って何でも上手にできないとは語らず、違うタイプだと告げる。
「お姉ちゃんの得意なことが何でわたしにはうまくいかないんだろうって悩んでいたけど、やっぱり兄弟姉妹、みんな違うものなんだよね。康介は絵を描くの得意だから、美術部でよかったんじゃない」
「……うん。でも、二年生のとき、彼女も入部してきたんだ」
康介の口調は予想外に暗くて、柚香は気づく。
「彼女って、最初につき合った?」
「そう、全く興味のない部活なのに。それからも、いろんなところで彼女が待ち伏せしていたりして……」
余計にまずい話題になっている。しまったと柚香は後悔したが、遅すぎる。
言葉を返すことができない。
柚香は、高校のときは写真部の幽霊部員だった。友人に頼まれて入ったものの、最初だけであとは帰宅部同然。青春らしい恋愛や友情や体験は、ほぼ皆無と言えそうだ。
ただ写真の撮り方のコツくらいは覚えていたので、それが今のへお城で役に立っている。どんな経験が生きるのか分からない。
けれど、康介の高校での出来事は、完全にその後に悪い影響を与えてしまったらしい。
「そのせいかな、どんな女性ともあまり付き合えないんだよ。告白されて付き合ったことが何回かあるけど、いつも緊張してほとんど喋れなかったりして、結局数回で向こうからつまんないって言われたりして。……全然うまくいかないんだよな」
康介はひどく寂しそうに笑った。柚香はその表情に虚をつかれる。
「あ。ごめんな、こんな話しして」
康介は突然うろたえる。
「ううん、いろいろあったんだね」
柚香はしんみりと答える。康介はその言葉に、落ち着きを取り戻したようだ。
「まあ、このくらいの年になってみれば、みんなそれぞれいろいろあるよな。柚香だって仕事とか、いろいろあったんだよな?」
「えっ、……うん」
いろいろというのが、おそらく仕事だけでなく鷹黒さんとの会話から考えたことだろうと分かった。
康介はあのやり取りを、何も思わずに聞いていたわけではないと直感する。
「何だか変な話になっちゃって、ごめんな」
康介の声は明るくなっていた。
「ううん」
柚香は大きく首を横に振る。すると、康介は言った。
「聞いてくれて、ありがとな」
途端に、柚香は胸にぽっと温かいものが灯り、塞いでいた塊が解けていくのを感じた。
「うん」
大きく頷いて返事をした。
「へおへおっ」
そこへへおちゃんが、二人のお箸を持ってやってきた。
もうすぐ夕食の時間だ。並べておくよ、と言いたいのだろう。
「へおちゃん、お手伝い偉いね。すぐ支度するね」
柚香はへおちゃんに笑いかける。康介もへおちゃんに話しかける。
「お腹空いたよな」
それから、柚香に向かって話した。
「とりあえず、今日の猫のおかげで、売店じゃなくてへおちゃんとの仕事ができることになったよ。桜井さん、猫や犬が寄ってくる人とは一緒にいたくないみたいだから」
すっきりとした顔を見せる康介に、柚香は嬉しくなる。
「確かに桜井さん、ものすごく猫が苦手そうだったよね」
「うん。思わぬところで助かった」
それはこっちの言いたいことだと、柚香は心のなかでにやけてしまう。
ふつふつと元気が湧いてくるのを感じていた。
***
少し前に、へおわかば幼稚園というところから役場へ、へおちゃんの着ぐるみの依頼があった。
園長が直々に、詳しい相談をするために観光課へ来ることになった。
それを聞いた小田桐課長は、康介を呼んだ。
「着ぐるみのことは羽鳥君に任せるから、面談に出てもらえるかな。へおちゃんの宣伝になりそうなら、幼稚園に出張してくれて構わないよ」
そういうわけで、康介は課長の代わりに幼稚園の園長との面談に出た。
町役場を訪れたのは、六十代くらいの品のよさそうな女性だった。
「実は、二十六日にわたくしどもの園で運動会を行う予定なのですが、少しのお時間で構いませんので、へおちゃんの着ぐるみに来ていただけないでしょうか」
園長先生は丁寧に頼んできた。
「はい、お子さんたちに喜んでもらえるなら」
康介は請け負った。
「ありがとうございます。園児たちにへおちゃんはすごく人気でして。十六日には、へお城に遠足に行ったんですよ。でも、そのときはへおちゃんがいなかったみたいで、会えなかったんです。おうちでなかなかお城に行けないお子さんもいて、とても残念がってましてね」
「そうでしたか……。それでは、ぜひ伺います」
日にちからして、へおちゃんが転んだときに来ていた幼稚園に違いなかった。
あのときは行けなくて申し訳なかったと思う。少しは埋め合わせをしたいところだ。
「ありがとうございます。それで、あの、幼稚園にお越しくださるにあたって、一つお願いしたいことがあるんです」
「え、何でしょうか」
もしも、へおちゃんが着ぐるみでなければできないことを頼まれたりしたら。
康介はひやりとした。
園長先生は静かに話した。
「あの、絶対にへおちゃんが着ぐるみであることを、園児たちに気づかれないようにしていただきたいのです」
「着ぐるみとは思われないように、ですか」
思いがけない条件に、康介は確認をする。
「はい。園児たちのなかには、へおちゃんを本物だと信じている子もいっぱいいるので、夢を壊したくないといいますか……」
園長先生は言い淀んだが、康介は安堵する。それならお安い御用だ。
「よく分かりました」
「普通ならこんなことまでお願いしないのですが、へおちゃんの着ぐるみさん、本当にすごいなと思いまして」
「えっ、何か?」
一体何がすごいのか、考えるとどきりとする。
「うちの園児のお母様がお話ししてくださったのですが、お城に遊びに行ったときに、へおちゃんの着ぐるみが池に落ちたそうなんです。そのとき、普通の子だったらわあとかきゃあとかいうのに、ちゃんとへおちゃんの声みたいな悲鳴だったそうで。そういう声もテープに入っているなんて、本当によく作っていますよね。だから、ぜひにと思ったんです」
「そ、そうですか」
冷汗を掻きながらも、康介は何とか平静を保つ。
「決して子どもたちの前で、頭を取ったりチャックを開けたりしないでいただけませんか」
重ねてお願いする園長に、康介は今度は自信を持って答えた。
「ご安心ください。大丈夫ですよ」





