第24話 よろしくない
「あっ、柚香。午後はへおちゃんと一緒にいられそうだよ。さっき、売店の人と話してきた」
荷物を置きながら、康介が声をかけてきた。
「……うん」
なぜか柚香は言葉がつかえてしまう。もっと話そうと思うのに、思考がこんがらがっている。
今しがた見たばかりの、女の人が康介に話しかけているところが、どうしても頭に浮かんでしまう。
「へおちゃん、今のところ大丈夫みたいだな」
「うん」
何か言いたいのだけど、何も話せない。胸元が塞がれそうな感じがして、喉が詰まる。
わたし、どうしたのかな。疲れでも出たかな……。
一日何とか乗り切って、今夜はよく休もう。それできっとよくなる。
そう考えようとするのに、自分がいつものようにトレーナーとズボンという格好で、おまけにお茶色の『へお城係員』という腕章をつけていることが、ひどく気になる。
そして、先程の女の人が……。
「羽鳥さん」
まさしくその売店の女性が、康介を呼びに現れた。
「終わったら、お店のなかに入ってくださいね。奥の準備はできましたから」
「はい」
康介が返事をすると、女の人は柚香に今気がついたというように、顔を向けた。
「着ぐるみも大変ですね」
しとやかな声音で、こちらに話しかけてきた。
「ええ」
うまく言葉が出てこない。本当にきれいな人だと柚香は思う。
「売店のチーフの桜井と申します」
笑顔で挨拶されたので、柚香も頭を下げてから答える。
「竹原です」
声はちゃんと出たと思う。だけど、心の奥がずきりと痛み、何か冷たいものが自分のなかに広がっていくのを感じる。
「アルバイトの人ですよね。羽鳥さんから聞いています。お店も忙しいので、羽鳥さんにはいろいろ助けていただいているんですよ。これからも、よろしくお願いしますね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
柚香は何とか答えたけれど、これは本心じゃないよなと自分に突っ込みたかった。
よろしくない。実によろしくないかも。
その日の昼食は、へおちゃんと二人きりだった。
康介は売店の人たちと交代でとったようだ。桜井さんと一緒に食べたんだなと、つい考えてしまう。
今まで、売店のチーフは男の人だとばかり思っていた。あんなにきれいな女の人だとは思ってもみなかった。
いくら柚香が鈍感でも分かる。食事に誘ったり、あんなふうに微笑みかけたりしていたのは……。
午後もだいぶ過ぎたが、康介はやって来ない。
へおちゃんは柚香と二人きりでもしばらくは大丈夫そうで、売店からも離れていた。
なかなか康介が戻ってこないのが気になる。
柚香はへおちゃんを促して、それとなく売店の方へ近づきながら、観光客に写真を撮ったりしていた。
売店の近くに着いて、康介を見つけた。お饅頭の箱を持って、こちらへ向かってくるところだった。
「ちょうどよかった。へおちゃんにお饅頭を持ってもらおうと思って」
「売店の方は、もう大丈夫なの?」
柚香は康介から箱を受け取る。
「うん、向こうも大変そうでいろいろ頼まれてて、遅くなってごめん」
「ううん、へおちゃん、頑張ってくれたから。大丈夫だよ」
わたしは大丈夫じゃないかも。
柚香は心のなかで呟きながら、へおちゃんにお饅頭の箱を渡す。
「お饅頭、サンプルだから食べないようにね。明日は焼きそばパン買ってあげるよ」
「へおへおっ」
へおちゃんの嬉しそうな声に、柚香の気分も少し上向きになる。
そろそろ売店から離れようとしたところ、後ろから声をかけられた。
「あ、この前の着ぐるみ」
スタッフの鷹黒さんだ。
「こんにちは」
柚香は元気に声を出そうと努力した。
「もう、坊主の怪我は治ったの?」
「坊主? ああ、へおちゃんなら大丈夫です」
坊主とは何だかぶっきらぼうな言い方だなと柚香は思ってしまった。
「あんたの方が心配だね」
「は?」
「彼氏もいないの?」
「え?」
「彼氏はいないのかって訊いてるんだよ」
「いないです……」
勢いに押されて答えてしまうと、鷹黒さんはにやにやと歪な笑いを浮かべている。
「しょうがないねぇ。お嫁に行かない年じゃないだろう」
何でこんなことになったのか、柚香は混乱している。何だかひどくみじめな気分。
「鷹黒さん」
康介の声が割って入った。
「俺だって彼女いないですよ」
「羽鳥、お前には聞いてねえよ」
「何で女の人にだけ、そういうことを訊くんですか」
「いい年した女の子のことは、心配するってもんだろ」
「心配してないんじゃないですか」
康介が言い切ったところで、売店のスタッフの人たちがちょうど通りかかったので、さすがの鷹黒さんも続けられなくなった。
「ふん、何言ってるんだ」
そう言い捨てて、去っていった。
「柚香、あの人はああいう人なんだ。気にするなよ」
「うん……」
康介が柚香のために言ってくれたのは分かる。だけど、何もこんなときに話さなくても。
売店の奥から、桜井さんが覗いていたのが見えた。
遠くからだったけど、それでもにこりと笑ったのが分かった。
夕方、三人でお弁当を食べつつも、柚香の心は晴れない。
「柚香、元気ない?」
康介に訊かれて、はっとする。気づかれてしまった。
「ごめん。ちょっと今日は調子悪いみたい。食べたらすぐに帰るね」
「鷹黒さんに会ったのがよくなかったね。何も気にすることないからな。役場のなかでも評判が悪いんだ。女の人にすぐああいうことを言う人なんだよ」
「うん……」
柚香は力なく答える。
「柚香がどうしても嫌だったら、へお城スタッフから鷹黒さんを外してくれるように町長に頼んでみるよ。すぐにはできないかもしれないけど、へおちゃんのことがあるから、きっと考えてくれるよ」
「ありがとう」
康介の気遣いにも、元気になれない。
鷹黒さんに変なことを訊かれたのは確かに嫌な出来事だ。けれども、それはたいしたことじゃない。
ここまでの一か月半。
へおちゃんのお世話をしていて、康介の生活も何となく見えていた。彼女はいないんだろうなと分かった。自分に彼氏がいないのも見え見えだと思うけど。
よりによって「彼女いない」という言葉を、桜井さんが聞いてしまった。
桜井さんの表情からして、すごい情報だったんだろう。
まずい。でも、どうしようもないじゃない。
柚香は家に帰ってからも、くよくよと悩んだ。
桜井さんからしたら、わたしなんて全然魅力がなさそうだ。
つい最近、お姉ちゃんと自分を比べないと誓ったばかりだというのに、それが吹っ飛んでしまう状況になっているじゃないの。
結局は、自分より優れた人と比べて落ち込んでいる。
どうしても思いつめてしまう。
桜井さんは、年齢も若くて声がよくて、顔だちもきれい。スタイルもいい。
柚香は、実は意外と食べても太らない体質なのだが、桜井さんのような女性らしい体型とは無縁だった。
性格的にも、売店の人たちに慕われている感じだ。チーフということは、しっかりした人でもあるのだろう。
服装もおしゃれだったが、それだけでなくどこか煌びやかな雰囲気もある。
桜井さんを花に例えるなら桜もいいけど、百合のような気もする。
美しくたおやかで誇り高い感じだ。
それに対して、柚香はペンペン草だ。
草地に埋もれまいと目立たない小さな花をつけているだけ。あんまり言うとたとえ植物でも怒りそうだからやめておくけど。
いや、柚香だって名前からしたら、柚子の花くらいにしてもらいたいものだ。
白百合ほどじゃないけど、白くて可憐な花をつける……ことができるのだろうか。
今の自分では、小さな草花にだってなれないかもしれない。
気持ちはぐるぐる回って、どんどん底へ底へと落ちていく。
売店が忙しいのは、本当だろう。けれど、それを理由にして桜井さんは、康介に手伝ってほしい、一緒にご飯を食べてほしいときちんと言ったんだと思う。
何となくバイトで一緒になって、夕食を食べるようになった自分とは全く違う。
桜井さんはすごく積極的に……。
自分自身の劣等感はよく分かった。もう、潔く認めよう。
問題は、それよりもっと大きい。もっと大変なことが起こっている。
毎日三人分のお弁当を頑張って作ったり。康介の姿を見つけると、いつも安心してしまったり。もっと康介と話をしていたいと感じたり。
おまけに、桜井さんのことをひどく意識している。自分がピンチに陥っているとひしひしと感じる。
ただの幼馴染なのに、どうしよう。
今になって、何でこんな事実に気づいてしまったのやら。
康介を好きになっていることに。





