第23話 町長のヒーロー話
町長室に呼ばれた康介は、町長と二人で話すことになった。
秘書の鶴田さんがすぐに立ち上がり、席を外してくれる。
それを見送ってから、康介は小声で尋ねてみた。
「へおちゃんのこと、鶴田さんにはずっと内緒にしておくんですか。不便はないんですか」
へおちゃんをお城に連れて行った最初の日、実は役場では、連絡のないままお昼近くになっても現れない町長に対して「亀野町長失踪か!?」と大騒ぎになっていたのだ。
「確かに考えたんだが、何しろ鶴田君は相当な堅物だからね。どんなに話しても信じない可能性が高いんだよ」
「そうですか」
確かに鶴田さんならそんな気がする。今日も隙のない雰囲気で、無表情なままだった。
「なるべく知っている人間は少ないほうがいいだろう」
「そうですね」
康介が相槌を打つと、町長も内緒話をするように、声を潜めて話した。
「鶴田君は十年ほどずっと同じように勤めてくれているんだけど、とにかく真面目すぎてやりづらいんだよ。実のところ、誰も声を立てて笑っているところを見たことがないって噂だ」
鶴田さんの様子を思い浮かべると、あながち嘘でもなさそうだ。
康介は、へおちゃんの話をすることにした。
「へおちゃん、着ぐるみとして大活躍ですよ」
康介が明るく報告すると、町長はご機嫌になった。
「そうか、そうか。本当にこの町も観光客が増えてよかったよ」
「思った以上に、人気がありますよね。グッズもいっぱい売れているし。僕なんかがデザインするよりずっとかわいいキャラクターですよ」
「うんうん」
町長が満足そうなので、康介としては苦労も語ってみたくなる。
「でも、トラブルはいろいろありますよ。着ぐるみに見えるようですけど、ごまかさなきゃいけないときもありますからね」
「そうなのか」
「そうですよ。先日はへおちゃんが転んでしまって、膝から血が出ていたので給湯室に連れて行こうとしたんです。そうしたら、鷹黒さんがやってきて、早く着ぐるみからなかの子どもを出してあげなよって言い出して」
「ええっ」
「それが着ぐるみのチャックはどこかって、わざわざ背中を見て探すんですよ。焦るよりちょっと笑えました。戦隊物のヒーローとか怪獣とか、本物の設定なのにチャックがついているのと同じ感覚かと」
「何言ってるんだね、羽鳥君」
町長の声は、思いがけないほど固かった。
「はい?」
「戦隊ヒーローにはチャックなんかない。あれは、ヒーローの変身した姿なんだぞ」
「あの、……町長?」
一瞬町長の正気を疑い、康介はこわごわ声をかける。
「戦隊ヒーローや地球を守る人々を馬鹿にしちゃいかんよ。正義の味方は後ろにチャックつきの服なんか着ていないんだ」
「……」
何と答えたものか分からず、康介は口を開けたままになってしまう。
すると、町長はやや落ち着いた声を出した。
「羽鳥君、夢を壊しちゃいかんよ」
「はあ。すみません」
二十代の自分が、まさか六十代の町長に夢を壊すなと諭されるとは思ってもみなかった。
どうやら町長は、戦隊ヒーロー物に夢中な孫の相手をしているうちに、そう発言するようになってしまったらしい。町長自身、テレビや映画のヒーローに憧れていた時代があったようだ。
***
「何それ。へおちゃんのチャックより、笑えるんだけど」
給湯室へ戻る途中、歩きながら話を聞いていた柚香は吹き出しそうになる。
「全く、町長には参ったよ。本気でヒーローが本物だと思ってないにしても、人にはそうやって話す癖がついているらしくて」
「もともと宇宙人にゆるキャラを依頼するだけあるよね」
「本当だよな」
柚香と康介が声を合わせて笑うと、へおちゃんが不思議そうに首をかしげた。
三人は、夕暮れの公園をゆっくりと歩いていく。山の向こうに日が沈んでいく。
涼しい風が吹いて、すっかり秋になっていた。草むらから、小さく虫の鳴く声が聞こえてくる。
へおちゃんは、耳をぴんと立てる。
「へおっ?」
うるうるな瞳を見開いて、草むらを何度もがさがさとかき分けて、虫を探していた。
やがてオレンジ色に染まった空に、星が一つ二つ、輝き始めた。
「へおお」
今度は星を指差したへおちゃんに、柚香が問いかける。
「へおちゃんの星ってどこだろうね」
ややあってから、康介が答えた。
「遠くって言ってる。渦巻の星々をいくつも越えたところ。少なくとも、ここの銀河系とは全く別のところなんだろうな」
へおちゃんの住む星は、遥か遠くにある星の海のなか。高度な星間飛行の技術により、いくつもの銀河系を越えることができて、初めて到達できるような場所だ。
天の川銀河だけでも、二千億個の恒星があると言われる。どのくらい先のどこにある星なのか、地球からは想像がつかない。
「スケールが違うねぇ」
ため息交じりに柚香は話す。
「でも、へおちゃんの星にも同じような夕焼けがあるみたいだよ。月もよく似ているって」
「そうなの?」
「へおへおっ」
へおちゃんのうんうんと言いたげな返事に、二人は親しみを覚える。
届かない世界にいると、一概には言えないのかもしれない。
土曜日には、へおちゃんが迷子になってしまうというトラブルが起きた。
へおちゃんが子どもたちに囲まれている間に、柚香が道を尋ねられたのがきっかけだった。
公園には雑木林も多いし、お城の跡地として保存されて囲いのあるところやトイレなどの建物も点在する。見通しがきかない場所も意外と多い。
案内しているうちに、柚香はへおちゃんと離れ離れになってしまったのだ。
康介は、その日一日、売店の手伝いを頼まれていた。日曜日も同じ予定になっている。
今週末は、特に売店のアルバイトの人が少ないとのことだった。
日曜日の朝、柚香は康介に相談してみた。
「へおちゃん、昨日迷子になったのがまだ心配みたいなの。わたしのミスで申し訳ないのだけど、今日は少し、へおちゃんと一緒にいてもらえないかな?」
「柚香のミスじゃないよ。昨日は人出が多くて、どこも大変だったから。へおちゃんが不安定になっているのは、テレパシーで知っているよ。なるべく今日は、俺も一緒にいてやりたいんだ。どうするかな」
康介は考え込んだ。
へおちゃんは、康介にも不安を訴えていたようだ。
今日も人出が多くなりそうだった。できれば三人で行動して、へおちゃんが間違っても一人にならないようにしたい。
「とりあえず、午前中はなるべく、売店の近くで柚香とへおちゃんが観光客を迎えるようにしたほうがいいな。へおちゃんが大丈夫そうなら、少しずつ他のところへ行けばいいかも。俺は、売店のチーフに昼ご飯を誘われているから、そのあと午後に抜けるのなら何とかなるよ」
確か先週の土日も、売店のチーフの人から昼食に誘われて一緒に食べたと康介は言っていた。きっと気に入られているのだろうなと柚香は思う。
「忙しいのに、ごめんね」
「ううん、そんなことないよ。俺が手伝えない方が申し訳ないよ」
康介はそう話してから、へおちゃんの頭を撫でた。
「俺もそのうち行くからな。柚香と一緒に頑張ってくれよ」
「へおおっ」
へおちゃんは、ぴんと耳を立てて、力強く応えてくれた。
康介が売店に入り、柚香はへおちゃんと一緒に近くで待機することにした。
開店前なのだろう。お店に明かりは少なく、従業員口から康介が荷物を持ってすぐに出てきた。
何だ、すぐそばにいるんだ。これなら、安心だな。
柚香がほっとした瞬間、女の人の声がした。
「羽鳥さん、いつもすみません。こちらも持っていっていただけますか」
女性らしい美しい声だった。
思わずそちらを振り向くと、きれいな女の人が荷物を持っていた。
柚香より、少し年下だろう。くっきりとした二重瞼のきれいな瞳、小さな形良い唇、長い髪はさらさらとして流れるようだった。ロングスカートの上に売店のオレンジ色のエプロンをしている。
華やかで、人を引きつけるような感じの女性だ。
柚香は姉がそういう人だったから、よく分かる。
「はい」
康介が返事を返すと、女の人は笑みを深めて、康介に近づいてきた。
その人は、康介に親しげに話しかけて荷物を渡すと、また奥へと姿を消した。





