第19話 三人分のお弁当 *
康介の姿に、柚香は知らないうちに尋ねていた。
「コンビニでお弁当、買ってきたんだよね」
「ううん、買ってない」
「え……」
予想しなかった返事に、柚香は耳を疑った。
康介はためらいがちに話し出す。
「買おうと思ってコンビニに向かったんだけど、あの、いつも柚香もお腹空いているみたいだなって思っていたから」
「……っ」
柚香は声にならない声を上げる。
そう、昨日もへおちゃんのお弁当を確認していて、鳴ってしまったのだ。へおちゃんに話しかけて、適当にごまかしていたつもりだが、やはり聞こえていたのか。
お腹が空いている音が。
柚香はきまりが悪くなり、俯きかけた。そこへ康介が話しかける。
「今日は早く買いに行けたから、弁当の種類も多いと思って。だから、柚香にも何か食べないか訊いたほうがいいかなって、思い直したから戻ってきたんだ」
柚香は顔を上げる。
「そうなの。わざわざ?」
一度行きかけたのを引き返してくれたのだ。康介は頭を掻いた。
「実は俺、午後に掃除に出たあとスマホ忘れててさ、柚香に連絡しようと思って、やっと持ってないことに気づいたんだ。参ったよ。それで、また歩いてここまで来たんだ」
柚香は息を呑んだ。
「そう、なの。よかった。わたしもスマホ、忘れてたの。掃除のときから」
「え? じゃあ、どっちみち戻らないと連絡取れなかったのか」
「うん」
返事をしたら、康介が吹き出した。
柚香もつられて笑ってしまう。
「帰ってきてくれて、助かったよ」
自分が連絡してスマホの音で戻ってきてもらうなら、まだ格好がつくのだけど、実はお腹の音で戻ってきてもらうとは。
格好悪いし、全くシナリオ通りじゃないんだけど。
「実は今日、わたし、三人分のお弁当を作ってきたんだよ」
「本当に?」
この瞬間だ。この瞬間を自分は待っていたんだ。
柚香は頷いて、これまでの経緯を話そうと口を開きかけた。
そこに、康介が告げた。
「もしかして、黄色い弁当箱?」
「えっ」
一度も弁当箱の話はしていないはずだ。それなのに、なぜ康介の口から黄色い弁当箱という言葉が出てくるのか。
柚香は茫然としてしまう。
「……冷蔵庫、見た?」
「ううん。あ、もしかして、弁当箱が入っているとか?」
「そうだけど、見てない?」
「うん、見てないよ。でも、へおちゃんがね」
「へおちゃん?」
二人は同時にへおちゃんの方をくるりと向く。
「へおおっ?」
へおちゃんは、目をぱちぱちする。どうやらへおちゃん自身は、身に覚えがないようだ。
「実は、へおちゃんがテレパシー送ってくるときに、たまにへおちゃんの考えているイメージがごちゃ混ぜでくることがあってね。そこに、なぜか今日は黄色い弁当箱が出てくるんだよ。何回もね」
そういえば、今朝へおちゃんには「今日は夕方、三人でお弁当食べるよ。へおちゃんは黄色い弁当箱ね」と先に話していたのだ。
「それもちょっと気になってて。弁当買う前に確かめた方がいいかなとも思っていたんだ」
「そうなんだ……」
康介に、お弁当のことを完全に隠すことができなかったのは、残念だが。
へおちゃん、楽しみにしてくれてたんだな。
そう思うと、何だか微笑ましい気分だ。
こんなところから知られてしまうとは、もちろん考えてもみないことだったけれど。
「おっ、うまそう」
給湯室に着いてお弁当を広げたら、康介がこう言ってくれたので、柚香は嬉しくなった。
「お母さんに、いろいろ手伝ってもらったんだけどね」
くすぐったいような照れる気持ちで、柚香は話す。
「へお、へお」
へおちゃんがすぐにでも食べたそうにしている。
「いただきます」
三人で一緒に、作ったものを食べるのって、何だか家族の食卓みたいな気がする。
康介とへおちゃんでは、身長が四十センチくらい違うので、ちょうど親と小さな子どもっぽく見える。
へおちゃんが子どもで、康介がパパみたい。あれ、そうするとわたしがマ……。
わたしったら、何考えているのかしら。
急に体が火照ってきたような気がして、柚香は冷凍食品のコロッケを慌てて口に入れた。
それから、康介に話題を振ってみた。
「へお城にあんなに人が来るなんて、へおちゃんすごいよね。でも、お城にゆるキャラを作ろうという計画は、もとからあったんだよね?」
「うん、町長が熱心でね」
康介は、これも冷凍食品のほうれん草のごま和えを取りつつ、話し始める。
「ゆるキャラの話が出たときにも、会議で町長がいろいろ口出しするから」
逆に観光課のみんなで町長に問いかけたという。
「どんな感じのキャラクターがいいんでしょう、って訊いたら」
町長は、ふんぞり返ってこう宣言したという。
「へお城のゆるキャラなんだから、『きこわん』がライバルだね」
「ええっ、あの『きこわん』ですか」
観光課の全員が引いてしまった。
冗談であっても、言ってはいけないことがある。
『きこわん』は、酢賀県木古根市のご当地キャラクターだ。そこにある木古根城のゆるキャラとして知られている。
木古根城は雄大な天守閣を持ち、観光客が絶えない名所。小学校の教科書にも大きく写真が載っているような立派なお城だ。
そこにやってくる『きこわん』は、昨年のゆるキャラ総選挙で一位になった超有名ゆるキャラである。かわいい犬のような外見で、子どもにも大人にも大人気なのだ。お城に行って「会ってきた」と自慢げに写真を投稿する人がネット上にいつも溢れている。
その『きこわん』がライバルだなんて。
観光課の職員ならば、この地に職場があるんだと理性が訴えるはずだが、それでもこんな自治体から即刻脱出を図りたくなるくらいである。
「だから、ゆるキャラの案を出してほしいって言われても、本気になれなかったんだよ」
「そりゃあ、そうだね」
柚香もため息をついて、頷くしかない。
へお町のトップが、そんな発想をしていていいのかどうかも疑問だろう。
「へおちゃんはすごくかわいいけど、へお城のライバルが木古根城って思ったら、わたしもものすごく引いたよ」
「だよな?」
「へおっ?」
柚香の隣の宇宙人が、たこウィンナーを食べながら、不思議そうにひと声上げた。
とにかく、いろんな偶然が重なって、へおちゃんはへお城のゆるキャラになっている。
三人で話しているうちに、お弁当箱はみんなからになっていた。
「ごちそうさま。柚香、本当にありがとう。おいしかったよ」
最後にだし巻き卵を食べた康介が、感謝してくれた。
「よかった」
本当によかったと思う。ここまで取り組んできた成果万歳だ。
康介がへおちゃんの弁当箱を片づけてから言った。
「柚香が料理が得意だったとは知らなかったよ」
「え、それちょっと違う」
柚香は、すぐさま否定した。
「え、そうなのか? いきなりこんな弁当作れるのって、普通?」
「実はね……」
そのまま料理の得意な女性で通すこともできるのかもしれない。でも、そうしたくはないな。
柚香は自分の思ったように、話すことにした。
「うちのお姉ちゃん、覚えてる?」
「ああ、桃香さんだったよね。中学のころまではよく見かけていたよ」
「そのお姉ちゃんが何でも要領よくて、いつもお母さんと台所で料理作っていて、わたしには入る余地がなくてね。今まで料理ってほとんどしたことがなかったの。お菓子とかパンとか焼いたことはあるけど、会社が忙しくなってからはそれも全然しなくなったし」
柚香は、自分の弁当箱代わりのタッパーの蓋を閉めて、続ける。
「だけど、康介とへおちゃんがいつもコンビニ弁当を食べていて、こっちもお腹空いてくるものだから、作ってみようかなと思って」
「それで……」
「それで作れたわけじゃないよ。たまたまお父さんのお弁当をお母さんが毎朝作っていたから、そのおすそ分けが半分、あとは冷凍食品。あ、だし巻き卵は今朝作ったの。それだって、今週二回試しに作ってへおちゃんにお昼に食べてもらってるよ。それで今日が本番。やっと、本番よ」
「そうだったんだ」
「だから、全然できないんだよ」
そう話しておけば、何か安心な気がして柚香は言った。
「そうなんだ。でも、おいしかったよ」
康介は強調する。
「すごくおいしかった。ありがとう」
「へおへおっ」
へおちゃんもその通りというように、声を出す。
何だか快い達成感で胸がいっぱいになる。
柚香は答えに詰まって、小さく「うん」とだけ、頷いた。





