第18話 待ち合わせ
土曜日は曇り空で暑くもなく、吹く風が心地よく感じるくらいだった。
今の時期は、公園の中央広場にコスモスが咲いている。薄いピンク色、濃いピンク色、白、黄色、オレンジ色の花々が風に揺れている。
へお城にも、たくさんの人が訪れていた。柚香はへおちゃんを連れて、観光客の間を歩き回った。
着ぐるみのへおちゃんは「かわいい。本物みたい」と、大人気だった。
午後もしばらくすると、康介が応援に来た。
三人で観光客に応対して、時にはへおちゃんグッズの売り場に誘導したりした。
スタッフの中年の男性がお饅頭の箱を持ってきたとき、柚香はぎくりとした。
「はい、着ぐるみさんも手伝ってね」
案の定、へおちゃんに四個入りのお饅頭を箱のまま渡す。
箱ごと食べちゃうかも。
柚香は最悪の心配までしたが、康介がぼそりとこぼした。
「へおちゃんが、明日焼きそばパンだって伝えてきたよ」
「えっ?」
「へおへお」
へおちゃんの瞳がそのとおりと言いたげに煌めいている。
「もちろん、買ってきてあげるよ」
柚香がへおちゃんに向かってにっこりすると、康介もふふっと笑った。
そのとき、がさがさと草を踏み分ける音が聞こえてきた。
「あの、言い忘れてたけど」
お饅頭を渡しに来たスタッフさんが、こちらへ引き返してくる。
「その饅頭、サンプルだから、間違って食べないように」
三時を上回って、売店のお土産品コーナーが混んできたようだ。先程の男性スタッフさんが康介に何か相談にやってきた。
康介は話が終わると、柚香に打ち明けた。
「柚香、向こうから応援頼まれたんだけど、へおちゃんのこと、しばらく任せてもいい?」
「うん、行ってきていいよ。こっちは大丈夫。閉店まで手伝ってあげて」
柚香は気前よく請け負う。
へおちゃんと二人で一緒に歩いていると、よく散歩に来る近所のおばさま方から声をかけられる。
「あの男の人は、今日はいないの?」と。
どうやら、康介目当てで来ているのだとすぐに分かった。もちろんへおちゃんが一番人気なのだが、陰では康介も人気があるらしい。やはりイケメンは違う。
だから、売店の人がちょっと康介を借りたいと思う気持ちは、理解できなくもないのだ。
しかし、当の本人は全然分かっていないようだった。
「助かるよ。それじゃ、俺は五時過ぎに記念看板のところへ行くから、そこで待ち合わせってことで」
記念看板というのは『へお城観光記念』という大きな看板のことだ。
その日の日付も入って、ちょうどお城がうまく写真に収まる位置にある。大抵の観光客は、ここで写真を撮る。
それなので、特に用事がない場合、へおちゃんと柚香はここへ戻ってくることにしていた。
「分かった。頑張ってね。またあとで」
柚香は康介に手を振った。
「へおおっ」
最近ではへおちゃんも手を振ることを覚えた。ふわふわの茶色い毛が生えた手の甲を挙げる。
小さい子どものもみじのような手だ。それを康介に向けて、小刻みに振る。
ちょっとぎこちないのも愛嬌だ。
「それじゃ、お城の方を見に行こうか」
柚香は康介の後姿を見送って、へおちゃんを促した。
「へおっ」
へおちゃんは、全く疲れも見せず、楽しそうに柚香についてくる。短い尻尾をぱたぱたと振って、歩き出した。
そのあとは、しばらくへお城の見学を終えた観光客の前に立って、柚香もへおちゃんも忙しかった。
お城の閉館時刻が迫るころには、人もまばらになった。へおちゃんが来る前のへお城は、週末の昼間もこんなものだったけれど。
もう五時過ぎたかな。
柚香は、スマホで時間を確認しようとして、初めて気づいた。
スマホ、忘れている……。
確か、お昼に給湯室で三人で休憩をとっているときに、松谷さんが呼びに来たのだった。
昨夜の大雨で、水浸しになった箇所が見つかり、スタッフ総出で急遽掃除をすることになった。
それで、柚香も康介と一緒に手伝いに出たのだ。
その途中で団体客が来たので、すぐにへおちゃんを連れて外に出た。それっきり給湯室に帰っていない。
掃除が終わったところで一旦引き返し、スマホを持って出るつもりだった。それなのに忙しさにかまけて、そのままだったのだ。
まあ、いいか。
柚香としては、今日は楽しみなことがある。
夕食は、みんなで初のお弁当の予定なのだ。
今週はずっと朝早めに起きて、母の指導の下、お弁当作りを準備してきた。といっても、毎日続けられる程度の簡単なものだ。
母の作った昨晩のおかずや冷凍食品を組み合わせて、枝豆やだし巻き卵やミニトマトなどを入れると、まあまあの彩りになる。
これまでは、へおちゃんと二人のお昼ご飯に、毎日数品を持ってきてみた。へおちゃんには、専用の黄色いお弁当箱を用意した。
初日はその弁当箱を齧られそうになったものの、その後はどのおかずもおいしそうに食べてくれた。
今日は休日でイベントもあり、スタッフのお昼ご飯は用意してもらえる。そこで柚香は、初めて夕食用にきちんとしたお弁当を用意してきたのだ。
いつもは、夕方康介がコンビニ弁当を買ってきて、へおちゃんと二人で食べる。柚香はその付き添いをしてきた。
それもだいぶ慣れてきたし、自分自身もお腹が空いてしまうので、一緒に食べられるようにしたかった。そして、何より二人に喜んでもらいたくて、これまで弁当作りを練習してきたのだ。
今日のお弁当は、もちろん三人分作った。
今朝こっそり冷蔵庫に入れた弁当箱のことを思うと、柚香は胸がわくわくする。
康介とへおちゃんと一緒にゆっくり食べられる。すごく楽しみだったんだよね。
その時間がもうすぐやってくる。
柚香はいてもたってもいられなくなって、結局、観光客の姿が見えなくなったところで売店へ康介を迎えに行くことにした。
へおちゃんと売店に着いて、すでにお店が閉まっていることを確認する。けれど、康介の姿はない。
柚香は、その場で片づけをしていた男性スタッフさんの一人に尋ねた。
「すみません、観光課の羽鳥さん、ご存知ないでしょうか」
康介と行き違いになったのでは、と柚香は不安になった。
「ああ、羽鳥君か。ちょっと早めに夕食の弁当を買いに行くってことで、先に戻ってもらったよ」
「夕食の弁当、ですか」
柚香は聞き返した。
「コンビニの弁当が売り切れているかもしれないって。早く買いたいみたいだったよ」
「え、コンビニ弁当!」
柚香は思わず叫んだ。声がかなり響いてしまった。
周りにいたスタッフの人全員が片付けの手を止めて、柚香に注目してしまう。
「なっ、何でも、何でもないです。どうもありがとうございました。へおちゃん、そ、そろそろ行こうか」
慌てて手を振って話すと、柚香の気分はどんどん曇ってきた。
大粒の雨がどっさり降ってきそうな厚手の黒い雲よりも、もっとどんよりな気持ちになる。
康介には、今日夕食にお弁当を作ってきたことは、内緒にしてあったのだ。びっくりしてくれるんじゃないかと思って。
それが裏目に出てしまった。
康介に連絡したくとも、スマホがない。康介の番号も分からない。
ここからお城の給湯室までは、走っても五分はかかる。へおちゃんを連れて、そんなに早くは走れないし。
十分くらい前に出ているらしいので、もう買い終わったあとかもしれない。
何も知らずにコンビニで、いつも通りお弁当を買っている康介の姿を思い浮かべ、柚香は絶望的な気分になった。
「へおへおっ」
柚香の様子が気になったのか、へおちゃんが声を上げた。
へおちゃんがうるうるとしたきれいな瞳で柚香を見つめる。
その愛らしい様子に、柚香は気持ちが少し晴れて、目を細めた。
「ああ、ごめんね、へおちゃん。ちょっとわたし、失敗しちゃったかも。でも、みんなでご飯を食べるのは変わらないから、ね」
柚香の手製の弁当三つとコンビニ弁当二つ。
少々量が多くなるけど、康介ならきっと笑ってくれるはず。
そのとき、康介の声が聞こえた。
「あっ、柚香、こっちにいたんだ」





