第15話 忙しい週末と雨の月曜日
声をかけたものの、何と言えばいいか、柚香は咄嗟には思いつかない。
お母さんと男の子の目が柚香を怪訝そうに見つめる。緊張のあまり息が詰まって、余計に言葉は浮かばない。
ふと、草を踏み分けて進んでくる背の高い人の姿が見えた。
康介だ。
柚香は、急に力が緩み、言葉が出てきた。
「あの、すみません。着ぐるみって前があまり見えなくて、お子さんのアイスとへおちゃん、ぶつかってしまったみたいなんです。それで、へおちゃんの口にアイスクリームが入ってしまって。お子さんには、へおちゃんが食べたようにしか見えなかったと思います。お子さん、間違ってないですよ。それより、アイスクリームを弁償させていただきます」
柚香は、康介に向かって頷く。康介も頷くと、男の子のそばに座って話しかける。
「大丈夫だよ。お兄さんが代わりのアイス、持ってきてあげるから、ちょっと待っててね」
男の子は代わりのアイス、と聞いて泣き止んだ。
康介は男の子の頭を撫でてから、売店へ走っていく。
柚香はお母さんに向かって、にっこり笑ってみせる。
「買ってきますので、少しお待ちくださいね」
お母さんの方も表情が和らいだ。
「すみません、わざわざ」
「いいえ、とんでもないです。こちらこそ申し訳ありません」
柚香はそう返事をしてから、男の子に向かって話しかける。
「ごめんね。へおちゃんが食べちゃったね。でも、お兄さんが新しいの買ってきてくれるからね」
「うん」
男の子は、すっかり元気になって頷いた。
やがて康介がアイスクリームを買ってきて渡すと、親子は機嫌よくお礼を言ってくれて、去っていった。
「はあ、助かった……。康介、ありがとう」
柚香の口から、自然と気持ちが出てくる。
「柚香こそ、ナイスフォローだったよ。こっちこそ、助かったよ」
「そ、そうかな」
康介に褒められて、柚香は何だか変に照れてしまう。
「へおっ」
へおちゃんの声で我に返る。
「へおちゃん、お腹空いてた? あのね、小さい子があげるっていうときはね……」
柚香と康介は、公園の隅っこで、代わる代わるへおちゃんにレクチャーするのだった。
着ぐるみは、食べ物を食べない。あの男の子もそう思って差し出したのだと思う。
それが本当に食べられてしまった上に、お母さんから嘘つき呼ばわりされてしまったのだ。
かわいそうだったが、結果的には、何とかなったというところか。
柚香としては、康介にナイスフォローと言われたことで、救われた出来事だった。
何にしても、今後もへおちゃんが外で何か食べないように気をつけなくては。
こんなところから着ぐるみじゃないと、感づかれないようにしなくてはならない。
「へおちゃんも、だいたい理解できたと思うよ。またお客さん来たから、行こうか」
柚香は康介にそう言われて、気づいた。
「そういえば、町長は?」
「何でも孫と一緒に遊びに来ていたらしいよ。もう帰ったかも」
「そうなんだ。それじゃ、行こう」
そのあとも、お城の周りで三人で観光客の相手をして日が暮れたのだった。
週末の疲れを引きずったまま、柚香は月曜日を迎えた。
朝、いつも通りへお電に乗って給湯室にやってくると、扉を開けてくれたのはへおちゃんだった。
「おはよう、へおちゃん」
「へおへおっ」
へおちゃんの元気そうなかわいい声に、柚香は早速癒される。
部屋の奥では、康介が畳の上で横になっていた。
「おはよう。大丈夫?」
「ああ、おはよう……。疲れたよ」
「わたしも疲れて、昨日の晩は早く寝ちゃったよ」
柚香はリュックサックを畳の上に置いた。
「全く、へおちゃんは地球人とは段違いのレベルで元気だよな」
康介は体をゆっくり起こすが、まだ畳に座り込んだままだ。
「地球人とは段違いって?」
かれこれ二週間近く、半日をへおちゃんと過ごしている。そのせいか、柚香もだんだんへおちゃんが地球とは異なる星に住む、宇宙人であることを忘れそうになっている。
「へおちゃんのテレパシーから予測したことだけど、へおちゃんの種族って、やっぱり地球人に比べていろんな面で進んでいるんだよ。免疫力を高めるんだか病気を防ぐんだかで、風邪とかごく普通の病気にも罹らないみたいなんだ」
ついでに、へおちゃんのもともと持っている細菌なども、逆に地球人に感染することはないので安心するように、というメッセージが届いていた。
その辺りも遅れた文明を持つ側には、どういう原理なのかまるで分からない。
時たま、へおちゃんのボードに新しいメッセージが書かれていることがあるが、それはすべてひらがなのみの簡単なものだ。詳しい話は、地球文明への干渉となってしまうため、最低限のことしか教えられないということらしい。
「地球の食べ物を食べられるのも、技術的に何でも対応できる体になっているから、みたいなんだよね」
「へぇ、そうなんだ。羨ましいね」
「羨ましいよな」
柚香と康介はへおちゃんをじっと伺う。
「へおっ?」
へおちゃんは、耳を立てて二人を見つめる。何となく自分が羨ましがられていると気づいた様子だ。
「へおおっ」
次のへおちゃんの声で、康介が立ち上がる。
「あ、ごめんごめん。ボードだよな」
康介は戸棚の脇から、へおちゃんのボードを取り出した。
このところは、折りたたまずにそのままで立てかけてある。へおちゃんは毎日何度も毛糸の鎖編みをそれに乗せて、両親と交信したがるからだ。
「柚香が来たら、すぐ毛糸を出してもらうって言っていたんだよ」
「そうだったんだ」
柚香は、小箱のなかのアクリル毛糸の鎖編みを取り出した。
へおちゃんは、喜んでボードに並べ始める。
ボードでへおちゃんが使用しているのは、紐や棒を使った子ども用の言語だ。
大人は、ずっと複雑な言語を使用しているらしい。ただ、へおちゃんに対しては、棒状のメッセージを送ってくるのだ。
やがてボードが青い光を放った。
「会いに行くよ。待っててねだって」
康介は、いつも通りのメッセージを柚香にも伝えた。
月曜日は、へお城も休館なので、公園を訪れる人も少ない。それに、今日は朝から雨が降っている。
時たま雨脚が早くなり、ざわざわと雨粒が木々を打つ音がこだまする。
康介が役場へ出勤したあと、柚香とへおちゃんは屋内で静かに過ごすことにした。
土日の大変さが嘘のようだ。
へおちゃんは電車のおもちゃや積み木で楽しそうに遊んで、昼ご飯のパンを食べると、すぐに昼寝をした。
すやすやと心地よさそうに眠るへおちゃんを見つめながら、柚香は編み物を始めた。
空は始終鈍色で、柚香も眠くなるくらいだった。湿気を含んだ空気も、蒸し暑く感じるほどではない。
秋雨の季節もそろそろ終盤かもしれない。これから少しずつ涼しくなるだろう。
夕方になって、康介が交代に来た。
「特に何もなかったよ。今日は外にも出なかったから、ゆっくりできたよ」
柚香が報告すると、康介は一息ついてから話した。
「へおちゃん、大人気だよ。町役場に問い合わせがすごいらしい」
「ええっ、そうなの」
「着ぐるみはいつ来ますか、って質問も多いみたいだよ」
平日にもへおちゃんの宣伝をしたい。お城付近を火曜から金曜日の間にもへおちゃんを連れて回ってはどうか。
そんな話は以前から出ていた。
「こうなってくると、本当にそうすることになりそうだね」
康介の話に、柚香はただ無言で頷くしかなかった。





