第14話 秘密の着ぐるみ *
へおちゃんは、うるうるとした瞳で松谷さんを見返している。
「本当によくできた着ぐるみね。でも、暑いでしょ。お返事してくれる?」
「へおっ」
いや、へおちゃんが返事をしても松谷さんは納得できないだろう。
「へおちゃんの声じゃなくて、入っている子の声で答えてね」
「あのっ、松谷さん」
康介が遮る。
「はい?」
「あの、あのですね、へおちゃんは、へおちゃんは」
康介、まさか宇宙人だって言うんじゃないでしょうね。
柚香は心臓が飛び出してきそうなほど、どきどきする。
「へおちゃんは?」
松谷さんが重ねて訊く。
「へおちゃんは、その、何というか、秘密なんです。誰がどう入っているか、みんなに秘密にしている、ゆるキャラなんですよ」
「えっ」
松谷さんが、康介をまじまじと見つめる。見つめられている康介が汗をかいているのは、暑いせいではないかもしれない。
一瞬の間があったのち、松谷さんの甲高い笑い声が響いた。
「それ、面白いわね。じゃあ、給湯室まで連れて行ってあげて。わたしもその秘密を見ないようにしておくわ。そのほうが楽しいものね」
「そうです、そうです。ありがとうございます」
康介がじりじりと後ろに下がりながら、松谷さんにへらへらと笑いかける。
柚香もまた、同じような作り笑いを浮かべながら、へおちゃんの手をしっかりと握りしめる。
「それじゃ、お昼休憩、失礼します。あとはよろしくお願いします」
康介と柚香とへおちゃんは、その場を逃げるようにして立ち去った。
無事給湯室に入ると、康介が汗をかいた手を何度か滑らせ、やっと鍵をかける。
「助かった……」
「心臓に悪いわ」
二人は、へなへなと床に座り込む。
「へおっ?」
へおちゃんだけは、よく分からなくて、元気だ。お腹が空いたのか、好奇心いっぱいでお弁当の包みに見入っていた。
翌日は、昨日と同じような、夏の終わりにしては過ごしやすい天気だった。
昨日と違うのは人出だった。お城の付近だけでも今朝は随分賑わっている。
「何なの、へお城で今日もイベントあったっけ?」
柚香が誰にともなく言いかけると、康介が告げた。
「昨日、役場のホームページに何件か問い合わせがあったらしいよ。へおちゃんはいつ来ますかって」
「そうなの」
「へおちゃんと撮った写真や動画を投稿した人が何人かいたらしくて。役場もへお城や公園の紹介をしたから、今日は人が多いのかもしれない」
早速人が来ることになろうとは。
それでも、昨日一日こなせたせいか、柚香は前向きだ。
「そりゃ、へおちゃんかわいいもんね」
へおちゃんの左手を握りしめて、柚香は浮かれた気分になった。
「へおっ」
「へおちゃん、人気者みたいだぞ」
康介もへおちゃんに向かって、笑いかける。
その様子を見ていて、柚香は呟く。
「今日も頑張ろうっと」
「うん、頑張ろう」
康介の返事に、柚香ははっと気づく。
頑張ろうなんて、久しぶりに思った気がする。
会社で仕事をしていたときは、忙しくて疲れていて、いつも気分が落ち込んでいた。
頑張る気になったことなんてほとんどなかった。もしかしたら、新入社員時代以来かもしれない。
わたし、案外このバイトに熱中しているなあ。
柚香は自分で自分が不思議だった。
へおちゃんと康介に続いて、柚香はへお城から外へ向かって歩き出した。
観光客はすぐに見つかった。というか、すぐに見つけられてしまった。
「あっ、へおちゃんがいる。へおちゃんだ」
親子連れだけでなく、若い女性のグループなどにも声をかけられる。
柚香と康介は営業スマイルで挨拶をして、へおちゃんやへお城を紹介する。へおちゃんと一緒に写真を撮る手伝いをする。
確かに、びっくりして泣いちゃう子もいたけれど、大半の子どもはお母さんと一緒にやってきて、へおちゃんと手をつないだりしてくれた。
松谷さんの話では、売店のへおちゃんグッズもだいぶ売れ始めているという。
へおちゃんのぬいぐるみやキーホルダーを買っていくお客さんが結構いるらしい。昨日慌ただしく発売されたへおちゃん饅頭やへおちゃん煎餅をお土産に買う人も多いという。
途中で、亀野町長が汗を拭き拭きやってきた。
「いやあ、いい塩梅だね」
日曜日だというのにわざわざやってくるのは、要するに自慢したいだけのようだ。
「僕には先見の明があるだろう」
町長の次の言葉に、柚香は自分からそんなこと言っちゃだめだろうと思う。
「町長の先見の明、すばらしいです」
康介ときたら、町長をしっかり持ち上げている。臨時ボーナスでも狙っているのかもしれない。
その場は康介に任せ、柚香はへおちゃんと一緒に他の観光客のところへ行く。
そこへ、一人の年配の男性がやってきた。
「あの、トイレはどこ?」
「トイレですか」
柚香としても、地図とにらめっこをして、よく覚えた知識だ。
「ここをまっすぐ行くと、左手に小道があります。そこを入った先にある木造の建物です」
「あと、この辺にお蕎麦屋さん知らない?」
「お、お蕎麦屋さんですか」
うわ、分からない。
柚香は焦った。
誰か知っている人は近くにいないかな。
柚香はきょろきょろする。
「あ、へおちゃんだ」
そのとき、小さな男の子の声が聞こえたので、へおちゃんはそちらへ少し進んだ。
それを確かめつつも、柚香はスタッフの女性を見つけたので、呼び止める。
柚香たちへお城のスタッフは、役場から臨時でやってきた人もアルバイトの人もみな、黄緑色の『へお城係員』という恐ろしく冴えない腕章をつけているので、分かりやすいのだ。
「すみません、この辺でお蕎麦屋さん、ご存じないですか」
「お蕎麦屋さんですか。えっと、ここからだと公園の東口を出て……」
スタッフのかたが男性に詳しく教えてくれたので、柚香はほっとする。
すぐにへおちゃんを探そうとしたが、そばにはいなかった。
二十メートルくらい先で、小さな男の子と一緒にいる。
男の子は右手にコーンカップに入ったアイスクリームを持って、へおちゃんに話しかけているようだ。
柚香は近づいていく。
男の子の声がした。
「へおちゃん、アイスどうぞ」
へおちゃんにとっては、未知の食べ物だった。が、へおちゃんは食いしん坊だった。
「へおっ」
喜んでひと声上げると、バニラのアイスクリームを上からぱくり。むしゃむしゃもぐもぐ、おいしそうに食べた。
「へおへおっ」
へおちゃんの満足そうな声に、柚香は叫びたいところだが、ぐっと我慢する。
「食べちゃったあ。うわーん」
男の子が大きな声で泣き出した。
「どうしたの?」
その子の母親が、もう一人の子どもを抱っこして現れた。
「へおちゃんが、へおちゃんが、僕のアイスを食べちゃったんだよ」
「何言ってるの、へおちゃんは着ぐるみなのよ」
お母さんは、二人の子どもを連れて余裕がなかったらしく、こわばった表情で、男の子を責めるような口調になる。
「嘘つかないで。着ぐるみはアイス食べないでしょ。落としちゃったの?」
柚香はそこへ駆けつける。
男の子は、泣きながらもお母さんに訴えた。
「違うよ。本当にへおちゃんが食べちゃったんだよ。本当だよ」
「あのっ」
柚香は、お母さんに声をかけた。





