第13話 いきなり初日
「へおちゃん。へおちゃーん」
へおちゃんの姿を見つけた男の子が、芝生を真っ先に駆けてくる。そのあとを、姉らしい女の子と母親と思われる人が歩いてくる。
男の子は三歳程度、女の子も幼稚園に通っているくらいの年齢だろう。
「こんにちは」
柚香と康介は、営業スマイルで挨拶した。
「こんにちは。へおちゃんいたんだね」
男の子は、へおちゃんの手を取って、上下に振った。
「へおおっ」
へおちゃんも楽しそうだ。
「そのままこっち向いて」
やってきた母親らしい若い女の人が、男の子とへおちゃんに向かってスマホを構える。
「わたしも入る」
女の子は男の子の隣に立って、ピースサインをした。
「はい、チーズ」
女の人は、満足そうにスマホを翳した。
「おっ、よく撮れたわ」
「よかったら、三人で入ってください。写真、撮りますよ」
康介が右手を伸ばす。
「お願いします」
女の人はスマホを康介に預け、へおちゃんを真んなかにして、子どもたちとは反対側に並ぶ。
「はい、撮りますよ」
康介は写真を撮った。画像を目にした親子三人は、楽しそうに笑った。
「へおちゃんと一緒だ」
殊に男の子は、その場でぴょんぴょん飛び上がって大喜びだ。
「よかったね、へおちゃんがいて」
女の人がそう話すと、女の子も嬉しそうだった。
「へおちゃん、かわいいね。お城に住んでいるの?」
「そうだよ。また遊びに来てね」
柚香が答えると、女の子は頷いた。
「うん、また来るよ」
すると、女の人はへおちゃんのすぐそばに顔を近づけて、囁いた。
「この暑いのにご苦労様です。わたしの友だちでも着ぐるみのバイトをしていた人がいるんですけど、夏は本当に蒸し風呂状態だって話してましたよ。へおちゃんって、たくさんフワフワの毛が生えてるから、すごく大変じゃないですか」
「へおっ?」
宇宙人のへおちゃんは意味が分からず、きょとんとする。
女の人は、そんなことにはお構いなしの様子だ。
「頑張ってくださいね」
へおちゃんをそう励ますと、子ども二人を連れて歩き出す。
「ありがとうございました」
「へおっへおっ」
柚香と康介は親子三人に向かって、手を振った。男の子も女の子もにこやかな表情で、手を振り返してくれた。
給湯室に戻ると、柚香も康介も耐え切れずに笑いころげてしまった。
「着ぐるみ、ご苦労様だって」
「着ぐるみのバイト頑張ってくださいって、へおちゃんが言われるなんて」
「へおお?」
二人が笑っているのを、へおちゃんだけがよく理解できなかった。
「何だかいいスタートになったなあ。本当は明日からだけど」
康介の言葉に、柚香はこくんと頷く。
とても安心できた出来事だった。
「やっぱりへおちゃんって、着ぐるみっぽく見えるのね。町長の依頼は突飛だったけど、うまくいったよね」
本当は宇宙人なんだけど、へおちゃんは着ぐるみとして見てもらえたら、絶対にかわいい。きっと子どもも大人も喜んでくれる。
明日からのことを考えて身構えていたのに、柚香は前向きな気持ちになっていた。
翌日は、曇り時々晴れの予報。
さほど暑くもなく、へお城にも朝から観光に訪れる人の姿があった。
へお城は、受付が一階にあり、階段を上がった二階が資料室で、その上の物見櫓まで登ることができる。小高い丘の上にある櫓は、それなりの展望台だった。
城下の公園には、広い芝生や四季折々の花、雑木林の緑が照り映える。西口には青い屋根の売店があり、東口にはイチョウ並木と広い池が見渡せる。時折鳥や水鳥が行き交っている。
公園の先には、水田や畑、一軒家がぽつぽつと見える。その向こうには、長々と山が連なっていた。反対方面には、へお電の線路が続き、少しずつ建物が増えていく。遠くには、四角川市の街並みが開けていた。
入館者を松谷さんがカウントしている。
十年以上アルバイトをしている松谷さんによると、夕方その日の会計を済ませた後で、町役場の人がぎざぎざのついた古いタイプの十円玉だけ別の袋に入れるんだそうだ。
噂では、この十円玉を四角川市にある大きな金券ショップに持って行って換金してもらい、町の財源として増やしているとか。真相は不明だが、どうにもせこい話だ。
柚香と康介は、へおちゃんを連れて、城から公園へと向かう。観光客の姿を見かけると近寄って、子どもたちが気づくとそちらへ手を振る。
「へおちゃんだ。へおちゃんがいた」
「着ぐるみが来てるよ」
黄色い声を上げるのは、子どもたちではなく、その親だったりする。若い母親が子どもをへおちゃんのほうへ連れてくる。
ほんの二歳になったくらいの男の子が、そのままお母さんに手をつながれて、すぐそばまでやってきた。
「こんにちは」
「へおっ」
「うわああーん。ママ、怖いよぉ」
へおちゃんが目の前に立つと、小さな男の子は泣き出した。
「ご、ごめん。ごめんね」
何だか知らないうちに、柚香は男の子に謝る。幼い子どもには、身長一メートル半に満たない着ぐるみでも充分大きく見えるようだ。
「こっちこそ、すみません」
慌ててお母さんが男の子を抱っこして、連れて行った。
そんなこともありながら、たいていの場合、親子でへおちゃんのところへやってきて、喜んでくれた。
へおちゃんと握手したり、一緒に写真を撮ったり。昨日の母子と同じような感じで、スムーズに進んだ。
たくさんの人が笑顔になってくれる。そう思うと、柚香も口元が緩んでいた。
緊張すると思っていたことも、すっかり忘れていた。会う人みんなに笑顔で挨拶して、へおちゃんと康介と一緒に、へお城の観光客に応対していた。
午後になると気温も上がり、柚香とへおちゃんはお城の入口に入ってしばらく休憩することにした。
木々の緑が鮮やかだ。隙間から覗く光が強く、眩しい。
日陰に入ると、柚香は一息ついて、ハンカチで汗を拭く。それに対して、もっとずっと暑いはずのへおちゃんは何でもなさそうだった。宇宙人は、かなり丈夫なようだ。
「竹原さん、そろそろお昼ご飯をどうぞ」
松谷さんがお弁当を持って、わざわざ言いに来てくれた。
今日は小さなイベントがあるそうで、スタッフの数も多い。スタッフ用に、特別にお弁当も支給されていた。人出があるため、受付も交代で行なっているらしい。
康介は池付近の掃除を急遽頼まれたため、今はへおちゃんと柚香は二人きりだった。
「ありがとうございます。へおちゃんも一緒にご飯でいいですか」
柚香は二つのお弁当を受け取って、松谷さんに確認する。
「そうね。今ならそれほど親子連れもいないから、二人で行ってきて。着ぐるみさん、暑いでしょ。給湯室まで行かずに、ここで脱ぎなさいな」
「えっ」
柚香は思わず声を上げる。
「大丈夫よ。このなかなら、誰にも見えないから」
ちょうど松谷さんのすぐ後ろに衝立があって、荷物が隠れるようになっている。人一人くらいなら、着替えていても分からないだろう。
「ほら、遠慮してると熱中症になっちゃうわよ」
「あ、ありがとうございます。あの、えっと、でも、あの」
へおちゃんは着ぐるみじゃないんです。宇宙人なんです。脱げないんです。そんなこと言えるわけがない。どうしよう。
柚香は言い淀んで、汗だくになる。
そこへ、ちょうど戻ってきた康介が声をかけてくれた。
「竹原さん、着ぐるみさん、こっちでご飯食べてください。僕、松谷さんを手伝いますから」
松谷さんも康介に気づいた。
「あ、羽鳥さん、お疲れ様です。わたしのほうは大丈夫ですから、三人で食べてきてください。もう一つお弁当持っていっていいですから」
「ありがとうございます」
柚香はほっとして、康介と一緒にお礼を言う。
松谷さんは続ける。
「その前に、着ぐるみさん、脱いだら」
「え?」
「へおちゃんに入っているのって、子どもさんですよね。小さいもの」
「ええ」
柚香はうわずった声で、何とか答える。
着ぐるみのなかは子どもだというのは、暗黙の了解になっているはずだが。
「上手にやっていて、どんな子なのか興味があるわ。おばちゃんに顔を見せてくれないかしら?」
松谷さんはにっこり笑って、へおちゃんの顔を覗き込んだ。





