第12話 朝の散歩
「へおちゃんの設定って、へお城のゆるキャラ、だけじゃないのね」
柚香は、手にした用紙をよく眺めた。
そこには、身長や体重に始まり、へおちゃんの好みの食物や興味のあることが書いてある。
「この好きな食べ物っていうのは、本当なの?」
「いや、それは役場で勝手に作ったものだよ」
「そうだよね。へお茶もだけど、卵かけご飯って食べたことないよね」
へお町はお茶の産地で、地元で採れたものを勝手に『へお茶』と呼んでいる。
へおちゃんの設定は、へお町の産物に合わせているのだろう。この辺りは養鶏場も多いし、水田もたくさん広がっている。
「へおっ、へおっ、へおっ」
「それは何だって訊いてる。うーん、コンビニ弁当に卵かけご飯はないな。卵を別に買えばいいのかな。へお茶は農産物特売場くらいでしか売ってないし。そのうち考えてやるよ」
康介は、へおちゃんの頭にぽんぽんと触れる。
柚香は、コンビニ弁当でいつもいいのかどうか、と考えていることを思い出した。けれど、今はへおちゃんの設定の方が気になる。
「好きなことって電車になってるけど、これは本当っぽいね」
資料を指差して柚香が話すと、康介は答えた。
「それも、へお電がそばを通っているから考えたんだとは思うけどね」
「編み物が好きとかは、ちょっと違うよね」
「え、編み物?」
康介が目を丸くして尋ねるので、柚香は自慢げに話す。
「鎖編みって、手でもできるのよ。へおちゃん大好きみたいで、昨日今日と、結構作ったのよ」
「へえ、そうなんだ」
答えながら、康介は笑った。宇宙人が編み物大好きとは、受けたようだ。
柚香は、康介の様子に何だか嬉しくなる。
話が終わって、康介が夕食の弁当を片づけ始めると、柚香も何とはなしに手伝う。
「柚香はもういいよ」
「うん」
返事をしつつも、もう少しここで二人の様子を見ていたいと柚香は思っていた。
翌朝、柚香は少し早めに目が覚めた。階下に降りて母親と目が合う。
「あれ、今日は早いの?」
「ううん、早いのは明日と明後日。今日はちょっと早めに起きてみたんだ。少し体を慣らさないと」
週末にへおちゃんと外へ出る話を聞いて、まだ金曜日なのに早く起きてしまった。やはり初めてのことには緊張がつきまとう。
「ふうん」
柚香の母は、返事をしながらも電子レンジから温めた物を取り出す。
唐揚げの香ばしい匂いが漂ってきた。
「お父さんのお弁当?」
「そうよ。いつもは出来上がったあとで起きてくるでしょ」
「そうだね」
柚香の母は、毎朝父の昼食の弁当を作っている。
柚香は、仕事に就いていたときは、通勤時間が長い上、職場に早く着かなければならず、お弁当を作っているところを見ることはなかった。
仕事を辞めてからは、急に朝起きられなくなってしまい、これまでやっぱり見ていなかったのだ。
お弁当を作るって、いかにもできる女子っぽいな。
まあ、わたしには無理か。
朝早く起きて、弁当を作るなんて自分にできる芸当とは思えない。
それでも、コンビニ弁当が気になっているせいか、どこか心に引っかかった。
「おはよう。今日は早いじゃん」
康介が柚香の姿を認めた第一声は、こうだった。
「おはよう。毎日ギリギリもよくないと思ってね。へおちゃんもおはよう」
「へおおっ」
今日もへおちゃんは元気よく挨拶してくれる。
「新しい絵本持ってきたからね、あとで読もうよ。その前に、今日ゴミの日だったけど、出した?」
「うわっ、忘れてた」
康介は慌ててドアを開け、外を見に行く。すぐにまた戻ってくる。
「セーフ。まだ収集車来てないよ」
「ラッキーだね、忘れたままでなくて」
柚香は、康介のうっかりしていたことをちょっぴりからかう。
康介がおもむろに話し出した。
「柚香って、中一のとき、よく二組に教科書借りに行ってたよな。ちょうど三組の授業って、割と二組と同じ日の二時間か三時間後だって知ってたんだろ」
「えっ?」
突然の古い話についていけず、柚香は戸惑う。
「俺、英語の教科書とか忘れて、二組の奴に借りに行ってたんだよ。それで、よく柚香が同じように友だちに借りているの、見てたんだよ」
「なっ、何でそんなこと言い出すのよ」
柚香は顔が赤くなるのが自分でも分かった。
中一の時、柚香は康介と同じクラスだった。
一年三組。
柚香はよく教科書や課題を忘れ、ちょうど同じ日の前の時間に授業が多い二組の友人のところへ借りに行っていたのだ。
それをどうやら康介に目撃されていたらしい。
「忘れ物多いの、俺だけじゃないだろ」
康介の反撃に、柚香は一瞬ひるんで、思わず口走る。
「わたしはもう忘れ物の女王じゃないからねっ」
それだけでなくつけ加えた。
「本当よ。だいぶ忘れ物しなくなったんだからっ」
柚香の言葉に、康介はさもおかしそうに声をたてて笑う。柚香はむっとする。
過去のことを持ち出すなんて、頭にくる。
確かに、柚香はかつては忘れ物の女王だった。
しかしながら、忘れそうなことは手にマジックで書いておく、時間割に関係なくすべての教科書や必要な道具は毎日持っていく、などと涙ぐましい努力をしたのだ。
その結果、今ではそんなにひどく忘れ物があるわけではない。
案外忘れ物をする康介と、レベルは同じくらいだろう。
柚香はゴミ袋をすかさず引っつかむ。
「わたし、出しておくね」
柚香はすたすたと歩いて給湯室を出ると、外のゴミ置き場に持っていく。
九月も下旬となり、朝のうちはだいぶ涼しくなった。
今日も一日いい天気になりそうだ。手にしたゴミ袋を収集場所へ手放すと、気分がすっきりと入れ替わった。
柚香は、ほうっと一息つく。
「柚香」
康介の声に振り向く。
「どうしたの?」
「へおちゃん連れて、ちょっとその辺散歩しようよ。俺は、今日は役場へ急いで行かなくても平気な日なんだ。へおちゃんも明るいうちはあまり外に出てないから、明日に備えてちょうどいいと思う」
日中は暑いし、まだへおちゃんを人目にさらすのもどうかと思って、これまで柚香が昼間にへおちゃんと外へ歩きに出たことはなかった。時々康介が閉館後に暗くなってから、へおちゃんと散歩していた。
「へおへおっ」
へおちゃんは、嬉しそうな声を上げて、康介のあとをちょこちょこついてきている。
「やっぱり明るいほうが楽しいよね」
柚香は、へおちゃんに笑いかけた。
「へお城の付近をちょっと回ってみようよ。明日お披露目で、この辺りを何度か行き来する予定だから」
康介に言われて、柚香も明日のことに思い至る。
「そうか。ちょっと緊張するなあ」
「大丈夫だって。とりあえず、へおちゃんが子どもと握手したり、写真を撮ったりするくらいだから。柚香や俺は付き添いでいればいいだけだよ」
「うん」
頷いて見せるものの、初めてのことでどきどきだ。柚香はあまり考えすぎないことに決めた。
外は木々の緑がいっぱいで、草の濃い匂いに包まれる。給湯室とは別世界だ。
暑さはまだまだ厳しいが、外へ出るとそれなりに開放感がある。
へお城から公園の中央広場へ行く道すがら、金木犀の香りが漂ってきた。見上げると、小さなオレンジ色の花々が葉の間から覗いていた。
柚香は、張り詰めていた気が緩んだ。康介とへおちゃんと三人で、こうしてのんびり散歩をするのもなかなかよいものだと思えてきた。
「こっちには、井戸の跡があるんだ。水はもう出ないみたいだけどね」
「へおっ」
「この辺の道、凸凹しているから気をつけて」
「へおっ」
「この辺、観光課で草刈りしたんだけど、暑い日で大変だったんだよ」
「へおっ」
康介の説明に返す言葉は皆同じだったりするけれど、へおちゃんはほぼ理解できているのではないかと思う。
芝生の生えた丘の木の陰に入ると、涼しい風が吹いてきた。
何だか心地よい気分だ。
柚香は、康介とへおちゃんと一緒に一息ついた。
その時、女の人の声が聞こえた。
「あれっ、へおちゃんじゃない?」
続いて、女の子の驚いた声がする。
「あっ、本当だ。すごい。へおちゃんに会えるなんて」
「うわあ、へおちゃんだ」
今度は小さな男の子の興奮した声が聞こえてきた。
へお城に遊びに来ていた親子が、へおちゃんを見つけたようだった。





