第11話 夕食の付き添い
「それで、松谷さんに『へおっ』ていう声が何か訊かれちゃって。咄嗟に町長のことを思い出したら、どうしても猫しか思いつかなくなっちゃって」
「ええっ、それで猫って言っちゃったの?」
柚香はすまして答える。
「違うよ。ちゃんと、へおちゃんにつける予定の声ですって話したよ。なかなか落ち着いてるでしょ」
「そうだな」
康介は、コンビニの弁当をテーブルの上に置いて、適当に相槌を打った。
松谷さんの前で本当に冷静な対応ができていたら、康介の返事が軽く感じたかもしれない。
柚香は「猫なんかじゃないんですよ」とうっかり言ってしまうほど、焦っていたのだ。もちろん、そんなことは黙っているけど。
「へおちゃんの声って説明したら、松谷さん、途端にあの画像のことを思い出して、そういえばそうでしたね、だって。ちょっとがっくりきたわ」
「そうなんだ。実はさ、町長と一緒にへおちゃんをへお城に連れて行くときも、うちの母親に猫とか答えて大変だっただろ? あれもよく考えたら、最初から着ぐるみに人が入っているのをそのまま町長の車で連れていく、で済むことだったんだよな」
「あ、そうだね」
確かに、わざわざ大きなバスケットを持ってきて仔犬だなんていうより、人がなかに入ってる着ぐるみという設定にして、普通にへおちゃんに歩いてもらえば簡単だったはず。
「あとから思いついて、俺、がっかりしたんだ。まあ、無事に騙せたからいいけど」
「お互いいらない苦労しちゃってるな」
康介の言葉に「そうだね」と柚香は答え、二人は少しだけ笑った。
「そのあともね」
柚香は、松谷さんがメッセージボードを見つけてひやりとしたものの、結局パソコンか何かだと勘違いしてくれたことを話した。
康介に打ち明けたことで、何となくその時感じた疲労が薄れたように思った。
ついでに、へおちゃんのボードのメッセージはいつもと変わりなく、両親からの『会いに行くよ。待っててね』だった。
「松谷さんの話では、観光に来た人がへおちゃんの着ぐるみに会いたいって言ってたみたい。康介のところでも、へおちゃんグッズを作るって話、出てるんじゃない?」
「そうだよ。タオルハンカチとキーホルダーのデザインを頼まれてて。役場で描いたり、へおちゃんが寝てから描いたりで忙しいよ」
「そうなんだ」
康介は、へおちゃんと一緒に生活しているだけではないんだ。仕事もあったんだな。
柚香は、思ったより康介が大変そうだとようやく気がついた。
「へおっ、へお」
へおちゃんが机の上の弁当に手を伸ばす。
「あっ、ちょっと待てよ。お腹空いてるのか」
「へお」
「慌てるなよ」
そんなふうに注意しているのを見ると、何だか親子っぽい気がする。
話すだけ話して、気分が軽くなった柚香は、自分のリュックサックを持ち上げる。
「他には何もないかな。そろそろわたし、帰る時間だけど、あとは大丈夫?」
康介の仕事が忙しいことも考えて、尋ねておくことにした。
「ごめん、あとは大丈夫じゃないんだ」
「え、何?」
康介の意外な返事に柚香は戸惑う。
「柚香、あの、悪いんだけど、夕食の時間、付き合ってくれる?」
「夕食の時間?」
柚香は訊き返した。
「あのさ、へおちゃん、弁当の箱とかも注意してないと、かじっちゃうんだよ」
「ええっ」
「放っておくと食べ物じゃなくても何でも食べちゃうんだよ。悪いんだけど、ちょっと見張っててくれる?」
思いがけない頼みだった。
「うん、そうそう。これは食べられないの。こうやって取ってからね」
「へおおっ」
「だから、これは食べ物じゃないの」
「へおっ」
「お腹空いてるのね。もっとお昼も食べたほうがいいのかな」
柚香は、へおちゃんの弁当の中身を点検して、蓋の上に一つずつ食べ物を乗せていくことにした。へおちゃんは、食べ物どころか、おかずを入れたカップや飾りなどもどんどん食べようとしてしまうのだ。
へおちゃんは、コンビニでもらったプラスチックのスプーンを右手に持っている。それで蓋の上の物を掬って食べながらも、食べ物の多く入っている弁当箱が気になって仕方がないようだ。
柚香はへおちゃんの隣に座って様子を見ながらも、机の向かい側でお弁当を食べている康介に同情した。
「これじゃ、落ち着いて食べられないね」
「だろ? 俺があとで食べようとすると、そっちも食べたがるし、これでも結構量を増やしたんだよ」
「確かに子どもと二人で、コンビニ弁当二つは多い方かも」
へおちゃんは子どものわりに食べるんだなと、柚香はようやく分かった。
「今日はそれだけじゃないぞ。ほら、冷ややっこもあとで食べるぞ」
康介が机の下にあったコンビニの袋を振って、なかの豆腐を見せると、へおちゃんは耳をぴんと立てて、瞳をきらきらさせた。
「へおおーっ」
「食いしん坊だよな。柚香は、お昼にパン食べてるんだったよな?」
「うん。そういえば、いつもパンの袋を取って食べ物だけ渡していたから、何も気がつかなかったのかも。量ももっと必要かな。明日から多めに買うよ」
「うん、よろしく」
康介は箸を動かして、ミートボールを口に放り込んだ。
柚香は、康介が今までゆっくりご飯を食べられなかったことを、初めて知った。
「毎日、ご飯の時はへおちゃんが大変だったんだね」
「うん。今日はありがとう」
面と向かってお礼を言われて、柚香はどきりとする。だから、そっぽを向いてから話した。
「このくらいだったら、全然構わないよ。毎日夕食がこの時間なら、そのままへおちゃん見ていてあげるから、康介は自分のペースで食べるといいよ」
「すごく助かるよ」
柚香の照れる気持ちに気づかず、康介はもぐもぐとご飯を食べる。
柚香は、へおちゃんの食べる様子を見守った。
お弁当のあとには康介からコンビニの袋を受け取り、冷やっこを出してあげた。
へおちゃんは大きく口を開けて、冷たい豆腐をぱくりと食べる。満足そうな笑みを浮かべた口の周りは、白い髭がたくさんだった。
柚香は思わず吹き出した。
へおちゃんと康介は、無事夕食をとり終えた。
「あとは大丈夫?」
柚香がもう一度尋ねると、康介は頷く。
「うん、ありがとう。また明日」
「また明日ね」
「へおへおっ」
柚香は二人に手を振って、給湯室をあとにした。
帰りのへお電は、ガタガタと騒がしく夜道を通り過ぎていく。
通勤ラッシュ時とあって、やや混み合ってきた。
始発から乗っている柚香は座っているが、立っている乗客もたくさんいる。吊革を握りしめるサラリーマン風の人が前に立っていた。隣の若い女の人が、揺れを気にしながらもスマホで何か眺めている。
そのなかで、柚香は考えた。
明日からも、康介とへおちゃんの夕食に付き合うことになりそう。康介と「コンビニ弁当ばっかりでいいのかな」って話す日も来るかもなあ。
へお電の年季の入った車両は、柚香の複雑な思いを乗せて、大きな音を立てながら走り続けていた。
翌日の夕方も、柚香は同じように、へおちゃんのお弁当を見てあげた。
そのあとで、康介から資料をいくつか渡された。
「あさっての土曜日、へおちゃんをお城のゆるキャラってことで、観光客にお披露目する予定なんだ」
いよいよだ。柚香は神妙に頷いた。
「柚香には、へおちゃんの付き添いをしてもらうことになるんだけど、お客さんに道を聞かれることもあるだろうから、この辺の地図を渡しておくよ。それから、へおちゃんのゆるキャラの設定も覚えておいてもらいたいから、それも一通り見てくれるかな」
へお城付近の地図が一枚あった。
園内の施設などを尋ねられたら、すぐに答えたいものだ。
へお城とその敷地を中心に、公園は広がっている。
ところどころに、城の防壁であった崩れた石壁が保存されていたり、井戸の跡があったり、門が残されていたりする。
それ以外は、公園として、広い敷地には雑木林が多くある。また、季節の花を植えているところ、草地の広場がいくつか、野球やサッカーなどができるような平坦な砂地の広場もある。
へお電の電停が近い東口方面には、大きな池がある。西口には駐車場がある。すぐ傍に売店があり、食事やお土産物を扱っている。
柚香が次に取り出した用紙には、へおちゃんの写真が載っていた。





