第9話 あたしがんばる!
チュートリアル3日目。
あたしはもう迷わない。
帰宅するなり身につけたのはいつもの穴だらけジャージだった。しかも、おへそが見えそうな穴開きのやつ。
脱いだ制服はきちんとハンガーにかけて、それから水晶などの部品を床に並べてゆく。これさ、出しっぱなでもいいんだけど、夜中トイレに行くときとかに踏んづけて悲鳴をあげちゃうんだ。ゲーム終了って選んだら消えてくれたらいいのに。
身支度をし終えて、スポーツドリンクを手にして、それから「うしっ!」と気合を入れると扉のノブに手をかける。
『あら、おかえりなさい、イブ。ガーゴイル対策はしっかり練れましたか?』
薄暗い広間に入るなり、そんな声が聞こえてくる。気のせいか最初のころよりも優しい響きになったかな。
昨夜と同じように石壁は大きくえぐれており、また床にはあたしの血を模した結晶らしきものが残されているままだった。
うへぇ、消えないんだ。いくら最新ゲーム機だからって、そこまでこだわらなくてもいいと思うけどなぁ。そういうのも好きな人がいるとは聞くけどさ……。
「まあね、バッチリだよ。そのせいで勉強に身がぜんぜん入らなかったけど」
それはいつものことでしょう、という美羽ちゃんの声がどこからか聞こえた気がした。うん、気のせい気のせい。本当のことだけど、ただの幻聴だったら。
「では、お手並み拝見ですわね。貴女がどんな必勝法を考えたのか、私も楽しみですよ」
「えへへ、そう期待されると緊張しちゃうなー。でもちょっとだけ嬉しいかも」
必勝法とは言えないまでも、ある程度の攻略法は考えてある。でもまずは美羽ちゃんからの助言に従おうね。あたしはまだまだゲーム慣れしていないんだし、上級者の声を聞かないと。
きょろりと棚に瞳を向けると、いくつかの鎧が飾られている。革製だったり金属製だったり、見たこともない純白のものだったり。おっと、ハイレグぎみの水着みたいなのまで……これは無理。そっ閉じしよう。
「ふうん、いろんなのがあるんだ。さて、どれにしようか」
重すぎると動けないし、軽すぎても心もとない。第一にあたしは敏捷度を優先にしているんだし、大太刀の邪魔しない物じゃないと。
アイちゃんはあたしの行動を観察しているのか、じっと黙っていた。だから暗くてじめじめしたこの部屋に、鎧を装着する音だけが響く。
ちゃんと着れているかは分からないよ。だって革鎧なんて初めて触るんだし。
「大きいとはいえ刀だし、ほんとは着物が似合いそうなんだけどなー」
でもいいや、着方が分からないし。
代わりに選んだのは着やすそうな革鎧、それも局所を鉄で補強している品だ。胴体に大穴を開けられたことを忘れていないし、同じ過ちを繰り返したいとも思わなかったから。
ぎちちっとベルトできつく締めつけて、それからゆっくりと息を吐いた。
なんだろう、盛り上がってきた感じ?
ちょっとだけ楽しみで、ちょっとだけ怖くって、なにが起こるか分からなくってワクワクする。毎日強くなってゆくのを実感しているし、それが一歩ずつ友達に近づいているのも分かる。
「学校のとき以外も、これが済んだら遊べるね」
兜の前面を閉じながら、そうあたしはつぶやいた。
笑顔は見えなくなり、身体からじわりと溢れる闘争心だけが残る。
もしかしたらだけど、このときのあたしはごく普通の女子高生には見えなかったかもね。だって、たぶん怖い感じがしたと思うから。
小夜さんから聞いたんだけどさ、ゲームって本気を出せるほうが楽しいんだって。
負けたら悔しいし、なかなか寝つけなかったりもする。大事な授業を上の空で、攻略法を考えたりとかしちゃう。
でも、そういうのが楽しいんだなって、あたしにも分かった。たった数日ぽっちのド素人だけど、ハマっちゃいそうって思うんだ。
でもいまだに信じられないよ。2人ともこんなのをたった一日でクリアして、ずっと先に行っているなんて。あーあ、とんでもない友達ができちゃったなぁ。
ふっ、ふっ、ふっ、と小刻みな呼吸を繰り返す。
肩に大太刀をかついで、床から生まれてくるガーゴイルをじっと待つ。
体温はだんだん高まってきて、よーいドンでいつでもロケットのように駆けだせるような気がした。
今日が無理でも、明日なら分からない。
明後日ならもっと分からない。
心が折れない限り、あたしはいつか必ず勝てるだろう。
すうと息を吸い込んで、それから手にしっくりと馴染む柄を握りしめた。
さあ、戦いのときだ。
――ゲーム生活7日目。
ぱきん、と割れる音がひとつ。
それは甲高くて金属質で、氷やコップが割れるのとはまた異なる音だった。
「はっ、はっ、はあっ、はっ……ごくっ!」
乱れきった息。
早鐘のように鳴り続ける心臓。
そして急激に上がり過ぎた体温。
唾を飲みこみ、息苦しさに喘ぎながら、あたしは新鮮な酸素を取り込むべく呼吸をただ繰り返す。
大太刀を振り上げた姿勢のまま一歩も動けない。
もう無理だったんだ。手足はもうパンパンで、疲労を表す乳酸が溜まりきっている。休みたい、床に崩れ落ちたい、という身体の訴えを長いこと拒み続けていたからだ。
唯一まともに動かせる目玉を、ぎょろりと宙に向ける。すると手にしたものに亀裂が生じていると分かり、ああ、とあたしは呻いた。
ふるっとまぶたが震えて、ああ、とまた漏らす。唇はかさかさで、この長い戦いによって枯れ果ててしまいそうだった。
「ありがとうねっ、雪牡丹っ!」
気づいたらあたしはそう口にしていた。
兜をむしり取られて、額を流血させながら。
感謝の言葉を伝えたかった。ずっとあたしと一緒にいて、あの手ごわいガーゴイルと戦い続けてくれたことに感謝したかった。がんばれ、がんばれ、という声がずっと聞こえていた気がしたんだ。
――カキキッ、キ……ッ!
ひび割れてゆく。あたしの大事な大事な雪牡丹が。
本当にもうぎりぎりで、精神的にもズタボロ。だからもう勝手に溢れてくる涙を止められない。
頼りにしていた大太刀は本当に最後の最後まで頑張ってくれた。誇らしいと思えるほどに。
やがて亀裂を広げた雪牡丹は、ぱきんと根元から割れた。
刀身はゆっくりと重力に引かれて落ちてゆき、石畳に触れた瞬間、真っ白に染まってから粉々に砕け散った。
無理だよ、こんなの泣いちゃうよぅ。
流れ落ちる涙は熱くって、あたしは鼻を鳴らす。袖で目元をぬぐおうとしたときに、背後でズンッという地響きが起こった。
でも、振り返って確認する必要はもうないんだ。
頭骨を叩き割った感触はまだちゃんと手に残っているし、破片となって舞う雪牡丹は、本物の花よりもずっとずっと綺麗だったから。
うわーん、と子供みたいに泣いた。
嬉しかったから? 苦しかったから?
もう分かんないや。頭がぐちゃぐちゃで。こんなに泣いたりするんだなって、あたしがびっくりするくらいだったし。
ずずん、ずん、と尚も地響きが起きて、それからゆっくりと振り返る。両ひざをつき、崩れ落ちたガーゴイルもまた全身を塵に変えてゆくところだった。
「ありがとっ、すごく強かったよ!」
大粒の涙をぬぐい、泣きじゃくりながらそう言った。
本気で戦った敵相手なんだし、変なことを言ったのかもしれないけど。
その声が聞こえたのか崩壊の速度が一気に増してゆく。そうしてガーゴイルは雪牡丹と同じように砕け散る。ばしゃん、と細かな破片に変わるのは儚いガラス細工のようだった。
すごく長い戦いだったんだ。
鎧を着た初日は、身体の動かし方を最初から学ぶ必要があってすぐに倒されてしまった。
計算外だったのはあたしが成長したように、ガーゴイルも学習していたこと。だから次の日は浮遊術の時間切れまで逃げられて、またボコボコにされた。
戦い方を根本から考え直す日々が続き、そうしてひとつの結論をあたしは出す。
『それが先ほどの一撃ですか』
唐突な問いかけにすぐ答えられなかった。
今までずっと沈黙を守っていたアイちゃんだったけど、あたしは腰砕けで床に座り込み、ぜいぜいと喘いでからようやく返事をする。
「うん、そう。前と同じように大振り2連を仕掛けたとき、あいつはかいくぐった。前と同じように隙をつけると学習していたんだろうね。だから、重化を乗せた一撃を頭に叩き込めたんだ」
重化というのは大幅に重さを増すスキルで、軌道を一気に変えて真下に向かう。その変則的な動きが功を奏して、気持ち良く頭に叩き込むことができた。
「あれで流れを一気に変えられたんだと思う。もし倒せなかったら、今度もまた学習されて大変だったろうけど」
それともうひとつ。
スキルを知られている以上、秒単位で浮遊術のオンオフを切り替える必要もあった。ずっとつけっぱなしだと、たったの30秒で効果が切れちゃうしね。
オンとオフ、牽制とフェイント、ここぞというところで大ダメージを狙う。そういう風に工夫を重ねた戦いは長時間に及び、身体が勝手にぶるぶる震えるほどあたしは疲れ果てていた。
『お疲れ様、イブ。観戦している私の方がハラハラして緊張しましたわ。見えないでしょうけど汗で手がびっしょりです』
「ひゃー、そう言わないで。がんばるけど、まだまだ下手くそだもん』
あれ、AIって手汗をかくものなの? などと思いながらごろんと床に寝転がる。ああ、冷たい床がすんごく気持ちいいね。
大の字になって寝転んで、あたしはただただ満足感に満たされる。そして大きな声でこう言った。
「やったーー! チュートリアルおしまいっ!」
なんでかな。すっごく苦しいし、いまだって身体が重くて仕方ない。もうほんっとにボロボロ。
でもさ、にこーって笑っちゃう。
だってだって、すごく大変だったんだもん。乗り越えたあたしを褒めてあげたくて仕方ないし、やればできるじゃんって言いたくなる。
こんな達成感を味わえることなんて、そうそうないんじゃない?
分かんないけど、ゲームってすごいなぁって思った。んふーって笑顔になっちゃうくらい。
§
いつもの登校時間。いつもの道。
あいにくの雨模様だけど学生鞄と傘を持ち、そわそわしながらあたしは待つ。
おしゃべりしながら角を曲がる見慣れた人影は、すぐあたしに気づいてくれた。
おはようという声が響いて、挨拶の代わりにブイの字にした指を2人に見せる。すると驚いた顔をひとつして、パシャパシャと水たまりを駆けてきた。
「おっ、なんだなんだ、クリアしたのかイブ」
「もち! やー、激戦だったよ。熱かったし泣いちゃった。あたしの勇姿を二人にも見せてあげたかったなー」
「おめでとーーーーっ!」
きゃああ、と騒いでジャンプしたり、じゃれあったりするのは通勤途中のおじさんにとって不思議な光景だったかも?
でもね、女子高生にしか分からない話題っていうのもあるんだよ。流行っている最新ゲームのことだなんて、さすがに分からないだろうけどさ。
§
「Z級ガーゴイルの討伐時間は、累計で12時間ジャストでしたわ、オーディン様」
こともなげにそう伝えると、対照的に彼は勢い良く振り返る。薄桃色の髪を背中まで伸ばす少女をまじまじと眺めて、ようやく「すごいな」という感想を述べた。
その表情になぜかアイゼナは誇らしい思いをして、ふふんと背筋を逸らす。
「言っておきますけれど、ヴェルハラの英霊を用いた能力強化は規定内ですし、助言も最低限のことしか伝えておりませんわ。決して肩入れをした結果ではありません」
「うん、やっぱり信じがたいね。日本育ちと聞いているし、あそこは長いあいだ戦いと無縁の地だったはず。それがどうして……」
ここアースガルズの地にある涅槃システムを模倣して、世界各国でも同様のテストをしている。
あくまでテスト段階であり死亡することはないが、逆に言えば己の死を延々と見せられる代物だ。恐ろしい目にあい続けて発狂した者までいる。
などと他の候補者たちの状況を伝えると、それまで誇らしげだったアイゼナの表情は曇る。宙に映し出されたのは、息を飲むほど無残な状況だったのだ。
「ふむ、こうして冷静に見ると常軌を逸しておりますわね。イブから感じるのは、恐ろしいほどの度胸です。まるでゲームをしているようで、仮想とはいえ殺されてもまるでこたえておりません」
「もうひとつ、アイゼナの話を聞く限りでは、絶対に敵を倒してやるという執念を感じるね。そして戦いを終えたあとでこの笑顔。うん、軽く異常かな」
それでいて精神的な穢れが極度に薄い。彼女の言う通り、本当にゲームだと思っているかのようだ。
「……考えられます? 人間の持つ技術をはるかに超えた仮想世界を見て、ゲームだと勘違いする者がいるなどと」
「まさか。考えられないねー」
はははと互いに笑いあい、そのふざけた考えを一笑に付した。そんな者などいるわけがない。