第8話 あたしって犬属性なの?
周囲には登校する生徒たちがたくさん歩いている。
青空とあって心なしか皆の表情も晴れやかだと思う。しかし当のあたしはというと、はぁーあ、とやるせない溜息をしていた。
「とほほ、まさかの二日連続でチュートリアルを終えられずとは」
はやく遊びたいのに一歩も前に進んでない。こんなの居残り補習をさせられている気分だし、花の女子高生であろうともトボトボ歩いちゃう。
どうしよう。ドのつく下手くそなあたしが美羽ちゃんと小夜さんに合わす顔なんてないよ。
「イーブちゃん」
ぽんと肩を叩かれて「ひゃあ!」とあたしは悲鳴をあげた。しかし振り返ると誰もおらず、今度は反対側に顔を向ける……と、指先でむにゅんと頬をつつかれた。
「昨日は大変だった? おー、よしよし、がんばったねぇ」
あれっ、気づいたら抱擁されてる!
よしよしと頭をなでられて、気持ちいいなーと思っていたところでようやくハッと気づいたよ。
犬を飼っていたことがあるって前に聞いたけど、あたしよりも小さな人からいいようにされるなんて。愛犬家おそるべし、などと耳の後ろをなでられながら思う。
「……あたし、犬じゃないよ?」
「あら、もちろん知ってるわ。でもちょっとだけ犬属性が入ってると思うの。もちろんみんなには内緒にしておくわ」
しぃー、と人差し指を立てながら言われたけど、ほんとに分かっているのかなぁ。すごく可愛いから文句も言えないけど。
そう思っていると、彼女の背後から眼鏡をかけた頭の良さそうな顔が覗いてくる。
「よーす、おはようイブ。今日もしっかりとしつけられているな」
だから犬じゃないってば! なんて大きな声を出しても、美羽ちゃんに「どうどう」と落ち着かせられる始末で……とほほ。もう犬でいいかも。
よいせと抱擁から身を離すと、二人と一緒に歩き始める。遠くに見えるあの校舎に向かって。
「それで、二人は家が近いんだっけ? 毎朝いつも一緒に登校してるの?」
「ああ、起こすのは昔からの癖でな。こう見えて美羽は寝坊しがちで、彼女の親から結婚するまで面倒を見て欲しいと言われている」
「えー、じゃあいつ結婚しようか、小夜?」
ずるっ、とあたしと小夜さんで同時に転びかけた。
まさか冗談だよね、という視線をそろりと向けると、小刻みに小夜さんの顔は左右に揺れていた。心なしか顔が青ざめているし、勘弁してくれという心の声まで聞こえてくる。
そんな彼女の腕を、ごく自然と美羽ちゃんは胸に抱える。
「小夜は頭がいいし、料理も運動もなんでもできるし、ゲームも一緒にしてくれる。私にとっては理想の彼氏なんだ」
「そのニート属性をいますぐ捨てて自立するんだな。そうだイブ、交際したことがないのなら、まずこいつで試したらどうだ。放っておいてもずっとゲームをしているから気が楽だぞ」
「はあっ!? まさか、だって、女同士だよ!?」
唐突な誘いに驚いて、思わず裏返った声をあげると、ぽーっとした瞳と冷静な瞳が交差した。
ふむ、と一緒に声を漏らしているのはどんな意味があるのだろうか。なんとなく、まるで新しいおもちゃを見つけたような目だったと思う。
「いや、最近では同性のカップルというのはそう珍しくないぞ。日本でも実際に結婚をしている女性たちはいる」
「そうそう、子を産めない代わりに養子を育てたりね。むしろその否定的な考えこそ古いというか、差別的で相手を苦しませてしまうかも?」
えっ、あっ、そっか。
どうしよう、もしかしたらいつの間にか傷つけた人がいたのかな。気がつかないうちに発言していてとか……ありうるかも。
左右から交互に声をかけられて、そのようにほんの数秒であたしの意見は引っくり返った。思い悩み、うつむいている背後で、ニヤニヤしている友人に気づくことなく。
「えっと、美羽ちゃん、あたしとお付き合いする?」
「するーーっ!」
声をかけた直後、どすんと胸に抱きついてきて、あたしは目を白黒とした。ここ最近はなぜか抱擁されることが多くって、なんだかびっくりしちゃう。
なんて思っていたら、美羽ちゃんは身をがばりと身を起こす。
「ちょ、ちょっと小夜、こっち来て! 正面からだとイブちゃんのおっぱいがすごい! はね返されそうなこの圧を、一度だけでも味わっておいたほうが絶対にいいよ!」
ぎゃっあああーー!
と、あたしは大きな悲鳴をあげた。
さて、こんな時間に登校するのは久しぶりだ。
生徒が多くて明るいと感じるし、周囲から挨拶の声が聞こえてくるのも新鮮だなって思う。
珍しくてきょろきょろしているあたしを、小夜さんが見つめてきた。
「陸上部のころは朝練が多かっただろうからな。少し前まで車で通っていたみたいだし、この時間に歩くのは珍しいのか。それで、足の怪我は治りそうなのか?」
とんとんと爪先で地面を踏みながら振り返る。右足首にサポーターを巻いているから痛みもない。
「急に動いたり激しい運動をしなければ大丈夫だって。先生からも陸上部に戻るのは来年からだって言われてるよ」
アキレス腱の手術をしたのは3カ月前くらい。もうだいぶ治ってるし歩いても平気なんだけど、陸上は負荷が多いから念のためリハビリを長めにしている感じかな。
でも最初はやっぱり落ち着かなかった。運動できなくてイライラしたし、兄貴にも八つ当たりしちゃった。
なのに嫌な顔ひとつせず、リハビリを手伝ってくれたから……デブでも大事な兄貴なんだなと思うようになった。
「でも最近はゲームがあるから平気。負けるのは悔しいけど、ちょっとずつ上手くなっているのが分かるし。とりあえずあの羽と鉤爪のついた人型のやつに勝ちたい」
「む、まさかそれはガーゴイル・ゾットンか?」
え、知らない。名前とか聞いてないし。
だけど有名なモンスターなのか、二人は神妙な顔で見つめ合う。それから戸惑いつつも小夜さんは口を開いた。
「言いづらいが、あれは単なるやり込み要素だ。絶対に勝てない敵をチュートリアルに置いて、配信ゲーマーみたいな玄人たちが挑戦する敵なんだよ。私と美羽も休日を費やして、やっと勝てた記憶がある」
などと専門用語を言われましても「配信げーまー?」としか答えられない。ぴぴっと汗を飛ばすあたしの袖を、くいっと美羽ちゃんの手が引いてきた。
「すごくゲームがうまくて、動画配信するだけでお金をもらえるような人たちのことよ。だから勝てなかったとしてもおかしくないわ」
「そっか、だから強かったんだ。壁際に追い詰めたし、いいとこまで行ったんだけど、気を抜いたところに一撃で負けちゃって」
たはは、と頭をかきながら笑うと、二人は瞳を丸くした。
「一撃? いくら敏捷優先とはいえ鎧を着ていたら3発は耐えられるだろう?」
今度はあたしが瞳を丸くする番だった。
思い返すといつも穴だらけのジャージ姿だったし、ついには胴体に大穴が開いてしまった。
えぇ、鎧なんてあそこに置いてあったかな……と薄暗い広間のことをもやもやと思い浮かべて、ハッとした。
「あったあった、鎧が置いてあった! え、あれって着ていいわけ?」
「……イブちゃん、ゲームでも現実でも装備品は身につけないと意味がないんだよ」
なんとも言いづらそうな表情で、よしよしと撫でながら美羽ちゃんはとても大事なことを教えてくれた。
なんでかな、このときはなぐさめられてすごく安心したよ。もしも犬だったらクーンと鼻を鳴らしていたかもしれない。