第5話 超空間ってなに?
『イブ、おかえりなさい。あら、気合の入った凛々しい顔をしていますね。昨日はあんなに泣きそうだったのに』
部屋に戻るなり、さっさとあたしは最新ゲーム機を起動した。いつものジャージに着替えたし、両ひざには穴が開いている。これは昨夜の特訓によるもので、もうすこし痛んだら縫わないといけない。
「うん、ちゃんとした目標があたしにもできたから。これをクリアして、大太刀もちゃんと扱えるようになったら友達と合流して遊ぶんだ」
にっと笑いかけながら立てかけてあった大太刀を手にする。ずしりと重いけど、その重さが逆に心地良いと感じる。どうしてなのかは自分でも分からないけど。
そう思っているとなぜか唐突にアイちゃんの口調が変わった。
『合流? まさかこの超空間のことを他に知る者がいるとは……気になりますわね。その情報、だれから聞きました?』
「えっと、うん……クラスの子。美羽ちゃんと小夜さん」
唐突な問いかけに驚きながら答えたけど、しばらく待っても返事が返ってこない。
えーと、さっき言っていた「超空間」ってなんだろ。ゲームの専門用語? そういうのほんと1ミリも分からないから、あたしが理解できる言葉で言って欲しいかな。
『その件は私のほうで調べておきましょう。新たな「事象」が始まったのかもしれません。それはそうと急いでいるのならチュートリアルを始めてはいかがです?』
う、うん、と戸惑いながらあたしは頷く。
やる気は充分なんだけど、急にアイちゃんが気になることを言うものだから……ま、いいか。急いでるのは確かだし。
『では、クリアできるのを楽しみにいたしますわ。難度はどうします?』
「最大級で。その前に、ちょっと能力値を変えるね」
そう答えながら光るパネルを指で触れる。
昨夜は何度となく試行錯誤をしたけど、今日のあたしは迷わない。だって美羽ちゃんからおすすめの数値を教えてもらったんだし。
「筋力は大太刀を扱えるところまで。敏捷はたくさん振る。ほんとは生命力を伸ばしたいけど、それは後回しにして技略を上げてスキル枠をふたつ開ける」
『ふたつのスキル枠を開ける? その理由を聞いてもよろしくて?』
「うん、大太刀は隙が大きいから、どうしてもそこを狙われちゃう。だから生命力をいくら上げたって、どっちにしろジリ貧になっちゃう」
ふんふんと同意するような声が聞こえる。声のトーンが高いし、ほんの少しあどけない。あたしよりも少し下の女性という感じかな。まあ、AIの年齢を考えても仕方ないんだろうけど。
「だから、ここに『浮遊術」と『重術』を積む」
コウ、と淡い光があたしを包む。
比較的初期に覚えられる技であるものの、特に【浮遊術】は軽視されがちだと聞く。重量軽減は魅力だけど、そもそもアクション性の高いこのゲームで重装備は嫌われる傾向があり、皆のお荷物になりかねない……らしい。
でもね、ここからが重要なんだけど、スキルというのはカスタムできるんだって。効果時間を極端に短くするといった制限をつけることで、本来以上の性能にもできる。
あーもー、項目が細かいよぅ。というか美羽ちゃんに聞いていたのと名前が違うような? 気のせい?
とりあえず効果時間を一番短くして、一日に使える回数も減らす。そのぶん浮力を最大にして、えーと、確か「対象を限定しない」っていう項目があるって聞いたような……あったあった、ぽちっと押そう。
教室で聞いたことを思い出しながら光るパネルと睨めっこしていると、後ろから覗き込むようなところでアイちゃんの声がする。
『ふうん、ずいぶんと両極端なスキルですね。身を軽くする技と、逆に重くさせて火力を増す技とは。でもその表情を見るに、先のことを考えているようですわ。あえて聞かず楽しみにしておきましょう』
耳元に吐息が届いてびっくりした。おまけに……なんだろ、かすかにお花みたいな香りがふわんと漂う。シャンプーや香水とも違う、もう少し上品で素朴な感じ。
もしかしてここにいるのかなと思い、手を伸ばしたけどスカッと空振りする。そりゃそうか。なにも見えないんだし。
「うん、あたしがちゃんと扱えるかはまだ分からないけど。でも運動なら得意だし、だいぶ動きに慣れてきたから行けそうな気は……ちょっとだけするかも」
『面白いですね。では先ほどのリクエストの通り、最大級の敵を用意しましょう。ふふ、もしもこれに勝てたら、その大太刀「雪牡丹」を差し上げても構いませんよ。序盤から中盤まできっと役立つでしょうね』
おっ、とあたしは呻いた。
いまはチュートリアル中なので、好きな武器を持つことも許されている。最終的にこの武器を扱える能力値にしようと当たりをつけるためらしい。
なので当然のことながら、この武器を持ったままゲームを始めることはできない。長い冒険の末、手に入れなければならないんだって。
だけどもしもこれをもらえるのなら、美羽ちゃんと小夜さんの足を引っ張らずに最初から楽しく遊べるだろう。しかしうまい話には裏があるわけで……。
「なんて、そんなの無理だと分かってるクセに。アイちゃんって可愛い声だけど、ちょっとだけ意地悪なんだね。でも面白そうだから、最大級の難度というのを見ておこっかな」
『ふふ、了解ですわ。恐ろしさというものを、その瞳と肌で直に確かめなさい』
そう宣言されると同時に、ズズ……という音が響く。地の底から生まれてくるような姿を恐ろしいと思ったし、緊張をほぐすためにその場で軽いジャンプをあたしは繰り返す。
とん、ととーん、とん、ととーん。
つま先でそんなリズミカルな音を立てる。
うーん、短距離競争をするときと似ているのかな。ドキドキするけど身体はリラックスしていて、すごく楽しみだなと感じている。まさにトラックを疾走する10秒前ってカンジ。
あのときとよく似ているけど、たぶんね、たぶん。大太刀を持つのも戦うのも昨日から始めたばっかりなんだし気のせいっぽいけど。
ふっ、ふっ、ふっ、と小刻みな呼吸に変えてゆくのもあたしだけの癖だ。だんだん汗が浮き出てきて、身体が温かくなってゆくのをただ感じる。
「浮遊術」
そうあたしがつぶやくと、身体がふわりと軽くなるのを感じた。また同時に敵は全身を露わにして、ギチチチチッと虫の威嚇音のような恐ろしい声で鳴く。
――シュゴッ!
突進をかわせたのはたまたまだよ。
だって浮遊術をかけていなかったら無理だったし、術のなんたるかさえこれから掴もうとしているんだし。
でも勝負どころっていうのは分かるかな。逃げ続けていたらお話にならないし、隙あらば攻撃をしなければいけないってことも。
そいつは羽の生えた人型の虫という感じの奴で、ぶおんと鋭利な鉤爪があたしの元いた場所を貫いている。
きっと当たると思っていたのだろう。流れた上体を見てきらんと瞳を輝かせた。
「隙ありっ!」
足を軸にして、ぎゅんとその場で一回転。
雪牡丹と銘の打たれたこの太刀は、斬りかかるまでに時間がとてもかかる。だから無理やりにして身体をひねり、速度と遠心力をごく短時間で出すための技を身につけた。
――がぎゅぎゅっ!
しかし敵もさるもの、両脚で地面に踏ん張ると、両手の鉤爪に火花を散らす。
大太刀ならば攻撃のあとに必ず隙ができる。そこを突いてくるかと思いきや、敵はしばしその場を動かなかった。
『ほう、重術を混ぜましたか。重さを大幅に増した大太刀をまともに受け止めたら、相手はしばらく動けなくて当然ですね。しかし……』
もち分かってるよ、そんなに何度もぽんぽんと使えないってことは。それぞれ使用回数が決まっているんだし、強化もしていない初期のままなら浮遊術は30秒、重術は10回しか使えない。
いわば隙だらけの大太刀使いが、たった30秒だけ化けるための秘策なんだよね。
「なんて美羽ちゃんの受け売りだけど」
テヘペロと舌を出してから、あたしの姿はブレる。これは能力値上昇だけでなく、陸上部で培った身のこなしも多大に役立っている。
残り時間は刻一刻と秒針を進めており、決して戻りはしない。ならば元陸上部らしく、きっちり成果を出さないと。だから軽さを活かし、斜めになった独楽みたいに空中で大太刀をひるがえす。
そんな変則的な動きが功を奏したらしく、ボヒッと音を立ててモンスターの前蹴りがすぐ下を抜けていった。
もうほんとに首がすくむような怖い音だったけどさ、せっかく生じた隙を逃すわけにはいかないでしょ。がんばれがんばれ庶民のあたし!
「重術!」
おんっと唸りをあげて放った大太刀は、けれどまたも鉤爪に受け止められる。
先ほどと違い、上からではなく斜めからの斬りかかりだったので、ずざあっと相手は床を滑ってゆく。
もち逃がすわけにはいかないよね。だって離れたぶん接近型のあたしにとっては勝機が逃げちゃうんだし。
トトトトト、と細かに床を蹴って加速する。両手に構えた大太刀は、剣先が床をこすって鈴のような音を立てる。
身体は軽いし、なんか行けそうな雰囲気を感じて気分もいい。ああっ、やっぱり思いっきり走れるって気持ちいいっ。たとえゲームでもたまんないや。
だからこんな状況にも関わらず、あたしはにこーっと笑った。人なつっこい犬みたいな表情で、ぶうんと前蹴りをひとつ。
試しに使ってみたけど、実際はどうなんだろう?
そんな疑問を吹き飛ばしてくれたのは、当の前蹴りだった。重化術を乗せた蹴りには見た目以上の重さがあったらしく、胸板にズシッと衝撃を走らせて、勢いを増した状態で石壁にめり込ませる。
これが先ほど選択した「対象を限定しない」という効果で、武器以外でも効果を発揮するのだと知った。
――ずずんっ!
天上から砂が落ちるほどの衝撃と、クロス状に叩き込んだ重術ごとの斬撃2連っ!
戦闘にのめりこみ、直感のままに放った技だ。行けると思ったし、思惑通りの威力で石壁を面白いように穿つ。
大量の破片が舞っており、ゆっくりと辺りに散ってゆく。だけどそこでふと疑問が浮かぶ。
あり? なんで周囲がスローモーションのようになってるわけ?
「あ、これ、走馬灯……」
ごぶっと咳き込んで、あたしはそう漏らす。見下ろすとそこには身を沈ませて剣撃をかわした魔物がおり、その鋭利な爪があたしの胸を貫いていたんだ。
うわ、貫通してるよ。痛いというより痺れている感じで、頭がすごくボーッとする。おまけにパキパキと水晶のように傷口が凍りついていく。まるで衝撃を示しているようだ。
ずりゅと引き抜かれ、さらなる大量の破片が辺りに舞う。そうして追い討ちとして爪が発射されると、あたしは穴だらけにされてしまい、術による身の軽さと相まって吹き飛んだ。
「あーーーー、ダメだった! くやしいっ!」
ごろんごろんとベッドの上で寝ころぶあたし。
眠れないほど悔しいのは、行けそうな感じがしたのに最後の最後で間違えちゃったこと。
「せっかく追い詰めたのに大ぶり2連発をするなんて! 隙に隙を重ねてどうするの! もうバカ、もうバカ、あたしのバカちんっ!」
うるせえよ、という意味の壁ドンをされても、あたしのやるせない気持ちは消えやしない。隣室の兄貴のことなんてどうでもいいし、いまはチュートリアルを終えたい気持ちでいっぱいなんだ!
「うわあああーーん、チュートリアルが終わらないよーー! あたしはド下手くそなんだーー!」
ごろんごろん寝ころぶあたしと、ドンドンと壁を破壊しそうな連続壁ドン。
ちょうどそのころ階下では、お父さんが布団のなかで「ファック」と呟いていたらしい。