第20話 スイーツなんかに屈しないんだから
お皿に乗ったクレープが置かれて、あたしはにっこりした。フォークとナイフを使って食べるだなんて高級感が凄いし、アイスも生クリームも入っているから軽く身もだえちゃう。
散りばめられた苺は華やかだし、さっきまで不機嫌だったことも忘れてしまうほど美味しそうだ。正面に座る2人から「チョロい」という顔をされてもあたしは1ミリも気にしない。
「わーい、いただきまーす!」
ついさっきカレーを食べたばっかりじゃないかって? あれは食事、こっちはデザートだからまったく関連性はないんだよ。だからきっと太らないし、下着選びを手伝ったんだから美味しくペロッといかなきゃ罰が当たる。
切り分けたクレープにたっぷりの生クリームを塗りつけて、ぱくんと食す。甘酸っぱい苺が口いっぱいに広がって、バターたっぷりの素朴な甘さがあたしの笑みはさらに深まる。うーん、あんま――い!
甘い、美味しい、甘酸っぱい、なんてたくさんハートマークを乱舞させて味わっていたら、小夜さんが視線を向けてきた。こんなお店に来て珈琲しか頼まないだなんて、ちょっと大人っぽいよね。
「助かったよ、イブ。美羽ほどじゃないけど私も運動は苦手で、スポーツ用の下着なんて分からなかった。だからそれはお礼だし、気にせず……ああ、まったく気にしていなかったか」
「まーね、いかがわしいなんて言われたんだし当然でしょ」
これからモンスターを倒すぞーっていうときに「なんでブラ選び?」なんて最初はあたしも戸惑った。でもこれがけっこう重要で、あたしも陸上部のときはいろんなのを試してベストなのを探したんだよね。それくらい胸っていうのは運動の邪魔だし、痛いとか形が崩れるとか、そういう問題もあったりする。
そういうわけで、下着はこれから本格的なモンスター退治をするための必需品だったのだ。
ま、男子にとっては非常にほんとどうでもいい情報だろうけどさ。走っているときに胸のあたりがずっとぶるぶる震えてたら普通に嫌でしょ?
「……イブの場合、よくそれで都大会に出れたな」
「ま、そこはあたしの実力でしょ。ハンデなんかに屈しないし。それで美羽ちゃん、着け心地は大丈夫だった?」
「ええ、身体が軽くなる感じだったわ。スポーツ用って聞いていたから、ぎゅうってきつく押さえつけられるイメージだったけど、もっと自然な感じなのね。持っておいてもいいかなって思うけど、なかなか手が出なかったわ」
「だな、そこまで本格的にしなくてもと思っていたが、ガーゴイル戦を考えるとな。それで本題なんだが……」
唐突に口にされた「本題」とやらに、あたしと美羽ちゃんは食べる手を止める。もしかしたらこのデザートも本題とやらを聞き出すためだったとか……いやいや、まさかね。
「あのアメゾンというおかしなサイト、調べてみたら該当がない。ネットショップにアクセスした履歴は残っているか? 伝票でもいい」
「「は?」」
ぽこんとハテナマークを2人一緒に浮かべる。
アメゾンというのは、あの最新ゲームを買ったサイトのことで、ロゴ付きの大きな段ボールがまだあたしの部屋に置いてある。というか水晶とかの部品入れとして利用している。
「はあ、そりゃあまあ……」
戸惑いながらスマホを取り出して、小夜さんたちに覗きこまれながらアクセス履歴を追ってゆく。
「ほら、これでしょ。ゲーム機とソフトを注文してるサイト。アクセス履歴もちゃんとあるし、購入明細も届いている。なにもおかしくないと思うけど?」
そう答えたのに小夜さんのいぶかしげな視線は変わらず「ちょっといいか」と言いながら画面を操作し始める。そして目当てのものでもあったのか、一瞬だけ眼鏡の奥で鋭い瞳をした。
「…………うさんくさいサイトじゃなくて、普通のネットショップで買っていたのか。悪かった、つい気になってな」
なんだろう、いまの目。単なるあたしの気のせい? もしかして違法サイトと疑われたの?
「う、ううん、別に構わないよ。そういえば伝票をどこに置いたか覚えてないけど大丈夫?」
恐る恐るそう尋ねると、まるで要件は済んだような口調で「もしあればで構わない」と小夜さんは言った。
どうしてサイトのことなんて気にしたんだろう。そう悩むあたしを、隣に座る美羽ちゃんはじっと見つめていた。
§
「じゃ、ちょっと待っててねー」
そう言ってイブは女子トイレに消えてゆく。
ひらひらと手を振り返していた2人だが、彼女の姿が見えなくなると笑みは消え、そして美羽は静かな声でささやきかけた。
「それで、さっきはなにを見つけたの?」
「…………」
なんとも言えない間を置いて、見つめて返してくる小夜の視線はいつになく冷たい。
土曜日とあってデパートの客入りは多く、この奥まった場所まで行き交う人々の声が聞こえてくる。通路には買い物を楽しむたくさんの人が歩いていた。
そんななか、ゆっくりと小夜は口を開く。
「配送履歴はあったが、支払いと受け取りをまだ済ませていなかった。イブはごく普通に注文して、たぶんどこかでアレと入れ替わったんだ。本物のゲーム機がどこに消えたのかは分からない」
「……怖いわね」
忽然と日常に現れた超文明……いや、あれはもはやテクノロジーという言葉など超えているだろう。古びたドアが開いたときだけ地下に向かう階段が現れる。その時点で空間という概念を破壊しているのだ。
「ああ、そうなるとやはり第三者が関わっていると思った方がいい。あの声だけの存在、アイという女性も気になるな。とてもAIなどとは思えない」
なぜイブの部屋にあれが現れたのか。
もしも第三者がそれを成したのなら、なんらかの目的を持っているだろう。情報漏洩の対策を考えていておかしくないし、もしかしたら秘密を知った我々を今も監視しているのでは?
そういう意味で小夜はうなずいたのだが、意外にも少女は首を横に振ってみせた。
「そうではなくて、私が怖いと言ったのは……小夜、あの水晶や部品を見て、あなたならゲームだと思える?」
「いや、それはさすがに……」
イブの部屋で見かけたあの奇妙な道具。もしも自分が受け取ったとしたら、きっとうさんくさい目で見ていただろう。そして友人に伝えたり、SNSに画像投稿をした可能性もある。
だが、なぜだろうか。美羽の言わんとすることを考え始めると、ぞわりと背筋に悪寒が走る。ぞわ、ぞわ、と悪寒は尚も続き、まるでこの先を考えてはいけないとある種の勘が囁いているかのようだった。
「まさか、美羽……!」
「そう、つまりあれがゲームだと"強制的に認識"させられている可能性があるってこと。だから私は怖いわ」
ぞっとした。
人懐っこくて明るいイブだが、意識せずに精神操作されている可能性について美羽は触れたのだ。言った本人でさえも恐ろしさで涙目になりながら。
どこか景色が色あせたと思う。行き交う人がたくさんいるのに、自分たちだけ取り残されたように感じる。まるでテレビを眺めている気分だった。
「美羽、このことは誰にも言うな。正直、騒ぎ立てたらどうなるのか私にも分からない」
「お、おっかないことを言わないで。それで、小夜はどうするの?」
「ん? いや、普通に遊ぶつもりだが?」
しれっとそう答えられて、美羽は口をぱくぱくした。
さんざん脅したあとでこれである。このポンコツ優等生めと内心で文句を言ったし、はー、と美羽はため息をしてから……もう一度さらに大きなため息を重ねがけした。
「……小夜ちゃん?」
「いや、言いたいことは分かる。だがログインも挟まないほどの没入型VRMMOだぞ? ふふ、これはさすがに、な?」
「な? じゃなーい、もうっ!」
「こらこら、痛い痛い! 爪が刺さっている!」
腕をつねりながら美羽は恨めしい顔をした。これまでの話はなんだったのかと言いたそうであり、また対照的に小夜はしれっとした顔をする。
眼鏡を外すとさらに瞳の紺色は増して、切りそろえた髪には大人っぽさが宿る。知的なイメージが薄れたぶん、本来あった彼女の魅力が露わにされたからだろう。
「そうだな、不可思議であり恐ろしい。だが私はこの先がどうしても気になる。あれがなんのために用意されたのか、私たちになにをさせようとしているのか」
そう口にしながら、取り出したハンカチで眼鏡を拭いてゆく。
壁にもたれかかりながら見せる横顔は端正であり、聞く者に安心を与える落ち着いた声だ。
なぜかその横顔に見惚れていると、紅のついた唇がニッと笑みを浮かべた。
「乗りかかった船だ。お互い気になって眠れない夜を過ごすより、関わっていた方がずっといいだろう? それに美羽の弓使いが一人前に育つかも気になる」
「はあ、もう、困ったなぁ。やだなあ。うー、怖いけど2人とも放っておけないし、付き合ってあげないといけない空気だし。小夜のそのモチベーションは、いったいどこからくるのかしら」
笑みを浮かべた切れ長の瞳に見つめられて、美羽はようやく観念した。にんまりとしたその笑みは、これまでと変わらず相棒として頼りにされているのだろう。
ごく自然と小学生のように手をつなぎあい、ついいつもの癖で美羽まで笑みを浮かべてしまった。
いざ腹をくくれば、女性というのは強いのかもしれない。スキルの組み合わせについて語りあう様子は、つい先ほどまで洗脳や超文明に怖れていたことなどすっかり忘れているかのようだった。
§
お腹いっぱいになると眠くなる。
欲を満たしたら頭がぼんやりするのは人であろうと神であろうと変わらない。無論、まだ幼い神であるアイゼナも同様らしく、主神であるオーディン様にソファーでもたれかかり、うつらうつらと船を漕いでいた。
外から優しい風が吹いてきて、ぬくぬくの体温を受けている彼にとってはたまらない。生真面目な彼女も気がゆるんでいるらしくて、くああーと大きなあくびをするのだ。
こんなの可愛い可愛いと内心で思ってしまうし、さりげなく腰を抱き、身体を支えてきちんと眠れるように調整したくなる。
それもこれも彼女の寝顔を堪能するためという邪な思いからくるのだから、主神として疑惑の目を向けられそうだ。
などと思っていると、薄桃色の瞳が上向かれる。
色づいた唇を指先で覆い隠して「あくびを見られてしまったわ」と言いたそうに頬まで赤く染まってゆく様子も愛らしい。
それをごまかしたかったのか、こほんと咳払いをしてアイゼナは話しかけてきた。
「ところでオーディン様、あの超空間に通じる門は、どうやって情報漏洩しないようにしているのです? まさかイブを洗脳していたりしませんよね?」
「え、まさか。脱落したり、怪しい動きをしたら門と一緒に記憶を消すかなぁ。人間がこれからの厳しい世界で生き抜けるかというテストだから、できるだけ手を加えたくないし」
「あら、そんなものなのですか」
「うんうん、そんなもの。というより事態がひっ迫してるし、気づいたときには始まってるんじゃないかなぁ」
崩壊が、という言葉を暗に含めてオーディン神は笑った。
なに、面倒な者なら記憶を封じるまでもない。門の内側に閉ざしてやればそれきりなのだから。
しかし己が得をすることに関して人は賢しい。薄々と事態に勘づいて、誰にも話さないようにする者が意外と多いのも事実だろう。
しかし悩ましいのは、あからさまにホッとした様子のアイゼナだ。きっとイブたちのことを想ってのことだろうけど、これでは先のようにひどいことなどできなさそうだ。
彼女たちにそんな方法を取らないで済むことを祈るよ、などと思いながらオーディンは冷めた珈琲を口にする。
ちなみにこのあと、アイゼナはぐっすりとお昼寝をして、オーディン神を心から満足させた。