第19話 ガーゴイル戦の前準備?
打倒ガーゴイル!
と、つい先ほど団結したばかりにも関わらず、いまあたしはアレを見ている。あの、お色気に満ちたアレのことだよ。どこでも売っているし世界中の女性にとって必需品といえる……。
「イブ、どのブラがお勧めなんだ」
「おうっ! 人がせっかくオブラートに包んでいたのに……!」
下着を手にする小夜さんから「は?」という顔をされた。
ボンッ、キュッ、ボンッ、とまではいかないまでも、スタイルの良いマネキンが置かれている通り、ここは駅デパの下着屋さんである。
あっちもこっちも華やかな色彩に囲まれていて、ここだけお花畑みたいだなーと思うのはあたしだけだろうか。
否、間違いなく男の子の下着売り場なんかとは違う。あっちは折りたたんでテキトーに吊るしているだけだし、3つで幾らみたいな大安売りが似合う品なんだ。
ぺかっと照らす照明とかさぁ、あたしから言わせると明るすぎなんだよね。ただの下着なんだから、どんより暗いくらいがちょうど合うと思うんだ。
なんて文句を延々と言っていたら、小夜さんは目を丸くしたあと、にやりと笑った。
「なんだなんだ、いつになく不機嫌だな。さてはイブ、こういうお店に来ることはあまりないな? 恥ずかしくてネットで買っていたんだろう。さあ、白状するんだ」
そう言って胸倉を掴まれた。や、もちろん本気じゃないし、じゃれている程度だよ。くすぐったくて思わず吹き出しちゃうくらい。
こうして見ると小夜さんは普通の女子高生だ。
最初は頭が良さそうだから話しかけづらいなーとか思っていたんだけど、実はそんなことぜんぜんなかった。小夜さんは良く笑うし、こうやって触ってくることも多い。想像とのギャップは激しくて、やっぱり人を見た目で判断しちゃダメだなと思った。
「やー、ははは、実はあんまり来たことないんだよね。スポーツ用ならネット通販のほうがいろいろ選べるし、お店でサイズが合わなかったりするとちょっと恥ずかしいし。いまだに全然慣れないよ」
言うほど規格外のサイズじゃないけどさ、試着とかして時間がかかると店員さんに悪い気がして。あと勧められるのが大の苦手。好きに選びたいから放っておいて!って言いたくなる。
「ははっ、小学生みたいだな。小さいころお母さんと一緒に来たりしなかったのか?」
「あー、ほら、うちお母さんいないから」
軽い感じで答えたけど、だめだった。
小夜さんは言葉を失っていたし「そうか」という声も聞こえないくらい小さくて、言わないで黙っていたら良かったのかなとか考えちゃう。
ざわざわと響く雑踏を聞きながら壁に寄りかかっていると、小夜さんも隣に並ぶ。それから視線を合わせないまま話しかけてきた。
「あー、私の親はかなり口うるさい。母の言葉が強くて、そのぶん父はもう意見を言うのも諦めている。冷戦のような仲の悪さだけど、私はどうしても二人の仲を取り持つ気にはなれない」
今度は私が驚く番だった。
視線を向けると、ほんのすこし紺色の混じった瞳がすぐそばにあり、あたしを見ていた。
「不幸自慢じゃないし、むしろ家族と仲の良いイブが羨ましいと言いたかった。ま、いつか聞くことだったろうから謝りはしないぞ。その代わり、私の家に遊びに来るのは難しいと思ってくれ」
ふっと笑う小夜さんに、あたしは目を丸くする。
けっこう重い話でも平然と受け止めて、さらーっと流しちゃうなんて。いや、重い話をされ返されたんだけど、母の話をして「可哀そう」と言われなかったのは初めてだ。
だからなのかな。あたしも肩の力を抜いて、平然とこう返せた。
「んー、どこの家も大変だねぇ」
「そうそう、家庭の事情というのはな。私たちにはどうしようもないし、文句を言っても仕方ない」
壁に背を預けたまま、肩が触れそうな距離でにこりと笑い合う。
そう、同情されたいわけじゃないし、助けてほしいわけでもない。家庭の複雑な事情というのは、たぶん大なり小なりどこも一緒なんだろうしさ。
そう思っていると、紺色混じりの瞳が笑みを深めた。
「イブは話しやすい。最初は苦手なタイプだとばかり思っていたが、ぜんぜんそんなことはなかった」
「え、それはこっちのセリフ! 最初はガチホモが好きとか言ってさ、そんな冗談言うんだなーってびっくりしたよ」
わははー、と肩を叩きながら答えたら……おい、なんでそこで真顔になる。ちょっと待ってよ、まさかネタじゃないとか言わないよね? えぇー、ガチなの?
あかん、話題を変えよう、そうしよう。さりげなく一歩ぶん小夜さんから遠ざかり、ぱっぱっと意味もなくスカートをはたきながら話を変えることにした。
「そ、それで、ついさっき『打倒ガーゴイルだ!』って一致団結してたのに、なんで下着売り場に来てるわけ?」
「んー、そこはまあ、運動部としての意見をだな……っと、いかん。美羽を忘れていた」
視線につられて前を向くと、じとーっとした瞳であたしたちを見る美羽ちゃんがいた。下着を手にしたまま不機嫌そうな顔をする様子に、ぱっとあたしたちは慌てて壁際から背を離した。
「……ひどいわ、私を置いて2人きりで仲良くするなんて。運動用の下着を一緒に選ぼうって約束したのに」
「すまんすまん。しかしあの美羽がスポーツに前向きなんて、ご両親に伝えたら喜びそうだな。この場合、eスポーツに入るのかは謎だが」
いースポーツ?
ぽこんと疑問を浮かべたけど、ふくれた美羽ちゃんを見てあたしのハテナマークは冷汗に変わる。普段あんまり怒らないぶん迫力があるね。
「そっか、あんまり運動しないなら大変だよね。けっこー痛い感じ?」
「うん、このワイヤーのところがこすれて赤くなったわ。小夜は平気だった?」
「まだそんなに動いていないから分からないが、これからを考えると運動用の下着を用意しておきたいな。どういうのがいいんだ?」
などと問いかけられて戸惑った。
そういや生命力お化けのブッカティをあっという間に倒したんだっけ。気になって仕方ないし、どんな戦い方だったのか次はちゃんと見ておかないと。
うーん、運動用ねぇ。ジョギング用を買っておけばいいと思うけど。あたしは胸が大きいので、上からベルトで押さえてる。えっと、あんまり想像できないだろうけど力学のベクトルが上にも向く感じ? ぼるんっと弾んじゃうし、放っておいたら良くないって聞くし。
そう答えると「ベルト?」と左右から食いつかれた。
「うん、ほら、こういうの」
ぷつっとボタンを外してシャツを広げると、うっかりつけっぱなしだった揺れ防止サポーターが覗く。わっ、と2人して悲鳴をあげてペタペタと手で隠されてしまったけど……どしたの?
「だだだダメだよイブちゃん、人がいるんだから!」
「え、だって男の人はいないし、見た方が早いと思って」
「小学生か! 少しは恥じらいを持て、イブ!」
それを言うなら公然と胸を触られている状況はなんだろうか。
2人とも驚いているみたいだけど、スポブラってこの格好で走ったりするって知らないのかなぁ。ふふふーん、スポーツのスの字も知らない素人ちゃんたちにあたしが教えてあげよっかな。
などと内心で勝ち誇っていると、なぜか2人は大きなため息をまったく同時にした。
「この際だから言っておく。その日焼けしていない胴体と身体付きは、スポブラであろうとエロさを隠せていない。それどころかむしろいかがわしい」
「いかがわしい!?」
「体育のとき、男子がいっつも変な目でイブちゃんを見ているわ。知らないかもだけど、覗き放題だからって走り高跳びのときにベストな場所を争いあっていたのよ。あれはとても醜くかったわ」
「覗き放題!?」
ちょっとちょっと、信じられないよ。少し胸を見せただけでいかがわしいとかエロいとかセキュリティゼロだとか、とんでもない言われようだよ。つい無言でしゅんとするくらい悲しみが深い。
「……あたし、これからずっと着ぐるみで過ごす」
「分からないぞ。世の中にはいろんな上級者がいる。それにもしも脱いだとき汗だくになっていたら逆に……」
「小夜、それってまさか匂いフェチ? イブちゃん、知らないでしょうけど世の中には蒸れた匂いを好むような男性がいるらしいの。すごくおっかない話ね」
ゾワっとした。知らないおじさんに嗅がれるのを想像したし、美羽ちゃんに脇の下をつつかれたからだ。パタパタとその場で足踏みしちゃうくらい生々しくてすごく嫌だった。
「あーー、ヤダヤダ、もうヤダーー! あたしはいかがわしくないし、ごく普通の女子高生! いーからさっさとスポブラ買って家に帰ろうよ、もう!」
どっと笑われたけど、あたしはぜんぜん笑えないよ。つーんって顔を逸らしちゃうし、この不機嫌さは甘いものを奢ってくれない限り解消されることは決してない。つんつーん。