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ゲームも知らない女子高生のごくありふれた日常  作者: まきしま鈴木@ようこそエルフさん&東京サバイブで書籍化&コミカライズ
17/22

第17話 美羽ちゃんの決意

 あたし、昔っからカレーライスが大好きなんだ。

 中学生まで限定だけど、給食で出てきたらガッツポーズをするし何杯でもイケちゃう。まあ、そのせいで「お替りは1回まで」などという夢も希望もない貼り紙をされちゃったんだけど……あれは崩れ落ちるほど悲しかったなぁ。


 ともあれ、こんなに美味しい食べ物を生み出した人はだれなんだろうって調べてみたら、なななんと、インド料理を元にイギリスで生まれたんだって。どうしてそんなに驚くのかというと、あたしのお父さんは当のイギリス人であって、いわばあたしの故郷の味ってわけなのだー、わーははは! みんなちゃんと味わって食べてね!


 だから大好物だし何杯だってイケるという、まさにあたしによるあたしのための究極お料理ってワケ!


「はぁーあ……」


 だけどテンションがめっちゃ低いしダルい。海抜マイナス422メートルの死海よりも低い。ダロル火山にも負けはしない。


「なんでできあがりじゃないのかなぁ、参ったなぁ」


 目の前には食欲をそそるあのカレー……ではなくて、ごろんと転がる玉ねぎと、きらりと光るお料理包丁。生の人参とじゃがいもという、あたしの愛してやまないカレー……の原型だ。がっでむ。

 実はあたしはそんなに料理が上手じゃないと言うか、割と下手なほうだと思う。ちょびっとだけね。あたしのイメージにぜんぜん合わないと思うけど。


 ずっと前に一度だけ家族に食べてもらったところ、ひとくち頬張ってから「なるほどな」という感想だけを兄貴とお父さんは漏らした。そのあとの食事はずっと無言で重苦しい空気だったのをいまでも覚えている。

 どうしようと泣きかけていたけど、しかし神様というのはこの世界にいるのだということをあたしは知った。


「イブ、こっちは私がやっておくから、美羽の様子を見てきてくれ。疲れていたようだし、きっと陸上部のほうが役立つだろう。悪いことは言わない。さあ、その逆手に握った包丁を手離すんだ」


 どうしてそう必死な顔をしているのか分からないけど「やった」とあたしは思ったし、そのまんま口にしていた。もちろん包丁なんてすぐさまポイである。


「あんがと! じゃあカレー作りは小夜さんにまかせるね! やー、あたしも作ったことあるし腕を披露できなくて残念だけどさ。そうそう、かなり焦げやすい料理だから気をつけて」


 お、おう、という返事を背に受けながら、とんとんとーんと階段を上ってゆく。苦難から解放されたおかげで足は軽かったし、ふんふんふーんと鼻歌も響かせていた。


 さて、当の美羽ちゃんはというと、あたしの部屋でグロッキーだったりする。というのもオンゲー? MMO? まあ、その手の最新ゲームで張り切りすぎたせいで疲れちゃったみたい。


「そういえばゲーム酔いがあるって聞いたことあるかも。個人差があるらしいけど、あたしは今のところ大丈夫っぽいなぁ」


 むむ、すぐに症状が分かるだなんて、あたしも着実にゲーム知識を身につけつつあるんじゃない?

 おばかとか脳筋とか言われちゃうときもあるけどさー、あたしだって趣味とか娯楽とかちゃーんと覚えられるんだよね。ふふん。

 などとつぶやきながら、がちゃーっと部屋のドアを開ける。するとやっぱり美羽ちゃんはベッドに倒れ込んでおり、先ほど階下に向かうときの姿となにひとつとして変わっていなかった。


「あーあー、大変。美羽ちゃんが弱った猫みたいになってるよ」


「イブちゃーん、なでなでしてぇ」


 あらま、本格的に大変。うつぶせのまま甘えてくるなんて。

 仕方ないので頭をなでなでして――いまモルスァって声が聞こえたけどなんだろ――仕方ないのでそれから足裏マッサージを始めることにした。ゲーム疲れに効くかは知らないけど、これをやると身体がぽかぽかして元気が出るんだよね。


「あっ、痛い、いたーい」


「美羽ちゃん、すごいよこれ。土踏まずのとこがぺったんこだ。あのさ、いつ運動したか覚えてる?」


 嫌々、と無言で首を振られてしまった。うーん、これはたぶんびっくりするくらい運動していないぞ。そういえば体育のときもほとんど女の子の日だと言って休んでいた記憶があるし。

 しょーがないなーとつぶやきながら、足裏やふくらはぎをマッサージしてゆく。最近は兄貴にやってもらってばかりだから、ちょっとくらいあたしもしてあげていいと思うし。


「そういえば選んでくれたお洋服可愛かったね。あとで美羽ちゃんのお洋服も一緒に選ばない?」


「うん」


 とっくにタイツは脱がせており、ぎゅっぎゅっと足裏を押しながら話しかけると美羽ちゃんはうなずく。やっぱり小さな声だったし、元気がない感じもする。小さな美羽ちゃんだけど、普段よりひと回り小さくなってしまったようだとあたしは思う。

 うつぶせのまま、彼女はぽつりとつぶやいた。


「私、イブちゃんにかっこいいところを見せたかったわ。ほんとはもっと上手にやれるはずだったの」


「そっか、美羽ちゃんは上級者だもんね。速かったし正確だったし、あたしから見たら十分かっこ良かったよ」


 ちょっとね、驚いた。体温があがってきたなと思ったら、ぐすんと鼻を鳴らしていたから。どうなぐさめたらいいのか分からなかったけど、いつの間にかあたしは話しかけていた。


「あたしもあるよ、すっごく自信があったのに、ぜんぜんダメだったときが。美羽ちゃんと友達になるだいぶ前のことだけど」


 再び鼻を鳴らしながら、彼女は枕元からちらりと瞳を覗かせる。まつ毛には涙の粒がついており、手をのばしてそんな彼女の髪の毛をなでなでする。今度はモルスァという不思議な声は出なかった。


「あたしが一番得意なのは800メートル。前は短距離専門だったんだけど、ほら、高校くらいから胸の大きさがちょっとね。というか、休み始めてからのほうが大きくなっちゃったんだけど」


 ぺろりと舌を出しながら言ったけど、もちろんこれは自慢なんかじゃなくって、むしろその逆。もう陸上に戻れないかもと思って、すごくすごく落ち込んだ。だから大好きな兄貴にも当たってしまった。


「自信満々だったよ。東京都高校陸上っていう大きい大会でね、名前を呼ばれたら家族も先輩も大きな声援を送ってくれた。だけど絶対にあたしが優勝するだろうなって確信してた。だってこれまで負けなしだったし」


 でも、違った。

 それは思い込みや願望であって、未来を読めるわけじゃない。

 目の覚めるような真っ青なレーンと、スタート直後のゆるやかなカーブ。その日は綺麗な青空で、きっと気持ち良く走れるだろうなって思ってた。


「大きなトラックをぐるっと2週して、一位だったら勝ち、そうじゃなかったら負け。すっごく単純。ラスト半周まで、あたしは10メートル以上の差をつけて、最初からずっと独走だった」


 ピリ、と痛んだのを覚えてる。足首がピリッと痛んで、スピードが鈍ったことをまざまざと思い出せる。

 飛ばし過ぎたんだ。スタミナ切れだ。そんな視線をあちこちから向けられたけど、違うから。まだまだ体力を残していたし、ここから加速できるのがあたしの一番の強さなんだ。


「……どうなったの、イブちゃん?」


 身を起こして、まだ涙に濡れた瞳で美羽ちゃんが見つめてくる。

 あたしはやわらかく笑って、そんな彼女の髪をなでた。さらさらで指のあいだを抜けてゆくのが気持ちいい。


 気のせいだ、気のせいだ、ずっとそう思ってた。

 この温存していた体力を皆に見せつけてやりたくて、奥歯を噛みしめながらピリッとした痛みに耐えていた。あとちょっと。そうしたらみんながすごいねって褒めてくれるから。


「それでおしまい」


 最後の直線に入ったところから、ゴールテープまでのあいだはまさに熾烈なまでの争いだ。あの最後の直線は果てしなく長いと誰もが言う。酸素がまったく足りておらず、体力を根こそぎ奪われて、だけど負けてたまるかと最後の最後まで足をブン回す。そういう不思議な場所。一番好きな場所。


 でも、あたしだけはそこにいなかった。トラック内側の人口芝に倒れ込み、運び出されるまでずっと足首を押さえていた。


「走るのは好きだし、ぼろっと泣いたのはあれが初めて。その気持ちを抱えたまま、まだトラックに戻れていないのは少しだけ辛いかも」


 だから美羽ちゃんの気持ちも分かるよ。いつもの自分じゃない結果を出して、やるせない思いをするのは。もうずっと前の事故だし、自分のことのように泣かないでいいんだよ。

 ポッケにあったハンカチを頬に押し当てて、なるべく優しい声で話しかけた。


「どうしよっか。違う戦い方にするか、それとも弓使い(アーチャー)で行くか。どっちでもあたしは喜んで手伝う。だから美羽ちゃんの一番好きなこと、やりたいことを選んで」


 にこーっと笑いかけた。もしかしたらこういうのが犬っぽいと言われるのかもしれないけどさ。すると美羽ちゃんもぎこちなく笑みを浮かべてくれる。大粒の涙をまだ頬に残したまま。


「やっぱりくやしいわ。私の好きな弓使い(アーチャー)はあんなものじゃないの。本当の姿をイブちゃんにも見せてあげたい」


「うん、分かった」


 じゃあそのためにどうすべきかを一緒に考えよう。あたしはカレーも作れないんだし、頭脳担当ってタイプでもないから小夜さんも一緒にね。

 そう思っていると、階下からスパイスの効いた香りが漂ってくる。どうやら昼食は間もなくできあがるらしい。


 じゃあ、あたしの祖国で生まれた味を一緒に楽しもうよ。

 そう言って美羽ちゃんの手を取ると、すぐにベッドから立ち上がってくれた。

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