第16話 人間くさいよね、僕らって
ひゅん、パシッ!
ひゅひゅん、パシシッ!
そのような効果音を立てて、美羽ちゃんの戦いが続いていた。相手は生命力お化けなブッカティであり、ずんぐりとした体格には似合わないほど動きは機敏だ。その代わり火力は低い。
ちなみに小夜さんが倒したほうのブッカティは後ろのほうに座り、やんややんやと仲間に声援を送っている。案外と面白い奴なのかもしれない。ずんぐりだけど。
「おーー、やっぱ早いね!」
だな、という落ち着いた小夜さんの声を聞きながら、地下室を縦横無人に駆ける美羽ちゃんをあたしは眺めていた。これが敏捷全振りの効果らしく、かわして撃つという挙動がとても早い。
「ふむ、きっちりとカウンターを狙えている。美羽もだいぶ落ち着いてきたようだ。あの疲れた顔だけは気になるが」
「だよねー、さっきまで『目が回るー』って悲鳴をあげてたし」
最初は動きが早すぎて目を回していたようだけど、だんだん慣れ始めている感じがする。まだ顔色は悪いけど、首元に突き刺さった無数の矢を見る限り、だんだん精度を増してきている感じ。
ぺたんと石畳に女の子座りになって観戦していると、美羽ちゃんはこちらに悲鳴顔を向けてきた。
「こっ、これっ、けっこー疲れるわっ!」
「そういうのを調整するんだぞ。タイム、タイムだ」
えー、困るなー、という表情でブッカティは振り返り、仲間と一緒にブーイングを浴びせてくる。けっこー生意気だね、あいつら。
しかしタイムをしたのはちょうど良いタイミングだったのか、美羽ちゃんはドッと地面にうずくまる。ぜひーっ、ぜひーっ、という息づかいがここまで聞こえてきた。
なんだろ、ちんまりした美羽ちゃんがうずくまると、ほんと小さくなるんだね。あーあ、汗だくだし髪の毛をあんなにほつれさせちゃって。
小夜さんと一緒に近づいてゆくと泣きそうな顔を上げてきた。
「な、なんでイブちゃんは走り回っても平気なのぉ?」
「え、だって休んでるとはいえあたしは陸上部だし。美羽ちゃんも走り込みをしたらきっと体力がつくんじゃない?」
そんなのヤダ――、とかぶりを振って拒絶されてしまった。え、運動して汗を流すのって気持ちいいと思うんだけどなぁ。
いつもおっとりした感じの美羽ちゃんだけど、こういうときはさすがに必死な顔をするんだね。なんとなく子供っぽい感じ。
「うーむ、私もそうだが美羽は極端に部屋から出たがらないからなぁ。体力にもっと振るか、走り込みをするか、違う職業を選ぶか……っと、どちらにしろ今日はもう無理そうだ」
ぐでえっと本格的にうずくまり、ヒーヒーと苦しそうな呼吸をする様子に、小夜さんは呆れ混じりのため息を漏らしていた。
「とりあえず掴まれ。イブ、しばらく美羽を休ませないと」
「あ、じゃあそろそろ部屋に戻ろっか。アイちゃーん、またあとで来るね」
『ええ、構いませんよ。小夜、美羽、貴女たちが戦っているあいだに、ここへ再び来る許可をもらいました。だから好きなときに訪れなさい』
反対側から肩を貸しつつ声をかけると、そんな返事が返ってきた。今までに許可なんて聞いたことなかったから戸惑う。はて、どういう意味があるのだろう。
と首を傾げていたときに、ずるうっと美羽ちゃんが落っこちかける。慌てて小夜さんと一緒に抱き支えて、私たちはわたわたと階段を上って行った。
せめてもうちょっとだけ体力つけようね、美羽ちゃん。
§
高級感漂うソファーに腰かけるのは、指先で軍服の首元をゆるませる男、オーディンだ。しかし、せっかく彼が来たというのに、反対側に座るアイゼナはめずらしく視線を横に逸らしていた。
ソファーの端にちょこんと座っており「これはこれで可愛いらしいんだけど」と男は密かに思いながら、ふっと口元をゆるめる。
「そうか、特別な手助けはしていないと言ったけど、痛覚軽減だけは与えていたんだね。確かにあまり大したものじゃないけど、他の人に比べたらズルになってしまうんだよ?」
「……ごめんなさい」
消え入りそうなその声に、オーディンは内心で密かに慌てた。悲しそうな顔をしてひとことも言いわけをしないのは、己に非があると分かっているのだろう。
しかし聞きたかったのは詫びの言葉などではなく、どうしてイブにそこまで肩入れをするのかという素朴な疑問だった。
(しまった。聞き方を間違えた)
内心でそう思いつつ、ソファーから立ち上がる。そして彼女のすぐ隣に腰を下ろすと、ほっそりとした腰に手を置いた。まだこちらを見てくれないことにハラハラしながら口を開く。
「さっき、羨ましそうに見ていたね。みんなと楽しそうにしているイブを見て、寂しいって思ったのかな?」
「そんなことっ……ありません」
ぱっと振り返り、尻すぼみに声を小さくさせながらまた瞳を逸らす。この仕草はもうイエスと言っているようなものだろうに。怒るべきか愛でるべきかを悩みながら、ゆっくりとオーディンは話しかけた。
「ごめん、僕も悪かった。てっきり彼女たちが暗躍している存在だと思いこんで、秘密の部屋に招き入れさせてしまった。許してくれるかな?」
濃い桜色をした瞳が、ついっと見上げてくる。ほんの少し涙をうるませた、いたわるような瞳が。彼女はゆっくりと身体を寄せてきて――これはイブたちを眺めていて覚えたのだろうか。小さな手で髪の毛を撫でてくる。
ふわんと漂う女の子の香りと、にぎりしめたら折れてしまいそうな細い腕。無自覚な色気を至近距離で浴びてしまい、不覚にもオーディンの胸は高鳴った。
「ア、アイゼナちゃん? その、僕は許して欲しいのであって……」
「オーディン様は悪くありません。いつも頑張っていますし、いつも私のことを大事にしてくださっています。謝らないでください。良かれと思ってしたことです」
そう言って、薄い胸に抱きしめられてしまい「わーっ」と内心で彼は悲鳴をあげた。愛してやまないアイゼナが、いつになくしおらしくて調子を狂わされているというのに。
そっと首を抱かれて、かすかな谷間に包まれるというのは、主神であれど身をぎしりとこわばらせるのに十分だ。その……、破壊力という意味で。
こうなるともうできることは数少ない。彼は抵抗することを諦めて、すっと目を閉じた。
「じゃあ、お互いにごめんなさい、だ」
「ですね、ごめんなさい、オーディン様」
それからようやく顔を離して、ふっとお互いに笑う。
なぜか喧嘩の仲直りをしたような表情であり、今さらに距離の近さに気づき、だんだんと少女は頬を赤く染めてゆく。その恥じらいの顔こそ愛らしいのだと気づきもせずに。
世界は大きく傾いており、そのぶん主神はいつも忙しい。
ぽんっと引っくり返したオムレツもそうで、眼帯をつけながらも主神たるオーディンは忙しい……というよりもこれは趣味の一環なので、忙しさのストレスを軽減する目的だったりする。
「主神様でもストレスはあるのです?」
「あるよー、だって義兄弟のロキとかすんごい腹が立つし、元妻は公然と浮気をしていたし。僕って基本的にあまりいいことがないんだよね」
ソファーに寝そべって問いかけてくるアイゼナへ、なんでもなさそうな声でそう返事をした。
見れば持ち上げた足のつま先を揃えており、ゆっくりと左右に揺らしている。幼いながらに、こちらこそ不貞ではないかという葛藤があるらしい。一方の彼はというと、そんな仕草を見てニッと笑う。
「いいんだよ、好きなものは好きと言って。イブに痛覚軽減を与えたのもそうでしょ。心配で仕方なくて、もっと話をしたかったから守ってあげたんだよね」
「そんなことは……!」
眉を逆立てて立ち上がるアイゼナだったが「ありません」という言葉を飲みこんだ。色鮮やかなオムライスが目の前にやってきたからだ。
まつ毛で縁どられた瞳を大きくさせたのは、器用にもケチャップで犬の絵を描いてあったからだろう。彼もまた、頬を赤くさせるアイゼナの表情を楽しんでいた。
食べて良いのです?
もちろんだとも。
そのように声に出さずジェスチャーでのやり取りを済ませると、大きなスプーンを掴んで昼食は始まった。向かいに座ったオーディンもグラスにワインをそそぐと、機嫌を直した彼女に笑みを向ける。
「忙しいけどね、楽しめるところでは楽しまないと。ほら見てごらん。向こうでも楽しく昼食会が始まるようだ」
指先に導かれて、ケチャップの効いたオムライスを頬張ったまま隣に視線を向ける。すると窓辺から覗き込むような角度で、先ほどの3人の女性たちが料理を作っている最中だった。
「だから君が遊びに行っても怒らないし、他の者にも内緒にしておく。ただし、助けすぎたりするのは駄目」
アイゼナはもぐりっと頬張っていて話せない。
知的さを感じる瞳をまたたかせており、彼の言うことを吟味している風だった。そうしてごくんと水を飲むと、色づいた唇を開かせる。
「なぜ少しだけなら助けても構わないのです?」
「だってほら、もう助けちゃったし。多少のズルがあったところで、君の心を痛めるよりずっといい。そういうものだよ。主神様と呼ばれていたって、義理より人情を大事にしちゃうしさ」
あら、そんなものですか。
そうそう、そんなもの。人間くさいよね、僕らって。
声に出さずとも表情だけできちんと伝わって、なぜかそれがおかしくてアイゼナは楽しそうに笑う。それにつられて彼も笑うと、世界の終焉といっても大したことじゃないかもね、と思ったらしい。
イブたちと遠く離れた地で、彼女らの昼食会が始まった。