第12話 今日は女子会をするよ
昨日の雨が嘘のように、空は綺麗に晴れていた。
濡れたアスファルトだけが雨の名残を伝えており、どこか清々しい空気を嗅ぎ取れる。
そんな週末の朝に、2人はゆっくりと歩いていた。
「イブちゃんの家に泊まれるなんて楽しみだねー」
そう話しかけてくるのは同級生で幼なじみの美羽であり、明るい服装とは裏腹に背負いカバンがゴツい。とはいえ小夜も人のことは言えず、高スペックなノートパソコンの入ったカバンを肩にかけていたりする。
いずれもお泊まり会でネットゲームをするためのアイテムだ。無論、女子高生らしからぬ趣味であることに、突っこみを入れる者などこの場にはいない。
「だな、イギリス人とのハーフだと聞くし、どんな家に住んでいるのか気になってしまう。イブがあれだから、ご家族はやはり美形なのか?」
「どうかなー、かっこいい人だったらいいね」
あらかじめイブに聞いておけばそのような幻想など抱かずに済んだのだが……。
とはいえ2人の表情は明るい。いくら一般的になりつつあるとはいえ、オンラインゲーム、いわゆるネトゲというのは趣味として暗い部類に入らざるを得ない。学校で女性の仲間を見つけるのはとても難しいのだ。
「分からないものだな。あの見た目だし、卒業するまでずっと相容れないと思っていたのだが」
「そうね、派手だから小夜が一番苦手そうだもんね、イブちゃんって。ね、私が勧めた通りだったでしょう?」
「ああ、犬を相手にするように癒されるな。たまにウズウズするんだ。美羽がなでているのを見るとな」
んはっ、と弾かれたように美羽は笑う。
いつかは美羽のことを「人見知りする」と言っていたが、実際は小夜のほうが根深い。互いに友達に執着しない性格ではあるものの、好き嫌いは小夜のほうがずっと激しいのだ。
そしてちんまりとした美羽のほうが実際は小夜を気遣っている。いつも見ているからこそ、こう彼女は問いかけた。
「実はもうゲームに飽き始めているでしょう?」
そう問いかけられて小夜は顔を曇らせる。苦虫を噛んだような表情は「気づいていたか」と言いたげだ。
ちらりと背後のバッグを見て、それからため息と共にうなずく。それを見て「仕方ないなぁ」と美雨はつぶやいた。
「最近は目に見えてログインも減ったもんね」
「ああ、だいぶ飽きた。やはりアクション要素が強いと飽きが早い……というのは言い訳だな。飽き性なのはどうしても治らない」
ゲームをしている者にとって多くの悩み。それはいくら面白いゲームであろうと必ず飽きてしまうことだろう。
最初は綺麗な映像や音楽を楽しめるが、何度も繰り返すうちに色あせてしまう。やがてゲームを起動することもなくなり「あのゲームは面白かった」という過去形の思い出に変わってしまう。娯楽である以上、これは万人が通る道だろう。
小夜もまた同じだった。
攻略のプロセスを組み終えると、あとは単純な作業になってしまう。頭の回転が早いぶん、飽きが来るのもまた早い。
「はあ、いつか全没入型のVRMMOが発売されたらいいんだけどな」
「またそれー。小夜は本当にフルダイブに憧れているのね。五感から運動神経系まで取り込めるなんて、きっと私たちの生きているあいだには作れないと思うわ」
「……そうだな」
返答をするまでのわずかな間は、きっとかすかな期待を抱いているのだろう。しかし当たり前だが開発着手をするような企業など存在しない。
子供じみた憧れだ。眠りにつく間際、どこまでも続く平原を歩む姿を夢想するというのは。
ここではない世界で、思う存分に力を振るいたい。そう思うのは、願望か欲望か、それとも遺伝子が残す戦闘本能だろうか。
生きているあいだに一度だけでいい。
フルダイブをしたい。それが叶うのなら死が本当の死となるハードな世界でも構わない。
そう思いながら、小夜は約束通りの時刻に可愛川家という表札のチャイムを押す。すぐにピンポンパンという、ちょっとだけ変わった電子音が鳴り響く。
小首を傾げる2人だけど、恐らく今日は何度となく、それこそ数え切れないくらい小首を傾げることになるだろう。
§
「やーー、わざわざありがとね。さ、あがってあがって」
現れたイブは満面の笑みで出迎えてくれる。
日焼けをしており短めの明るい髪はどこかギャル風だ。また身体の発育が十分以上なため、制服を着るとある種の「いかがわしさ」が漂う。
しかし本日の彼女は緑色のジャージ姿であり、なぜか穴がいくつも開いている。特に気になるのは、おへそまで見えそうな胴体にある拳大の穴だろう。
ダメージ系? それともロック? ジャージで?
ぱちぱち瞬きをしてから2人は「お邪魔します」と言い、どこか西洋の雰囲気を残す民家に入ってゆく。
不思議だなと思うのは日本各地を旅行でもしたのか、玄関先がみっちりと土産品で溢れていることだ。木彫りのクマや頭を揺らす赤べこなどなど、日本らしいというか日本らしくないというか……軽い違和感を覚える光景だ。
(なんか森の妖精みたいだな)
たくさんの目に見つめられて、そんなことを小夜は思う。それから階段を登ってゆくイブに話しかけた。
「急に押しかけてすまないな。ご家族からは反対されなかったか?」
「え、まさかー。ただのお泊まり会じゃん。一緒にゲームするなんて楽しみで仕方なくってさ、昨日はあんまり眠れなかったよ。そうそう、お父さんは仕事、兄貴は出かけてるけどあとで挨拶に来るかも」
階段で振り返り、弾けるような明るい笑みと共にそう答えてくる。会話としては「小学生かな?」と思える内容だが、この見上げる角度だと大きなお尻を強調するようにシワが生まれており、なぜかほんのりと頬が熱くなる。
このあたりは海外の血を感じるというか、私たちと違う遺伝子なんだなと思う。
こほんと咳払いをして小夜は口を開く。
「じゃあ早速だがゲーム機を見せてもらおうか。まずはネット回線を繋がないとのんびり遊べないしな」
おっけ! と言いながらイブは親指と人差し指をくっつける。その楽しみで仕方ないという彼女の表情には、つい口元がほころんでしまう。
犬っぽいと感じるのは、ああいうところだろうなと思いながら部屋に入った。感情が丸わかりで、接しているとなぜか安心するのだ。
へえ、ほお、と2人で声をあげる。
思っていたよりも整っているし、家具もちょっとだけ女性っぽい。ぽいというのはつまり、ごく平然と鉄アレイとかを置いているのに目をつぶればという意味だ。
「やっぱり人形とかは置いていないのか」
「え、あたしのガラじゃないよ。ないない、恥ずかしいしさ。そういうのは兄貴に任せて……っと、なんでもない。じゃあ組み立てちゃうね」
「組み……立てる?」
はて、と首を傾げる。
組み立てるとはなんだろうか。家庭用ゲーム機だと聞いていたし、それならテレビの下とかに置きっぱなしにするだろう。しかしよくよく考えたら肝心のテレビがない。
ぽんぽんと2人の頭に疑問符が浮かぶなか、イブは大きな段ボールをあさりだす。
「なんだ、そのアメゾンとかいう偽物みたいなうさんくさいロゴは。いったいどこで買ったんだ?」
「えー、普通のネットショップだよ。評価数も凄かったし、みんな使ってる場所だと思うけどな。小夜さんは知らなかったみたいだけど」
きしし、という得意げなその笑みはなんだろうか。
そしておもむろに取り出したのは……待て待て、本当にアレはなんだ。なぜ水晶の原石みたいな物を手にしたのだ。
この最新ゲーム機は高かったよーとかなんとかイブは自慢げに言っているのだが、なぜか説明が1ミリも頭に入ってこない。
ごく平然とそれを部屋の中央あたりの床に置いたし、次から次へと変な部品を周囲に並べていく。意味がまったく分からず硬直しているうちに、着々と魔法陣じみた……その……なにかが形になってゆく。
「最初は苦労したけどさ、もう配置も覚えたしすぐ準備できるようになったんだ。あれ、この部品はなんだっけ……まあいいや、きっとこの辺でしょ。へーきへーき」
まったく理解できずに口を半開きにさせていたとき、クイと袖を引かれる。見下ろすと美羽が小刻みに首を振っていて「早くどうにかしてあげて」と言いたげだった。
この状況でなんと声をかけていいかは分からない。分からないが、こほんと重苦しい咳払いをしてから口を開いた。
「あのな、イブ……」
それはゲームじゃないぞという、ごく常識的な範囲の言葉を投げかけようとしたとき、ぱっと床が光った。見れば部品同士を繋ぐように光の線が繋ぎ合う様子であり、呼びかける姿勢のまま小夜は凍りつく。
(なんだこれ)
そう思った。
いや、それ以外のどんな感想を言えばいいのか。
アメリカ人なら「ホワット?」だし、ルーマニア人なら「チェステアスタ?」だろう。いつの間にか部屋に魔法陣と思わしきものができて、ズズと鈍い音とともに木製の古めかしいドアが現れたのだ。
(なんだなんだ、あのどこにでも行けそうなドアは一体なんだ? どこから出てきた?)
背後にゴゴゴという効果音があってもおかしくない表情を小夜は浮かべて、とめどない冷や汗を流していた。
「小夜、小夜、あれなに?」
そう小声で問いかけられても「さあ」としか答えられない。
ゲームをする気満々だったのに、気づいたら超常現象というか常識の範囲外へと急加速している。そんなアクセルをベタ踏みしている状況で、人懐っこくイブが笑いかけてきた。
「じゃ、行こっか」
「え、どこにですか?」
そう思わず敬語になるレベルだ。
しがみついてガタガタ震える美羽も、きっと私と同じ気持ちだろう。異常極まるこの状況に1ミリもついて行けてないのだ。
しかし古ぼけたドアだけはゆっくりと開いて、未知の世界へ案内しようとしていた。
もうすぐ殺される、と理由もなく小夜は思う。でもそれは悲しいことに真実だった。