第二話
昭和屋を出た爽太は、何かに怯えているかのように、いつもより脚を早く小刻みに動かしていた。
――桜さんに言われたせいで、周りが余計に気になっちまう。……見るな、見るな。
帰り道にある、“見返りの十字路”に差し掛かる。特にどうということもない十字路で、随分前にここで交通事故があった時から信号が設置されている。
その名前は通称で、この街で出来た頃からそう呼ばれていた。その由来は定かではないが、この街の人間なら誰でも知っている噂、というのはいくつか存在している。
曰く「人と、人ならざるものの道が交差している」。
曰く「信号が完全に消えた時に十字路の内側にいると、異世界に連れて行かれる」
曰く「逢魔が刻に贄が通ると良くないものに襲われる」。
ふいにそんな言い伝えを思い出す。
そして同時に、昨夜の両親の会話も思い出していた。
『今度は爽太がニエになるのか』
『知らなかったとはいえ……こんなところに住まなければ』
『……あの時は、子供がいなかったからな。それに、うちの子がなるとも限らなかった』
『そんな、無責任な……』
『どうすればいいんだ……』
『また……くり……かしら……』
『馬鹿いうな……りさ……もう……引退……』
そんなことを思い出していた爽太は、つい無意識のまま十字路の角に立つ電柱を見た。
見てしまった。
果たしてその電柱の陰からは、影のように黒く妙に平たい女が、爽太のことを薄笑いを浮かべながら見つめていた。
「ニエ……贄の子……」
「あ……あぁ……」
爽太の脚は、完全に動くことを拒否していた。
女はゆっくりと、電柱の影からずるり、ずるりと引きずるように姿を現し始めている。
その姿は夕暮れの影に半分隠れていたが、爛々と光る眼とぱっくり開いた真っ赤な口の中だけがやけに目立っていた。
――この女は普通じゃない。
――影の様に黒く、紙のようにペラペラな人間など、この世にいるはずもない。
だがそれは、爽太のよく知るモノではあった。
彼の持つカードデッキにいた、昭和屋で無くしてしまったランクRのそれは。
「す……すきま、女……っ!」
「贄ぇぇえええっ!」
爽太が呟いた途端、すきま女は奇声を発し、激しく動き出した。その手が爽太を掴もうと伸ばした時、爽太はポケットの中にあるカードを握りしめ、思い切り目を瞑っていた。
そして。
なぜかこの時、爽太の口から、自分でも思いもしなかった言葉が漏れた。
「桜っ、姉ちゃんっ……!」
その時だった。
爽太の持つカードが激しい光を放つ。
そのあまりの眩しさに、爽太は一瞬目を瞑った。
「! ……!?」
次に爽太が目を開けた時、彼とすきま女の間に割り込むように、ほっそりとした長身の女、のようなものがいた。
波打つように輝く長い銀の髪。白地に紺の糸で仕立てた巫女のような和服を、金と黒の綱を編んだ襷で締め上げている。
頭には獣のような大きな耳がピンと立ち、三本の異なる獣の尾を生やしている。
顔には狐の面を被っているが、爽太からほんの少しだけ見える横顔は、彼の知る人物によく似ていた。
「桜、さん……?」
突然のことに言葉を無くした爽太に、女は振り返る。
「誰だいそいつは? まあいいや、少年、もう少しお下がり。……大丈夫、あたしが守ってやるから」
「え……あ……」
「邪魔をぉ……するなぁああっ!」
すきま女が叫びながら、今度は狐面の女に手を伸ばしてくる。だが彼女は慌てる様子もなくすきま女が伸ばした手を自ら掴んだ。
そして。
「五月蝿い」
狐面の女は、叫ぶすきま女にぴしゃりと言い放つ。
すきま女は、その言葉に殴られたように動きを止めた。
「お、お前ぇ……なんだぁ……?」
「“こっくりさん”……ていやあ分かるかい?」
その言葉にすきま女は目を大きく見張る。
「こっくり、だとぉ……!? 貴様ぁ! 裏切り者の言霊使いかぁ!!」
驚いたのはすきま女だけではなかった。
そのやりとりに爽太が驚きの声を上げる。
「こ、こっくりさん!?」
「そうさ」
こっくりさんと名乗った女は、顔をすきま女に向けたまま、視線だけを爽太に向けて答えた。
「……さて、覚悟しなすきま女。今からあんたをその居心地のいい隙間から、天下の往来に引きずり出してやるよ」
爽太は、こっくりさんが仮面の奥で、にやりと笑った気がした。
「……この“逢魔が刻の狐狗狸さん”がねぇ?」
ここまでが書き出し祭りの部分でした。
次回からはお話が広がっていきますよー!°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°





