ピアス
教室の窓から強い風が吹き込んだ。カーテンを大きくなびかせ、西日を遮り廊下へ抜けていった。
涼やかな気持ちになれそうなところ、再び照りつける西日に邪魔をされた。
日差しは風が吹く前のものとなんら変わらないが、気持ちの方は違った。不愉快である。
すぐに止んでしまうのなら風など吹かないほうがよかった。と、心の中で悪態を付いた。
窓の方へ視線を移し、しかし用事を終えた方が早く日影にありつけると、すぐに自分の机に視線を戻す。
机の中を手さぐりし、見つけたペンケースをバッグに放り込もうと身体を起こしたところ、
「いくつ開けてるの?」
右隣からかかった声に数瞬ほど固まった。いつからか隣に立つ相手に全く気付けなかったもので、急に声が掛かってかなりびっくりしていた。声を上げなかった事を褒めてほしいくらいだ。
顔を上げ、声の主が親しくはないがクラスメートであった事がわかり、動悸は治まっていった。
「……こんにちは」
「うん、こんにちは。それでいくつ開けてるの?」
挨拶を返され、再び同じ質問をぶつけられた。
見てくれはいかにも優等生といった少女だ。そういえばLHRの時、教卓の前に出ている事が多かったような気がする。そのような役柄なのだろう。
いくつ開けているか。彼女の言うそれが何の事であろうと思案する。顔に出ていたのか、彼女が自分の耳を指差してみせた。
「あぁ、ピアスの」
「うん、それ。日によって数が違うから気になってたんだ」
「十二」
「えっ」
「じゅうに」
目を丸くして聞き返されたので、もう一度はっきりと。
左右の耳と唇、服を捲り上げる事には抵抗があったのでその上から臍を、順に指差し数えてみせてやった。
「…多くない?」
「さぁ、付けたいから開けただけだし」
数を気にした事はない。気になるほど多くはないとも言える。
少なくともこれまでに穴が多くて困った事はなかった。
「じゃあ多くて良かった事はあった?」
「それもない」
どうあがいてもピアスを付けるための穴でしかないのだ。
へぇ。と、彼女は少しつまらなそうに私の耳朶に触れる。払いのける。何か面白い話が聞けるとでも思っていたのだろうか。
「ここにはあけてないの?」
「セクハラ」
こんどは胸に伸びてきた手を払いのける。なぜ触れようとするのか。彼女は数瞬固まり、行き場を失った人差し指に髪を巻き付けていた。
「そういえば何してたの?」
「忘れ物を取りに。もう終わった」
穴を開けた箇所を指差そうとした際に気付いたが、カバンに放り込もうと思っていたペンケースを右手に握ったままであった。
予定通り椅子の上におかれた斜め掛けのバッグに放り込んで、開放された右手でファスナーを閉める。
「ああ、待って。戸締まり手伝ってくれない?」
カバンを肩に掛けようとしたところで制止がかかる。まだ帰らないでという意味の制止だろうからカバンを掛けるのはやめない。
「いいよ」
ただ、どうせ閉める事になるのなら忘れ物を回収する前に閉めておけばよかった。
日なたで話し込んでいて額に滲んだ汗を手の甲で拭いながら、少し後悔した。
「ありがと、あとはA組だけかな」
彼女が鍵を閉めるのを見届けてから隣の教室に向かう。すぐ隣にある教室なのに足を踏み入れるのは初めてかもしれない。
「そういえばさ、穴多いの、実は損してるのに気付いてないだけかもよ」
上の小窓を閉め終えた彼女が窓枠から飛び降りた。
「そう?」
「ほら、穴いっぱい開けてると不真面目に見られるかも」
「校則は守ってる」
「校則は守ってても、あなたをよく知らない人は見た目でイメージを固めるしかないからね」
そういうものなのか。なんとなく、わかる気がするかもしれない。つまりよくわからない。
「まぁ不真面目に見られたところでどうという事は」
「でも多分、忘れた勉強道具を取りにくるくらい真面目なんだし、そういうのやめたら大人にも真面目に見て貰えるんじゃない?」
「あんたは真面目に見られていい事あった?」
「クラス委員を任されました」
「それはいいこと?」
「戸締まりの当番がある」
面倒を押しつけられているだけじゃないか。
「あはは、そのおかげであなたと仲良くなれたからそう悪い事でもないよ」
どうやらここ数分で、私と彼女は仲良しになっていたらしい。
A組の窓から風が吹き込む。風に煽られるように彼女は閉口し、戸締まりを再会する。
窓際に立つ彼女の顔が、夕日の紅い事を何より語っていた。
「穴、多くて良かった事あったかも」
「ん?」
「あんたと話すきっかけになった」
心なしか、夕日の紅が深くなったような気がした。