3 『わたくし、ティータイムは静かに過ごしたいのですの』
聖アンミエル学園・高等科、東棟四階生徒会室。
そこで一人、紅茶を嗜むのは、この学園運営の行う代表者の少女だった。
ノエリエ・アンミエル。本学園高等科三年生の現生徒会長。
「ノエリエ様」
コンコン、というノック音の後、豪奢な木造りの扉の向こうから声が聞こえた。重たい扉がゆっくりと静かに開かれ、その隙間から少女がするりと入室してくる。扉が閉まるとまた静寂が部屋に満ちた。学生には不釣り合いなほどに美しい調度品が並ぶ生徒会室の入り口で、両足を綺麗に揃えて直立したまま、少女は業務資料を読み始める。
「来週の予算会議に関して、ノエリエ様に二点」
「アーテート、私はいま何をしているかしら?」
ノエリエの突然の質問にアーテートは口を噤んだ。しかし直ぐに頭を下げて、後退る。
「失礼いたしました。ティータイムとは存じ上げておりませんでした。三十分後に再度お時間を頂くことは可能でしょうか」
「ええ、そうしてくれるかしら」
柔和な笑顔を浮かべるノエリエにまた頭を下げ、アーテートは退出した。ゆったりと椅子に凭れてノエリエはため息を吐いた。ノエリエにとってティータイムは何よりも大切な時間だった。曾祖父より以前より伝わるアンミエルの伝統は何ものにも変えられることはない。例え授業があろうと、テストがあろうと、ティータイムだけは欠かせないのであった。
「常識というものが足りませんわね。会計役員を交代させようかしら」
呟いて、ティーカップに口をつける。アールグレイの芳醇な香りが口の中に広がり、舌から喉に掛けて香りを孕んだ味わいが流れ落ちてゆく。
『この一時が人の器を広げ、人生に余裕を与える』
それが祖父の口癖だった。ノエリエはカップをエグゼクティブデスクの上に置かれたソーサーにおいて深く息を吐き出した。最近の忙しさに頭が痛くなる気分だったが、生徒会長として弱音を吐く訳にも行かない。
「部下が能力が足りないと負担の分配に偏りができますわ。このままだとティータイムまで侵されてしまう」
一抹の不安を胸に抱いた直後、部屋の扉が内側に開かれた。突然の出来事に、ビクッと背筋を反るノエリエ。
「会長、報告がございます」
現れたのは今期から新しく書記役員に付いた男子生徒だった。学年は二つ下の一年生。前役員の生徒は多忙に体をやられ、学園から姿を消した。ノエリエは新人書記の言葉を遮り、一言、
「私はいま何をしているかしら?」
「申し訳ございません。お飲み物を飲まれていたとは知りませんでした。何か紅茶に合うお菓子を買ってまいりましょうか」
「そういう事ではないわ」
「では、このまま話を続けさせていただきます。昨日、昼過ぎこの学園の学生が爆破事件を起こしたと警察より通達がありました。現在は、教員方が………」
新人役員の返答にノエリエは目を丸くした。たとえ一年生と言えどもティータイムの重要性を知らない筈はない。驚きのあまり声が出ず、話しも頭に入ってこない。その間も新人役員は報告を続けた。ノエリエは無意識にエグゼクティブデスクの下で小刻みに足を揺らしていた。
報告を終えると新人役員は美しい回れ右を披露して退出した。しばらく放心状態となっていたノエリエだったが、その後、
「何なんですの、あのくそがきゃぁぁああ!」
完全防音のため部屋の外に叫び声は聞こえない。木造りのデスクの表面に、ギリギリと爪痕を刻み、地団太を踏んだ。
「クビですわ、クビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビィィィィィィィイイイイイイイイイイイッッッ!!!!」
はぁはぁ、と落ち着かない呼吸のままティーカップに手を伸ばし、一気に飲み干した。荒くカップを置くとデスクに勢いよく手を付いて立ち上がった。
その時だった。
ふいに生徒会室の照明があまり届かない部屋の隅に目が向いた。銀光沢煌めく甲冑が腰に備えた剣に手を添える形で立っている。その背後、薄暗い影の中で何かが動いた気がした。その影はゆっくりと照明の下へと姿を現した。
「女の子?」
そこにいたのはまだ年端も行かない小さな女の子だった。困惑は当然のこと、ノエリエは少女の方を向いて小さく首を傾げた。
「ここは聖アンミエル学園、生徒でない方はいてはなりません」
咄嗟に事務的な対応を取った自分に違和感を覚える。そもそもなぜこんな幼気な少女がここにいるのか、そちらに疑問を禁じ得ない。
そんなノエリエを見つめながら、少女は優しく笑った。透き通るような無邪気な笑顔。釣られてノエリエも笑顔を作ってしまう。少女は笑いながら静かに言った。
「願いはなんだ?」