第二十二話 日雇い提督は仁愛を得て英雄になる? ④
「なぜ大統領に取り次いで貰えないのだ!? 政府は本当に現状を正しく認識しているのかっ!? もはや一刻の猶予もないのだぞ!」
統合宇宙軍月面基地司令長官は、スクリーンに映っている大統領補佐官に喰って掛った。
現在時計の針はジャスト午前七時を指している。
バイナ艦隊一千隻が太陽系に侵入し、艦隊速度を上げて予定よりも早く土星宙域に達するとの報を齎した哨戒艦とは、その報告を最後に通信が途絶していた。
味方戦力が敵の攻撃を受けて撃破された以上、戦いの火蓋は切られたと判断するのは当然であり、今は戦時だと考えて然るべきだった。
それ故、大至急全艦隊を出撃させて迎撃態勢を整える必要があるにも拘わらず、未だに政府からは非常事態宣言すら発せられていないのだ。
月面と火星両基地の総戦力二百五十隻の艦艇全てが準備を終えており、今や遅しと出撃命令を待ち侘びているというのに……。
貴重な時間を無為にする愚鈍な政府や大統領に対し、司令官の怒りは我慢の限界に達していた。
「敵戦力は我が方の三倍以上なのだ! 早急に銀河連邦軍駐留艦隊に合流し、土星宙域に最終防衛ラインを構築しなければ、全てを失ってしまうのだぞ!?」
危急存亡の秋にあって、なお沈黙を貫く大統領補佐官へ『さっさと大統領に取り次げ!』と言わんばかりに司令官は怒声をぶつけたのだが……。
『大統領閣下は演説の原稿に目を通しながら、朝食を召し上がっておられます……終わるまで邪魔をしないようにと仰せつかっておりますので……』
その余りにも見当外れな物言いに、司令官はもとより居合わせた幕僚以下全ての士官が、我が耳を疑って呆然と立ち尽くさざるを得なかった。
それを幸いと判断したのか、大統領補佐官は慇懃に一礼するや、一方的に通信を切ってしまったのだ。
「ああッ! おいッ! ま……」
我に返った司令官が呼び止めるも時すでに遅く、ブラックアウトしたスクリーンからは何の反応も返って来ない。
「いったい何を考えているんだッ! あの馬鹿者共はぁぁ──ッ!」
部下達の面前であるにも拘わらずに、司令官は拳をコンソールパネルに叩きつけ怒りを露にする。
しかし、彼とて地球統合軍の一翼を担う指導者であり、口煩いのが玉に瑕だと揶揄されながらも、清廉で実直な武人との評価が高い人物だ。
その評価に誤りはなく、決然と顔を上げた彼は、背後に控える参謀らへ眦を決して言い放った。
「全ての責任は基地司令官の私が負う! 全艦隊は速やかに出撃し土星宙域に進出せよ! 火星基地にも同様の命令を出せ! 既に展開している銀河連邦軍駐留艦隊と共同戦線を張らねばならない。至急作戦を擦り合わせたいと打診してくれッ!」
軍人の職責を全うする為、敢えて寡兵で決戦を挑む決意をした司令官に対して、首席参謀以下幕僚部に異論を唱える者はいない。
しかし、司令官の軍人としての矜持に全幕僚が敬礼で応え、正に反撃に移ろうとした時だった。
司令部のドアが開け放たれたのと同時に、完全武装した空間機兵一個大隊が乱入して来るや、携帯していた銃火器を司令部内の面々に突き付けたのである。
「き、貴様らッ!いったい何の真似だッ!?」
激昂した参謀長が主犯格らしい大佐に詰め寄るが、両脇に控えていた空間機兵に、突撃小銃の銃床部で殴打され地面に崩れ落ちてしまう。
「司令官閣下。我々も閣下と同じ地球の未来を憂う同志であります。どうか、同胞に対して引鉄を引く……そんな惨い真似をさせないで戴きたい」
手にした大型自動拳銃の銃口を司令官に向け、大佐は慇懃にそう嘯いた。
「気でも狂ったのかッ!? 我が地球がどの様な状況に置かれているのか分かった上で、この様な常道を逸した真似をしておるのかッ!?」
司令官が色をなして詰め寄るが、大佐は冷然とした笑みで口元を飾り、熱に浮かされたかの如き妄言を吐き散らす。
「状況は把握しておりますが、何も間違った真似をしている訳ではありませんよ。今こそ地球は真の自立を勝ち取る時なのですッ! 傲慢なる銀河連邦の奴属の鎖を断ち切り、反連邦の旗の下で他の有志と連帯して銀河の覇者を目指すのですッ!」
大音声で哄笑する男の狂気を目の当たりにした司令官は、憤慨して歯噛みするしかなかった。
月面の中央司令部が占拠されたとなれば、既に他の基地も同様の事態に陥っているのは確実だと考えられるし、それは火星基地も例外ではないだろう。
不幸にも、司令官のその予測は正鵠を射ており、国防の要である統合宇宙軍が、真っ先に機能不全に陥ったという情報は、間を置かずに太陽系全域に流布されるのだった。
◇◆◇◆◇
【銀河連邦宇宙軍・アスピディスケ・ベース】
「ふっふふふ……いよいよ最大の見せ場が始まりますなぁ……あの目障りで下賤な平民の顔を見るのも今日が最後……精々見苦しく足掻いてくれると良いのですが」
恍惚とした表情を浮かべるユリウス・クルデーレ大将は、グラスに注がれた真紅のワインを口に含みながら嘯く。
要塞化された基地の最奥に設えられた秘密の部屋に集うのは、彼を除けば僅かに二人だけだ。
軍令部総長エンペラドル元帥と軍政部総長モナルキア元帥、そして航宙艦隊幕僚本部総長のクルデーレ大将。
銀河連邦宇宙軍の三巨頭が揃い踏みして注視しているのは、特殊哨戒艦から送られて来る、今まさに戦端が開かれんとしている太陽系からの情報映像だった。
軍の重鎮たる彼らにとって、その温度差はあれど、白銀達也という男が目障りな存在であるのに変わりはない。
軍内で声望が高い達也は、貴族閥の勢力拡大という目的を成す上で、両元帥にとっては邪魔な存在に他ならなかった。
しかし、目覚ましい戦果を挙げ続けているにも拘わらず、出世欲に乏しく地位に拘泥しない彼ならば、積極的に自分達に取って代わろうとする可能性は低いと思っており、殊更に正面から敵対するつもりはなかったのである。
寧ろ、その秀でた統率力と軍才を、貴族閥の地盤強化のために使えないかとさえ考えていたぐらいだった。
対してクルデーレ大将にとって白銀達也という存在は、決して相容れない不倶戴天の敵以外の何者でもない。
二十歳以上も歳の離れた若輩者と、ことある毎に引き比べられるだけでも屈辱であるのに、その男が下賤と侮蔑する平民出身とあっては門閥貴族としての自尊心にも泥を塗られたに等しく、到底その存在を許してはおけないのだ。
シグナス教団の強い意向を受けて、バイナ共和国軍が太陽系に侵攻すると知ったクルデーレ大将は、教団の傀儡である地球統合政府ドナルド・バック大統領の行動を後押しする目的で西部方面域の部隊編成を強行した。
これにより、地球統合政府は銀河連邦評議会に不信感を露にし、バック大統領の思惑通り、反銀河連邦の機運が地球人類の間で目に見えて高まったのである。
また、再編された西部方面域軍の司令官に達也を据えたのは、今回の騒乱を利用し、弾劾権を行使した反乱分子達をも纏めて葬り去る腹積もりだったからだ。
彼らに宛がわれた二千隻程度の脆弱な戦力だけでは、広大な西部方面域の全てをカバーするのは土台無理な話である。
必然的に各方面へ戦力を分散する状況に追い込まれれば、各個艦隊の戦力が脆弱なものになるのは必定。
そこへ、バイナ軍と甘言で釣った周辺の海賊勢力を統合した大艦隊をぶつければ、如何に白銀達也が優秀な指揮官だったとしても、勝てる道理などないというのが彼の目論見だった。
ここまではクルデーレが思い描いた筋書通りに事態は進行している。
航宙艦隊総司令官として救援艦隊の派遣を下命したが、それは彼の体面を取り繕うポーズに過ぎなかった。
現実問題として近隣の転移ゲートが全て使用できない以上、救援が間に合う筈はなく、孤立した白銀艦隊の命運は完全に尽きたと言っても過言ではないだろう。
(白銀ッ……今度こそ間違いなく地獄に堕ちるがいいッ! きさまの死に様は私が見届けてやるッ! お前の最期をなぁ。クックックッ……)
興奮し昂ぶる感情を隠そうともせず、クルデーレ大将はワインの赤い雫で濡れた唇に舌先を這わすのだった。
◇◆◇◆◇
後世の歴史家に問えば、誰一人として異論を唱えない共通した歴史認識がある。
『銀河標準歴・興起一五〇〇年……銀河系西部方面域の辺境宙域で繰り広げられた僅か三時間あまりの戦闘こそが、新銀河秩序の幕開けであった』……と。
後に《ギャラクシアン・デイブレイク》と名付けられる歴史の分岐点は、無名だった一人の人間を歴史の表舞台に登場させる事になる。
それは時代の変遷期に於ける必然だったのか、それとも偶発的なイレギュラーであったのか……。
ただ確かなのは救済を望む人々の声があるからこそ、英雄は生まれるという事実であり、非道な行いで世界秩序を歪める者に対し強力な抑止力を以て裁きを下し、弱者を護る者こそが真の英雄であるという普遍の真理だった。
そして歴史の舞台は、数多の思惑が絡み合ったまま佳境へと雪崩れ打つ。
議会より対応を一任されたドナルド・バック大統領が太陽系全域に向けて発した演説によって戦火の幕は切って落とされたのである。
その演説の骨子を要約すると以下の通りだ。
『彼我の戦力差は圧倒的であり、抵抗する事で多くの地球人類が被害を受けるのは必至である。この悲劇を回避する為にも地球は全ての抵抗を放棄し、バイナ共和国軍の降伏勧告を受け入れる』
『既に統合軍は武装解除しており、降伏は軍も承知している』
『今回の不条理な顛末は、全てが傲慢極まる政策運営を強行した銀河連邦の失政が原因であり、我々としてはこれ以上の忍耐は不要だと考える。よって太陽系は正式に銀河連邦評議会からの脱退を表明する』
などである……。
美辞麗句で飾りつけた台詞を、大袈裟な身振り手振りを交えて強弁する大統領にとって、今こそが人生の絶頂だったのかもしれない。
しかし、その他大多数の地球人類にとってこの裁定は、怒りや憤りに身を焦がし、同時に己の未来への強い不安と絶望に苛まれる悪夢に他ならなかった。
そして、その混乱の最中一千隻の威容を誇る侵略軍がその全貌を露にし、人々が懐いた絶望は黒い染みとなって太陽系全域へ広がったのである。




