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第二話 日雇い提督は女神と天使に出逢う ④

「……パ、パパ? パパぁぁぁ──っっ!」


 そう叫ぶや(いな)や、クリクリした瞳を一杯に見開いた幼い少女が、()び込むようにして抱きついてきた。

 ジャケットの布地を小さな手で握り締め、胸に顔を押し付けるさくらを反射的に抱き留めたものの、想定外の事態に達也は面食らってしまう。


(パパと呼ばれたのは生まれて初めてだが……亡くなった旦那さんは俺と面影が似通(にかよ)っていたのかな? おっと、いけない。いつまでも(ほう)けていては、ローズバンク教官に不快な思いをさせてしまう……)


 他人に(すが)りつく愛娘を見つめるクレアは複雑な表情で立ち尽くしており、そんな彼女の心情を(おもんばか)った達也も困惑から立ち直ろうと努めた。

 この子がどうして初対面である自分に突飛な行動をとったのかは分からないが、それが原因で叱られたのでは可哀(かわい)そうだと思い、少女の頭をそっと撫でてやる。


「君がさくらちゃんだね。僕は白銀達也。ママと同じ仕事をしている軍人さんだよ。今日からお隣に引っ越して来たんだ。よろしくね」


 その言葉によって我に返ったクレアも、慌てて愛娘を(たしな)めた。


「さくらったら! その人はママの同僚よ。パパではないわ。白銀教官に御迷惑だから早く離れなさい」


 母親の強い口調にさくらは見る見るうちに落胆し、その可愛(かわい)らしい顔を悲しみに曇らせたが、そんな少女をそっとホールの床に降ろした達也は、片膝をついたままの姿勢でその顔を覗き込んだ。


「ありがとうな、さくらちゃん。パパと呼んでくれてオジさんも嬉しかったよ……君のように可愛(かわい)い娘なら大歓迎なんだが、オジサンは独身だから、本当に残念無念だよ」


 そう言って微笑んでやると、少女も(ようや)く表情を綻ばせて笑顔を取り戻した。

 達也は優しく頭を()でてやりながら、空いた手を少女の目の前に出し、握っては開くという動作を繰り返す。

 そして、何事かとその手の動きを凝視するさくらの眼前で……。


「一……二……三、はいっ!」


 カウント終了と同時に開かれた(てのひら)には、カラフルな包み紙が目に鮮やかな三本のスティックキャンディーがあった。


(ヒルデガルド殿下に強要されたかくし芸が役に立つとは……)


 複雑な心境だったが、目の前でクリクリの双眸(そうぼう)を大きく見開いて喜色を(あらわ)にする少女を見れば、特訓も無駄(むだ)ではなかったと自然に笑みが(こぼ)れてしまう。


「良い子にしてママの帰りを待っていた御褒美(ごほうび)だよ。これでも()めながら、御飯ができるのを待っているといい……」

「うわあぁぁ~~! ありがとうっ! 白銀のおじちゃんっ!」


 キャンディーを受け取ったさくらは笑みを(はじ)けさせて母親の元に駆け戻り、見せびらかすように手にしたそれを振り回す。


「もうっ、この子ったら調子のいい……す、すみませんでした白銀教官。御不快な思いをさせてしまって……」

「そんな事はないさ……こちらこそ丁寧(ていねい)な指導をしてもらって本当に感謝しているよ。ありがとう」


 申しわけなさそうに頭を下げるクレアに謝意を伝え、さくらに手を振って別れを告げてから新しい住居へと足を踏み入れた。

 一人暮らしには過分な二LDKの空間には、備え付けの家電製品とセミダブルのベッドが置いてあるだけで閑散(かんさん)としている。

 自分で持ち込んだ荷物は、軍専用の情報端末と(わず)かばかりの着替えだけであり、日用品を含めて早急に取り揃えなければならない物が多々ありそうだ。


(明日は一応休暇だったな……買い物が先か? 取り()えず今夜は外食で済ますとして……う~~ん、私生活は面倒な事ばかりで嫌になるなぁ……)


 ラインハルトが危惧(きぐ)した通り私生活全般に全く頓着(とんちゃく)しない達也は、早くもその悪癖の片鱗(へんりん)を見せ始めていた。

 良く言えば鷹揚(おうよう)、悪く言えば怠惰(たいだ)横着(おうちゃく)……。

 この生活無能者ぶりが後に問題を引き起こすのだが……。

 今の達也にそれを予見しろと言うのは、(いささ)か酷な話だろう。


           ◇◆◇◆◇


 一夜明けた翌朝は雲一つない快晴で、自室のベランダから見渡せる大海原は春の陽光を浴びてキラキラと輝いていた。

 頬を撫でる心地良い風、目に(まぶ)しい緑の草木、そして鼻の奥を(くすぐ)る潮の香り……(なつ)かしい感覚が体内で目覚めれば自然と顔が(ほころ)んでしまう。

 (すで)に室内にティグルの姿はなく、食事の世話さえサボりがちな飼い主に見切りをつけたのか、自ら朝食を確保するため海上にて漁に(いそ)しんでいるようだ。


(さて、いつまでも魚ばかりじゃ不満が溜まるだろうな……肉も確保しなければならないし、やはり買い物が先だな)


 顔を洗って着替えを済ませ、昨夜のうちに買い置きしておいた牛乳を朝食代わりに飲み干す。

 着任報告も他の教官への面通しも(すで)に終わらせているし、今日は休暇(あつか)いの為に登校する必要もない。

 (しか)も、時刻は午前十時を少し過ぎた頃とあって、買い物に出かけるには丁度良いと思い自宅を後にした。


「あっ! 白銀のおじちゃんだぁ~!」


 マンションの玄関を出た所で名を呼ばれた達也は、その声の主に思い至って相好(そうごう)を崩す。

 声がした方に目をやれば、昨日知り合ったばかりのさくらが、マンションの前庭に造成された公園から飛び出して全力で駆け寄って来る姿が見える。

 そして、フリルが可愛らしい純白の半袖ワンピースを(まと)った黒髪の少女は間近まで来て足を止めるや、ぺこりと小さな頭を下げて挨拶をしてみせた。


「おはようございますっ! 白銀のおじちゃん!」

「おはよう、さくらちゃん。うん、ちゃんと挨拶ができるなんて偉いね」


 片膝をついて目線を合わせ、優しく頭を()でながら()めてやると、さくらは少し驚いた顔をしながらも(くすぐ)ったそうに破顔する。


「白銀のおじちゃん、これから学校なの? ママはもう行っちゃったよ」

「僕は今日までお休みなんだよ。さくらちゃんは、保育園はいつからなんだい?」

「明日からなのぉ……さくら、年長さんになるんだよ!」


 笑みを(はじ)けさせて得意げに胸を張る少女の様子が微笑ましくて、達也はさくらの頭を再び()でてやりながら提案した。


「それは凄いね。だったら何かお祝いをしなければいけないな……そうだ! これから買い物をしに街まで行くのだけれど、さくらちゃんも一緒に行かないかい?」


 思ってもみなかったお誘いに、少女は黒曜石を思わせる瞳を喜色に輝かせるや、躊躇(ためら)いもせずに何度も大きく(うなず)く。


「い、いっしょに行ってもいいのっ? うんっ! 行くよ、さくら行くぅ!」

「OK御姫様。それじゃあ行こうか。ほら、大人しくしてるんだよ」


 達也は少女の小さな身体を軽々と片腕で抱え上げてやる。


「ふわあぁぁ~~~~すごい、すごいっ! とっても高いよぉぉ!」


 目線の高さが上昇し風景が一変して(はしゃ)ぐさくらを抱き上げたまま、達也はバス停へ向かって歩き出すのだった。


            ◇◆◇◆◇


 新学期を間近に控えたクレアは、担当教科の指導要綱の確認や資料作り、面談を希望してくる候補生達の悩み相談などの仕事に忙殺されていた。

 (ようや)く一段落ついて合同教官室に戻れたのは午後一(ごごいち)を少し過ぎた頃で、自分の席に腰を降ろした途端、無意識の内に小さな溜め息が口を衝いて(こぼ)れ落ちてしまう。


(……さくら、ちゃんとお昼を食べているかしら。せめて今日ぐらいは一緒にいてあげたかったな……)


 最上級生の担当教官に抜擢(ばってき)されて多忙を極めているため、愛娘の幼年教育課程の年長組進級のお祝いをしてあげる暇さえなく、彼女自身忸怩(じくじ)たる想いを(いだ)かずにはいられなかった。


 我儘(わがまま)も言わずにいつも笑顔を絶やさない娘が、本当は誰よりも寂しがり屋なのを母親であるクレアは知っている。

 たった一度だけではあるが、愛娘の口から(こぼ)れた切実な問い……。


『どうして……どうして、さくらにはパパがいないの?』


 突然の事に狼狽(ろうばい)してしまい、すぐに言葉を返してやれなかったのが、今でも()やまれてならない。

 それ以来さくらは二度と父親の話を口にしなくなり、以前にも増して笑顔で接して来る様になったが、その笑顔が無理矢理取り(つくろ)ったものだと気付いているクレアは、健気に振る舞う愛娘が不憫(ふびん)でならず、そんな寂しい思いをさせている自分の不甲斐(ふがい)なさが歯痒(はがゆ)くて仕方がなかった。


 有効な解決策も見いだせないなか、同様の心配をしている両親からは、軍を辞めてイギリスの実家に帰ってこないかと頻繁(ひんぱん)に連絡が来るのも頭痛の種だ。


 『さくらちゃんの幸せ考えれば……』 多くの知人がそう口にするのだが、何がさくらにとって一番幸せなのかクレアには判断がつかないでいた。

 考えれば考えるほど思考は迷路に(おちい)り、やる瀬なさばかりが(つの)ってしまう。

 薄く開いた朱唇(くちびる)の間から吐息が漏れた瞬間、ある人物の顔が脳裏に浮かんだ。


(あの人なら……白銀教官だったら、どうなさるのだろう……)


 知り合ったばかりの銀河連邦宇宙軍の士官であり、本校に臨時教官として赴任して来た人……。

 亡夫と同じ日本人というだけで似ても似つかないのに、人見知りしがちな愛娘が『パパ』と呼んで抱きついた男性……。


 あの光景を目にした瞬間、心の中に芽生(めば)えた寂寥感(せきりょうかん)をクレアは今でも持て余していた。


(あれは……嫉妬(しっと)? 嫌悪? それとも憧憬(どうけい)? そんなはずは……)


 ふと時計に目をやると午後一時を過ぎているのに気付く。

 結論の出ない自問自答を小さく頭を振って意識下に押しやり、クレアは再び仕事に取り掛かるのだった。


            ◇◆◇◆◇


 さくらにとって、それは夢にまで見た楽しい時間だった。


 母や祖父母以外の人と初めて外出するさくらは、家族連れで混雑する巨大ショッピングモールでの買い物に心を(はず)ませ、高揚する気分の儘に(はしゃ)ぐ。

 一方達也はといえば、日常生活に必要な小物類や最低限の家具を買い揃えて配送の手続きを済ませるや、後は(もっぱ)らエスコート役に徹して館内を遊覧したのである。

 その楽しい時間はさくらを夢中にさせた。

 遊戯スペースでは様々な遊具で一緒に遊んでもらい、おまけにフードコーナーでは美味しいソフトクリームを御馳走(ごちそう)してくれた。

 (しか)も、人混みで歩き(にく)いと思えば抱っこしてくれるし、そうでなくても、ずっと手を繋いでいてくれるのだ。

 それだけでも充分嬉しかったのに、進級のお祝いにとプレゼントまで買って貰ったのだから、もう驚くしかなかった。


「年長さんになるさくらちゃんに、僕からのお祝いだよ」


 本屋さんで3Ⅾホログラフを駆使(くし)した飛び出す絵本を数冊と、玩具売り場では、大きな子熊のヌイグルミまで買って貰った。

 更に、モールに隣接するベイサイドステーション最上階の展望レストランでは、大好きなハンバーグステーキを御馳走(ごちそう)してくれたのだ。

 白銀達也という人と知り合えたのが嬉しくて、こんな素敵な時間をくれた優しいおじちゃんへ、さくらは何度もお礼の言葉を伝えたのである。


 お腹がいっぱいになり(はしゃ)ぎ疲れたのも相俟(あいま)って、帰路はマンションに着くまで、さくらはずっと達也に背負われていた。

 大きな背中はとても温かく、ふわふわとした心地良さに包まれ嬉しくて頬が(ゆる)むのが止められない。


(……パパの背中も、こんなふうに気もちいいのかなぁ……)


 大きな背中にそっと顔を押し付け、ずっと(あこが)れていた行為に身を(ゆだ)ねる。

 父という存在を写真でしか知る(すべ)のないさくらが、母親が聞かせてくれる父親の話を理解するのは年齢的にも難しかった。

 保育園の友達から、両親と一緒に遊びに行った話を聞く(たび)に……。

 帰宅時間に迎えに来た父親と手を(つな)いで帰路につく友達を見る(たび)に……。

 寂しくて寂しくて、いつも心の中で(つぶや)いていた想い……。


(どうして、さくらにはパパがいないのだろう?)


 積り積もったその想いを母親に訊ねた少女は後悔に打ちのめされてしまう。

 大好きなママが(つら)そうに顔を曇らせて『ごめんなさいね……』と小さな声で謝るのを見て、(さと)い少女は、父親に対する思慕の念がママを苦しめるのだと理屈抜きに理解してしまったのだ。

 だからそれ以来、二度と自分の想いを口にしないようにしてきた。

 ママを不安にさせないために一生懸命笑顔を作り、寂しさを小さな胸の内に押し込めてきたのだ。


 しかし、そんな日々が唐突に終わりを告げる瞬間にさくらは遭遇した。

 ママと同じ仕事仲間の白銀達也という人に出逢ったのだ。

 写真の中のパパと同じ黒髪の男性が、優しい笑みを浮かべてくれた瞬間、さくらの中で何かが(はじ)けた気がして、気が付いたら『パパ!』と叫んで抱きついていた。


 自分がどうしてあんな真似をしたのか、さくらにもよく分からない。

 だが、夢のような幸福感に包まれている今、あの時の行動は間違っていなかったのだと強く思った。

 (おだ)やかな声で楽しい話をしてくれるこの人と、少しでも長く一緒にいたい……。

 マンションが近づくにつれ、離れたくないという想いは強くなるばかり……。

 だから、さくらは精一杯の勇気を振り絞って、心から(あふ)れた想いを達也に伝えたのである。


「し、白銀のおじちゃん……」

「うん? なんだい、さくらちゃん?」

「今日は本当にありがとう……さくら、こんなに楽しくてうれしかったの、初めてだったぁ……」


 達也の肩口に顔を埋め素直な気持ちを伝えると、明るく(はず)んだ声が返って来る。


「どういたしまして。僕もさくらちゃんと仲良くなれて嬉しかったし、一緒に遊べて楽しかったよ」


 優しい言葉を返されると身体がポカポカと温かくなり、たったそれだけの事なのに、嬉しくて、嬉しくて、心が高鳴るのを抑えられない。

 昨夜ママから『あまり御迷惑をおかけしては駄目よ』と珍しく強い口調で注意されたが、さくらはその言いつけを()えて頭の隅に追いやり、何かに()かされるかのように想いの(たけ)吐露(とろ)した。


「ね、ねえ、白銀のおじちゃん……ま、また、さくらと遊んでくれる? 何もいらないから! 遊んでくれるだけでいいからっ!」


 もしかしたら、断られて二度と相手をしてもらえないかも……。

 そんな不安に小さな胸をドキドキさせながらも、祈るように達也のジャケットの布地を握る手に力を入れた時……。


「ああ。かまわないよ。僕なんかでよければ大歓迎だ。時間が空いてる時はいつでも声をかけてくれていいし、部屋を訪ねてくれても構わないよ」

「本当にいいの? わあぁっ! ありがとうっ! 白銀のおじちゃん!」


 少女の不安を吹き飛ばすように、嬉しそうに笑顔で了承する達也。

 さくらは歓声をあげながら達也の首に抱きつき、喜びを爆発させるのだった。


 その後マンションに帰り着き、敷地内の公園で遊んでもらったさくらは、(さら)なるサプライズに本日最高の喜びを(あらわ)にする。

 陽が傾きかける頃に帰って来たティグルを紹介されたさくらは、その(つぶ)らな瞳を輝かせ、小さな両腕で幼竜を抱き締めたのだ。

 達也以外の人間に触られるのを好まないティグルが、気持ち良さげに喉を鳴らしながら大人しく抱かれているなど初めてだった。

 その光景に驚いた達也だが、直ぐに破顔して少女と幼竜のコンビに声を掛ける。


「仲良くしてくれたら僕も嬉しいよ。ティグルもさくらちゃんを大切にして仲良くするんだぞ」


 大好きなおじちゃんの言葉に少女は本日一番の(まぶ)しい笑顔を見せ、何度も何度も感謝の言葉を口にするのだった。


            ◇◆◇◆◇


 新学期の準備に忙殺されて、すっかり帰宅が遅れてしまったクレアが自宅に帰り着くと、愛娘は奥のリビングのカーペットの上で居眠りをしていた。

 テーブルの上にはカラフルな絵本。

 隣には()い寝をしてくれる愛らしい子熊のヌイグルミ。

 そして、さくらの(ふところ)に大切に抱かれた幼竜……。


 静かな寝息をたてている愛娘の寝顔は、とても(おだ)やかで幸せに満ちた笑みに(いろど)られており、この笑顔を与えてくれた人物にクレアは直ぐに思い至った。

 さくらを起こさない様に、そっとタオルケットを掛けてやってから、玄関を出てお隣の部屋の呼び鈴を鳴らす。

 間を置かずにドアが開いたかと思えば、自分の制服姿を見た達也が(いた)わるかの様な微笑みを向けて来た。


「やあ、こんな時間まで仕事だったのかい? お疲れ様」

「い、いえ、任務ですから。それよりも、折角のお休みにさくらの相手をしていただいて済みませんでした。(しか)も、散財までさせてしまった様で……あの子が我儘を言って困らせたのではありませんか?」

「とんでもない。俺の方からお願いして買い物に付き合ってもらったんだ。さくらちゃんは礼儀正しく素直な子だ。君の育て方が素晴らしいのだと良く分かったよ」

「そ、そんな……私は()められるような事は何も……」


 その言葉が終わらぬうちに達也は顔つきを改める。


「俺のような他人が出過ぎた真似をしてすまなかったと思っている。真剣に子育てをしている君には不快な思いをさせたかもしれないが……どうかあの子を(しか)らないでやってくれ」


 頭を下げて謝罪する達也にクレアは吃驚(びっくり)させられてしまった。

 家庭内での(しつけ)云々は兎も角としても、父親の記憶を持たないさくらが、他人から過剰な気遣いを受けるのを不安に感じないといえば嘘になる。

 だから、そんな気持ちを察して謝罪してくれた達也に、クレアは驚きを禁じ得なかったのだ。


(勘違いして親切の押し売り自慢をする人だっているのに……この人は自分のことよりもさくらを(おもんばか)ってくれた……その上、私まで気遣ってくれるなんて)


 そのさり気ない思い遣りが嬉しくて、慌てて頭を上げるよう懇願(こんがん)する。


「こ、困ります……謝ったりなさらないで下さい。お世話になったのは私どもの方ですのに……」


 頭を上げた達也に、クレアは自嘲するかの様に弱音を洩らしてしまう。


「私など仕事を言い訳にして、あの子が喜ぶ事など何一つしてやっていないのです……うたた寝をしているさくらの……あんなに幸せそうな寝顔を見たのは本当に久しぶりで……少しだけ貴方に嫉妬(しっと)してしまいましたわ」


 すると達也は(わざ)とおどけたような仕種(しぐさ)で微笑むや、気取った台詞を口にした。


「何を言ってるのやら……『さくらのママは世界でいちばん美人で、やさしくて、お料理がじょうずで、だからさくらはママが大好きなの!』、と今日だけで三回も自慢されたよ。愛されているね。全く(うらや)ましいかぎりだよ」

「そ、そんな……もう、あの子ったら……し、白銀さんも揶揄(からか)わないでください」


 意地の悪い笑みを浮かべた達也の言葉に、クレアは羞恥(しゅうち)に顔を赤くして(うつむ)いてしまう。

 しかし、直ぐに心を落ち着けて視線を上げ口を開いた。


「改めてお礼申し上げますわ。ありがとうございました。もしよろしければ時間の空いた時にでも、あの子の相手をしてやっては戴けないでしょうか?」

勿論(もちろん)、俺に異存はないよ。出しゃばり過ぎないようにはするけれど……なにぶん無神経な独身者だからね。(いた)らない事があれば遠慮なく言ってくれると嬉しい」


 知り合ったばかりの同僚教官の思い掛けない気遣いに、クレアは自然と微笑みを浮かべて礼を返す。


「ありがとうございます……こちらこそ同僚として、そして隣人としても良い関係を築けますよう、宜しくお願いいたしますわ」

「うん。こちらこそ……あっ! そうだ、ティグルの奴がお邪魔しているのだろう? 迷惑だろうから、さっさとベランダに放り出してくれて構わないからね」

「ふふふ、それは無理だと思いますわ。さくらがティグルちゃんを手放す筈がありませんもの。絶対に一緒に寝ると言うに決まっています」

「うわぁ、それは迂闊(うかつ)だったな。さくらちゃんが寝ているうちに連れ帰ろうか?」


 困り顔の達也の様子が可笑しくて、クレアは思わず口元を(ほころ)ばせてしまう。


(本当に優しい方ね……人見知りなさくらが(なつ)いてしまうはずだわ)


「御心配なさらないで下さい、ペットと同じです。それに幼竜と触れ合えるなんて素敵じゃありませんか……あの子がティグルちゃんと仲良くなる中で沢山のことを学んでくれるのならば、それは私にとっても喜びに他なりません。だから、反対する理由はありませんわ」


 最後に丁寧に一礼したクレアは達也に背を向け自室へと戻って行き、その後姿を見送った達也はドアを閉めて溜息をひとつ(こぼ)す。


 深く考えもせずに幼いさくらを可愛がってしまった。

 それが間違っていたとは思わないが、女手一つで愛娘を育てているクレアの心情には充分に配慮しなければならない。

 そう自らを(いまし)める達也だった。


           ◇◆◇◆◇


【おまけのコーナー!】

令和4年 1月。

瑞月 風花 様《https://mypage.syosetu.com/651277/》からFAファンアートを戴きました。

題名は、『さくらちゃんとティグル』です! 御堪能下さい!


挿絵(By みてみん)


瑞月 風花 様。この度は本当にありがとうございました。【桜華絢爛】

◎◎◎

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― 新着の感想 ―
[一言] 返信ありがとうございました。驚きのあまり思わず2度目を書き込んでいます。だって、うちの主人公とは正反対のヒーローだと思いながら読んでたんですよ。いえ、絶対正反対ですってば。 でも、まだ8部分…
[良い点] 紙の書籍とくらべても遜色ない筆力で、圧倒されながら拝読しています。なかでも、主役の描写が見事であることには特に驚きました。 非の打ちどころがないほど才能も人徳もある主人公。序盤でも、これ…
[一言] さくらちゃんッッッッ良い子ッッッッ(´;ω;`)ブワッ クレアさんも……守ってあげたいッッッッ(´;ω;`)ブワッ 私のとは違って大人な人間ドラマな本作……素敵ですッッッッ
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