第二話 日雇い提督は女神と天使に出逢う ③
「ここでは落ち着きませんので、カフェテラスに移動しましょうか?」
周囲の不穏な雰囲気を慮り、そう提案してくれたクレアの好意に感謝した達也は、その申し出に素直に同意したが、彼女達に先導されて移動する中で閑散とした校内の様子を目の当たりにし、小首を傾げながら問いかけた。
「本校はまだ休暇中なのですか? 候補生の姿をあまり見かけませんが?」
「新学期開始は十五日だからボチボチ戻って来るわよ。特に最上級生は明後日から二日間の特別授業選定面接を控えているから、明日には全員が揃うと思うわ」
何処か気安い口調でそう答えた志保に驚いたクレアは慌てて窘める。
「ちょ、ちょっと、志保っ、い、いえ、遠藤教官! 白銀教官の方が上級者なのだから、馴れ馴れしい物言いは失礼よ!」
「えぇ~~っ? そんなに年の差があるわけでもないし。あのいけ好かない馬鹿をやり込めたというだけで、親近感を覚えたというか……なんか気の合う同志みたいだなって感じがして……つい?」
「い、いい加減にしなさいよ! だいたい、何故付いて来るのよ?」
「だって、一人だけあの陰気な教官室に残るなんて有り得ないでしょう? どうせ今日は他に何もないのだから、コーヒーの一杯くらい飲んだっていいじゃない」
息の合った漫才のようなふたりのやり取りに思わず含み笑いを漏らした達也は、気を利かせて自ら妥協案を提示した。
「自分も、いや、俺も気安く接して貰えた方が有り難い。現場一辺倒の生活だったから、どうにも堅苦しいのは苦手でね。勿論、君達が良ければだけど?」
「おっ! 話が分かるわねぇ~。私に異論はないわよ」
「もう、志保ったら……白銀教官がそう仰るなら仕方がありません……しかし、候補生達の手前もありますから、最低限度の礼儀は守ってください」
達也の申し出に志保は満面に笑みを浮かべ、クレアは呆れながらも節度を守った範囲でと、条件付きながらも了承する。
そんな話をしているうちに三人は大食堂に辿り着く。
教職員と候補生が共用するだけあって、広々とした室内には五百人以上の人間が同時に食事をできる設備が整えられており、多数の大テーブルと椅子が並んでいる室内は正に壮観の一語に尽きた。
また、メニューも豊富で和洋中と多岐に渡っている上に、オートメーション化された調理機によって、短時間での配膳が可能なのだから、まさに至れり尽くせりという他はないだろう。
「貴重な時間を拝借しているのだから、飲み物ぐらい御馳走させてくれよ」
「「それでは、お言葉に甘えて……御馳走になります」」
達也の申し出に微笑むふたりは、それぞれ好みの飲み物を選んだ。
今日は春の陽気という言葉に相応しい穏やかな天候だった為、三人は室内を出て併設されているオープンカフェへと移動したのだが、そこに居た先客から弾んだ声が投げ掛けられて足を止めた。
「わあ! ローズバンク教官に遠藤教官も! お久しぶりです」
その声がした方に目をやると、男子と女子の候補生が起立して会釈しているのが見え、まだ幼さが残るその面立ちに達也は相好を崩す。
「本校では教官も候補生も人数が多いから、敬礼を簡略化し黙礼で済ますのが流儀なの。更に一限目から最終授業の終了時までは、その黙礼も免除されているわ」
志保が囁くように教えてくれた内容には頷かざるを得ない点もある。
(規律の観点からは問題があろうが……いちいち敬礼していたのでは廊下も歩けないからな)
そう納得しているうちにふたりの候補生が歩み寄って来ると、クレアが生真面目な教官然とした声で紹介してくれた。
「紹介しておくわね。こちらは新学期から新任教官として着任なさる白銀達也銀河連邦宇宙軍大尉です。最上級生の特別授業を担当なさいます」
銀河連邦宇宙軍大尉と聞いて候補生達の瞳に興味の色が浮かぶ。
「この子達は今期最上級生になる、真宮寺 蓮君と、如月 詩織さんです」
クレアの紹介を聞いた達也は破顔し、気安い調子でふたりに言葉を掛けた。
「白銀達也だ。今年一年間の期限付きで連邦宇宙軍から派遣されてきた。教官としては未熟だが全力を尽くすのでよろしく頼む」
強面の青年士官が、好感の持てる笑顔で挨拶する様子が何処か可笑しく思えたのか、破顔したふたりは声を弾ませて名乗り返す。
「真宮寺 蓮です。色々とお話を聞かせていただきたいと思いますので、よろしく御指導を御願いいたします」
「如月 詩織です。私も是非、御教授賜りますようお願いいたしますっ!」
初対面の上官相手に緊張するなというのは無理だろうが、妙に畏まったふたりの仕種にクレアも志保も口元を綻ばせてしまう。
初々しい候補生達に好感を懐いた達也だったが、突然耳に飛び込んできた甲高い鳴き声に反応し、浅春の澄み渡る空に視線を向けた。
その動物の鳴き声らしき音の正体が分からない他の四人は、達也に釣られて上空を振り仰いで目を凝らす。
すると……。
「キュゥイ、キュイ、キュゥゥ~~ン!」
そこには可愛らしい鳴き声を発しながら、二枚の翼を羽ばたかせて降下してくる白一色の生物の姿があった。
器用に滞空しながら達也の肩に着地した生物を見た一同は、その特徴的な外見からひと目でそれが幼竜だと察したのだが、余りに突然だった為に全員が惚けた顔で初めて目にする竜種に見入ってしまう。
(まあ、竜など地球ではファンタジー世界の生き物でしかないからな)
美人が驚いている姿も絵になるものだが、何時までもにらめっこをさせておくわけにもいかず、軽く咳払いしてから達也は口を開く。
「こいつはティグル。俺の家族というか、相棒かな……ほれ、ティグル。皆さんに挨拶しないか」
そう促された純白の幼竜は、愛くるしい真紅の双眸で周囲の人間達を見廻したかと思うと、その小首を傾げてひと鳴きする。
「キュゥゥ~~~ン?」
「か……かっ、可愛いぃぃ──っ!」
ティグルの仕種に真っ先に反応したのは詩織だった。
悲鳴にも似た歓声を上げ、瞬間移動もかくやという素早い動きで達也に詰め寄るや、驚いて逃げようとする幼竜を電光石火の早業で捕獲したのだ。
然も、問答無用で抱き締めるや、頬擦りまでする燥ぎっぷりだった。
ティグルは詩織に怪我をさせない程度にバタバタともがいているが、興奮に瞳を輝かせている少女からは逃げられず、やがて諦めてされるが儘になってしまう。
「白銀教官っ! この子はひょっとして!?」
「アグウストリア星系に勢力を持つ竜種の幼子だ。残念ながら、幼過ぎる上に特徴が曖昧で種族の特定ができてはいないが……これでも知能は高いから、他の生物に害意を向けたりはしない大人しい子だよ」
「うわぁぁぁ……銀河辺境には伝説のドラゴンが生息している星があると聞いてはいましたが……映像じゃなくて実物を! 然も、この手で抱っこできるなんて夢のようですっ! 感激ですっ! 最高の一日ですぅっ!!」
普段は礼儀正しく控えめな性格で知られる学年首席の美少女が、興奮も露に喜びを爆発させる姿は少々奇異にも映るが、そんな彼女とは対照的に、恐る恐るといった風情の蓮が詩織を窘めた。
「し、詩織っ! あまり手荒く扱うと機嫌を悪くするんじゃないか? なんとなくだけど、迷惑そうに藻掻いているようにも見えるし……」
「そ、そんな事ないもんっ! こんな美少女に抱かれているんだよっ!? 絶対に喜んでくれてるもんっ!」
暗に『咬みつかれたら、どうするんだよ!』という不安がバレバレの蓮と、彼の指摘に可愛い頬を膨らませて抗議する詩織のやり取りが微笑ましく、教官トリオは思わず顔を綻ばせてしまう。
「さっきも言ったが竜種はどの種族も飛びぬけて知能が高い。こいつもあと何十年かすれば、テレパスで完全な意思疎通ができるようになる。理不尽な害意を向けられない限り、自分から牙を剥いて相手を傷つけるような真似はしないよ」
達也が笑顔で保証したからか、蓮も及び腰ながら詩織に抱かれたままのティグルの頭を撫で始めた。
そんな教え子達に温かい視線を向けていたクレアが、ふと思い立った様に疑問を口にする。
「あっ……でも、竜種は銀河連邦評議会認定の保護条約で護られている存在だったのではありませんか? たしか、個人で所有した場合、奴隷売買と同等の罪に問われて取り締まりを受けるはずですが?」
「ええ。貴女の言う通りです……ティグルと出会ったのは七年前だったかなぁ……大規模な密輸ギルドの殲滅作戦の最中に出会ったんだ。作戦は概ね成功して組織は叩き潰せたのだけれど、想定より収集品が多種多岐にわたって選別に手間が掛ってね。素人の俺らまで駆り出されたんだが……偶然運んでいた保育カプセルが作動して、あっという間に中の卵が孵化してしまったのさ」
「ま、まさか……刷り込みですか?」
「はは……その通りです。俺を親か兄弟だと思い込んでいる様で離れないのです。結局すったもんだの末、生物保安局の検査と審査を二年ごとに更新するという条件付きで、最長百年間の個人所有を許可して貰えたんだ」
達也の説明にクレアは納得したが、一応釘を刺すのも忘れなかった。
「その子が賢いのは良く分かりましたが、校内に連れて来るのは避けてくださいね。如月さんの様に燥ぐ子達が大勢いますから、パニックにでもなったら取り返しがつきませんので」
「えぇっ? 私っ? ひ、ひどいですよローズバンク教官! あっ!」
注意に託けたクレアの冷やかしに、心外だと言わんばかりに頬を膨らませて抗議する詩織は、うっかり腕の力を緩めてしまった。
「キュイ、キュゥゥィィッッ!」
その隙を見逃さなかったティグルは、あっという間に詩織の腕の中から這い出すや大空目掛けて羽ばたく。
「いやぁ~~ん! 待って、待ってぇぇ!」
悲し気な悲鳴を上げる詩織が逃げた幼竜を追いかけてテラスを飛び出せば、敬愛する教官らへ一礼した蓮も慌てて彼女の後を追って駆け出すのだった。
「ちょ、ちょっと、詩織っ! あ、あぁっ、し、失礼しましたぁっ!」
すると、今度はテラスの向かいにある校舎二階の窓が開いたかと思えば、焦った表情の女子候補生が此方に向けて叫んで来た。
「遠藤教官っ! 面談の時間が過ぎちゃっていますよぉっ!」
「ああっっ! いけない忘れていた! 悪い悪いっ! すぐに行くからぁ~~! ふたりともゴメンね! 今度埋め合わせはするからぁっ!」
予定を失念していた志保が顔色を変え、脱兎の如き勢いで校舎に駆けていく。
取り残された達也とクレアは、この慌ただしい成り行きに唖然とする他はなく、顔を見合わせて苦笑いするしかなかったのである。
◇◆◇◆◇
達也とクレアはカフェテラスの丸テーブルに差し向かいで腰を降ろし、マンツーマンで教導を開始した。
タブレット型端末を手早く操作したクレアは、必要な情報を整理して達也の端末にデーターを転送する。
学内の見取り図から主要設備の概略、現状の各学年の候補生数の推移と実相……その他にも重要と思われる情報が分かり易く纏められており、右も左も分からない達也には、何よりもありがたい資料だった。
「つまり俺の担当は午後の特別授業と呼ばれるものだね……聞き間違いでなければ、クラスの選択は各教官と面談した上で、候補生自身が決めるとの事だが?」
「はい。幕僚本部教導課が作成した指導要領ではそうなっているのですが……」
顔を曇らせ言葉を濁す美人教官の反応を見た達也は、自身の懸念が概ね間違っていないと確信し、この制度の問題点を看破する。
「候補生が百名程度なのに教官は十人。然もクラスの上限が二十名までという事は、候補生に選択権を与えていると言いながらも、実際は教官側が優秀な候補生を選別している……違うかい?」
僅かなやり取りで容易く核心を見抜いてしまった達也を、彼女は驚嘆の眼差しで見つめ返してしまった。
そして、溜息交じりに頷くしかなかったのである。
「仰る通りですわ。毎年三~四名の教官に候補生が集中し、そこから漏れた子達が残った教官のクラスに振り分けられるのですが、希望が叶わなかった候補生達はモチベーションを低下させ、その後の成績にも悪い影響を及ぼしてしまうのです」
「しかし、分からないな……士官学校の教官に選ばれるような優秀な現役士官に、優劣がつくほどの能力差があるのかい?」
真っ先に脳裏に浮かんだ疑念を口にした達也だったが、問われたクレアは不快な心情を隠そうともせずに批判めいた想いを吐露した。
「能力の差などではありません! 軍内部での派閥の力関係や有益な人脈の有無。そんなものが指導力より重視されているだけです! 指導する側の教官にしても、候補生を何人任官させたかという実績が、そのまま本人の評価に繋がりますから、成績の優秀な候補生ばかりを優遇し、下位の候補生を安易に切り捨てるのです」
各士官学校に共通した問題として指摘される《エリート優先主義》。
軍政局が策定した履修科目をなぞるだけの創意に欠ける授業の在り方。
一部の指導教官が成績優秀者と、そうでない候補生との間に明確な格差を設け、納得できる基準も提示しないままに下位の候補生を切り捨てる……。
そんな不合理で理不尽が罷り通る現状に、クレアは強い憤りを覚ずにはいられず、頻繁に制度改革を上申するのだが、軍上層部からは黙殺されるのが常だった。
五年前のような悲劇を二度と起こさない為にも、優秀な軍人を一人でも多く任官させる必要があると、彼女は信じて疑ってはいない。
それが二八五六名の戦死者の御霊を安んじて、自分を含む遺族の無念に報いる、唯一の道だと確信していた。
その為にも自分が声を上げ続けなければ……。
そう強く誓い、今日まで仕事に取り組んで来たのだ。
(いやだ、私ったら……腹立ち紛れに言わなくてもいい事を……)
積りに積もっていた鬱憤が思いも掛けずに口から漏れ、その自身の言葉に驚いて我に返ったクレアは、美しい顔を桜色に染めて頭を下げた。
「も、申し訳ありません……貴方に非があるわけでもないのに、不快な話をお聞かせしてしまって……」
達也はクレアの謝罪にも穏やかな表情を崩さず小さく首を左右に振るや、常日頃から懐いている憤懣を吐露する。
「かまわないよ。権威や思想を振りかざして、物事の本質を見極めもしない愚かな人間は何処にでもいるものさ。しかし、優秀な成績を残して卒業し、少尉任官されるのがゴールではないだろうに……それは軍人としてのスタートラインに過ぎないのだ。それを、候補生達が勘違いしなければいいのだがね」
その真摯な言葉にクレアは思わず背筋を伸ばしていた。
それは、何一つ表情や物言いが変わったわけでもないのに、目の前の男性が纏う雰囲気が一変しているのに気付いたからだ。
「資質のない者は容赦なく切り捨てるべきだと俺は思っている。不適格者が正規の軍人に採用されても、それは本人や周囲の人間にとって不幸でしかない。しかし、候補生個人の能力や成績のみを殊更に重視する必要はないとも思う」
「それは、先程教官室で『生き残る術を教える』と、貴方が仰っていたのに関係があるのですか?」
「その通り。新米少尉の最優先課題は生き残ることだ。たとえ任務に失敗しても、命さえあれば次の機会を手にできるし、そこで得た経験が血となり肉となって更に成長できる。それは彼ら自身の為でもあるし、将来率いる部下たちの為にも必要なスキルに他ならないのだからね」
強い口調で持論を述べる達也の雰囲気にクレアは圧倒されてしまう。
彼の言は正論でありながら、軍隊では最も軽視されがちな意見に他ならない。
それを誰に憚ることなく、当然のように口にする彼に尊敬に近い感情を懐かずにはいられなかった。
しかし、深く感動したのはそこまでで……。
急に深々と溜息を吐いた達也は、憂鬱そうな表情で弱音を口にしてクレアを呆れさせたのだ。
「とは言え……未来の新米少尉の心配よりも自分の心配が先だよな……面接で生徒が確保できなければ無職同然だものなぁ~。はあぁ、統合軍に人脈も何もない俺は一番不利じゃないか……あの古狸共めぇ~っ!」
「先程までの立派な御意見が台無しですわ……でも、私は見てみたいです、貴方が教える候補生の成長を……ですから死ぬ気で教え子を確保してくださいね」
「うっ……わ、分かりました。善処いたします……」
その期待と脅迫に近い物言いに気圧された達也は、頷く他はなかったのである。
◇◆◇◆◇
共に昼食を摂った後に、達也は学校内の各種施設を案内して貰い、その充実した設備と学生寮など見学し目を丸くしたのだが、驚き以上に懸念を覚えずにはいられなかった。
(至れり尽くせりとはこのことか……確かに環境は整ってはいるが、快適過ぎれば人は怠惰に溺れてしまうのだがなぁ……)
そんな不安が脳裏に浮かんだが、教導してくれるクレアの手前、敢えて口にはしなかった。
日常的に激しい戦闘に対処しなければならない銀河連邦軍と、比較的安全が保障されている地球統合軍とでは、組織の在り方に相違があるのは当然だろう。
だからこそ安易な批判を口にして、真摯に助力してくれるクレアに不快な思いをさせたくはなかったのだ。
クレアは施設を案内しながら、少数ながらも出会った最上級生達を呼び留めては達也を紹介する。
先ほどの弱音を慮ってくれたのか、積極的にPR活動までしてくれる熱心さに、達也の方が尻込みしてしまう程だった。
『貴方達にとっても貴重な体験になる筈だから、是非とも面談を受けて頂戴ね』
彼女の気遣いは非常に有難くて感謝するしかないのだが、効果のほどは余り期待できないだろうと達也は思う。
憧れの美人教官に声を掛けられた候補生達は、男子は総じて顔を赤くし頷くだけだし、女子は興味ある話を質問しては歓声を上げるという有り様だった。
おまけに新任教官の存在などそっちのけでクレアとの会話に夢中になっており、彼女の人気の高さに感心すると同時に、その平穏で心温まる光景に思わず見入ってしまう。
(まあ、これだけの美人だものな。男性教官達や候補生達が熱をあげるのも当然か……遠藤教官と合わせて学園のマドンナの双璧なのだろうな)
そんなやり取りを繰り返しながら校内の案内を終える頃には、既に陽が西に傾き始めていた。
「すまなかったね。長々と付き合わせてしまって」
「お気になさらずに。これも任務ですから。ですが少しでも感謝していただけるのであれば、是非とも生徒を確保なさってください。私も楽しみにしていますわ」
「ああ。期待に添うように頑張るよ。本当にありがとう」
そう言って敬礼をする達也に、クレアも微笑んで答礼を返した。
「私は島内に住んでおりますので、このまま帰宅しますが、白銀教官はどうなさいますか? 上海シティーの教官用官舎でしたら、空港まで御送り致しますが?」
「いや、俺は統合軍の軍人ではないからね……豪勢な施設を我が物顔で使うような真似はできないよ。それに今日から一年間は此処が俺の戦場だ。何があっても直ぐに対応できるようにしておきたい」
「それでは島内に? 既に物件の契約を済まされているのですか?」
「いや。この島の事情には疎いしね。校内に教官用の宿舎がないと聞かされていたから、林原学校長にお願いして空き物件を手配して貰ったんだが……あ、あった、此処だな」
自分の情報端末の個人情報欄を閲覧すると、そこには既に契約済みの住居の詳細が明示されていた。
「リーフグリーン・マンション……二十階か……最上階の三号室だな」
その達也の言葉を聞いたクレアは驚くと同時に、見た目とは裏腹に強か極まりない林原学校長の思惑に気付いて辟易してしまう。
(また要らぬ気遣いをしてくれて……誰ともお付き合いする気はないと言っているのに……)
事ある毎に見合い話を薦められてはいたのだが……。
今回は毛色の変わった新任教官はどうかとでも言いたいのだろう。
以前にハッキリ断ったにも拘わらず未だに諦めていないのかと憂鬱になったが、当て馬にされた達也こそいい迷惑だと思い直し、努めて平静を装って口を開いた。
「そこ、私の住居と同じフロアーの部屋ですわ。御都合が宜しければ帰宅ついでに御案内いたしますが?」
「へえ、そうなのか、それは奇遇だな。重ね重ねお手数をお掛けするが、よろしくお願いするよ」
達也は笑顔で愛想よく答えたのだが、偶然にしては出来過ぎな状況に何か不穏な思惑を感じざるを得ない。
とはいえ、手配してくれたものを一方的に断るのは憚られ、取り敢えずはクレアの好意に甘える事にしたのである。
自宅になるマンションは、伏龍士官学校からAI制御の無人タクシーで約十分の距離にあった。
周辺は住宅地や個人商店が立ち並び、北部の市街地や繁華街へのアクセスもAI制御の無人路線バスが整備され、利便性と自然が調和した街並みが目に眩しい。
「私の娘が通う幼年教育課程の保育園も近くにありますが、小中等教育課程に該当する教育施設は島内にはありませんから、上海シティーまで毎日通う必要があります。尤も定期高速船なら三十分とかかりませんから、取り立てて不便だという話は聞きませんが」
無人タクシーのシートに並んで座るクレアが簡単な説明をしてくれた中で、思い掛けない単語を耳にした達也は反射的に訊ね返していた。
「ローズバンク教官。君、娘さんがいるのかい?」
「えっ? はい、そうですよ。ふふ、娘がいるようには見えませんでしたか?」
クレアにとっては達也の反応が何時も見慣れたものであったため、少し意地悪な笑みを浮かべて左手の薬指のエンゲージリングを見せた。
こうすれば、初対面の男性はあからさまに残念そうな顔をするのが常で、この男性も同じだろうとクレアは思ったのだ。
しかし、達也はバツが悪そうに頭を掻くと、温和な微笑みを浮かべ丁寧に謝罪して彼女を驚かせた。
「いや申し訳ない。指輪を見落とすなんて失礼な真似をして悪かったね。しかし、とても保育園に通うお子さんがいる様には見えないよ。お嬢さんは今おいくつなんだい?」
屈託のない笑顔を浮かべる達也の態度に、クレアは自分が勝手に勘違いしていたのだと気付いて恥ずかしくなった。
(林原学校長から何か言い含められているのかとおもったけれど……私の早とちりだったみたいね。白銀教官に失礼な真似をしてしまったわ)
これ見よがしに指輪を見せつけた行為が、我ながら幼稚な真似に思えて赤面してしまう。
「あっ……ら、来月末で五歳になります……最近では、すっかりおしゃまになってしまって……」
「はははっ! それは可愛い盛りじゃないか。ご主人もさぞ可愛がっておられるのだろうね」
他意なく口から出た達也の言葉にクレアは寂しげな微笑みを返すしかない。
「父親はいないのです……大学の研究者だったのですが、統合軍の開発事業に協力していて……五年前の土星宙域における海賊艦隊との遭遇戦で運悪く……」
達也は詳細までは把握していなかったが、イェーガー准将から貰ったファイルに、該当する項目があったと記憶していた。
(こんな若さで未亡人とは気の毒な……お嬢さんは父親の顔も知らないのか……)
「事情を知らなかったとはいえ、君の気持も考えず不躾な事を言ってしまった……本当に申し訳ない。お亡くなりになられたご主人には、心からご冥福をお祈りするしかないが……どうか気を悪くしないでくれ」
「お気になさらないでください。今はもう気持ちの整理はつきましたから。それに夫に託された大切な娘がいます……私は母親ですもの。さくらのためにも、いつまでも萎れているわけにはいきませんからね」
気丈にも笑顔でそう言う彼女だったが、達也には無理をして虚勢を張っている様にしか見えない。
しかし、赤の他人からの下手な慰めや同情が、かえって遺族を傷つけてしまうと知っている達也は、敢えてそれ以上言葉を重ねなかった。
そんな彼の気遣いをクレアは少しだけ好ましいと思ったのである。
(誰もが上辺だけの同情や慰めの言葉を口にするのに、それが無意味なのだとこの人は知っているのね……どれだけの人との死と別れを経験なさったのだろう……)
胸を締め付ける切なさと、そこに入り混じる安堵感……。
初体験の不思議な感覚に触れたクレアは、微かに吐息を漏らすのだった。
マンションに着いたふたりはセキュリティーを解除して玄関ホールに入り、そこからエレベーターに乗り込んだ。
新築の物件ではないが手入れが行き届いているせいか、瀟洒な雰囲気を感じさせるマンションだった。
エレベーターは二十秒ほどで最上階のフロアーに到着し、強化プラスチック製のドアが音もなく左右に開く。
先にクレアが、続いて達也がエレベーターホールに出た時だった。
「おかえりなさあ~~いっ! ママっ!!」
透き通るような明るい幼子の声がエレベーターホールに響くや、可愛らしい少女が小走りに駆けて来てクレアに抱きついたのだ。
「あっ、さくらったら。そんなにしたら、ママ倒れてしまうわよ」
「だってぇぇ……ずっと待ってたんだもん……お腹ペコペコだよ」
「ごめんね。直ぐに晩御飯の用意をするから、もう少し待っていてね」
艶のある腰まで伸びた漆黒の長髪を三つ編みにし、クリクリとした大きな黒い瞳が印象的な可愛らしい少女。
彼女がクレアの愛娘さくら・ローズバンクだった。
(亡くなられた旦那さんはアジア人……いや日本人だったのかな? でも顔立ちや目元はローズバンク教官にそっくりだな)
母親に頭を優しく撫でられて、くすぐったそうに顔を綻ばせていた少女は、漸くその後ろに立っている見慣れない人物に気付く。
そして、初対面の達也を見上げ、その幼い顔に困惑の色を浮かべたのである。
(ふむふむ。子供相手は第一印象が大切だからな。今後の為にも《爽やかなお兄さん》というイメージを与えておかねば……)
養護施設で年下の子供達の面倒を見ていただけに、幼子の相手をするのは比較的得意な方だ。
だから、ガラにもない馬鹿な事を考えながら床に片膝をつき、幼子の目線に合わせて自己紹介をしようとしたのだが……。
「……パ、パパ? パパぁぁぁ──っ!」
突然そう叫んださくらがその可愛らしい顔を喜色に染めて駆けだすや、しゃがみ込んでいる達也に抱きついたのだ。
「う、うわあっ!」
反射的に少女を両腕で抱き止めた達也だったが、予想外の事態に唖然として言葉を失ってしまう。
そして、クレアもまた、愛娘の突飛な行動に衝撃を受け、その場に立ち尽くすのだった。